CubとSRと

ただの日記

「その」時、あなたはいくつだったのか。補足

2022年02月04日 | 重箱の隅
 先日挙げた書評を転載した日記ですが、同じメルマガに今日こんな投稿がありました。実に判り易く掛かれているので勉強になりました。

 ・・・・と、いきなりその投稿だけ挙げても何のことだか分からない。
 「知らない人は、その日記のところに行ってみてください」というのも身勝手が過ぎるよなと思ったので、その日記をここへ再転載してから今日拝見した文章を転載します。
 できれば再転載文から目を通していただければと思います。
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 「私はあの悲惨な戦争を体験している。だから~」
 その時あなたは一体いくつだったのか。「一人前の大人として考える」ことはできたのか。「確固たる考え方」はあったのか。

 戦後生まれの子供に「お前たちは戦争を経験してない。だから何も分かるはずがない」と叱った人々は戦時中、一体いくつだったのか。
 戦争を知っている復員兵は黙して語らない。経験したからこそ「何も分かるはずがない」などと決めつける(全否定する)ことは、しない。
 どの分野でも「経験もしてない者が偉そうにいっぱしの口を利くもんじゃない」という人が少なからずいるけれど、それを言っちゃあ、おしまいだ。
 大人がそれぞれに、それぞれの思い(意)で考え行動するからこそ、社会の変化(発展はその中に含まれる)がある。確かに考えることを否定する社会に未来はない。しかし、子供は大人ではない。


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  書評 しょひょう BOOKREVIEW  
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 あの文革の惨さ、おぞましさ、死刑直前に獄中十年、精神の記録
  暗黒の歴史を世界に伝えなければいけないと当時の文革高校生が綴った


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楊小凱著、劉燕子監訳・小林一美解説『中国牛鬼蛇紳録』(集広舎)
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 著者は文革時代、高校生だった。鋭敏な神経と感覚を備えた著者は、論文を書いた。保守過激派の反発を産み、死刑になる寸前だった。獄中十年、そこで目撃した地獄。
 1968年、湖南省の片田舎で育った著者はまだ高校生。文革が始まっていた。楊少年は「中国は何処へ行くか?」という小論文を書き、ついで農村の実情を調べるため、多くの農民と話あってレポートを書いた。それが回覧され、『保守造反派』の間にもでまわってしまった。
 中国全土を蔽っていた「当時の官製イデオロギーは、全人口の80%を占める農民の殆どに歓迎されていないことを知った。農民は共産党は好きではないが他に選択の余地がないので、仕方なく受け入れているだけである」(33p) 
 そして、こうした思考を続ければ劉少奇らの考え方が正しいという結論にならざるを得ないという直感があった。
当局から目を付けられて拘束され、懲役十年。父は左遷され、母や文革中、迫害を受けて自殺した。
 獄にぶち込まれた人々にはコソ泥から、掏摸、詐欺師もいた。ソルジェニツィンが書いた『収容所列島』の中国版とは「看守所・未決囚」と「労働改造所」、そして「監獄」の三つのシステムがある。
 ゴロツキ、研究者、医師、宗教家、同性愛者、流れ者、ヤクザ、左官屋、舞台監督など履歴は様々だった。その生態を生き生きと描いた。西側世界は吃驚した。
 楊小凱は獄中でマルクスの英語版を読み、共産主義が完全に誤りであることを独習で学んだのだ。獄中が彼の大学だった。
 出所後、印刷工などを経て、武漢大学助教、幸運にもその後、海外へでることができた。
83年に渡米し、プリンストン大学で博士号。豪の大学に移り、2002年には受洗している。
 著者は2004年、オーストラリアで客死した。当時はメルボルンのモナッシュ大学の教授だった。妹の楊暉が現地へ飛んで臨終を見届けることとなった。癌だった。
 本書の一部は1990年に発表され、討論の輪ができた。著者の楊小凱は学者として名を成し、専門は経済学だったが、米国での議論は経済学ではなく文革時代のことばかりだった。評判となったので、残りを『北京の春』に連載し、1991年には英語版も出版された(脱線。評者(宮崎)、この頃,『中国の春』『北京の春』を郵送購読していたが、論文が夥しく,読むのに追いつけなかった)。
 それから30年の歳月が流れ、ついに日本語版が世に出た。魂は不滅、文学的な作品は残るのだ。
 巻末のやや長い解説「毛沢東時代と中国を世界史の中で理解するために」を書いた小林一美(神奈川大学名誉教授)は、次の重要なポイントを指摘している(499−501p)
 「中国で最も長く反体制の教義と反乱実績を持つのは白蓮教である。中国の白蓮教は、ゾロアスター教(この世を善神と悪神の闘争と捉える)から分裂したマニ教に起源があるといわれる。
 マニ教は唐代に中国に広く伝わり、宋代の国内の禁欲的な白蓮宗などの宗教集団と合体し、元末の大反乱の宗教反乱の中心集団となり、そのなかから生まれた朱元章が明王朝を樹立した(中略)。明清時代には国家から最も危険視される過激な結社であった。なぜなら、白蓮教は清代には中国伝統の武術結社と結びついており、各地で武装蜂起を企んでいたからである。


