逆風に抗して Against the wind,♪ we are running against the wind.♪
ここではないどこかへ。モモンガーの旅
2018年に横浜から信州にUターン
自転車と日々の生活を
綴ります。
 



今日は密接、密閉、通称「集近閉」を避けて、遊ぼうと、拾ヶ堰の自転車広場まで自転車でやってきた。着いた時は若干のカメラおじさんが居るだけだったので、常念岳、水路、桜、芝桜の写真が撮れた。


ただ天気が良すぎたので、その内に車で桜見物にくる方が増えてしまった。
使い捨てマスクをしてとは言え、走るとやはり息苦しい。アベノマスクは勿論、閉も嫌いだし、見ず知らずの人と2m以内の距離ですれ違うのはさらに嫌である。
仕方が無いので、そそくさと現場を離脱し、他の場所へ移動したのであった。



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標高が高いこともあり、色々な山野草が自生している我家の庭、あちこちで春の花が咲き始めた。
カタクリは群落が2つほどあるが、そこから離れた場所にも花が咲くようになってきた。



グランドカバーとして重宝しているすみれ色のツルタチツボスミレ??(ツルニチソウとの指摘いただきました。ツル何とか、、と覚えてた)


福寿草に負けて、生息範囲が狭まってきたムスカリ。他に移植してやるか?



名前が分からないが、群落になっている白い山野草。その内、図鑑で鑑定してみようかしら。
(アズマイチゲと教えていただきました。こんな風に教えてもらえるのがネットの良い所)



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遅い春を何とか克服する為に、セルトレイに種蒔きし、自家製の育苗箱=衣装ケースに入れて床暖のある部屋で発芽させている。5日ほど前に蒔いたトウモロコシが発芽してくれた。


しかし桜がまだ咲かない、標高750mの洗馬では、なかなか気温が上昇してくれない。その為、発芽してから3週間経つマリーゴールドやアスターの成長がなかなか進まずひょろ長くなってしまう。



本格的な温度調節可能な温室の建設計画はまだ数年?先なので、増えてきた育苗セルトレイの育成場所を考えてやらなくては。



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外出自粛要請から数日が過ぎ、その前にできるだけお花見をしてブログ記事用の画像、素材を貯めておいたのだが、それも品切れになってしまった。
日本の外出自粛の同調圧力に負けた訳ではないが、人口密度の低い田舎ではあるが、距離にして数kmの事業所でCOVID-19の感染者が出たと聞けば、いくら行く場所を選んで密接、密には無縁の外出にしているとは言え、週末くらいは外出を控えることにした。
幸いにして、家でやるべきことは山ほどあり、あれこれと細かいものの修理をしたり、畑を耕したりして過ごせば週末はなんという事もなしに過ぎていく。

少し早すぎるかもしれないが、3日ほど水に浸しておいた、ニガウリとオクラの種、オクラの方は芽が出始めたので、今日セルトレーに植えてみた。



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桃介橋と天白公園でツツジと桜、桃を見た後は、桃介記念館へ。
木曽川中流域の水力開発を行う為、福沢桃介は木曽川右岸にいくつもの発電所を作り、左岸を走る中山道と中央線から資材を運ぶ為、南木曾に桃介橋を建設した。
そして、そのたもとに、貞奴との別邸を建設した。

今は福沢桃介記念館となっているが、かっては大同電力の社宅とか発電所長の宿舎として使われていたらしい。



庭には近くの読書(よみかき)発電所の水車ランナ。



入口のポーチの柱にはギリシャ式の飾りが。



貞奴のお気に入りだったサンルーム。



桃介橋の完成時に渡り初めをする桃介と貞奴。



この橋のトロッコを通じて、読書発電所の水車と発電機は運び込まれた。



桃介は木曽川の水利権を得るために、木曽川を使って木材を切り出していた森林産業を味方につけ、島崎広助をねじ伏せた。


川を使って木を流すのは、危険かつ、水の多い時のみ可能であったが、水利権の代償に森林鉄道を建設し、木材を切り出し、中央線で運び出せるようにしたのであった。



今では森林鉄道もトラックに代わり、記念館の傍らにひっそりと眠っている。



100年近く前に桃介が建設した以下の7発電所のうち、賤母、大井、落合の3発電所は改修工事用の水車を作ったこともあるので、その内いつか見学してみたいものだ。

  • 賤母発電所 - 1919年7月運転開始、出力8,250キロワット
  • 大桑発電所 - 1921年8月運転開始、出力1万1000キロワット
  • 須原発電所 - 1922年7月竣工、出力9,200キロワット
  • 桃山発電所 - 1923年12月竣工、出力2万3100キロワット
  • 読書発電所 - 1923年12月竣工、出力4万700キロワット
  • 大井発電所 - 1924年12月竣工、出力4万2900キロワット
  • 落合発電所 - 1926年12月竣工、出力1万4700キロワット

