そよ風つうしん

小さな自然の発見をご紹介してきましたが、転居で環境が激変。内容を一部変更し日々の雑感を綴ったりもしています

今日は私の誕生日♪

2019年04月02日 | どんぐり屋のつぶやき
今日、79歳となりました。
幼い頃、ピアノを買ってとねだったら、父は「おまえが死んで後にピアノが残ったら、さぞつらいやろうからダメ」といった父・・・あの時代に未熟児で生れ、たいそう体の弱い子だったのです。

80年前に、満州(中国の北部)で母のお腹に宿り、そのために日本へ帰ってきたので、戦争に巻き込まれることもなく、両親には「あんたのお陰で命拾いをしたかも」と言われました.

そのまま満州にいたら、私も残留孤児となり、死んでいたか、ものすごい苦労をしたか・・・

日本へ帰って、生れた翌年に第2次世界大戦が始まり

たった一つ持っていたお人形を抱きしめて防空壕に入り
母が隣組の夜警当番で、ご近所に「警戒警報発令!」とメガホンで触れて回る時には、真っ暗な防空壕の中でひとりぼっちの恐ろしい夜もあり
あと3日戦争が続いていたら、住んでいた地域も空襲になっていたのだそうです。

やっと戦争が終っても食べるものが少なくて
父が作ってくれたサツマイモや、カボチャやトマトが主食でした

国民学校と呼ばれていたのが「小学校」と名を変えた学校に入りましたが、窓ガラスはほとんどなく、板張りになっていたので暗くていやでした。
先生も戦死されたり未帰還の方がいたりで、教員免状を持っていない人が臨時に雇われていて、なんとなくのどかな授業であったと覚えています。

中学校も「第一中学」と呼ばれていたのが、「○○中学校」となり、生めよ増やせよの政府の呼びかけで子供の数は多く、50人学級が11クラスありました!!
なので卒業証書を頂くのには、名前を呼ばれる順番待ちがたいへんでした。

高校は、女学校が普通に高等学校と名を変え、こちらは5クラス。
1組は男女混合クラスで進学組。
2組と3組は就職希望者、そして4組は女子だけで家庭科組。
就職する人が多かったのです。

そして昨日、私の80歳を前に元号が変わりました。

変化を友に生きて来た私です!!
なにか良いことあるかしら?
コメント (9)
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