そういうことで、「やらなければならないこと以外は」やらない。
逆に「やらなければならないこと」は全身全霊あげて取り組む。
やってみた。なかなかうまく行かない。
勿論「一日パジャマのまま」とか「散歩をしない」「習字をしない」なんてのは簡単にできる(この場合、「できる」と表現するのは何だかな~だけど)。
何しろ「何もしなけりゃいい」んだから。
けれど、歩いたら?坐ったら?寝転んだら?
必ず不都合なものが目の前に現れる。言い換えれば「目につく」。
綿ゴミ一つ、炬燵布団の歪み具合、脱いだスリッパが奔放な形で、等々。
手を少し、指一本、動かせば簡単に解決する。
けれど「一日働かざれば一日食まず」。
全く何もしないということはどういうことか。
やってみて(やらないでいて?)分かった。
「気にはなるけど何もしない」のと「気になった端から片付けていく(方策を実行する)」のと。
「注意深く見守る」か「拙速を尊ぶ」か。
「分からないからやらない」のでは、向上はない。
「分かっているからやる」のでは、実行(解決)してしまえば忘れる。
「分かっているけどやらない」。
これは少なくとも「気になっている」。少なくとも問題に対して神経は集中している。例の「注意深く見守る」、だ。
政治家用語として意味を貶めてしまった方(注意深く見守る=何もしないで放っておく)ではない。
午前はこの目新しい試みを思いついて、充実していたような気がする。
午後は馴れが出てきて集中できなくなってきた。
明日は、惰性に流されず行動してみよう。
ボケてるから思いついたこと自体、忘れてるかも知らんけど。
(了)