《 支那人に一番足りないのは「恥」 》
日清戦争で日本に大負けした支那人は反省した。
この際、日本を見習って立憲君主国家にし、学ぶべきは大いに学ぼうと康有為や梁啓超らが提唱した。
そうなると紫禁城を仕切る西太后が邪魔になる。彼女を捕まえ、監禁するか、あっさり始末するか。
西太后はそれを知って先手を打ち、梁啓超らを捕まえ殺そうとした。これが戊戌(ぼじゅつ)の政変だ。
梁啓超は間一髪のところで逃げ出し、明治31年の日本に逃げてきた。
彼は「勤勉で進取の気性に富み、生き生きと新世紀の舞台に立っている日本人」を見た。
日本にはまた「西欧の優れた文献が日本語訳されて」並べられていた。
「日本語を学べばすべての国の文献が読める」「日本語に精通しなくとも漢字仮名交じり文を逆に読めば意味はだいたい理解できる」(梁啓超『和文漢読法』)
「少年老い易く」なら「少年易老」と読めと。
梁は日本語を学ぶ利点を「これだけ膨大な文献を中国語で読もうとすれば、まず独仏英露の言葉を学び、次に中国語に翻訳するまで膨大な時間と人手がいる」(『新民叢報』)。
「問題なのは中国語に訳そうにも該当する言語を我々は持たない」(同)
例えばdemocracyを訳すにも「徳莫克拉西(デモクラシー)」と当て字しても何を意味するか分からない。
ではそれに相当する漢字言葉を当てればいいが、それは難しい。なぜなら中国語には現在過去といった時制も名詞動詞の区別もない。粗雑な言語で奥行きもない。
深遠な思考や心象を表現するなど木に縁(よ)って魚を求むるが如しだ。
その点、日本人は中国語の持つ表意の縛りにこだわらない。「民」とは劣った者の集りの意味だが、日本人はデモクラシーを平気で「民主主義」と造語する。
「ぶつぶつ言う前に日本製漢語を学べ」と梁は『新民叢報』で次々紹介した。馮寶華の「梁啓超と日本」によると1906年版の同誌は上海だけで1万4000部も売り上げた。
おかげで今、支那人が喋る言葉の75パーセントを日本語が占めている。
東洋史家の宮脇淳子によれば毛沢東は梁の勧める逆さ読みでマルクスを読んだという。
(続く)
新潮文庫
「 変見自在 習近平は日本語で脅す」
高山正之著 より
「 変見自在 習近平は日本語で脅す」
高山正之著 より
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己の「足らざるを知る」ことから「恥」を感じ、さらにいっそう「謙虚に学び、習う」という姿勢。
何十年も前に「菊と刀」という「日本の文化とは言ってみれば『恥の文化』である」と喝破した本が大流行しましたが、そこに書かれていた「恥」は好意的な捉え方ではありませんでした。どちらかと言えば「人目を気にする後ろ向きな生き方である」と。
「(だからこそ)謙虚に学び、習う」という積極的な発想までは看取できなかったようです。