風のように

ゆらり 気ままに 過ごすとき
頭の中は妄想がいっぱい
錯覚の中で生きるのが楽しみ

住環境

2016-05-22 03:41:03 | 心理と真理
3・11の地震以来
津波を避けるための対策がとられている

高台に新興住宅地が造成されている
今も新興住宅地と言うのだろうか

かつての高度成長期やバブルの時代
多くの山や高台が造成されて新興住宅地や別荘地になった

あの頃の地盤や家屋の耐震それにホルムアルデヒトなど
住環境というより土地があれば売れる

そして家が建つ
そんな無茶苦茶な?時代があったような


・・・書きたいと思ってたことが方向を見失ってる
話をまとめて綴ることが大の苦手


新興住宅地のハード面でなくソフト面のこと
近隣住民のお付き合い

新興住宅地ばかりでなくご近所さんとの関係の善し悪しは
家族関係の良しあしと同じでとても重要

昔から家族間トラブルや近隣トラブルの
痛ましい殺傷事件などが後を絶たない

笑えるような出来事も仲が悪いとトラブルになる
そして気になることが

隣の奥さんはベッピンだ~
隣の旦那は稼ぎがいい~ 
(なんてこれ 男女差別的発言だね~)
子供の出来不出来
(これも差別的・・・だね)

はばからずにたとえ心の中だけででも
優位に立ちたいだとか思うのが人の心理だとしたら

あっけらかんとしていてもじくじくしていても
皆と背を比べていなくてはならないような

それがご近所だとかママ友だとか
何だかつまらないものにとらわれていく

何時しかお隣さんに監視カメラが設置されたり
高い塀が設置されたり

心が離れて反発意識が強くなって
いつ何が誘発されるかわからない

家族間だって同じ
愛しいはずの心が

愛しいがゆえに
正常ではいられなくなる


住環境
そりゃ~

高級住宅地で豪邸で心豊かに暮らせたら最高なのかも
貧しくて病苦の中にあったっていたわり合っていられたら

そんなに心豊かなものはない
でもでもでも

最近は貧困の連鎖なる言葉が・・・
努力すれば報われた時代もあったけれど

努力すらできない時代が来ているのだろうか
あのアメリカで人種差別の解放が叫ばれ続けているのに

警官の差別的暴行が後を絶たないなどと聞く
戦後の復興の時代のスラム的孤児のような子供たちが

親がいるにもかかわらず食事も勉強もままならない
複雑な住環境が生まれ出してきているのだろうか

何か日本の大切な習慣が
悪い習慣の誇張な改善の中で失われてきたのだろうか

人権・権利・保証等々
人を守るためのものが権利ばかりが横行し

為さねばならない義務や敬い慈しむことまでが
どこかに置き忘れてきたのだろうか


ますます
私の話はどこへ行くのかわからない


ただ私が感じていることは
この歳になるまでたくさん苦労はあったけれど

たくさんの人に心をかけてもらってきた
甘えさせてもらってきた

心の底からじわじわっと湧き上がってくるような
幸せをいっぱいもらってきた

そりゃあ
喧嘩もしたし感情をぶちまけもした

貧乏は味わったけれどどん底は知らない
これでもかと叩きのめされはしなかった

母や夫の看病に子供たちまで巻き込んできたけれど「
義務と感じた看病でなく傍にいたい看病だったから

看病が辛いのではなくて
心配で辛い辛さ

そんななかでいっぱい周囲の方から思いやりをいただいてきた
今少し家族から離れて外に飛び出す自由ができて

怯えなければならない人がいる
憎まなければならない人がいる

心も体も束縛されている人もいる
心さえも自由にならない人がいる

その人たちを思うと心がふるえることがある
悲しくてどうしようもない気持ちになるけれど

できることは何もない
何にもできない

同情したって心を煽るだけかもしれない
なんにもできない・・・

 

ある感動を短歌に(短歌と言えるかどうかは??
トレィナートひとりの力が紀州路をJRさえ動員させて

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