CubとSRと

ただの日記

能動的怠惰生活 弐

2024年12月08日 | 日々の暮らし
 そうなると今日は夕方から雨とは言え、日中は出歩いても良いようなものだが、珍しく腰の具合が今一つ。

 それならばと、今日は「全く何もしない日」にしてみようと思いついた。
 「何となく気が付いたら何もしていなかった」、ならいつものこと。
 けれど、「わざと」(じゃ、何かひねくれ者みたいだ)とか「故意に」(これも何だか悪意があるな)などと違って、「積極的に(或いは能動的に)」「全く何もしない」ってのはどうだ。
 「無能の鷹」の無能ロボットも真っ青じゃない?あんなデカくないから場所も取らないし。

 そうは言ってもどうしてもやらなきゃならないことはある。食事の用意と毎日のブログ、だ。
 「働かざる者食うべからず」なんて言うが、そんな罰則みたいなものじゃない。
 また、食べることを労働に対する報酬だ、なんて考え方でもない。それは労働に対して失礼だ。労働は苦役ではない。他者への報謝(親切に報いる、応える)の一つの形だ。欧米はいざしらず。

 また「働く」という文字は、漢字発祥の国でも「働く」という発想自体が遂になく、結局日本で作られた「国字」を使わざるを得ない。
 まあ、「労働」という概念がないからあの国は今でも「運動」と言うらしいが。

 「働かざる者食うべからず」は多分に欧米的発想で、これまでに何度か書いてきたが、本来は「一日働かざれば一日食(は)まず」という言葉で、発したのは禅僧だったらしい。
 
 「食べてはいけない」ではなく「食べない」。服従ではなく、自決。
 自主・自立。
 つまり「働いてないので食べない」。

 大脱線みたいだが、この「自主・自立・自決」の考えを今日は実行してみようと思った。
 散歩に出ない。習字もしない。着替えもしない(一日パジャマ)。
 しなければならない食事の用意中は、並行して「他の何か」をしない。食事の用意だけに集中する。
 食事の用意をしながら炬燵のスイッチを入れておこうかとか、買い物用のメモを確認するとか、湯沸かしのガスは?とか、色々やると本来の「食事の用意」が大拍子になる。

 とにかく「全集中」する。集中もできないうちから複数カ所以上に焦点(目配り、気配り)をつくり、並行して要件を片付けていく、なんてのは背伸びし過ぎだ。
コメント
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