風のように

ゆらり 気ままに 過ごすとき
頭の中は妄想がいっぱい
錯覚の中で生きるのが楽しみ

同級生

2015-04-28 06:09:58 | 記憶の底
同級生から電話があった

同: みさか?
私: はい。久しぶり!
同: 電話かけたんやけどなあ

昨日携帯が鳴った
ワン切り
掛け直そうとしたけれど間違いだろうと放っていた

私: うん、昨日
同: 昨日と違う、前に何度か掛けたんやけどなア
私: ??

同: 男が出て怒られたわ!
私: ??

同: みさか!と言ったら男やった。婿さんかと思って
  みさは?というとそんなん居らんって!!怒られた
私: ??

同: 昨日お前の兄貴と神社の総代会であったから
  みさ、死んだんかって聞いたら
  兄貴が、婿は死んだけどみさは生きとるわさ。
  自分の携帯止めて婿の携帯もっとるんやわ。って言うとった

夫が死んで暫くして私の携帯が壊れた。何もかも復元できない状態で壊れた
夫の写真もすべて消えた。夫の死という感傷もあったから夫の携帯を持ったけれど
連絡が途絶えてしまう知人があるってこと思わなかった

同: 婿さん何時死んだんや?
私: もう5年になるわ
同: そうか、知らなんだわ!おまえは元気しとるか?
私: 元気やで!
同: ほんならええわ。

夫が死んだ年のクラス会に参加した。それまでは夫の看病やなにやらで
長年クラス会には出ていなかった。そのとき電話交換した旧友たち
取り立てて用があるわけでない。どうせ、今度のクラス会、来るんやろ?
会えるの楽しみにしてるわ~ってことぐらい。

地元にいる友は地元での自分史があるが、私の地元での歴史は高校生まで
だから旧友に会えば、一気に半世紀近くの時を超えて小中の頃にまで戻る
ミツアキ・そのちゃん・ジョっちゃん・逸ちゃん・まさお・よっこちゃんなのだ

道路が整備され工場や大型店舗が進出し様変わりした故郷も私の脳裏には
昔遊んだ田園風景がひろがっている。
今や社長になってそろそろ会長かというミツアキもハナタレのまま
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陸上競技

2015-04-27 23:54:54 | 明日のために今すること
中学2年の孫娘は陸上部

毎週のように記録会やら競技会やら試合がある
今度国体が開かれる紀三井寺競技場までは車で15分

頑張るよ~
見に来てね~のメールに

頑張ってな~
見に行くよって返信して

大会の日にはイソイソと出向く
出番を待つ孫をトラックの中に見つけ

カメラのスタンバイをし号令を待つ
100メートル走・100メートルハードル・走高跳・400メートルリレー

2コースだ・3コースだ
あのユニフォーム確か紺地に白のライン?

似たユニホーム・似た背丈・似た髪型
スタンドから応援するのはほんの一瞬

長い時間待って応援するのは
瞬きもできないほどの10数秒

写真にだって孫の姿をとらえるのは難しい
写真に気を取られて孫の走る姿は目に入っていない

写真にだって姿は映っていない
何のための応援だろうか

今度からは写真を撮らないことに決めた
10数秒真剣に見ることにした

大会はまだまだこれから
紫外線に気を付けて応援を頑張ろう




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恩おくり

2015-04-25 23:26:05 | 心理と真理
 高木歓恒(阿弥陀寺御住職)のお話をダイワロイネットホテルの旅カフェで聞いた
      「恩おくり」―エルトゥールル号の海難事故に学ぶ―

