CubとSRと

ただの日記

飲み過ぎ食べ過ぎ

2024年11月25日 | 日々の暮らし
 11月14日(木)

 昨晩やっと「アルコール解禁」ということで、いつも通りに焼酎1,5合。酒1合。
 ・・・・にとどまらず残っていたレモン酒をロックで2杯。少し多かったかも。いや、酔いは残っていなかった。

 けど、胸焼けが少しあった。
 「飲み過ぎ」と言うより「食べ過ぎ」の結果、ということか。

 この日を楽しみにして、それこそ心待ちにしていたんだけど、いざ、なってしまうと、当然のことながら時間は平日の時の流れのまま淡々とごく当たり前に流れていく。
 そして一週間だろうが二週間だろうが、解禁の日にこれまでの分も飲んでやろうと考えたって身体が付いてこない。

 だからと言うわけではないが、起きたのは5時過ぎ。ストレッチを少しやったものの、いつもと違って脈拍は一分間で70回以上。
 普段は50半ばで、先日などはそれさえも切って脈拍は48回。
 さすがにその時は「このまんま止まるんじゃないか」、と半ば本気で心配した。

 6時15分に家を出て、帰って来たのは6時50分。
 洗濯をしたり、珍しく朝風呂に入ったりしていたら、あっという間に時間が経つ。

 夜は昨日のハマチの残りで漬け丼(どんぶり)。一昨日作ったしめじと油揚げの味噌汁。搨菜の挽肉炒め。

 明日は資源ゴミを持って生協へ。
 
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解禁日

2024年11月24日 | 日々の暮らし
 11月12日(火)

 禁酒は今日まで。
 だから、少し早めながら今日は珈琲を買いに行こう。
 「ん?何、その理屈?」となるかもしれない。
 「酒の肴を用意しに出掛ける」、というのは良いのだが、いくら「明日は飲める!」と言うことであっても、「酒の肴の用意」だけで一日終わるのはどうも格好がつかない。もう少し用事を作らなけりゃ。

 こうやって書いてみるとはっきりわかる。完全に自己満足の世界。
 いや、無理やり自分を納得させている、ということ。
 「酒に振り回されてないぞ!オレはアル中じゃない」
 、と、こう言いたいんだな。

 SRで珈琲店へ。3種の豆を各100グラム。
 ブレンドを一杯飲んで帰る。
 同じ店名でもブレンドの中身(豆の配分)はそれぞれに違うらしく、それに加えて淹れ方にも個性が出るんだな、きっと。


 11月13日(水)

 5時半から6時5分まで散歩。腰の具合はどう表現したらよいか。
 痛くなるような、ぎりぎり持ち堪えられそうな。
 「薄氷を踏むような」という表現はこんな時に遣うべきなのかもしれない。

 早くに出て珈琲店に。
 到着したのは9時半頃だったと思うが、あまり早くに行くというのも考え物だ。地元年長者連のサロンの様相を呈していた。
 カウンター席は彼らと彼女らに占領されていた。
 仕方なしテーブル席に着いたが、店主がここまで何度も往復をすることになるのは避けたいが。
 と思ったら、うまい具合に入り口側の一番端が空いた。

 帰りは久し振りに元有料道路を通る。有料だった頃を知らないけど。
 鈴蘭台へ向かう前にひよどり台へ。
 続けてスーパーマーケット。ハマチの背身を買い、今日もまた衝原へ。

 昼近くだったので、年金ライダークラブの面々は引き揚げた後で誰も居なかったが、逆に早出の長老クラブが数名。

 そこに珍しい形のバイクがやってきた。
 気になって聞くとハスクバーナだと言う。名前は耳にしていたが現物を見たのは初めてだ。
 400㏄に少し足りないらしいが、何とも格好の良いバイクだった。
 日本人には考えつかないようなデザイン。

