ついで、というのも変ながら、こんな時でもないとなかなか機会がないので。
「祝祭日」という言葉について。
当然「祝日・祭日」をまとめて「祝祭日」と言っているわけで、厳密に言えばこんなまとめ方はおかしいんですが、日本の場合はどちらも何となく「休日」という意識。
でも、昔の人(昭和20年以前に義務教育を受けた人だから、もう八十半ば?)は、それぞれの違いをちゃんと習っています。
祝日は「お祝いの日」、祭日は「日本のお祭り(天皇が祭主)の日」です。休日かどうかは関係ない。
「何となく『休日』」と捉えるようになったのは敗戦後の「新しい教育」からです。
では、また再掲をば。↓
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
何で「文化の日」ってのは祝日なのか。祭日ではないのか。
念のために。
「祝祭日」と一言で言いますが、「祝日」と「祭日」です。
祭日は国を挙げてのお祭りの日。
祝日は国を挙げてお祝いをする日。似ているようで、違うでしょう?
祭日ってのは、意外と少ないんです。
正月一日。春分の日。秋分の日。そして、勤労感謝の日。
祭日以外が「祝日」。
これだけじゃ何のことかさっぱり分からん、と言われるでしょうか?
祭日というのは「祭祀が行われる日」ですから、今あげた4日はその日、ということです。
正月一日は、天皇陛下が四方拝という「祭祀」を行われる日です。
春分の日、秋分の日は、春秋の彼岸、ですが、明治以降春秋の皇霊「祭」(歴代の天皇の御霊を祀る)が行われてきました。
そして、「勤労感謝の日」というのは、本来、作物の象徴的存在である稲を、天皇陛下が神と共に召し上がるという祭りなので、新嘗「祭」(にいなめさい、しんじょうさい)と言われていました。「祭」がつくから、「祭日」です。
きっと、「ああそういえば」と言われることでしょう。
だから、文化の日は祝日、ということになります。
文化勲章を賜る日。
でも、それ、あとから決まったことで、本来は「憲法発布の日」だから、文化の日。「憲法の施行」は5月3日、憲法記念日。
発布の日から、半年後に施行、という決まりだったんだそうです。
「憲法記念日」を祝日に、というのは分かるけれど、「発布の日」まで、祝日にする?
占領下(独立国ではない)で制定された憲法だから、もはや無効である、という説もあります。
いずれにしても、何故、11月3日なのか。
「明治節を、形を変えても何とか残したかったから」
「明治節を覆い隠すために、わざと11月3日にした」
正反対の意見、見方です。
「勤労感謝の日」も
「新嘗祭を、形を変えてでも何とか残したかったから」
「『新嘗祭』ということを覆い隠すために、『勤労感謝の日』とした」
今となっては、国会の議事録を精査しても、真相は分からないようです。
GHQの占領政策は過酷なものだったと言います。公職追放も、焚書も徹底してやっています。
しかし、「何とか残そう」としたのも日本人。GHQの手先となって、覆い隠そうとしたのも同じ日本人です。
それぞれ、自身を信じて行動したのでしょうが、国の存続をどう考えるかが分岐点だったのでしょうね。
以前に書いた日記です。
*********************
(略)
さて、来週11月3日は文化の日。国民の祝日、です。
だから、国旗を揚げよう・・・・・、とはならない。
意地だって挙げるものか。何故なら、「日本国憲法発布の日」、だから。
そう思っていた・・・・のですが。
先日の「日本人が知ってはならない歴史」から、ちょっと待てよ、と思いました。
GHQはことある毎に、日本の祝祭日を消そうとしていた。
あえて、祝祭日、又は、「記念日」に対し、何らかの別な名称をかぶせ、それまでの祝祭日、または、記念日を歴史の闇に葬って来ました。
勿論、GHQが、自らやるわけではありません。
信じられないくらいの高給で雇われた数千人の日本人(知識人、学者)が、気を利かして、先にそれを実行するのです。生類憐みの令と同じです。
言うまでもなく、日本人の心にある「愛国」の二文字を消し去るためです。
入院中に書いた、「勤労感謝の日とコミンテルン」はその延長線上にありました。
「11月3日は文化の日。待てよ?これだって、何かあるんじゃないか?」
現在 何故文化の日というか。
①文化勲章の授与があるから。
②、文化を大事にする、日本国憲法が発布されたからです。
でも、これは両方とも後出しじゃんけんです。
「靖国暦」を見たら、「明治節」、と、あるじゃないですか。
文化の日は昭和23年制定だったそうです。
明治節は昭和二年。大正14年に請願活動が起こったけれど、大正天皇が病臥なさって居られたため、昭和二年制定、となったそうです。
(何とも早や・・・・です。この歳になって初めて知った。お恥ずかしい。)
念のために。
「祝祭日」と一言で言いますが、「祝日」と「祭日」です。
祭日は国を挙げてのお祭りの日。
祝日は国を挙げてお祝いをする日。似ているようで、違うでしょう?
