もう15年以上になる(20年近いかも)我が家の10大ニュース。毎年年末に1年こんなことがあったねと話しながら、新年に父が筆で清書する。05年版がFAXで届いた。
1 進(父)体育指導委員功労者文部科学大臣表賞受賞
2 恵巳(義妹)の父春美さん、匠(義弟)の祖母光井さん相次いで逝去
3 恵巳、晴れて正式に教員に。初任地は寒河江陵東中学。顧問を務める女子バスケ部が県中学総体で準優勝。東北大会出場。
4 家族新聞「ともがら」1月に100号達成。
5 和子(母) 皇居奉仕団に参加、天皇皇后両陛下に拝謁し感激の涙
6 亜希子 東京国立近代美術館フィルムセンターやピースボート(NY~ジャマイカ間)等各地で活弁公演。韓国クルーズのにっぽん丸では、台風の影響で上陸できず揺られながらの船上公演で終わる。
7 麻衣子(妹)北海道道庁職員採用情報誌に林務課代表として掲載される。
8 剛(弟)岡山国体に県少年男子卓球監督として出場するも3回戦突破ならず。山形工業高校卓球部は県高校総体で団体優勝逃すも県新人戦では優勝。インターハイは個人のみ出場。
9 匠 北海道社会人卓球選手権大会マスターズの部で準優勝。
10 和子 4月から酒田労働基準監督署勤務に。通信教育も始め労働基準法を猛勉強。
次点 進、和子 酒田市卓球シニア混合ダブルスで銀メダル。
亜希子 天真学園高校のTVコマーシャル出演であちらこちらから「見たよ」の声。
剛 山工2年生の修学旅行引率で愛知万博見学。
倭(甥)5月9月の連休里帰り、じっちゃんばっちゃん大喜び。「ボク運動会でまりひろいに出たよ」
進 春に植えた「だだちゃ豆」が大豊作。20ケ所以上に発送し喜ばれる。
▼05年はなんといっても父の体育指導委員功労者文部科学大臣表賞受賞である。二日間に渡る祝賀会で大勢の方に祝っていただいた。
▼一昨年結婚したばかりの弟の妻、恵巳さんのお父様が亡くなられたのは5月のこと。三姉妹長女の正教員としての新たなスタートを喜んでいたところだった。亡くなる直前、普段熱を出すことのないうちの父は突然高熱を出した。肩が痛くてしかたがなかったが一日で完治。そして突然の知らせ。義妹の実家へ急ぐと、今度は母の熱が出る。同じように肩が重くてしかたがない。あれは「宜しく頼みます」と託されたのだと父母は言う。
▼家族新聞「ともがら」。創刊号は平成2年11月。私が大学受験に向け、浪人で上京した年で、家族の様子を伝えあう手段として母が作り始めたものである。以来15年、手書き新聞はワープロ制作になり、パソコン編集のカラーになった。5つ下の妹が中学の時に「ともがら」という題で作文コンクールで賞をとったのを思い出し、ずいぶん長い事続けてきたんだなあと感心する。子ども達からの手紙や、家長の言葉、おじいちゃんおばあちゃん、親戚の話題を載せた「ともがら」は、ずいぶんみんなを励ましてくれた。
▼母自身の今年一番は、とにかく12月の皇居だったらしい。通常より多く、3度もの天皇皇后の謁見があり、目があっただの声をかけられただの、年末も興奮覚めやらず。あの年にして労働基準法猛勉強の方が大きいと思うのだが、本人にとっては一生に一度の皇居内での出来事が圧倒的だったようである。
▼両親にとっては、私の船上公演と寄港地での土産話は嬉しいらしく「まだ今年も乗ればいんでねぇ」そうですね。マネさんのOKが出ればね。
▼北海道道庁採用情報パンフレット、妹麻衣子の見開き4ページに渡るインタビュー掲載は、親にとっては嬉しかったらしい。昨年の「ともがら」には数回に渡って抜粋を連載。「林務課の女性職員が珍しいから(本人談)」というが、笑顔とコメントはなかなかもの。しかし「麻衣子、あどだめだぁ~(T_T)」と嘆いていた新採のころの妹の印象が強いため、今も職場での妹が有能かどうかは、姉はわからない。
▼弟剛は、本人の、監督、顧問としての成績は多分例年並みだが、伴侶の抜群の健康管理で、酒の飲み過ぎと体重の増加に歯止めがかかったことが何よりだろう。いい監督に巡り合えて幸せなことである。
▼そして、県優勝は何年前だったか現役選手をあきらめた弟とは裏腹に、義弟の匠くんは、北海道内の卓球大会で準優勝。この大学リーグ時代からの知己の後輩に、剛は今どこまでのスコアがとれるものか。
▼父母もまだまだ楽しんで大会に出ているようである。この上は生涯現役を目指して体力が衰えぬよう、精進していただきたい。