 
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去年に続き

2024年11月23日 | 日々の暮らし
 今日は新嘗祭(にいなめさい)

  やっぱり今日はこれを何度でも再掲しなけりゃ。

 今日は新嘗祭。
 戦争に破れ、占領統治されることによって、日本は七年間の長きにわたって国の主権が奪われました。

 占領統治政策として、一度日本の社会体制を解体しようということになり、様々な方策が建てられました。
 実施されたもの、結局実施できなかったもの、とにかく色々あります。日本国憲法という名の占領統治法、国家体制を解体するための神道指令、悪い国だった原因は文字にあったとするローマ字表記奨励、漢字の廃止を究極の目的とする教育漢字や当用漢字使用の徹底、財閥解体、農地改革、家父長制の廃止、信教の自由(神道も宗教の一つとする)等々。靖国神社を廃止して跡地をドッグレース場に、なんてのもありました。

 その中で一番分かり易いやり方が「祝祭日の廃止」。何しろ「国民全員が祝ったり祀ったりする日」なんて、その国独特の社会体制そのものの表現であり、民族精神を再確認するためにあるようなものですから。
 中でも日本にとって一番大事な祭日、それは新嘗祭でした。天皇が「国民の代表(祭祀長)」として天照大神と新穀を召し上がる(嘗める)祭り。神ー天皇ー国民という繋がり方が日本の国家体制でした。
 それを「国民はみな平等だから」との理由で否定し、「働く者全てに感謝する日」=勤労感謝の日とされました。
 西欧では「労働は自ら他者のために進んで行うもの」という発想がないのだそうです。働くことは決して美徳ではないから「勤労(労働に勤しむ)」という考え方も理解できないのだとか。
 だから「勤労感謝の日」という名称自体、日本人の考えた苦肉の名づけだとは思いますが。


 いずれにしても「新嘗祭」は日本の国のあり方そのものだったから、廃止すべき祭日の筆頭です。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  「11月23日は『勤労感謝の日』。日本中の働く人に感謝する日、なんだな。」子供の頃はそう思う。
 そして「感謝、ってどんな風にしたらいいんだろう。お父さんお母さんありがとう、だけじゃないな。近所の人にもありがとう、という方がいいかなぁ~?」

 バカみたいな話ですが、子供の頃、こんなことを思ったのは事実です。自分を中心にして物事を考えることしかできなかった。だから「感謝しなけりゃならないのは、自分だ」と思っていた。
 でも、どうやったらいいか分からないし、どこの家も取り立てて何かをしている、という風でもなかったし。
 つまり、「誰が」「誰に」感謝するのかということがはっきりしていなかった。「安らかに眠ってください あやまちはくりかえしませぬから」、と同じです、誰が過ちを犯したんだ??

 でも、学校では聞いたような記憶があるんです。
 「日本中の働いている人に感謝する日だ」、って。
 それで「働いてない、おじいさんや働けない人は??」なんてことを思いました。昭和三十年代の終わり頃のことです。戦争に負けて二十年足らずの時です。小学校の低学年の頃。

 「三つ子の魂百までも」とは言うけれど、戦後教育を受けた者に、とにかく「??」なことは山のようにありました。
 ただでさえ子供は「ねえ、ねえ。どうして?」の時期があります。その時に「道理」とか「物の感じ方」を学び始める。
 ところが戦後教育は基本が「戦前の否定」なわけですから、家庭で習った「筋」を学校では否定することが往々にしてある。
 (「東アジアの国々を解放するための大東亜戦争」が「軍部の独走による無謀な太平洋戦争」、とされたことなど)
 筋が二本でクロスオーバーしてるんだから頭の中は「???」になる。何を信じればいいんだ?

