CubとSRと

ただの日記

流行色協会

2022年11月19日 | 心の持ち様
 以前のブログからこっちに転載していたと思ったのだけれど。

 智を立てればそこら中で軋轢が生ずる。かと言って情にほだされ(更には棹まで使って流れに乗ろうとすれば)たりして己を見失うと、取り返しのつかないようなことになったりもする。

 綿密な計画を立てて、予定通りに展開できたら何も問題ないように思うのだけれど、その時は大概の人が「何だか面白みに欠けたよね」「ありきたりでつまらなかった」など、物足りなかったと文句を言う。
 上手くいかなければ「リーダー、何してんだ!いつも後手後手じゃないか」と文句を言われ、上手くいけば行ったで「何だか面白くない。物足りない。この程度のことしかできないのか」と文句を言われる。

 勿論一握りの積極的に(好意的に)評価する人々は、どちらにしてもねぎらいの言葉や感謝の言葉を口にする。実際にかかわってきた場合もあり、それが運営の大きな支えになっていたことも間違いない。
 ただそれはほんの一握りの人々だけで、大方は文句も言わないし感謝もしない。
 でも「政治なんか関係ない。それだっておいらは幸せだ」との「鼓腹撃壌」ならまだ良い方だ。ほとんどは「面白みに欠けた」「ありきたりだった」と心の中で思っているだけだ。

 逆に声を大にしてリーダーを誹(そし)り、何をやってもダメ、と言い募る人々も居て、彼らは一握りでも声が大きいから却ってたくさんいるように見える。その声を聞くと、文句も言わないけど感謝もしない大方の人々は、誹る側に流される。
 結果、「今」よりも世の中が良くなる可能性は皆無となるのだが。

 10年近く前に、こんな日記を書いていた。↓
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 本末転倒は良くない?(流行色を「決める」)

 2013.03/03 (Sun)

 テレビを見ていて、「今年の流行色は~ですから」という言い方を初めて聞いたのは、いつの頃だったでしょうか。

 男はそんなことは関係ない、と思っていたけど、何だかいつの間にか男の服装なんかでもちらちら聞こえるようになって。それも男のお洒落の中心、ネクタイで。
 「パステルカラーのネクタイが~」とか「ソリッドな色合いが流行り」とか、「ディンプルはつくらないのが流行ってます」、とか。スタイリストだか何だか知らんが、おバカなことを得々としてノタマッテおります。

 「パステルカラーのネクタイ?ソリッドな色合いの?ふん!そんなもの、浮いてしまって軽薄にしか見えんから、みんな捨ててしまったわい!」
 ・・・・・・って。・・・買ってるんじゃないか!何本も買ってるんですよねぇ~。勧められるままに。
 デパートに行けば、その時期はそんなのばかりで、売り子のオネエさんも
 「今の流行りは~」
 ってな勧め方でしょう?何も知らないで行くんだから、随分失敗しました。

 でも、まあ、「今年の流行色」みたいなことは記憶にありません。
 だから女の人は大変なんだなぁ~と思ってました。流行に後れたら、笑われるし、おばさんって言われるし、お局さまとか、化石・・・・そこまでは言われないだろうけどとにかく服飾費で給料なくなるんじゃないか?なんて。

 「大体、何で流行色なんてあるのかねぇ~。着たいもの着りゃいいじゃないか、ねぇ?!」
 そんな風に思ってたんですが、しばらくして妙なことに気付いた。
 「今年の秋の流行色は~」って聞いた時です。

 「あれ?今、春・・・・だよな?」
 でも言い間違いじゃない証拠に、テレビに映っているのは秋らしい服装。
 え~~っ!?流行も何も、秋どころか、まだ夏にもなってないじゃないか!!
 すごい!読んでるんだ!半年も先を!!

 その頃、ちょっと先の世の中の動きが、考えたら見えるような気がしはじめていたので、自分の目に自信を持ち掛けていたんですが、半年先の流行色を読む、なんて芸当はとてもできない。
 「流石にその世界の先頭を走る人ってのは、すごい。」
 と本当に心底感心してしまった。

 そうこうするうちに、流行色は「決める」ものだと知る。
 「???」
 流行というのはいつの間にか流行るものなんじゃないのか?きっとこうなる、と予想するものなんじゃないのか?