毎日の雪かきで足腰を鍛えているという話ですが…。
06年もグッドニュースの多い年になりますように。
1 進(父)体育指導委員功労者文部科学大臣表賞受賞
2 恵巳(義妹)の父春美さん、匠(義弟)の祖母光井さん相次いで逝去
3 恵巳、晴れて正式に教員に。初任地は寒河江陵東中学。顧問を務める女子バスケ部が県中学総体で準優勝。東北大会出場。
4 家族新聞「ともがら」1月に100号達成。
5 和子(母) 皇居奉仕団に参加、天皇皇后両陛下に拝謁し感激の涙
6 亜希子 東京国立近代美術館フィルムセンターやピースボート(NY~ジャマイカ間)等各地で活弁公演。韓国クルーズのにっぽん丸では、台風の影響で上陸できず揺られながらの船上公演で終わる。
7 麻衣子(妹)北海道道庁職員採用情報誌に林務課代表として掲載される。
8 剛(弟)岡山国体に県少年男子卓球監督として出場するも3回戦突破ならず。山形工業高校卓球部は県高校総体で団体優勝逃すも県新人戦では優勝。インターハイは個人のみ出場。
9 匠 北海道社会人卓球選手権大会マスターズの部で準優勝。
10 和子 4月から酒田労働基準監督署勤務に。通信教育も始め労働基準法を猛勉強。
次点 進、和子 酒田市卓球シニア混合ダブルスで銀メダル。
亜希子 天真学園高校のTVコマーシャル出演であちらこちらから「見たよ」の声。
剛 山工2年生の修学旅行引率で愛知万博見学。
倭(甥)5月9月の連休里帰り、じっちゃんばっちゃん大喜び。「ボク運動会でまりひろいに出たよ」
進 春に植えた「だだちゃ豆」が大豊作。20ケ所以上に発送し喜ばれる。
▼05年はなんといっても父の体育指導委員功労者文部科学大臣表賞受賞である。二日間に渡る祝賀会で大勢の方に祝っていただいた。
▼一昨年結婚したばかりの弟の妻、恵巳さんのお父様が亡くなられたのは5月のこと。三姉妹長女の正教員としての新たなスタートを喜んでいたところだった。亡くなる直前、普段熱を出すことのないうちの父は突然高熱を出した。肩が痛くてしかたがなかったが一日で完治。そして突然の知らせ。義妹の実家へ急ぐと、今度は母の熱が出る。同じように肩が重くてしかたがない。あれは「宜しく頼みます」と託されたのだと父母は言う。
▼家族新聞「ともがら」。創刊号は平成2年11月。私が大学受験に向け、浪人で上京した年で、家族の様子を伝えあう手段として母が作り始めたものである。以来15年、手書き新聞はワープロ制作になり、パソコン編集のカラーになった。5つ下の妹が中学の時に「ともがら」という題で作文コンクールで賞をとったのを思い出し、ずいぶん長い事続けてきたんだなあと感心する。子ども達からの手紙や、家長の言葉、おじいちゃんおばあちゃん、親戚の話題を載せた「ともがら」は、ずいぶんみんなを励ましてくれた。
▼母自身の今年一番は、とにかく12月の皇居だったらしい。通常より多く、3度もの天皇皇后の謁見があり、目があっただの声をかけられただの、年末も興奮覚めやらず。あの年にして労働基準法猛勉強の方が大きいと思うのだが、本人にとっては一生に一度の皇居内での出来事が圧倒的だったようである。
▼両親にとっては、私の船上公演と寄港地での土産話は嬉しいらしく「まだ今年も乗ればいんでねぇ」そうですね。マネさんのOKが出ればね。
▼北海道道庁採用情報パンフレット、妹麻衣子の見開き4ページに渡るインタビュー掲載は、親にとっては嬉しかったらしい。昨年の「ともがら」には数回に渡って抜粋を連載。「林務課の女性職員が珍しいから(本人談)」というが、笑顔とコメントはなかなかもの。しかし「麻衣子、あどだめだぁ~(T_T)」と嘆いていた新採のころの妹の印象が強いため、今も職場での妹が有能かどうかは、姉はわからない。
▼弟剛は、本人の、監督、顧問としての成績は多分例年並みだが、伴侶の抜群の健康管理で、酒の飲み過ぎと体重の増加に歯止めがかかったことが何よりだろう。いい監督に巡り合えて幸せなことである。
▼そして、県優勝は何年前だったか現役選手をあきらめた弟とは裏腹に、義弟の匠くんは、北海道内の卓球大会で準優勝。この大学リーグ時代からの知己の後輩に、剛は今どこまでのスコアがとれるものか。
▼父母もまだまだ楽しんで大会に出ているようである。この上は生涯現役を目指して体力が衰えぬよう、精進していただきたい。
毎日の雪かきで足腰を鍛えているという話ですが…。
06年もグッドニュースの多い年になりますように。