2020年8月16日 朝日新聞朝刊「折々の言葉」(鷲田清一)より引用させていただきます。
>教養って、行き詰まっているときに、どこか思わぬ方角から、光が差しこんでくる、その光の源だと思う。 内藤正典
そして、以下はこのコラムの執筆者、鷲田氏の解説です。
>「日々の手料理の技に惹かれ、このイスラム地域研究者のツイッターを時々見るが、8月5日にこの言葉を見つけた。教養のこの定義、知識を蓄えるとか視野を広げるとかいった効用を説かず、思わぬ時に自分が助けられるという恵みとして捉えているところが清々しい。そうした教養を彼の調理にも感じる。さりげなくも華やいでいる。」
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写真は、今頃の時期咲く馬酔木の仲間の、多分アケボノアセビではないでしょうか?
違っていましたら、教えてくださいね。 以前住んでいた枚方市のUR釈尊寺に咲いていました。きれいだったのに、後日切られて残念でした。
>教養って、行き詰まっているときに、どこか思わぬ方角から、光が差しこんでくる、その光の源だと思う。 内藤正典
そして、以下はこのコラムの執筆者、鷲田氏の解説です。
>「日々の手料理の技に惹かれ、このイスラム地域研究者のツイッターを時々見るが、8月5日にこの言葉を見つけた。教養のこの定義、知識を蓄えるとか視野を広げるとかいった効用を説かず、思わぬ時に自分が助けられるという恵みとして捉えているところが清々しい。そうした教養を彼の調理にも感じる。さりげなくも華やいでいる。」
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写真は、今頃の時期咲く馬酔木の仲間の、多分アケボノアセビではないでしょうか?
違っていましたら、教えてくださいね。 以前住んでいた枚方市のUR釈尊寺に咲いていました。きれいだったのに、後日切られて残念でした。