2年まえに和歌山県串本町大島を旅したときに、エルトゥールル号の海難事故
125年前の事故当時の記録や遺品などトルコ記念館で見ていたこともあり
講話を聴きに行った

樫野崎灯台沖のエルトゥールル号の海難事故の起きた場所はその記念館のすぐそばに見える
断崖絶壁のその下に


恩おくり

明治23年9月16日夜、大島沖で座礁沈没したトルコ軍艦エルトゥールル号
乗員659名のうち救助されたのは69名

荒れ狂う波の中、救助に向かった大島の海の男達
怪我人の治療や食料の調達に心を尽くした住民達

今のように物の豊富な時でない、明治23年の大島はどんなだったのだろうか?
自分たちの労力、衣食住のすべてを提供したに違いない

救助に命を懸けた大島の人たちへの感謝を助けられたトルコ軍人達は忘れなかった
帰国した兵士達は子や孫へと語り継ぎ、また家族から隣人へ全国民へと語り継がれた

そしてもしも日本人の危機の時は必ず恩を返そう
もし自分が返せないときは子が、子が返せなければ孫が恩返しをすると語り継がれた


そして


100年の月日が流れた1985年3月17日
イラクのフセイン大統領が48時間後にイラン上空の航空機を無差別攻撃すると宣言

イランに残された日本人200数名は日本政府の救助を待ったけれど
自衛隊からもJALからも救援機は飛ばなかった

救援に志願するパイロットや乗務員は日本から飛び立つ待機をしていたけれど
危険すぎると日本政府やJAL労組が飛ばさなかったのだ

絶望の200数名を救ったのはトルコ航空機
攻撃開始の時間が迫り危機一髪の脱出だった

しかもイランに残るトルコ人達は自動車でイラン国境を越え自国へ非難したのだ
日本人を救ったその陰にあったのはエルトゥールル号事故の時の恩

嵐の中60メートルの絶壁を命がけで負傷者を背負って助けられた恩
なけなしの食糧を掻き集めて提供し負傷者を治療してくれた恩


危険を顧みずにトルコ航空機は飛び自国民は陸路で脱出してまで 
100年の時を超えて酬いてくれた恩返し


。。。。。。。きっと・・・・・・・・


トルコの人々に語り継がれて来たのはお話でなかったのだ
お陰さまという感謝の心、助けられた兵士の心のまま

きっと私にも子へ孫へ語り継がなければならないことがある
子や孫へ示さなければならないことがある

何だか今の世の中奪い合うことが多くなっているような・・・
そのことを非難するのでなく

誰もが持っている素朴な心
わけ合うこと感謝すること

当たり前の心を伝えたい





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あれから2ヶ月

2015-04-20 23:03:34 | 心理と真理
川崎の上村遼太君の事件から2ヶ月

あの現場に未だ献花に訪れる人々が絶えないという
あの子が仲間にいじめで殺されたというその事実

それをなんとしても子供から大人まで
多くの人々の心に留めおかないといけない

あの子が死んだことの意味
そのことは仲間同士のいじめの結果なんてことじゃない

身をもって示したことを
社会の中で追及しなくてはならないこと


誰もがきっと持ってる差別の心や
優位に立ちたいと思う心が

バランスを崩してしまわないように
誰もが持っている優しい心をどこかえ押しやってしまわないように

誰もの心に支えてくれる人がいるってこと
そんな仲間の中にいるってことを感じていられるように

心を閉ざしてしまわないように
そんな誰かのこと感知できるようにちょっと優しい心でいたい





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夜遊びして

2015-04-19 23:43:18 | 
夜遊びして

さっき

帰って来たけれど


娘は

仕事から

まだ帰っていない


外は

豪い風




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今がある

2015-04-19 09:42:35 | 
つたえたいこと
いっぱいあるのに
耳を傾けてくれない

しりたいこと
いっぱいあるのに
口に出してくれない

それらのこと
どんなふうに
どうすればいい

それはきっと
今でないのかも
しれない

だけど
つたえたいこと
つたえるために

しりたいこと
しるために
いまがある

今日の今を
生きるために
今がある






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ゆるゆるの中で

2015-04-18 22:03:34 | 
ゆるゆるの中に

浸かってるんだろうか
甘えているのだろうか

そうだろうな

何にもないもの
だだ甘んじているだけ

努力もせずに

逃げるのも
逃げられるのも恐れて

ゆるゆるの中に

浸かっているだけ
甘えているだけ

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玄室

2015-04-13 20:31:03 | 日記
ひとりで風土記の丘に登るとき

悔しい時
悲しい時
寂しい時

いつもマイナス気分ばっかかいな

そりゃさあ
ひとりであの山登るんだから
ふつうじゃない

寂しい時に登る人がいなくてひっそりしていたら

そうとうきつい
寂しさに
寂しさが加わって

逃げ出したくなるのを我慢して登るうち

光や影
風の音
鳥の鳴き声

怖くなったりやさしくなったりもう後戻りできない

行くも
戻るも
山の中

分け入っても分け入っても青い山(山頭火)

登って
くねって
行けども

希望が見いだせなくても一周して出発点に着いたら

折れそうだった心が
安堵し
優しくなれる

でも昨日の山は登る人も多く花は咲き
気分はマイナスではなかったから
ひとりではとても観れない玄室を覗くことができた

                     

                     


