昨日、多可まで行ったことが祟っているわけでもないだろうが、今日はなかなか出歩く気になれない。
そして出歩く気になれないまま、昼になった。
何しろ今日は酒を飲む日。うっかり出歩いて夕食の準備(酒を飲む準備)が遅くなれば、うかうか酒を飲んでいられない。ダラダラ飲んでいたらすぐ時間が経ってしまう。
9時には寝なければ、翌朝の散歩が危うくなる。遅くなって飲み始めたら9時なんて来るのは、すぐだ。
というわけで、夕方になって駅ビル内のスーパーマーケットに行っただけ、だった。
それで酒を2合半と缶チューハイ一本。
酒2合半のうち、1合半は多可の道の駅で買った「香住鶴」の小瓶。まだ麹が生きていて、発泡が続いているやつ。ちょっと甘くてとても飲みやすい。仄かな炭酸の刺激が拍車をかける。
当然、あっという間に空になる。何しろ1合半しかない。
勿論些か以上に物足りない。それで続けて今度は一升瓶から「竹泉」を1合。それで2合半。
歳を取って、体が衰えて良いこともある。
以前のように飲めなくなったこと。
酒飲みは口が卑しいから、つい体力を過信して酔いに負けて「気分がいいからもう少し」、とか「どうせ明日は休みだし」とか「今日は休み。朝から飲んだって問題ない」と、つい限度を超えてしまう。酔って判断力も頭の回転も平衡感覚もみんな鈍ってしまう。
そして、宿酔いになったり、飲んだ時の細かいことをすっかり忘れてしまって後悔の念や頭痛、吐き気に苛まれる、と。
昔、マチスだったか、それともミロだったか、創作に行き詰まった時にヘロインだか何だかをやってみたら、素晴らしく魅力的な世界が眼前に広がった。
「これだ!」と夢中になってその景色を絵にしたんだけど、薬が切れてしまってから改めて描いたものを見ると、何ともつまらない独りよがりな作品にしかなっていなかったことに愕然とする。
それで「美に溺れたら(耽溺したら)美を描き留めることはできない」と、冷静に見つめる自分という存在の必要なことに気が付いたというような話を読んだことがある。
やり過ぎは良くない、一点、醒めていなきゃならない。でも、「酒は飲んでも飲まれるな」といくら言われたって、若いうちは、つい飲んでしまう。
それが歳を取ったら、「酔う」のと、「頭や体が動かなくなる」のが同時に襲ってくるようになる。動かなくなった頭や体で「まだ大丈夫」なんてとてもじゃないけど言えなくなる。
若いときは「そんなのは嫌だ。歳は取りたくないもんだ」みたいに安易に考えていたけど、取りたくなくたって歳は取る。
渋々受け入れるより、前のめりに倒れる方が良い。
ま、飲み過ぎたって翌朝何ともないのが一番、だけどね。
あ~、収拾がつかなくなった!