CubとSRと

ただの日記

「書くことがない」、んじゃなくて

2019年09月05日 | バイク 車 ツーリング
 9月3日の日記より
 今日、豊岡まで行ってみようか、と思っていた。
 豊岡と言えば鞄の産地。
 初めは柳行李作りだったらしいが、今はすっかり鞄の産地として有名になった。何でも「カバンストリート」があるとか。
 カブに乗っている時は、いつもショルダーバッグを斜め掛けにしている。
 中身は免許証や財布、デジタルカメラ。それに中判のノートとボールペン、老眼鏡。
 身軽に出ようと思っても、最低これだけは、と思うと、やはりある程度の大きさのバッグが必要になる。
 今使っているショルダーバッグは、十数年前結構悩んで買っただけあって、それらの物が全部入り、なかなか使い勝手がいいのだが、縦横共、微妙に大きさが足りない。
 大学ノート一冊がぴったり収まる、ほどほどの奴はないものか。
 昨年5月からカブに乗ることが多くなった。カブは前傾姿勢を取らないから、斜め掛けの方が便利だ。
 いつの間にか斜め掛けが当たり前になった。
 SRに乗る時はショルダーバッグをそのままタンクバッグに入れていた。
 「ちょうどいい鞄・・・。そうだ!豊岡鞄があるじゃないか」。
 カブで行って、良いのがあったらそのまま斜め掛けして帰ってくる。
 なかったら・・・・・?このショルダーバッグのままで帰ってくる。
 「初秋のカブツーリング、企画成立!」
 ・・・・ということにしていたのだが、よくよく考えれば、明日のパンがない。
 それに、今から弁当作っていたら、遅くなる。
 作らなくたって、カブで行ったら帰りは夜になる。それは何としてでも避けたい。
 あっさり延期。
 掃除をして、シャワーを浴びて、髭を剃って、洗濯もして、一時を回ってからパンを買いに三宮まで出た。
 いつも通りパンを二本とミニクロワッサンを買って、ちょっと遠まわりして帰って来た。
 秋の雲と、久し振りに輝きながら湧き立つ入道雲に向かって走る。
 この夏はゆくっくりと空を見上げることがなかった。
 明日、明後日辺りで、とも思うが、台風が接近しているのでまた出られなくなるかも。
 いや、それよりも今は、朝、起きてから2~3時間経たなければ足腰の具合の良否が分からないので、「思いついたら、フラッと出る」、というこれまでのやり方ができない。
 でも、そんなことを言ってたら自縄自縛に陥るだけだ。
 「2~3時間かかる」のなら、もっと感覚を研いで1~2時間にすればいい。受け身でいたって前進はない。
 まずは豊岡。次はSRでしまなみ海道。
 
 
 ・・・・・・かな?






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言い出したのは日本だったのか!

2019年09月01日 | 重箱の隅
「日本は古代にお世話になったので、韓国が兄のような存在」と言うのは、朝鮮総督府が日韓併合を円滑に進めるためのプロパガンダで始まったもので、そんな認識は明治以前にはなかった。
 ■八幡和郎(やわた・かずお) 1951年、滋賀県生まれ。東大法学部卒業後、通産省入省。フランス国立行政学院(ENA)留学。大臣官房情報管理課長、国土庁長官官房参事官などを歴任し、退官。作家、評論家として新聞やテレビで活躍。徳島文理大学教授。
 ~~~~~~~~~~
 ↑これはネットで見た記事の一部。
 これをネタに思いついたことを・・・と「下書き保存」にしていたら、何をどう間違ったか公開されてしまっていた。
 勿論これは「コペンの傷」と一緒で、どこかで間違った操作をした自分が悪い。
 ・・・・・・・と言い訳をしていたら、これまた前回と同じことになるので、とにかく思いついたことを書いてしまわなければ。「思いついたこと」と言っても「いいアイデア~!」じゃなくって、思い浮かんだだけのことなんだけど。
 「韓国は兄のような存在」という言い方は、ネットのニュースを見るようになった頃。ホンの十年前(!)、知ったことだった。
 それも
 「中国は父。日韓は子供。朝鮮から色々なものが伝わったのだから、日本は弟」
 といった捉え方だった。
 「いや、文化を取り入れたにしても、それを発展、進化させたのは日本じゃないか。日本こそ兄、だ」という意見もあったけども。
 とにかく言い出したのは韓国で、それを見た時は「まあ、そう言われてみればそういうことになるか」としか思わなかった。
 いや、それ以上に
 「兄が弟に伝える、なんて。日本は朝鮮から色々伝えられた、というなら、兄弟、なんて言い方は図々しいんじゃないか。先生と生徒じゃないのか」
 とさえ思っていた。
 実際、朝鮮通信使が来た時は、確か近江の儒学者だったか、雨森某が教えを乞うていると以前にどこかで読んだ記憶がある。西郷隆盛だって儒教の国「朝鮮」のことを大変高く評価していた筈だ。
 そんな国の人間が「日本は弟」だという。肉親、兄弟だという。
 けど、現実は
 「シナは大中華。朝鮮は家臣の国であって『小中華』。日本は蛮族」
 と広言しているわけだから、
 「日本は弟」
 なんて言うわけがない。
 ホントに言ったのか??
 半分は分かるけど、あと半分、何か無理がある。妙にモヤモヤする。
 「日本は蛮族」「日本は弟」
 どっちでもいいけど、そうやって見下す割りに、とにかく何でもかんでも真似をしようとするのはどういうわけだ?
 今は当たり前になってしまったけれど、あの、受験時の白バイやパトカーで会場まで送ってやる、「子供は国の宝だから」という風潮。あんなもの、昔は「全く」なかった筈だ。
 あれは日本で時々見られた美談であって、社会風潮には決してならなかったものだし、学校の勉強の仕方だって、「加熱する受験戦争」にしたって日本の真似だ。以前に書いた「悪いものからしか(順番にしか)習えない。」(悪いものと良いものは対立しているのではなく、悪いものから良いものへと順番に並んでいる)
 なのに彼らはいきなり良いものだけを手に入れようとする。
 そこまで考えが深められていない証拠だ。
 けれども、自分らは小「中華」であり、日本は蛮族だと言ってきた。
 そんな国が日本を「兄弟だ。弟だ」、なんて発想自体、するか?
 桁違いの発想のずれがある。
 そこで
 【「日本は古代にお世話になったので、韓国が兄のような存在」と言うのは、朝鮮総督府が日韓併合を円滑に進めるためのプロパガンダで始まったもので、そんな認識は明治以前にはなかった」】
 という一文。
 なるほど。
 そうすると、
 「そんな認識は明治以前にはなかった」
 、というのは、一般庶民には認識以前に「朝鮮」という国を意識することすらなかった、ということだろうし、教養人にとって朝鮮は「高潔な学者」のいる国、であって、決して兄弟のような近しい関係ではなかった、のだろう。
 だからこそ福沢諭吉はあれだけ朝鮮の近代化に心を砕いたのだろうし、西郷は何としてでも征韓は避けたいと思ったのだろう。
  




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