《 支那人に一番足りないのは「恥」 》
その後半です。
梁啓超が「支那の近代化のためには日本に学ぶのが近道だ。何故なら、西欧の学問の多くは既に日本語訳されており、日本語自体、語順を変えれば中国人なら容易く読めるからだ」、とその利便性を説いた。独・英・仏・蘭・伊等の言葉をいちいち学ばなくとも日本語だけでそれらの国の文献を読める。のみならず、日本語は容易く読める。
だからと言って敬意を表し、以降、常に日本を師と仰いだか、というと、彼らはそんな国民性ではない。「井戸を掘った者を忘れない」というのは国民性ではなくただの教訓、理想を述べただけなんじゃないか。
利便性の高さから使う、役に立つから取り入れる。その際、対象に対するリスペクトとやらは言うまでもなく、「尊敬」の念などは全くない。今の中国共産党の言動を見れば有史より一貫して変わってないのではないかと思ってしまうくらい。
毛沢東は日本のおかげでマルクスを読めたが、田中角栄が漢詩を作るのを感心なことだと褒めたという。そしてプレゼントしてくれたのは「詩の書き方」という本だった、という有名な話。日本の総理が漢詩の決まりを何も知らないことを揶揄って、というのが本当のところだった。
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日本人は梁にそれだけ教えればよかったが、と余計な励ましもした。
彼が日本にいる間に日本は日露戦争に勝った。駄目な支那人との差がつきすぎたので、つい余計なことを言った。
「そう落ち込むな。支那は世界四大文明発祥地の一つだ。偉大な歴史を持っているのだ」と。
馬鹿な梁はそれを真正直に信じた。俺たちは偉大な文明を生んだのだ。
日本人はさらに元気づけた。支那は単に文明発祥の地であるだけでなく、その後も立派な歴史を刻んだのだと言った。
他のインダス文明もエジプト文明もメソポタミア文明もさっさと歴史の中に消え去った。
しかしお前のところは違う。例えば殷はすごい青銅器文化を生み、周もまた優れた鉄器文化を残した。
下って隋の煬帝は大運河を開き、唐の絢爛の文化は世界に冠たるものだ。
近世の乾隆帝もまた素晴らしい文化を今に残しているのだと教えた。
でも本当のことを言うと殷はチベット系で周はソグド系の遊牧民。隋、唐が鮮卑で、清は隠れもない満州民族の王朝だ。歴史を振り返れば漢民族が築き上げた立派な文化などほとんどない。
梁もそれが日本人の思いやりの言葉と察するかと思ったが、違った。無邪気にそのまま「支那は四大文明の発祥地なのだ」「孔子の教えに始まり、その後も偉大な文化を生み続けたのだ」と大声で祖国に伝えた。
漢民族はそれで空まで舞い上がった。
習近平は党大会で偉大な漢民族の再興を語り、経済に於いても軍事に於いても世界最強の大国になると言い放った。
その割には尖閣も南沙も昔から支那のものだと姑息な嘘もこまめに言い続ける。
産経新聞記者を会見から締め出しもした。小物然として風格もない。
梁啓超には言葉の文化のほかに恥を知ることも教えるべきだった。
(二〇一七年十一月九日号)
新潮文庫
「 変見自在 習近平は日本語で脅す」
高山正之著 より
「 変見自在 習近平は日本語で脅す」
高山正之著 より