その人と別れて 今日で60年になります
別れたのは私が高校の卒業間近のある日
18歳と16歳の間に 誰からも祝福されることなく生れて
子供がいなかった叔父夫婦に育てられ
さまざまなわけがあって 自分の将来になんの希望も持てなかった少年でした
親はいたけれど 寂しかった私とは大の仲良しで
多くの時間を一緒に過しました
それなのに
私は彼の命をささえる事ができなかった・・・
怖いほどのきれいな月が地上を照らしていた夜に
彼は一人 私たちの思い出深い海岸で海に飛び込みました
泳ぎは達者だったけど
お酒をいっぱい飲んで うちを飛び出したそうです
冷たい海に飛び込めば 心臓麻痺で死ねるだろうという
覚悟だったのでしょうか
次の朝
早朝の漁に出た漁師さんが みつけてくれて
彼の遺体が帰ってきました
岩にぶつかったらしく ざっくりと割れている額の傷跡が痛々しくて・・・
昔の事とて 野辺送りがあり
チラチラと雪の舞う野道を 彼の棺と一緒に歩きました
今までの人生で 一番寒いと感じた冬の日です
その日からずっと
彼は私の心の中で 一緒に生きて来ました
歳はとらず その日のままの面影です
どんなときにも 私は一人ではない
あの人の分も生きているのだと
自分に言い聞かせて生きて来ました
もう 残り時間は多くはないでしょうが
これからも一緒に生きていくつもりです
いつも二人で唄っていた
ロシア民謡の「ともしび」を口ずさみながら
別れたのは私が高校の卒業間近のある日
18歳と16歳の間に 誰からも祝福されることなく生れて
子供がいなかった叔父夫婦に育てられ
さまざまなわけがあって 自分の将来になんの希望も持てなかった少年でした
親はいたけれど 寂しかった私とは大の仲良しで
多くの時間を一緒に過しました
それなのに
私は彼の命をささえる事ができなかった・・・
怖いほどのきれいな月が地上を照らしていた夜に
彼は一人 私たちの思い出深い海岸で海に飛び込みました
泳ぎは達者だったけど
お酒をいっぱい飲んで うちを飛び出したそうです
冷たい海に飛び込めば 心臓麻痺で死ねるだろうという
覚悟だったのでしょうか
次の朝
早朝の漁に出た漁師さんが みつけてくれて
彼の遺体が帰ってきました
岩にぶつかったらしく ざっくりと割れている額の傷跡が痛々しくて・・・
昔の事とて 野辺送りがあり
チラチラと雪の舞う野道を 彼の棺と一緒に歩きました
今までの人生で 一番寒いと感じた冬の日です
その日からずっと
彼は私の心の中で 一緒に生きて来ました
歳はとらず その日のままの面影です
どんなときにも 私は一人ではない
あの人の分も生きているのだと
自分に言い聞かせて生きて来ました
もう 残り時間は多くはないでしょうが
これからも一緒に生きていくつもりです
いつも二人で唄っていた
ロシア民謡の「ともしび」を口ずさみながら
仏教でも、また神道においてもその方の一応の区切りは50年かと思います。(神道では100年祭というのも、あるにはありますけども)
その方は60年前のその時の面影のまま、どんぐり屋さんの心の中で色褪せることなくいらっしゃるのでしょうね。
でも、もしかすると・・・この方の魂は今は新しい命を吹き込まれて、どこかで素晴らしい人生を送っておられるのかもしれない、そんな風に感じたりもします。
あの時のその方は、その時のままで止まっておられるけれど、今は笑って過ごしていらっしゃるかも・・・。
若かりし日のその方の笑顔がもしまだ覚えがあるのなら、その笑顔を思い出して差し上げることが何よりなのでは、とも思いました。
(若輩者の戯言にて失礼致しました)
私は、柳田国男さんの「死後生」という言葉が好きです。引用させていただきます。
>「人の精神性のいのちは死後も、後を生きる人々の心の中で生き続けそれぞれの人生を膨らませる。
それを私は『死後生』と呼んでます」
柳田氏はご次男を若くして亡くされているので、ご自身苦しまれ、悲しまれて、後の著作やご講演でのお言葉があると思うのです・・・いろいろと心に沁みるお言葉に励まされています。
ご心中お察しいたします。
いつの日かまた再会できますことを祈っております。
最初の20年ほどはとても辛かったのですが、すっと一緒に生きて来たのでそういう状態になれてしまって、今ではほんのりとした、良い関係を保てています。
↑のあおぞらさんへのコメントをお読みいただけますでしょうか?
空も私の中に生き続けて私の人生を膨らませてくれていますもの。だからかしら?いつも心の中がほんわかしてます。
人もワンチャンも、同じですよね