 だから「祝祭日」と言ったら「祝祭日」であって、まさか「祝日と祭日を合わせて祝祭日」と言ってるんだなんて。考えもしなかった。
 知らなかった、考えもしなかったくらいだから、「祝日と祭日、どう違うの?」なんて聞かれたら、「???」、で、「いいや、別に。休みだから!」 と子供の積極性(!)で応えたに違いない。

 「祝日とは、日本の祝日」と書いてある記事を見たことがあります。噴飯ものですね、今見ると。まさか外国の祝日のことなんて誰も思やしないだろうに。「祝日って何だ?」と聞いてるのに。
 で「祭日」は、となると「祭日とは日本の祭日」なんてことは書いてない。祭日の説明は、ない。
 あったとしても「祭日とは、祭りの日のこと」と書いてある。わかっとるっちゅうねん!
 「祝日は国が定めた祝賀行事を行う日」。
 「祭日は国(正確には天皇)が祭祀を行う日」

 祝賀行事を行うのが祝日。祭祀を行うのが祭日。政府(政治)主体が祝日、天皇主体が祭日、と言ってもいいかもしれない。
 となると「勤労感謝の日」じゃ、どちらかさっぱりわからない。
 けど「新嘗祭」と言えば、祭日だと分かる。「~祭」とありますから。
 今年の農作物の豊穣であったことを、天皇が国民の代表として(農作物を神に献上し豊穣であったことを奉告して)、神前で神に感謝しつつ共に食される。
 「勤労者」に、ではなく「神」に感謝する「祭り」が「新嘗祭」。
 でもGHQによって出された『神道指令』により、天皇が祭祀を行う「祭日」は全て廃止されたわけですから、「神に感謝」ではなく「(神である)天皇が全国の勤労者に感謝する」、という「天皇と国民が対立(対面)するという形にしてしまった。
 巧妙ですね、やり方が。アメリカ人ってこんなに狡猾だったんでしょうか?
 とてもあの能天気なアメリカ人の発想からとは思えないんですけど。

 アメリカの選挙は火曜日だったんじゃなかった?「伝統なんだ」とか言って。日曜日は教会に行かなきゃならないから、その後で遠くにある投票所まで馬車で行く。(どんだけ遠いんだ!)泊りがけで(キャンプして)行かなきゃならないから投票日は火曜日。
 工夫、摺り合わせ、なんてことはしない。目的と目標は重なっていて当然みたいな国民性ですから、こんな姑息なことは考えないだろう、と・・・・。
 あっ、脱線した。
 まあそれはそれとして。

 「新嘗祭の当日まで、新米は食べない」という敬神の念篤い方も段々に増えて来られたようで、日本にまた日が昇り始めたような・・・・。
 ですが何しろ品種改良も進み、ハデ干しもしない、稲わらも刈った端から細断してしまうというやり方が一般的になり、で昔よりも早く、新米、新穀が出回ります。だから新嘗祭まで待つ、というのもなかなか大変です。

 それよりも書いてきた通り、11月23日は「祭日」なんですから。
 祭祀を行うのは天皇陛下で、我々はその後ろに並んで敬礼(本当は最敬礼ですけどね、腰が痛くなります)をしている心持。実際に陛下の後ろに並ぶことはできませんし、陛下は代表として祭祀を行ってくださるんですから、我々は安心していればいい。
 だからどうでしょう、普段は合掌して「いただきます」と食物に感謝しているでしょう?
 新嘗祭の日だけでも、「食物に感謝」ではなく「神様に感謝」しては?
 新嘗祭の時は「合掌」ではなく、(神社にお参りするときは二拝二拍手一拝だけど)膳に向って一拝一拍手という正式な拝礼をしてみる、なんてのは良いかもしれません。
 もしかして「何だ!合掌もしないで手を叩くとは!行儀の悪い!」と怒る人が出てくるかもしれません。
 そしたらしめたもの。
 「え?これは正式な拝礼なんですよ」
 などと話を始められる。
 「今日は新嘗祭ですからね~~」って。