祭日ってのは、意外と少ないんです。
正月一日。春分の日。秋分の日。そして、勤労感謝の日。
祭日以外が「祝日」。
これだけじゃ何のことかさっぱり分からん、と言われるでしょうか?
祭日というのは「祭祀が行われる日」ですから、今あげた4日はその日、ということです。
正月一日は、天皇陛下が四方拝という「祭祀」を行われる日です。
春分の日、秋分の日は、春秋の彼岸、ですが、明治以降春秋の皇霊「祭」(歴代の天皇の御霊を祀る)が行われてきました。
そして、「勤労感謝の日」というのは、本来、作物の象徴的存在である稲を、天皇陛下が神と共に召し上がるという祭りなので、新嘗「祭」(にいなめさい、しんじょうさい)と言われていました。「祭」がつくから、「祭日」です。
きっと、「ああそういえば」と言われることでしょう。
だから、文化の日は祝日、ということになります。
文化勲章を賜る日。
でも、それ、あとから決まったことで、本来は「憲法発布の日」だから、文化の日。「憲法の施行」は5月3日、憲法記念日。
発布の日から、半年後に施行、という決まりだったんだそうです。
「憲法記念日」を祝日に、というのは分かるけれど、「発布の日」まで、祝日にする?
占領下(独立国ではない)で制定された憲法だから、もはや無効である、という説もあります。
いずれにしても、何故、11月3日なのか。
「明治節を、形を変えても何とか残したかったから」
「明治節を覆い隠すために、わざと11月3日にした」
正反対の意見、見方です。
「勤労感謝の日」も
「新嘗祭を、形を変えてでも何とか残したかったから」
「『新嘗祭』ということを覆い隠すために、『勤労感謝の日』とした」
今となっては、国会の議事録を精査しても、真相は分からないようです。
GHQの占領政策は過酷なものだったと言います。公職追放も、焚書も徹底してやっています。
しかし、「何とか残そう」としたのも日本人。GHQの手先となって、覆い隠そうとしたのも同じ日本人です。
それぞれ、自身を信じて行動したのでしょうが、国の存続をどう考えるかが分岐点だったのでしょうね。
以前に書いた日記です。
*********************
(略)
さて、来週11月3日は文化の日。国民の祝日、です。
だから、国旗を揚げよう・・・・・、とはならない。
意地だって挙げるものか。何故なら、「日本国憲法発布の日」、だから。
そう思っていた・・・・のですが。
先日の「日本人が知ってはならない歴史」から、ちょっと待てよ、と思いました。
GHQはことある毎に、日本の祝祭日を消そうとしていた。
あえて、祝祭日、又は、「記念日」に対し、何らかの別な名称をかぶせ、それまでの祝祭日、または、記念日を歴史の闇に葬って来ました。
勿論、GHQが、自らやるわけではありません。
信じられないくらいの高給で雇われた数千人の日本人(知識人、学者)が、気を利かして、先にそれを実行するのです。生類憐みの令と同じです。
言うまでもなく、日本人の心にある「愛国」の二文字を消し去るためです。
入院中に書いた、「勤労感謝の日とコミンテルン」はその延長線上にありました。
「11月3日は文化の日。待てよ?これだって、何かあるんじゃないか?」
現在 何故文化の日というか。
①文化勲章の授与があるから。
②、文化を大事にする、日本国憲法が発布されたからです。
でも、これは両方とも後出しじゃんけんです。
「靖国暦」を見たら、「明治節」、と、あるじゃないですか。
文化の日は昭和23年制定だったそうです。
明治節は昭和二年。大正14年に請願活動が起こったけれど、大正天皇が病臥なさって居られたため、昭和二年制定、となったそうです。
(何とも早や・・・・です。この歳になって初めて知った。お恥ずかしい。)
補足
春秋の皇霊祭は明治期から始まったそうです。それまで春秋の彼岸は国民の間では行われていた。(稲の籾蒔きと収穫が大体その時期に当たるようです)
ということは皇室が国民の行事に倣った、ということになります。
世界中の君主と国民は対峙する形が一般的ですが、日本はそうではないということの実例の一つといえるかもしれません。