CubとSRと

ただの日記

2019年09月19日 | バイク 車 ツーリング
 「豊岡に行こう!」
 ・・・と思いついたのが9月初め。突然閃いた。
 
 で、9月3日に行くつもりが、翌日のパンがないことに気付き、さっさと一日延期。
 4日には髪の毛が鬱陶しいから、と散髪に行き、同じことならエンジンオイルを換えてもらってから、と思いついてバイク店に行ったら、留守。
 「しょうがない、もう一日延期だ」、と5日に改めてバイク店に行ったら、ちょうどオイルが切れて、翌日でなければ、となってまたまた延期。
 翌6日にオイル交換をしてもらったけど、もう昼過ぎ。
 いよいよ7日。これなら行ける・・・・・ことはなかった。
 暑過ぎた。
 7日、8日は豊岡の辺りは最高気温が35~36度だ、とか。
 溶けてしまう。いや、溶けるならいいんだけど、その前に熱射病になる。熱射病は辛いらしい。
 それに溶けるのと違って跡形が残る。
 延期延期。
 「明日のパンがないから」、と延期をしたはずなのに、そうこうするうちに、またパンがなくなった。
 そして・・・。
 ツーリングは、一週間ばかり遅らせて、13日の金曜日!
 ここまで「豊岡ツーリング」を計画してから、早くも半月が過ぎている・・・・・。
 でも、満を持しての「13日の金曜日」。ジェイソンは関係ない。
 良い天気が続いている。弁当を作り、後はご飯を入れるだけ、というところまでこぎつけた。
 午後11時半ごろ、念のために翌日の天気予報を調べたら、このところ好天が続いていたのに、金曜だけが雨。
 翌、土曜日は快晴、と出ている。
 「ああ~っ!弁当、作ったのに~」
 勿論、延期。ここまで来ればどうってことはない。三連休になってから、となるけど、もう関係ない。
 
 翌日は予報以上に悪天候だった。いつ降り出すか分からないような怪しい空模様。
 これで本当に土曜日、豊岡に行けるのか?



 

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儒学と儒教

2019年09月15日 | 重箱の隅
 先日、「朝鮮通信使が来た際に近江の儒学者雨森某が~」というのを書いた。
 ~実際、朝鮮通信使が来た時は、確か近江の儒学者だったか、雨森某が教えを乞うていると以前にどこかで読んだ記憶がある。~
 この雨森某、週刊誌の連載コラム「変見自在」に出ていたらしい。
 なるほど、知ってみればこういうことだったのか、と。
 儒学者が「儒教の国」という先入観で以て物を見る。当然、こうなる。
 だが儒学と儒教は違う。
 儒学者は朝鮮を「儒教の実践されている国」として見て、「理想の国」と捉える。
 でも、儒学と儒教は同じものではない。
 儒学は「儒」について考える学問であり、儒学者は「儒」の心を知り、その心のままに生きようとする。
 儒教は「儒」についての教えのままに社会が形成され、その中で生きることを是とする。
 「儒」とは平たく言えば「思い遣り」みたいなものだが、それを自ら考えその精神で生きようとすることと、「思い遣り」の具体例で形成された社会の中で生きることは正反対のものだ。
 「その精神で生きよう」というのは「自由(自らに由る)」そのものであって、「具体例で形成された社会の中で生きる」ことは「不自由」そのものだから、だ。
 「共産主義思想」と「共産主義国家」も、雲泥の差ながら、同じ仕組みだ。
 
