この事件に巻き込まれて、重症を負った女性といっしょにバスに乗っていて亡くなられた方は、この女性が娘さんの不登校に悩んでいたときに、相談に乗ってくれていた方でした。
その人の遺志を継ぎたいという想いもあって、女性は事件後に「ほっとケーキ」という名前の不登校の子供とその親のためのフリースペースを立ち上げます。
事件を起こした少年は、医療少年院に送られました。
事件から5年後、その女性は少年院からの依頼で、少年と会います。
成人していた元少年は、深々と頭を下げ謝罪の言葉を口にしました。
隣に座った女性は「許したわけじゃない。これからの生き方を見ているから」と言い、元少年の背中をなでて「つらかったね」と言葉をかけました。
元少年の後の苦労を想うと、涙が流れたそうです。
その面会後、手紙が届きます。
「泣いてくださったとき、自分の罪深さと温かい思いが同時にわき起こりました」とあったそうです。
女性はその後も2回会って「なぜ事件を起こしたのか、いつか教えて」と呼びかけていました。
その後、退院した元少年から弁護士を通じて手紙が届き、事件を起こした理由について、自分なりの言葉でつづっていたそうです。
「もっと深く掘り下げて本心を聞きたい」と弁護士宛に手紙を出しますが、それに対する返信はありませんでした。
元少年の母親から電話で相談を受けた精神科医の町沢静夫さんは、この事件の背景にはいじめや引きこもりなどの問題があったと言います。そしてまた、
「気が弱く、苦しむ子供を救うには、徹底的に話を聞いて心の問題を解決していくしかない」とも。
この大けがで顔に深い傷が残ったけれど、「これが私。事件がなければ今の私はいないから」と手術を受けない女性を、私は深く尊敬しています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
少年犯罪は、いまも起きています。
でも、徹底して心の内をきいてくれる人が、いったいどれほど居るのでしょう。
傷つき、もがき苦しむ少年少女の胸の内を、傷ついた魂を、せめて思いやることの出来る大人がそばにいてくれたら、どれほど救われることか・・・
もちろん、多くの関係者の中に、そういう方もいらっしゃることは知っていますが。
私も、いろいろあって思春期は大荒れでした。
そんな私に手を焼いた母が、あるとき「私はあなたのことを周りの人たちに謝るために生れてきたのではないんだよ! いいかげんにしてくれない?!」と言いました。
「謝ってくれって、私は頼んだことないよ」と言い返したかったのをこらえて、一人で泣きました。
荒れる原因を作ったのは家庭なのに、なんで私が責められるの?」
これは甘えだったのでしょうか?
この事件の元少年もそうだったでしょうが、「心の居場所がない」「心の安まる場所がない」ことのつらさは、大人にはなかなか想像ができないのでしょう。
つらさを一人で抱え込んでしまうと、耐えられない。
狂うか自死するか・・・
この事件の元少年は、自分のために涙を流してくれる人と会えて、本当に良かったです。
色々な事件が起きる度に、その犯人には冷たい目が向けられます。
それは当然のことかもしれませんが、「そんな生き方をするしかなかったその人の人生」に、涙を流してくれる人と巡り会えたら、立ち直るための大きな力が沸いてくるのではないかと思うのです。
罪は罪として償わねばなりません。それは人として当然のことです。
ですが、犯人も一人の人間。
その抱えている心の闇に、少しでも目をむけられる人がいて欲しいですし、自分はそういう人で有り続けたいと、いつも思っています。
その人の遺志を継ぎたいという想いもあって、女性は事件後に「ほっとケーキ」という名前の不登校の子供とその親のためのフリースペースを立ち上げます。
事件を起こした少年は、医療少年院に送られました。
事件から5年後、その女性は少年院からの依頼で、少年と会います。
成人していた元少年は、深々と頭を下げ謝罪の言葉を口にしました。
隣に座った女性は「許したわけじゃない。これからの生き方を見ているから」と言い、元少年の背中をなでて「つらかったね」と言葉をかけました。
元少年の後の苦労を想うと、涙が流れたそうです。
その面会後、手紙が届きます。
「泣いてくださったとき、自分の罪深さと温かい思いが同時にわき起こりました」とあったそうです。
女性はその後も2回会って「なぜ事件を起こしたのか、いつか教えて」と呼びかけていました。
その後、退院した元少年から弁護士を通じて手紙が届き、事件を起こした理由について、自分なりの言葉でつづっていたそうです。
「もっと深く掘り下げて本心を聞きたい」と弁護士宛に手紙を出しますが、それに対する返信はありませんでした。
元少年の母親から電話で相談を受けた精神科医の町沢静夫さんは、この事件の背景にはいじめや引きこもりなどの問題があったと言います。そしてまた、
「気が弱く、苦しむ子供を救うには、徹底的に話を聞いて心の問題を解決していくしかない」とも。
この大けがで顔に深い傷が残ったけれど、「これが私。事件がなければ今の私はいないから」と手術を受けない女性を、私は深く尊敬しています。
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少年犯罪は、いまも起きています。
でも、徹底して心の内をきいてくれる人が、いったいどれほど居るのでしょう。
傷つき、もがき苦しむ少年少女の胸の内を、傷ついた魂を、せめて思いやることの出来る大人がそばにいてくれたら、どれほど救われることか・・・
もちろん、多くの関係者の中に、そういう方もいらっしゃることは知っていますが。
私も、いろいろあって思春期は大荒れでした。
そんな私に手を焼いた母が、あるとき「私はあなたのことを周りの人たちに謝るために生れてきたのではないんだよ! いいかげんにしてくれない?!」と言いました。
「謝ってくれって、私は頼んだことないよ」と言い返したかったのをこらえて、一人で泣きました。
荒れる原因を作ったのは家庭なのに、なんで私が責められるの?」
これは甘えだったのでしょうか?
この事件の元少年もそうだったでしょうが、「心の居場所がない」「心の安まる場所がない」ことのつらさは、大人にはなかなか想像ができないのでしょう。
つらさを一人で抱え込んでしまうと、耐えられない。
狂うか自死するか・・・
この事件の元少年は、自分のために涙を流してくれる人と会えて、本当に良かったです。
色々な事件が起きる度に、その犯人には冷たい目が向けられます。
それは当然のことかもしれませんが、「そんな生き方をするしかなかったその人の人生」に、涙を流してくれる人と巡り会えたら、立ち直るための大きな力が沸いてくるのではないかと思うのです。
罪は罪として償わねばなりません。それは人として当然のことです。
ですが、犯人も一人の人間。
その抱えている心の闇に、少しでも目をむけられる人がいて欲しいですし、自分はそういう人で有り続けたいと、いつも思っています。
実際の被害に遭われた方からすれば、とんでもないと言われると思いますけれど。
どうしてそのような事をするに至ったのか、そこを見ていかないと本当の解決、また起こした本人の心はそのままでしょうね。
これもまた被害者こそ、それをされるべきだと言われるでしょうが、何かがなければ起こらなかった、その元を探ることは大事なのではと感じます。
時代が進むにつれ、した側への容赦ない批判の声はまるで晒すことが正義、大義名分なような行為が行われてきていると思います。
本来はどうすればそのようなことが起こらなかったのか、そこの部分を見ていくことではと感じております。
寄り添うことの大事さ、大切さが改めて問われるようになってほしいものですね。
生意気に物申しまして失礼致しました。
自分の力の無さに呆然とすることが多いです。
誰もが自分の事で精一杯なのでしょうね。
小学校のあり方が問われているのかも?