              
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世耕弘成氏政治献金

2015-04-12 09:59:44 | 原発再稼働反対
和歌山は兎に角すごいところだと思う
世耕氏の政治献金先が原子力発電関連の会社関係者だと聞くと

原子力発電所誘致に反対しそれを勝ち取った和歌山
その地の人々の選挙区選出の議員さんとはとても思えない

和歌山の原発誘致反対の歴史は簡単なものではなかった
一時は原子力発電所誘致が決定していた

それを覆すさらなる反対運動に拍車をかけたのは
スリーマイル島の原発事故によると聞く

この温暖で保守王国のような和歌山で
このような底力・団結・行動力があるのは

長い歴史のうちに築かれてきた黒潮の荒波に打ち勝つ力
人々の団結力・現実よりも先を見通せる力

作家佐藤春夫が生まれ
学者南方熊楠が生まれ
医師花岡青洲が生まれ
松下幸之助氏も生まれ
多くの偉人が生まれた和歌山

和歌山は発展しないなどと聞くけれど発展ってなにかと思う
発展って何だろう

経済発展のための終わりのない追いかけっこが発展なんだろうか
この豊かな自然を護っていくことも心の発展

熊野高野を守り富士山が見えるという最遠地を守っていくには
空気の綺麗な和歌山を護らないといけない

世耕氏の一連の政治献金は違法ではないのだろう
今氏は和歌山という地を離れ国を左右するような立場にある

世耕氏の生まれは和歌山でなくても和歌山選挙区の人
この和歌山の気概をもった人々の代表であることを感じてほしい





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閉じられた日記

2015-04-07 07:11:09 | 心理と真理

もう随分前のことだけど
あるTVで番組に感化されて夫と交換日記をすることになった

当時夫は病床に在って自宅療養中
わたしといえば会社と家の往復の日々

100均の小さなノートに書き始めた交換日記
ある日娘たちが読んでもいいから書いてもいいとなり

4人の娘が加わって家族日記となり闘病日誌となって
8か月後のある日でその日記は終わってる


そしてある日からは閉じられたまま開けなくなった
感傷が後戻りして娘も私も動けなくなるから


そろそろ
開けていいのか

だってその日記の夫の分は実に面白い
たったベットの上の世界に娘も私も笑った

夫は素直で娘婿が見たら誰それさんが見たら気を悪くするよと言ったら
面白みがなくなり

少し書き始めていた絵も同じ題材を娘婿が描いて
○○君の方がうまいなんて言ったらそれもやめてしまったり

私はつまらないことで夫の楽しみを奪っていた
きっと夫の楽しみばかりでなく子育てにおいて

大切な芽を摘んできたのだろうと思ったけれど
私の性格は変わらずに相変わらず後ろ向きで否定的である


その交換日記をいつか読み返す日が来るのだろうか
またある本から影響を受け読む人の居ない夫宛の手紙を書き始めてみたけれど

これはますます暗くなり止めた
日記は淡々とあったことを書くのが日記と思うけれど

私は感情ばかりを書き続け
後になって読み返すと何を書きたかったのさえ分からないのだ

夫が私の帰りを待ちわび
私には寡黙だったのが荒い呼吸で話しかけてくることに

疲れて帰って来たのに少し黙れなんて心の中で呟き
TVネタばっかり自慢げにしゃべるななんてと思ったりした


家に帰ればひとりで過ごす時間の多い今
夫の喋ることを心で聞いてればよかったなどと思う

私は自分勝手でわがままでこらえ性のない人間だってことがよくわかった
それを受け止めていてくれたのは夫だったってこともよくわかった


今日から夫の絵に挑戦します
感情移入しないで淡々と描きたい







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小さな庭の片隅で見つけた春

2015-04-02 18:48:43 | 日記
妹家族が旅行に出かけた
行く先は九州

朝5時半の関西国際空港行きのリムジンバスに乗るため
和歌山駅まで送っていく約束をしていた

朝5時前に家を出て妹の家へそして和歌山駅に向かった
和駅のすぐ近くで空港行きのバスにすれ違った

時間は5時22分まだ8分も前
バス停の前で妹を降ろし念のためバスの時間を確かめて来て

さっきのだったら関空まで送るよと
5時20分発なわけで結局関空まで送ることになった

予定では和駅に送りもう一寝入りするはずだったが
とんだドライブになってしまった

紀ノ川ドライブインでパンとコーヒーの朝食をとって
家に戻ったのが7時半

いつもあわただしく出ていくだけの玄関先
朝日を受けた庭の花や草が新鮮に見えた

プランターの陰で春が隠れていた
そのプランターをどかして写メ

このミニ菖蒲は20年前生保レディをしていたとき
お客さんに株分けしてもらったもの

プランターの中でずっと過ごしやっと直植えした初年目
早起きのおかげで見つけることができた春



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和歌山城の桜

2015-04-01 22:25:07 | 和歌山PR
和歌山に来て45年が過ぎた
45回の桜の季節を迎えてきた

先日会社で和歌山城の枝垂れ桜が満開でたくさんの人で
という話をしていた

枝垂れ桜?
和歌山城にそんな大きな枝垂れ桜があったっけ?

夫が元気だったころはよく和歌山城に花見に出かけた
バーべキューにカラオケかなり盛り上がった

でも枝垂桜は・・・あった?
一之橋を渡った右側にその枝垂桜はあるという

そういえば我が家の花見といえば岡口門を入って動物園の辺り
日が高ければて天守閣へ上がるか

伏虎の像や二の丸跡辺りの出店を徘徊し
大手門方面へは一度も行っていなかった気がする

今朝孫が日赤病院で検査を受けるために
和歌山城のお堀の周りを通って一之橋の前を通ることになった




娘が「お母さん時間があるからサーッツと写真撮ってきたら」と言ってくれたので
その枝垂桜を見ることができた

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