明治生まれの父は、鹿児島生まれの九州男児!
昭和の大阪ではちょっと考えられないような、男尊女卑。
私が、父にとっては初孫の男の子を出産したというのに、「男が産院などへ行けるか!」と言って、退院するまで顔を見に来なかった。
きっと内心では、めちゃ見たかっただろうに・・・ヤレヤレ
とにかくすさまじく男っぽい人だった。
私は優しくしてもらった記憶がない。
というわけで、生前は大キライだった!
そんな父が愛した花の中に、秋明菊や秋海棠があった。
若い頃は別になんとも思わなかったのだけれど、最近になって、しみじみした気持ちで花々を見るようになった私は、ふっと不思議な気持ちに。
あの荒っぽいともいえる父が、こんな優しい花を愛したなんて?
もしかしたら、人には見せないようにしていた心の中に、とても優しい部分を秘めていたのではないのかと、亡くなって45年ほどにもなる今、心の奥で父のイメージチェンジが。
私が好きな父の俳句に
君逝きて 大夕焼けのただ虚し
というのがある。
まだ若い40代の終わり頃に、一番の親友を亡くした時の句だけれど、どれほどの悲しみであったことかと、今にして想う。
お墓など要らないから、仏法僧の声が聞こえるところに、小さな骨を一つ埋めてほしいというのが遺言。
ほんの小さな骨の欠片が奥日光の山深くで、今年も仏法僧の声を聞いていたことだろう・・・
昭和の大阪ではちょっと考えられないような、男尊女卑。
私が、父にとっては初孫の男の子を出産したというのに、「男が産院などへ行けるか!」と言って、退院するまで顔を見に来なかった。
きっと内心では、めちゃ見たかっただろうに・・・ヤレヤレ
とにかくすさまじく男っぽい人だった。
私は優しくしてもらった記憶がない。
というわけで、生前は大キライだった!
そんな父が愛した花の中に、秋明菊や秋海棠があった。
若い頃は別になんとも思わなかったのだけれど、最近になって、しみじみした気持ちで花々を見るようになった私は、ふっと不思議な気持ちに。
あの荒っぽいともいえる父が、こんな優しい花を愛したなんて?
もしかしたら、人には見せないようにしていた心の中に、とても優しい部分を秘めていたのではないのかと、亡くなって45年ほどにもなる今、心の奥で父のイメージチェンジが。
私が好きな父の俳句に
君逝きて 大夕焼けのただ虚し
というのがある。
まだ若い40代の終わり頃に、一番の親友を亡くした時の句だけれど、どれほどの悲しみであったことかと、今にして想う。
お墓など要らないから、仏法僧の声が聞こえるところに、小さな骨を一つ埋めてほしいというのが遺言。
ほんの小さな骨の欠片が奥日光の山深くで、今年も仏法僧の声を聞いていたことだろう・・・
ご自分の生き方を貫かれたのですね。
生前は大嫌いだった父ですが、きっと私は心の中では、優しい父を求めていたのかも。
安心しました、有難うございます。
そんな気持ち?気概をお持ちだったのかもしれませんね。
本当はとても心優しい方だったのではと拝察致します。
今頃は仏法僧の声を聞きつつ穏やかに御霊はおられることでしょうね。
64歳で急逝したのですが、晩年は写経をしたりして、かなり静かな人でした。
秋明菊や秋海棠がお好きだったということでも分かります。
秋明菊は好きでいろいろ植えていますが、この白花の一重が一番好きです。
今年は咲かなかったので、こちらで拝見できて嬉しいです♪
明治は遠くなりにけり。
私も秋明菊は白が好きです。我が家の庭にあったのも、白でした。
そういえば、城跡のお堀端にネムの花を見に連れられて行ったことがありました。
しかし、
「仏法僧の声が聞こえるところに、小さな骨を一つ埋めてほしいというのが遺言。」
私もそんなふうに生きたい(死にたい)ものです。
日本野鳥の会が創設された頃、中西悟堂さんに心酔していました。
鳥の中でも仏法僧が好きで、「仏法僧百句」というのを作っていたくらいです。
私は山深くは行けませんので、野鳥の会の親しいお弟子さんにお願いして、連れて行って(?)いただきました。
毎年お酒をもってお参りに行ってくださっていたようです。
父もさぞ満足だったことでしょう。