 

 



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元気な若者が遊び回るものだから、COVID-19の拡散が止まらない。いや元気な老人こそが、外出するので、ウイルスが拡散するんだ。、、、、、
元気なバカ者である私としては、リスクを最小化しつつ、お花見をしたい。そこで、まだ満開ではないものの、人のいなさそうな所に行って、お花見。


高台から一昨日も見えた中央アルプス空木岳を望む。



この光景を一人占め、最初は誰も居なかったが見とれていたら、マスク姿の2人と5m距離ですれ違い。

山を下って、諏訪湖畔に来れば、こちらは若干の人出あり。



早々に八ヶ岳を背景に写真を撮り、退散したのであった。




2m接近者は弁当屋さんで4名ほど。弁当は加熱食品だが、マスク、手袋で盛り付けている人は????

リスク程度はどのくらいであろうか??



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高遠のお花見の代わりに来た六道堤、桜はまだ若いが綺麗に咲いていてしかも花見客が殆どおらず、快適であった。


この六道堤の一角にさすらいの俳人、井上井月(せいげつ)の絶筆である「何處やらにたづの声聞く霞かな」の句碑が立っている。


井上井月の俳句を高く評価していた芥川龍之介は、我家の庭を描いた小品「庭」において、「唯その頃この宿にゐた、乞食宗匠井月ばかりは、度々彼の所へ遊びに来た。」と井上井月を物語に登場させている。
せっかくここまで来たのだから、井月のお墓が近くにあると言うので、探してみる。


百年前に作られたにしては、もう彫られた文字も読めない、小さなお墓が畑の中にポツンとあった。


伊那地方では井上井月を讃える運動が盛んで、この墓や句碑を含め、多くの句碑が建てられているようだ。



その内、時間があれば、これらの句碑を探して、走り回るのも一興かもしれない。
墓に刻まれた「降るとまで人には見せて、花曇り」までは行かないが、空の雲が切れることは無さそうなので、一直線で来た道を戻ることにした。

辰野、小野を過ぎ、善知鳥峠を越えて裏日本側に入ると、空の雲は無くなり、綺麗に晴れてくる。塩尻の南端、西条あたりから、夕日に輝く穂高連峰を眺めて、今日のサイクリングも終わり。



走ったのはこんなコース102km。



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塩尻よりは春が僅か早い上伊那へお花見に出かけることを考えた。信州の桜と言えば高遠の桜なのだが、今年は高遠城址公園はコロナ禍で閉鎖、近くの六道堤の桜も綺麗だとの情報を得たのでKayoチャンで向かう。まずは善知鳥峠を越えて、裏日本から表日本へ出なければならない。小野宿に残る本棟造の旧家群で一休み。


六道堤が満開だよとの情報を頂いた、フォークシンガーにしてB. ディランやB.スプリングスティーンの訳詞をなさっている、元大学教授の三浦久さんが経営する辰野のオーリアッドの前で記念撮影。しかし、人口2万人の過疎の町でライブハウスを数十年継続するなんて、ちょっとマネできない。


山間を抜け、伊那谷の北端に達すれば、天竜川が切り開いた大地の向こうに、昨日は西側から見た木曽駒ケ岳が聳えている。


目的地に選んだ六道堤に辿りつく前に、そこここに咲く桜に目が行く。晴れ渡った青空を背景に河岸段丘に咲く見上げるばかりの桜。


段丘の斜面を自転車を持って登り、木曽駒ケ岳を背景に記念撮影。


しかし、これが痛恨のミスを生むことになるとは、その時は気が付かず。
青空に映える桜を探して、あちらこちらとウロウロする。一度下った河岸段丘をもう一度登り、後ろを振り返れば、中央アルプスの峰々の下に広がる上伊那地方が一望できる。


写真をしっかり撮ろうと自転車を自立させるべく、台になるサーモスボトルを探すも無い。無い、ナイ!。40分前、8km向こうの桜の下で撮影した際にサーモスを台にして、置き忘れてきたようだ。
焦って、来た道を戻れば、良かった、ありました。


必死に段丘を上り下りし、疲れたので、ノンビリモードで六道堤に向かう。景色が変わって、行く手に南アルプスの仙丈岳の手前に桜。



ようやく、六道堤に到着。残念ながら雲が出てきて、青空は白くなり、桜が光り輝いてくれない。サーモスボトル騒動で1時間以上到着が遅れたのが悔やまれる。中央アルプス空木岳を背景に。


