モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

妻女山暮色、千曲川夕影。晩秋の北信濃。(妻女山里山通信)

2012-11-27 | アウトドア・ネイチャーフォト
 今夜は寒いけれど、例年になく冷え込みの少ない信州、紅葉の進み具合も遅く、林下にはまだ緑がたくさん残っています。そんな日曜日の遅い午後、妻女山と千曲川を巡ってみました。晩秋の山の日暮れは早く、3時を過ぎると山は暮れ始めます。

 一枚目のカット。長坂峠(東風越)の先から逆光の夕日に染まる斎場山(旧妻女山513m)を見たところ。第四次川中島合戦で上杉謙信が最初に本陣としたのはこの山頂にある円墳の上です。展望台と招魂社のある現在の妻女山(旧赤坂山)を、本陣と勘違いしている人が多いのですが、それは間違いです。
 逆光に写っているのはコナラの森ですが、西面の低木はヤマコウバシで、冬になっても落葉せず、葉が残ります。このコナラの森は夏になると国蝶のオオムラサキが乱舞します。この辺りの里山ではどこでもそうです。珍しい事ではありません。よく燕を追い立てている追尾飛行も見られます。

 斎場山と妻女山に関しては、私の特集ページ「「妻女山の真実」妻女山の位置と名称について」が、ある程度認知されてきたためか、現在の妻女山だけでなく斎場山まで脚を延ばす人が増えました。相変わらず現在の妻女山(赤坂山)を本陣と勘違いしている情弱な方もいますが・・。斎場山へは、駐車場の奥の林道入り口に新しい案内看板も立てたので迷う事はないと思いますが、雨後や積雪時は車は無理です。枯葉がカラカラに乾いている時も危険です。雪より滑ります。冬期は高速のトンネル手前に駐車して徒歩でどうぞ。毎年すぐ上の謙信槍尻の泉のカーブで自損事故を起こす車が絶えません。冬の轍は、猪狩りのハンターの4WDのものです。一般の人はスタッドレスでも厳しい。信州の冬をなめてはいけません。

 二枚目は、長坂峠から5分ほど登った陣場平の落葉松の黄葉。晩秋の軽井沢などを歩いたことがある人は経験あると思いますが、北風が吹くと落葉松の枯葉の雨がチリチリと音をたてて一斉に降り注ぎます。落葉松の雨が降り注いだ林道は、黄土色から橙色に染まります。陣場平は、武田信玄が海津城に全軍を入れた後で、上杉謙信が七棟の陣城を築いたとされる高原の平地です。春は茶花にも人気の編み笠百合が咲き乱れます。昔、薬草畑だったのです。
 武田の『甲陽軍鑑』の編者といわれる 小幡景憲の『河中島合戰圖 』には、陣場平に造られた陣城の絵が描かれています。当時はもちろん落葉松などなく、木は切り払われていたことでしょう。尚、この陣場平の北西の角にはひとつだけ積石塚古墳が残っています。当時はもっとたくさんあったと思われますが、陣城を造る為に壊されたのでしょう。明治以降は畑として利用されました。

 三枚目は、そこから分岐を堂平大塚古墳方面へ下って西面のコナラの斜面を撮ったもの。低木はヤマコウバシ。ヤマザクラ、ダンコウバイも。斜面には等高線に沿ってニホンカモシカが作った獣道が何本かあります。獣道を辿って歩いていて鉢合わせしたこともあります。例年の11月下旬なら、落葉はもっと進んでいて、麓の風景が見えているはずです。妻女山山系には、いわゆるモミジと称されるイロハモミジやヤマモミジがほとんどありません。ほとんどがカラコギカエデで、稀にハウチワカエデがある程度。カエデの種類が豊富な西山の茶臼山とは対照的です。

 四枚目は、戻って長坂峠(東風越)から川中島、戸隠方面を見たところ。樹木のシルエットと背景のグラデーションが、そのまま着物の柄に使えそうなほど美しい。英のウィリアム・モリス(モダンデザインの父)か、リバティ・プリントの模様にも見えます。自然は偉大な芸術家です。高い木はコナラ、ヤマザクラ、ハリギリなど。猪の獣害対策で除伐したため、見通しがよくなっています。確かに麓に下りて来なくなりましたが、この峠辺りでは歩いているのを見かけました。狐や狸とも遭遇します。

 山を下って千曲川の畔へ。5枚目は土口水門の辺りから撮影した北アルプスの夕影。爺ヶ岳(左)と鹿島槍ヶ岳(右)。鹿島槍は、今時の子供達なら「ととろ山」と呼びそうな猫耳の双耳峰が特徴。ススキの白い穂が、川風に揺れています。草むらには雉や狐が隠れていて鳴き声が響く事もあります。野鼠もたくさんいて、街の飼い猫達も狩りによくやってきます。沈む夕日を猫がボーッと見ているなんてこともあります。夜になると塒(ねぐら)や飼い主の家へと帰るのです。

 最後は残り日の映り込む千曲川。外来魚のバスを釣るのか、大きな鯉狙いか、釣り人が何人も来て竿を投げていました。千曲川は、この辺りで最も流速が遅くなるため川港に最適で、古代科野国もこの辺りに造られました。昔は帆船が浮かび、「川中島八景」のひとつ「千曲川帰帆」といわれました。あと七つは、妻女山秋月、茶臼山暮雪、猫ヶ瀬落雁、八幡原夕照、勘助塚夜雨、典厩寺晩鐘、海津城晴嵐です。