   ~2015年11月21日の日記から~
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読者の声 2件

2024年11月22日 | 心の持ち様
(読者の声1)
 兵庫県知事選挙のドンデン返し、非斉藤票が乱立で分裂したという分析が多いですが、結局、メディアの一方的な、独断と偏見にみちた事前報道が斉藤知事への『悪』印象となって、それがネットによってうっちゃりとなったのではありませんか?
 失職した知事の復活は、あのペログロ作家・田中康夫以来です。
 左翼メディアの敗戦では?
   (SE生、神戸)

(読者の声2)
 TVであれだけ「パワハラ」だの横領を毎日のように流していたから、私も含めて斎藤知事を「とんでもねーヤローだ」と信じた国民は多い。ところが実態は知事のふるった大ナタで既得権益を失った連中が知事を陥れ、マスコミを使って悪評を流して辞任に追い込んだのが真相だったと。
 議会も全議員が不信任、もはやこの人の政治家人生は終わった、と思いきやある時期からパワハラや横領の報道がピタリと止まった。
 そのうちNHK党の立花氏や高橋洋一氏らが疑問を呈し始めたが、立花氏は自分もわざわざ立候補してNHKの政見放送で県庁や県議会の闇と斎藤叩きの出鱈目ぶりを暴露し、斎藤氏を擁護した。そして昨日の結果となった。

 実際の斎藤氏は県政で実績をあげて県民からの評価は高く、今回の斎藤押しは特に2~30代の若者が引っ張ったようだ。最も支持しなかったのは60代以上というから、テレビに洗脳されている世代だろう。
 さて、今朝のマスゴミ報道をざっと眺めると、斎藤氏再選はSNSをうまく使ったから、とか反斎藤勢力が割れて票が分散したからとかの分析に終始するのみである。
 最も大きな疑問はマスコミが一致結託して斎藤批判のデマを流した背景にある筈だが、その点マスコミはダンマリである。

 さきの米大統領選でマスコミがこぞってハリス有利のデマを流し続けたのは、ほとんどのマスコミが左翼かぶれであって願望と現実の区別もつかないほど倒錯しているからであり、したがって今後マスコミを信用してはならない、という至極明快な教訓が提示された。
 ところがこのたびの「斎藤知事騒動」では、マスコミの悪質なデマ流布の背景がいっさい伝わってこない。いったいマスコミのどんな既得権益が斎藤県政によって毀損され、彼らが斎藤潰しに加担したのか、真相解明が待たれるがマスコミ自身に自浄作用が皆無なことは今朝の一連の報道から明らかになった。
 だから本日令和6年11月18日はマスコミの信用度が音を立てて崩れ去った記念日となるだろう。
 インターネットの論客たちの解説を待つとしよう。
 さて今後斎藤氏を待つのは県議会との闘いだ。
 私は議会解散を知事権限で行うべきと考えるが、く議員選挙で「斎藤与党」を形成するため、立花氏が兵庫県内各地域で刺客候補を立てるそうだ。これまで一種キワモノ的で炎上商法狙いとみられてきた立花氏の政治センスは今後の日本立て直しへの大きな力になるとして期待している。
   ( Stratocaster )