こちらは南アルプスの仙丈岳を背景にもう一枚。


六道堤の外周から桜をめでた後、堤に上がり桜の中から鑑賞する。自粛要請のせいか花見客はせいぜい数人しか居ない。ひと気のない、離れた位置で、桜ごしの山を眺めながらコンビニで調達した昼ご飯を頂く。


写真が多くなったので、後半の井上井月を巡るポタの続きは次回へ。
走ったのはこんなコース102km。



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信州の春は関東とは違って、1月下旬から3月にじわじわと来るのではなく4月上旬に一気に来る。梅も桜も桃もほぼ一緒に咲くのだ。私的には長く楽しめる関東型が良いのだが、こればかりは文句を言っても始まらない。塩尻より少し春の早いここ、南木曾に今日は向かった。



木曽川に掛かる桃介橋。福沢桃介が読書(よみかき)発電所の水車発電機を運ぶために作った木造、鋼製ワイヤー吊橋だ。


桃介は自分の名前に付いた桃と言う字が好きだったようで、桃の木をわざわざ外国から持ち帰ったとのこと。後世の人も、彼の功績を讃え、花桃を植えたので、色とりどりの桃が咲き誇っている。


木曽川の右岸に植えられた花桃。今は水の色が透き通っているが、雨が降ればこれが一変、濁流となって、谷を削り、蛇になり、八岐大蛇になり、蛇抜け(土石流)が起きるので、この辺りの木曽川の河床には数mの大岩が転がっている。


不要不急の外出をしていると言う負い目と、一方で個人商店を応援せねばという義務感?から人通りのほとんどない商店街のパン屋さんで、美味しそうな自家製サンドイッチを買い、天白公園のベンチでいただく。


今日はこの桜とレンゲツツジの競演を見に来たのだ。
それにしても人が居ない。これでは濃厚接触はおろか、希薄接触もするすべがない。

レンゲツツジの自生林に入り対岸を眺めれば、南木曾の町の向こうに木曽駒ヶ岳の白き峰々。


天白公園を一周した後、桃介橋の方向に戻り、次の目的地へ。



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安曇野をずんずん走っていたら、日本では超めずらしい、信号の無い交差点、ランナバウト(行政名称はラウンドアバウト(こう発音しても通じないと思うが??)、円形交差点)に出っくわした。


シャンゼリゼの超大ランナバウトと違って、交通量の少ない交差点で、周りに建物がなく、見通しの良い田舎の交差点なら、いつでも曲がれるランナバウトは良い解だと思うのだが、日本では流行らないか?。

良く見ると、ここの地名は安曇野市 本村 円(まどか=ラウンド)ほんまかいな?ひょっとして、地籍が円だったので、ランナバウトを作ったのか???
まさかそんな訳はないだろうが、、、、



上空からの写真は本当に円だよ。場所の解る地図は下図をダブルクリックしてね。



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社会的距離を取って、数人でグラベルを走ろうと言う呼びかけがあり、昼食は各自コンロ持参もしくはコンビニでも食堂でも自由にという週末ライドがあったので申し込んであった。
前日にはロードスターを洗い、TerzoのサイクルキャリアSalisを取付け、グレートジャーニーを積載した。コンロオフも久しぶりと、インスタントラーメンとコンロ、水をザックに詰め込み、準備完了である。


所が、朝起きてカーテンを開けると、前日の晴れの天気予報と異なり、霧雨が降っている。しかも気温が低いので、みぞれ混じりというか、雪も舞っているではないか。見上げれば、上空は黒い雲、山は薄っすらと雪化粧だ。


長野県でもコロナの発症者はまだ少ないとは言え、松本、大町、諏訪、飯田、、、と散発し始めている。地元の方にグラベルの道を案内してもらえると言うのが今回のキモ。でも、「グループ」でというところで、コロナの影におびえてしまう。
閉鎖林道で今日は誰にも会わなかったとか自慢していた無鉄砲、アホだった50台の頃なら出かけていただろうが、アラセブともなると、天候不順、コロナ、グループ、、、と重なったので、チキン化し、メールで不参加を表明して、2度寝したのであった。

出走時間となる頃、起きてみると、雨雲、雪雲はすっかりどこかに行ってしまい、晴れてきた。悔しいけれど、ロードスターに自転車を載せられるようになったことで、次に車載輪行でどこかに行けるさと自分を慰めて、今日は農作業に励もう。





