11月17日(木)
昨晩寝たのは11時頃だったか。
随分寝たような気がしていたが、突然、階下で「ドン!」いう音がして目が覚めた。ドアを強めに閉める音。
それで目が覚めた。
(誰だ!?鍵を閉め忘れていたのか?)確か、今日はちゃんと鍵を掛けた。その感触が指に残っていることを思い出せるのだが。
とにかく起きて下に降りてみる。
当然のことながら玄関の鍵は閉まっていたし、誰かが侵入した様子もない。あの大きな音は一回だけだった。
普通に考えれば、夜中にあんなに大きな音を立てて侵入する泥棒はいない。あの大きな音は一回だけだった。何度も続くなら、それは泥棒ではなく強盗だ。
強盗だったら今頃こんなのんびりしたことを考えている状況ではないだろう。手足を縛られて震えているか、ぶん殴られて気絶しているか。
そんなテレビドラマみたいな展開はあるのかな?ホントのところ。
で、悠長に、また考える。
まず、あの物音は本当だったのか?夢を見ていたんじゃないのか?
物音で目が覚めた、ってこと自体が夢で、その大きな物音は夢の中の話ではないのか?
1995年、あの大地震の時には実際にドンッという音と下から衝き上げられた衝撃で目が覚めた。
けど、次の瞬間、「ダンプが家に突っ込んだ?」と訳の分からないことを寝ぼけた頭で考えたことを覚えている。
今回もドアを閉める音ではなく、何か別の音があって、それを夢の中で増幅させていたのか?
それとも音自体、本当は全くしてなくって、ただ、夢を見ていて音がした、と思い込んでいるだけか?
この可能性が意外と一番かも。
そう思い直したのは、随分寝たと思っていたのが実際には一時間ほどのことでしかなかったから。
つまり、「随分寝た」という夢を見ていたから、かも。
現実と夢の境が曖昧になっている時間とボケの症状が重なっているのだろう。「現実」に炬燵の周辺や窓辺に小人が見えるようになるのも間近なのかもしれない。
その際には、もうすっかり懐かしくなってしまったけど、コップのフチ子さんに出てきてもらいたい、と半ば本気で思っている。
昨日は父の命日ということで、前に書いた通り神棚に酒を供えることにしていた。
戦争に一兵士として赴いたからには、靖國の英霊たちと必ずつながっている。子としては父を、神とつながっていると思うことは間違ってはいないと思う。
というわけで、一升瓶の封を切り、ぐい呑み一杯の酒を供えた。
あとは今日の酒の肴を買いに行こうかとも思ったけれど、やっぱり今日くらいは一日家にいて、大人しくしていることにした。