11月21日(木)
昨晩は10時過ぎに寝た。2時頃まで、何度か起きた。
それが2時の次は6時半。
カーテンを閉めていたからかとも思ったが、開けても外はまだ夜。少しも明るくなっていない。
どうしようかと逡巡している暇はない。
これだけ寝ているからか、目覚めた時ストレッチの真似事を始めずとも身体に強張りらしいものはない。
ならば、と6時45分、散歩に出る。
少し明るいようだが、地表から明るくなってきているという感じがしない。
その理由はすぐ分かった。月明りだ。
日の出という、地表とまではいわずとも山の端から射す光と違って、今の明るさは空から降り注いでくる。
歩き始めてしばらくすると、六甲山の稜線がくっきりと見え始めた。
30分後帰宅したら、朝らしくなって来た。月明りはどこに行ったのだろう。
散歩に出るのが遅く、それでも30分で帰って来たのに習字に取り掛かるのは遅い。
取り掛かりが遅かったくせに、片付けの際、硯にこびりついていた墨をわざわざ湯を沸かし、掛け、剥がして、という慌ててやらずとも良い作業を始める。
で、いつもただでさえ遅い朝食が9時を回ってしまう。
これではいかんと朝風呂をやめてシャワーにしたのに、洗濯物を干したのは11時過ぎ。
結局、買い物に出たのは1時半。
スーパーマーケットで卵、北町の生協で神宮暦、100円ショップで来年のカレンダー。
最後に衝原湖に行ったのは、3時。勿論、知った顔は居ない。
水筒を忘れてきたのだが、温かい飲み物を買う気もない。
ダム湖は水が抜かれ、満水時の3割くらいになっているだろうか。
長居する気もなくて、すぐ折り返す。
そこまでして行かなくたっていいのに、となりそうだが、これは最後の一線。
それ以外の件は、早い話が一方的に押し込まれて(或いは抵抗の甲斐もなく)、気が付けば取り返しのつかないことになっていたというものだが、「衝原湖へ」というのは抵抗は関係ない。「取り返しのつかないこと」でもない。
ただただ自分の気儘な行動。
さて。
「遅いと不都合だらけ」になる。
現実を見ず、想像だけで景色や世間の様相を描くと、きっとそう思う。
「遅いと不都合だらけになるだろう」、と。
実際そう思っていた。が、遅いとこれまでとは違った景色も見える。
勿論、その逆もあるだろう。
「早く片付いたから見える景色」。それは容易に見える。
だが、逆もある。「早く片付いたから(容易には)見えない景色」。
ツーリング(ショートツーリングや、ただの散歩も)にはそれがある。