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コロナ禍を終わらせる方法は簡単! 全世界の人間が2週間分の食料を持って、家族とも離れ離れに、外出せず孤立して暮らせば、今感染している人の数%が重症化し、死に至るだけで、流行は終わると、どこかのマッドサイエンティストが主張している。確かに、、、、

まあ、社会的距離を取ること、そして不要不急の外出を控えることが現実的な解決策なのだろうが、その「不要不急の外出」が生きがいだと言うのが、私こと徘徊老人なのだから困ったものだ。

ん~ん、天気も良いし、桜も咲き始めたと言うので、誰にも会わないように、ボッチぽたに出かけましょう。

標高700m以上ある我家の周辺はまだ桜は咲いていない。なので、梅と穂高連峰のコラボ写真で。


リンゴの果樹園の中の道を抜けて行くと、この時期の風物詩、そこら中に消毒液をまき散らす消毒カー。風下に入らないよう、注意して迂回する。この消毒車、コロナがひどくなったら、東京へでも出張してもらいたいものだ。


黒沢川を渡ったり、標高が100mほど低くなったら、明るいピンクに輝く塊が見える。ご近所まで行って、草取り中のおねぇさんにお許しを貰い、畑の中から撮影。緋寒桜がほぼ満開ですね。


いつもの山麓線でピンクの塊を見つけては、あっちに行き、こっちに行き。しかし、なかなか絵になる桜が見つからない。そんな中、常念岳を背景に、安曇野公園駐車場から。


北上を続け、ちひろ美術館まで50km。これだけ北に来るとちひろの桜はまだ蕾のまま。



さて、ここから引き返して、本日の目的地、市民タイムスに満開と書かれていた穂高の田淵行雄記念館へ向かいましょう。
気持ち良くスケッチロードを下り、途中で、2週間前、雲が掛かって、良い写真にならなかった、穂高川の水仙に再トライしたが、今日は雲は無かったのに、光の加減が今一。


で、目的地の田淵行雄記念館到着。記念館前の桜は確かに見頃。ただ、なかなか良いアングルの写真にならない。それにまばらとは言えそれなりに人も居るし、、、、

方針転換して、周りを少し走ってみよう。ここなんか良い感じじゃない?



お、先にも桜が咲いている。桜の向こうに安曇野、そして爺ヶ岳の白い峰。


とうとうと流れる万水川(よろずいがわ)の岸辺に、所々咲く桜とその背景に後立山の峰々。


さて桜を堪能したので、帰りましょう。

ここまで、コンビニ補給のみで、昼ご飯を食べてない。有効期限が来週にせまった500円でどうずら?を有効活用すべく、30km走って、南松本の「凌駕」へ。ほとんど化学調味料の味がしない、煮干しのスープに厚いチャーシュー3枚、味玉が入って500円は超お得。



しかも、この500円、暇な時対策で2時~5時限定。平日なので、広い店にお客は3人。これなら社会的距離充分取れているでしょう。


後は淡々と走って、トータル103km、走ったのはこんなコース。(下図をダブルクリックすれば地図が開く)


不要不急の外出ではあるが、濃厚接触ゼロ、コンビニと凌駕でお金を渡す時も一瞬1.5m以上の距離ありなので、許してチョウダイ。



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数日前の重たい雪をかいていて、プラスチックスコップの刃先が外れてしまった。



この次に買う時は壊れにくいアルミの角スコップを買おうかとおもうのだが、まだ本体が元気なプラスコップも修理してあげねばならない。トタン板を切断し、2つに曲げて、それをプラスコの先に取り付ける。固定するのはΦ3.2mmのリベットで。


4ヶ所をハンドリベッターで止めれば、新しい刃がついて、これであと何シーズンかは使えるはず。



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コロナ禍と天候不順で家に閉じこもっているとさすがに体調が悪くなってくる。今日は晴れたが風が強いので、自転車活動はなしで、農作業に従事。
10日ほど前に撒きビニールシートを掛けて置いた小松菜、ルッコラなどが発芽したので、シート取り外し。


その他の農作業をいくつかこなし、昼ご飯は春の野菜とキノコのクリームスパゲッティ。パルメザンチーズをたっぷり掛けていただこう。


午後からは、去年は3/25に植え付けて5月の遅霜でせっかく出た芽がやられてしまったジャガイモ。今年は1週間遅く植えてみることにした。男爵12個、メイクイーン24個、北あかり24個を植え付ける。


去年は畝間にアカザが繁殖して草取りに悩まされたので、今年は畝の間に防草シートを敷き込んでみたが、効果のほどはどうだろうか?



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