━━━━━━━
たかるだけの国
━━━━━━━

  高山 正之 
 儒学者、雨森(アメノモリ)芳洲を一言で言えば「元禄期の若宮啓文」となるか。
 若宮とは朝日新聞の主筆だった人。北京のホテルで変死したことと「いっそ竹島を韓国に譲って友好の島にしよう」と書いたことで人々の記憶に残っているかも知れない。
 とにかくあの国が好きだった。そんな狂気に嵌るきっかけは生の金日成に会ったことだ。社に戻るなり願い出てソウルに語学留学に出かけた。
 そのあとはもう韓国贔屓のネタばかり書いた。
 1995年には、日本開催が決まっていたサッカーW杯を「韓国と共同開催にせよ」と社説に書いた。
 朝日に盲従する宮沢喜一がそれに頷いてまさかの共同開催になった。
 しかし韓国にW杯をやれる体力はなかった。
 決まってすぐのアジア通貨危機では国自体がデフォルトに陥ってしまった。
 若宮が騒ぎ、FIFAの鄭夢準も走り回り、結局は日本が財政支援した。
 それだけじゃない。閉会直前に9・11テロが起きてそれに伴う不況のさざ波で競技場を建てるカネもなくなった。
 やっぱり共催は無理となったところでまた若宮が騒ぎ、旧日本輸銀が2億ドル融資を強いられた。
 かくて開催されたものの韓国人のラフプレイと審判買収で「最も汚いW杯」の汚名だけが残った。
 若宮は韓国と同じくらい女にも入れ揚げた。その醜聞を手土産に退社後、念願の韓国の大学の先生に納まった。変死するまではいい人生だった。
 雨森芳洲は男色という一点を除いて若宮の祖先かと思われるほど、その人生の軌跡は似ている。
 彼は20代で対馬藩に抱えられ、33歳のとき釜山の倭館に派遣されて生の朝鮮を見た。若宮が金日成に会ったのと同じ歳頃で、同じようにのめり込んでいった。
 その頃の李氏朝鮮は貧困の極みにあった。だから徳川将軍の代替わりがあると総勢400人の通信使がお祝いと称して押しかけてきた。
 彼らは丸一年も逗留して遊興に耽り、貧しいから宿の食器から寝具、床の間の掛け軸までかっぱらっていった。
 老中格の新井白石はそんなたかり集団に厳しく、接待費も旅程も半減するよう命じた。ついでに徳川将軍を「日本国王」とよいしょするように朝鮮側に求めた。幇間並みに扱った。
 このとき通信使の接待役が芳洲だった。
 朝鮮人に生まれたかったと、若宮と同じ思いを語っていた芳洲は白石の処置に怒りまくった。
 二人の応酬はホントに激しかったが、誰が見ても白石の言う通りだった。
 最終的に幕府は朝鮮側にもう江戸まで来なくていい、対馬で接遇すると伝えた。世にいう易地聘礼(エキチヘイレイ)だ。
 二代秀忠から十代家治までたかりまくった通信使は1811年の対馬での質素な供応を最後に二度と来なくなった。
 先日の天声人語がこの雨森芳洲を取り上げていた。
 今の日韓のいざこざを踏まえ「威信や体面にこだわる両国の間で板挟みになった」芳洲が半白になるほど苦労したと書き出す。
 いや日本は体面などどうでもいい、大所帯で押し掛けて、接遇に100万両もかかるたかりをやめてくれと言ってるだけだ。
 コラムは「日本国王」の件にも触れて「国威を高めることに執着した」と冗談も理解できない。ホワイト国外しをした安倍政権をあてこすった気になっている。
 それに通信使側はたかっておきながら「穢れた獣のような日本人が富栄えるは嘆くべし恨むべし」(金仁謙『日東壮遊歌』)と感謝の気持ちもない。デフォルトを救ってやったときと同じだ。ここは誰もが白石の対応を褒めるだろう。
 コラムは最後に「互いに欺かず争わず真実をもって交わること」という芳洲の言葉で結ぶ。
 それは日本が百歩も譲って呑んでやった慰安婦合意を踏みにじり、カネだけ失敬するような国に言い聞かせる言葉だ。
 日本人の読む新聞に載せるのは失礼ってものだ。
 出典:『週刊新潮』2019年9月19日号 【変見自在】たかるだけの国
 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 松本市 久保田 康文さん採録 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~


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延期延期、延期~~っ!

2019年09月13日 | バイク 車 ツーリング
9月10日の日記から
 昨日は予定通り、パンを買いに行って、トンボ返り。
 十時半頃に出掛け、十一時半頃に帰って来た。本当に往復の時間のみ。
 暑さは少しマシになったようでも、帰ってTシャツを脱ぐと、両肩から胸にかけて汗でぐっしょりと濡れている。
 陽射しは強く、熱くて痛いくらいだが、風は以前のような熱風ではない。
 出掛けは気持ち良いくらいの空気だが、ここから三宮まで六甲山の急な南麓を、ひたすら下るのが有馬街道。
 海抜400メートルあたりから十数メートルのところまで一気に降りる。気温は2~3度違うらしい。
 9時開店の店に向けて、十時半、出発。着いたのは十一時だから、パンが売り切れている可能性は高い。
 幸い、バゲットは2本残っていた。勿論買い占めた。

 今日は隣の市の農協まで、また葡萄を買いに行こうと思っていた。
 が、あまりにも暑いので、延期。
 彼岸の頃までは売っているということだったが、明日、明後日辺りまでに行かなければ、きっと今年はもう買いそびれてしまうことだろう。
 前回はベリーA、だったので、今回はピオーネを買うつもり。
 巨峰があれば一番いいのだが、この辺では巨峰は栽培してない。
 近所のスーパーで安く出回るのを見計らって、かな。
 夕方、カレーを作る。
 レンジに入れたら簡単にできる、とテレビで知って、玉葱、ニンニク、茄子、シシトウ、ニンジン。
 最後にサバの水煮。
 簡単にできるから、必要な分だけつくりゃいいのに、最近つくる量がどんどん増えている。
 酒を飲まなきゃ、夕方、「夕涼みツーリング」に出掛けられるのになぁ~~。