 流行色は決めるもの。それも二年も前から決めている。
 誰が決めるか、というと、関係者が集まって決める。
「え~っ!?関係者??」
 流行色を決める組織があるのだという。その名も「流行色協会」。
 そこで
 「じゃ、再来年の秋の流行色は『赤』、ということにしますか。『~調の赤』ということで。はい、決定!おつかれ~」

 これじゃまるで陰謀じゃないか。それに従う業者も業者だ。何考えてんだ。
 一番アホ扱いされてるのは消費者か!バカにされて喜んで金払って着てるのか!一握りの結社員の言いなりになってるんだ。 
 「流行色協会」ってイルミナティか、フリーメーソンか、はたまた青幇か!

 ところが先日、ふっと思ったんですが。
 流行のメリットって何でしょう。デメリットって何でしょうか。
 流行色協会は秘密結社と言うわけではないし、別に従わなければ服飾界から追放される、というものでもない。
 それどころか、逆に業界からは感謝されているみたいです。それに流行色の協会発表を業者は首を長くして待ってるみたいだし。
 どういうこっちゃ。

 流行というものは何となくできるものだけど、一旦できるとみんながそれに倣う。何となく、だから理由なんかない。理由なんかないんだけど、とにかく需要だけは爆発的に伸びる。
 それの対応でてんてこ舞いだから、誰も理由を突き止めようなんて思わない。そして応対に手を取られているうちに、流行だから何となく終わってしまう。
 理由を突き止めようとし続けたって、もう流行の実態が無くなったところでそんなことやってたって周りから、バカにされてお終いだ。

 学生運動だって、流行と決めつけられた過去があるでしょう?

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 学生当時、大声で「俺こそが愛国者だ。天皇のためなら今すぐにでも死んでみせる」と大言壮語して、「勝った」愛国者はその後どうなったか。皆、早々に運動から足を洗っている。久し振りに会うと「えっお前、まだ運動をやっているのか馬鹿だな」と言われる。ガックリとくる。こんな奴らと熱くなって愛国心論争をしたのかと思うと空しい。しかし、そう悟ったのはかなり後のことだ。

     鈴木邦男  「愛国者は信用できるか」より   講談社現代新書

   「えっ、お前、馬鹿だな」

                              2011年3月23日の日記から

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 

 流行、流行りというのは何となくできる方向なんだけれども、それなりのもやもやとした社会のエネルギーのようなものを敏感に感じ取った人が、何らかの形で顕在化させる。その自信を感じさせる行動に、エネルギーを感じ取ったわけでもない人々が「バスに乗り遅れるな」とばかりに走り出す。社会が熱に浮かされたように同一歩調を取る。
 そして大勢力になった時には、しかし先頭を切って行動を始めた人は、疑心暗鬼に陥ってしまう。
 「みんなオレに賛同してくれたと思ってたけど、本当にオレの思ってることを理解してくれているのだろうか???」
 理解なんかしてませんよね。流行なんだから。

 元に戻って。
 たとえば、服に限って言えば素材は年々新しい物や、変わった物がつくられる。その新しい素材をそれぞれ色々に染めて、使うことになるんだけれども、何十色も用意してたって、全部が売れるわけではない。来年、いや、再来年売ればいいじゃないか、と思うけれども、来年には又全く新しい素材が出てくる可能性がある。結局それならば叩き売る、しかない。

 そんな無駄を極力省くために、大体の方向(トレンド、ってやつですね)を予想し、業者が同一歩調で製造に掛かれば、みんな上手くいく。
 「そんなことなら、大体じゃなくってもっとはっきりと『色』を決めてしまおう」

 主客、本末が転倒してしまったわけです。
 そんな言い方をすれば、何だかまた、「陰謀論」みたいに見えますが、これ「逆転の発想」と言っても良いでしょう?

  「保守」という言葉からすると、主客、本末が転倒するなんてとんでもない、という事になりそうですが、じゃあ、これ、「改革」なんでしょうか?
 いや、転倒はしているけど、目的は変わってない。「着たい服を着る」という目的自体から一寸も離れてはいない。
 企業の努力によって、良い品物を安く作り、販売する。原材料の提供者も製作者も運輸関係もみんな少しずつながらこれまで以上の利益を上げることができる。そのきっかけになるのが「無駄となる色の素材は作らないで済む」流行色の決定です。

 つい、
 「流行が『できる』のは自然だけれど、流行を『つくる』のは不自然だ。作為的なことは良くない。人心を収攬し、あらぬ方向へ引っ張っていくことになる」
 と考えがちですが、人間のつくった社会自体が「理想の社会実現を追い求める」という作為の産物。社会は作為で成り立っている。
 目的と作為がつながっていて、その先に我々の理想が見えるなら、そして、「今」にしっかり足つけて立っているなら、本末の転倒なんて枝葉末節に過ぎない、という事になるかもしれません。 


コメント
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