 白蓮教のモチーフは、『天下大乱し、弥勒仏が光臨なさる』、『真命天使がお生まれになる』、『この世には、まさに地獄の災難が降りかかろうとしている』、『勇敢に戦い死すれば、天国に生まれ変わる』というもので、現在のアルカイーダ、タリバン、ISのような終末論的な預言をした」のである。
 毛沢東以来、中国共産党は宗教の全てを取り締まり、キリスト教会とモスクを破壊し(多くは地下に潜った)、法輪功を徹底的に弾圧し、臓器を摘出して稼ぎまくり、いまウイグルのイスラム教徒を洗脳し、拷問し、労働改造所で重労働に酷使し、しかも平然と北京五輪を開催して、「世界の一流国」だと虚勢を張るのである。


 
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和四年(2022)1月25日(火曜日)
     通巻7196号 <前日発行> より

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 では、その投稿文です。

(読者の声2)過日、貴誌で紹介のあった「中国牛鬼蛇神録」(楊小凱著、集広舎)の感想です。
 この本の題を見るとおどろおどろしいが、内容は深い。中共批判の本はいろいろあり、被害者の立場から見たものは、「上海の長い夜」、「ワイルド・スワン」などがある。この本は著者(楊小凱)の回想で支配階級出身の高校生の若者が、文革の大混乱の中で、必死に状況を理解しようと考え行動し、当初は毛沢東やマルクスを読むが、政治の実態が違っていることに気づいてゆく。
これは毛沢東は初めから共産主義者では無く大盗賊だったという見方を知ると解決する。毛沢東は冷酷狡猾な現実主義者だった。
 文革は共産党内部の権力闘争だった。平等な社会をつくる共産党など存在しておらず、共産主義思想や毛沢東思想は妄想、共産党は思想を看板にした虚構、そして統治の実態は私利私欲の暴力犯罪だったのである。
 著者は若くして牢屋に入れられ、いろいろな人に会う。この人物回想は本書の魅力であろう。中共の国民も普通の人間であり、正しい政治を望んでいるのだ。
著者はその後米国に渡り経済の専門家として学識を深めるが、濠州で肺ガンで死去した。優秀な人であった。
   (落合道夫)

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 「共匪」という言葉があります。共産主義思想を持つ「匪賊」。共産党軍のことを貶めてこういう風に言うのですが、意外に実質を言い当てていると言えるかもしれません。
 というのは「共産主義思想とは何か」を知っているのは、一部のドイツ語やロシア語を読める学者だけで、そんな人物は当時の支那には指折り数えるくらいしかいなかった。
 そういう学者から教えを受けた者が私設武装集団の指導者として初めて「共産党軍」を名乗るのですから、学者の前では頭が上がらない。しかし、当然「文弱の徒に戦が分かるか!」とリーダーとしてのプライドが先に立つ。
 でも、縄張りの奪い合いのお題目としての共産主義思想は彼ら「文弱の徒」に習うしかない。そして学問のない彼ら私設武装集団には難し過ぎるし、自分で学ぶこともできない。
 だから共産主義という旗を推し立てているけど、現実にやっていることは他の「匪賊」と何ら変わることはない。盗賊集団の縄張りの奪い合い。「軍閥」は公権力だったけど、「共産党軍(?)」は間違いなく私設の「賊軍」。
 毛沢東のマルクス思想は「日本語の逆さ読み」で学んだのでしたよね?
コメント
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