 豊岡へのツーリングは、一週間ばかり遅らせて、13日の金曜日!の予定。
 何故って?暑いから。
 




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楽をすればキリがない

2019年09月10日 | 日々の暮らし
 ~9月8日の日記~
 今朝は・・・・やっぱり5時半頃、起きた。
 
 パンを買いに行こうか、どうしようかと迷っているうちにどんど暑くなる。
 ますますパン屋が遠くなる。
 そして遂に
 「暑いからやめとこう。バゲット、半分残ってるし」
 、となる。
 それにしても「暑いから」、と、家の中で ゴロゴロしていたって涼しくなるわけでもないし。
 何より転がっている時は良いけど、立ち上がると腰や足が痛くなる。
 逆に、立って動き回っていれば、痛みは随分ちいさくなる。
 その代りに汗をかく。汗をかくのが一番めんどくさい。
 帰ったらすぐシャワーを浴びて服を着替えなきゃ、うっとうしいことこの上マックス。 
 
 3時を過ぎて、「やっぱり素麺を買いに行こう。夕涼みがてら」という気になった。
 決心した!SRで出る。
 風が心地よい。
 三木のドラッグストアーまで行く。谷上の方の店でも良いんだけれど。
 谷上の方が近いし、同じチェーン店の店だし、同じものが同じ値段で・・・とも思ったけれど、
 「何よりも、今日は夕涼み」。
 帰り掛け、いつもの駐車場に寄る。
 藤棚の下にペットボトルと飲みかけの缶コーヒー。飲みかけで忘れたらしい。
 取り敢えず、空き缶入れのところまで持って行ったが、設置されたいくつかの空き缶入れの周囲にも、多くの空き缶やペットボトルがうずたかく積まれている。
 休日明けはいつもこうだ。
 気になったのはタバコの吸い殻。え?と思うくらい、そこら中に捨ててある。
 人がいなくなった時とか、朝早くに拾ってみるかな。
 


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2万キロ

2019年09月08日 | 日々の暮らし
 -9月7日の日記- 
 暑い。台風のせいだろう。風そのものは涼しいのだが。
 今日は天気が崩れるかもしれないということで、出るのはやめる。
 9月4日は散髪帰りに生協に行き、買い物。ちょっと足を延ばして給油。
 その後、バイク店に寄り、カブのエンジンオイルを交換してもらおうと思っていた。
 予定通り、散髪、生協、給油、ときて、ますます寂しくなった頭を気にしながら、帰り掛け、バイク店に寄る。
 ・・・と、シャッターが半分閉まっていて人の気配がない。
 緊急に入った連絡で、バイクの引き取りに行ったのだろう。これではしょうがない。
 いつ帰って来るか分からないから、今日はダメ。
 自分だって何度もお願いしている。買って初めて乗ったらギヤが入らなくなったり、帰宅途中でクラッチのワイヤーが切れたり、勤務先から帰ろうとしたらバッテリーが上がっていたり、タイヤがパンクしていたり。
 車検が切れていて家まで取りに来てもらったり、なんてのもあったな~。
 ・・・・とにかく、今日は諦めて、明日だ、あした。
 翌5日。
 店の開く時間に行った。
 そしたら、なんと「カブ用のオイルが今切れた、午後届くけど、何時になるか分からない」、だって。
 明日なら間違いない、ということで「6日昼前、オイル交換」となった。ま、まあ良いわ。
 昨日、手抜きをしないで予約の電話を入れておけば良かったのじゃ。
 いずれにしても時間が時間だから、もう遠出はできなくなった。
 
 そういうわけで(?)、5日の夜は急に思いついて温泉卵をつくることにした。
 半熟卵は好きだけど、温泉卵も良い。
 以前は能くスーパーで6個入りのを買っていたのだが、いつの頃からか全く買わなくなった。
 おそらく目に触れなくなったからだろう。
 熱湯を入れて放っておけば温泉卵ができる道具を、十数年前に買った。
 けど、一度も使うことなく埃をかぶっていた。
 そいつを引っ張り出す。説明書きに従ってやってみる。
 その間に素麺を茹でる。素麺だし用の猪口に何年かぶりに買ったストレート出汁を入れる。
 そこに出来上がったばかりの温泉卵と刻み葱を入れる。
 そうなれば缶ビール一本くらいは用意しなけりゃ格好がつかない。
 年の初め、
 「一週間に一回から二回にするぞ!」
 が、いつの間にか
 「三日に一回。い、いや二日に一回!」
 となっていた。
 それが気がつけば、姉が入院してから今日まで、回復の状況を見ては
 「今日はマシだった」、とか「今日はもう一つだった」とか理由をつけて、晩酌は毎日になっていた。
 それでも真夜中に病院から呼び出しがあって、酒を飲んでるから運転ができないであたふたする、なんてことはあってはいけない。それは父の時で懲りている。
 そう思って心の片隅では用心をしていた。「危ない」と言われてからは飲まなかった。
 (その晩、午前一時過ぎに電話があって、慌てる用はなくなった)
 もうそんな心配をする必要は全くなくなった。飲みたい時に飲めばいい。
 脱線した。
 6日、予定通りオイル交換。
 もう昼だから、買い物に行く程度、か。
 今日(7日)、道の駅まで買い出しに行こう、と思って玄関を開け、昨昼から門扉を開けっぱなしにしていたことに気が付いた。
 
 豊岡行きは延期。何しろこの2、3日は35~36度が続くらしい。
 



 
 
 






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