 「宮崎正弘の国際情勢解題」 
     令和六年(2024年)11月18日(月曜日)参
        通巻第8510号 より

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ネットでは、敢えて(わざと)誤字を使用して検閲の目から逃れる、という手法がある。
 同じく敢えてはっきり言わないで誤解を誘う(誤誘導)というやり方もある。上にある「県政で実績を上げた」ので若者から支持を得た、と言うのも、「実績」の中身が「着手」「達成」併せた数字であることを意識すれば達成率はどのくらいの割合になるか、或る程度は想像できる。達成率なら決して高くはないだろうな、と。「それ、実績って言う?」と思い始める人もいるだろう。
 ここで既存の思考形態では「ほら見ろ。だからネットは~」となる場合が多い。でも、このやり方、ネットで始まったわけじゃないんだけど。
 これはメディアが常套手段としてきたことではないか。それに加えて「報道しない自由」を自家薬籠中の物にしている、いや、十八番にしているんじゃないか。
 マスメディア報道もネットの情報も、それぞれの「発信者による分析」を我々は鵜吞みにしないように、我々は提示された「事実」を自身で読み解く努力をしようとすることが大事なのだと思う。そうやって分析「能力」を自ら作るしかない。
 何度も書いてきたけれど「真実は一つ」じゃない。それぞれの「立場」「考え方」「感じ方」によって無数に存在する。一つしかないのは「事実」だ。
 それをどう読み解く(真実を掴む)か。
 
 「書面が真実なのだ」、とは決してならない。行間と、紙背を読もうとすることこそが大事なのではないか。
 「行間と紙背」、それは物事の前後、展開の流れを見ることによって見えて来ると思う。

 
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自分で言ってりゃ世話はない

2024年11月21日 | バイク 車 ツーリング
 11月10日(日)

 一昨日は朝一番エンジンを掛けたらいきなり回転数が上がる。
 スロットルワイヤーが引っ掛かっているのか?
 慌ててスロットルを数回開閉(回)してみるが、狂ったような回転は収まらない。
 チョークを引いてエンジンを掛けるのは年中同じくやっていることなのに、何で今朝だけこうなる???
 
 試しに(と言うのも変な話だが)チョークをいつも通りに半分戻すと普通のアイドリング状態(勿論、チョークを半分引いているから、回転数はやや高い)に落ち着いた。
 スロットルを回すと当たり前の反応をする。
 念のためにスロットルワイヤーに556を注してみる。既にアイドリングは安定しているのだから、注した結果(効果)は特に変化なし。

 で、昨日も今日もそれはない。今朝、フロントブレーキとクラッチのケーブルにも556を。
 だからなのかどうか分からないが、衝原から帰る際も、数名の年金ライダー注視の下、エンジンはいつも通り一度で掛かった。

 驚いたことに全員デコンプレバー(正確にはセミオートデコンプレバー)の存在を知らなかった。
 確かに昔のバイクはキックアームだけでセルフモーターもついてないのが当たり前で、だから排気量の大きいバイクは掛からなかった時の反動が尋常でなく、下手すると骨折したり弾き飛ばされたりする、と言うのはさほど大袈裟な話ではなかった。
 4気筒の場合は一回のキックで4気筒全部が動く。単純に考えれば1気筒分の脚力があればよい。400㏄のバイクなら100cc分の脚力、と言うことになる。で、2気筒なら200㏄分の脚力。
 400ccの単気筒となると一回のキックに全排気量が掛かる。4気筒に比べれば4倍の脚力が・・・ということになる。
 で、圧力を抜く(デ、コンプ)ことをしようと考えた。そうして軽くなったキックアームを踏めば、後はエンジンが勝手に動いてくれる。
 これをオートマチックにすれば勝手に圧力を抜いて勝手に掛かって、あとは問題なし、となるわけだが、そうするとそれだけ色んな部品を開発したり、でバイクが重くなる。
 SRはそこまでやらずとも「一回だけ手動で圧力を抜いたら後は勝手に~」と考えて「セミ、オート」とした。
 それだけでも昔のバイクに比べたら格段にエンジンが掛けやすくなる。

 つまり、昔のバイク乗りは「セミ」であろうがなかろうがデコンプレバーの世話にはならなかった。
 ということは、デコンプレバーを引かないでエンジンを掛けるというのは、今の時代はちょっとぐらい自慢してもいいことなのかもしれない。
 でも、デコンプレバーの存在を知らないということになると、誰も感心してはくれないということでもある。

 で、自分から「ちょっと自慢だけど~」と前置きして言ってみた。

 「稚気愛すべし」、だ。
 自分で言ってりゃ世話はない、か。

 
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