 「川中島八景」について説明しましょう。
 妻女山秋月。現在は夕焼けのビューポイントとして有名で、カップルがよく訪れますが、江戸時代は観月の名所だったようです。
 茶臼山暮雪。茶臼山は北東の北風が吹き付けるので、妻女山になくても茶臼山が真っ白ということはよくあります。西日に映えて逆光に光る茶臼山は美しいものです。江戸時代はまだ南峰が崩壊していなかったので、おっぱい型の美しい双耳峰が見られたはずです。
 猫ヶ瀬落雁。猫ヶ瀬は、現在の松代SA辺りにあった猫でも渡れるほどの浅い瀬。浅いので雁もたくさん集まったのでしょう。
 八幡原夕照。有名な川中島合戦の古戦場です。八幡社があり、史跡公園になっていて市立博物館があります。松林越しに見る北アルプスに沈む夕日は一見の価値があります。敷地の東の千曲川の堤防上を歩くのがおすすめです。
 勘助塚夜雨。その対岸の堤防を下りたところに山本勘助の墓があります。勘助塚夜雨といいますが、雨の夜に訪れるのは、ちょっとおすすめできません。勘助の亡霊が出るかも・・。
 典厩寺晩鐘。八幡原から35号線を少し南下し、釜飯のおぎのやの交差点を右折すると典厩寺入り口。武田信玄の弟、信繁が八幡原で討死したことに因み、合戦から60年後、元和八年(1622)、松代藩主真田信之が信繁の官職「左馬助」の唐名「典厩(てんきゅう)」から寺号を典厩寺と改めて菩提を弔ったものです。閻魔堂には東洋一大きいといわれる閻魔大王像があります。小学校低学年の頃に遠足で訪れて閻魔像を見たために、夜幾晩も夢に見てうなされました。
 海津城晴嵐。現在の松代城のこと。昔から桜の名所だったので、晴嵐とは満開の桜が春風で舞い散る様をいうのでしょう。元々村上の筋である土豪、清野氏の館を山本勘助が築城したということです。現在は松代城と言いますが、近年改修されるまでは、海津城と言ってました。幕末から明治維新にかけての真田への反感があったのかもしれません。海津というのは松代の古名で、妻女山の会津比売命(あいづひめのみこと)のあいづが語源という説もあります。
 会津比売命は、神武天皇の後裔、信濃国造、武五百建命(たけいおたつのみこと)の妻で、諏訪大社祭神、建御名方富命(たけみなかたとみのみこと)の孫です。この地の産土神(うぶすながみ)です。

●古代科野の国の建国を巡る王家の系図
 神武天皇--神八井耳命--武宇都彦命--武速前命--敷桁彦命--武五百建命--健稲背
                              ∥
           大国主命--建御名方富命--出速雄命--会津比売命

 明朝は-2度の予報。少し冷え込みそうです。まもなく本格的な冬が始まります。

妻女山から斎場山への行き方
妻女山から陣場平への行き方
ガイドに載っていない川中島合戦の史跡!
『第四次川中島合戦』啄木鳥戦法の検証
時に笑える『地名辞典』における妻女山の記述 その1 ■その2 ■その3

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信州の鎌倉、塩田平の独鈷山トレッキング(妻女山里山通信)

2012-11-21 | アウトドア・ネイチャーフォト
 信州の鎌倉、塩田平の南に壁の様に立ちはだかる険しい山脈の主峰・独鈷山(とっこさん・どっこさん)1266.3m。弘法大師にまつわる修験の霊峰で、塩田平から見上げる高い崖だらけの山容は、どこから登るのだろうと思わせるほど険しく見えます。

 コースはほぼ東西南北四方からあり、北から中禅寺上の虚空蔵堂から滝の沢を登る「西前山コース」、東の平井寺トンネル脇の林道奥から登る「平井寺コース」、南の254号線の宮沢から御屋敷澤を登る「宮沢コース」、西の沢山湖手前から仏の沢から登る「沢山コース」があります。

 今回は、虚空蔵堂を起点に「西前山コース」を登り、「沢山コース」を下って戻るループを組んでみました。2月にアイスバーンに積雪した「西前山コース」を登り、展望岩先で撤退した時の帰り、別所温泉の大湯で地元の老人から、「沢山コースは、昔別所の小学二年生以上は遠足で登った緩いコースだ。」と聞いていたので、帰路にはいいだろうと選んだのです。ところが・・。

 昔の別所の小学生は、猿飛佐助だったのでしょうか、と言いたくなる様な結構厳しいコースでした。(写真参照)前日にかなり雨が降って枯葉の下が泥濘状態だったのもありますが、それ以外にも岩登りや崖へつりがあり、身長のない小学生が、ここをどうやって登ったの?という箇所が最低二つはありました。もしかしたら、昔のルートとは多少違うのでしょうか。

 当日は、写真でも分かる様に、塩田平も晴れ、南面の谷も晴れているのに、独鈷山の上だけが厚い雲に覆われ寒風が吹いているというなんとも意地悪な天気。しかし、谷を詰めていて、その理由も分かりました。塩田平は、日本でも瀬戸内海と並んで有数の小雨地帯です。なのに谷の渓流の岩や稜線の大岩には、びっしりとコケがついているのです。

 これは、独鈷山が始終雲や霧に覆われていることを表しています。尚かつ渓流の岩にコケがあるのは、大雨での濁流に洗われることが少ない事も表しています。度々濁流に洗われる丹沢の渓流の岩にはコケがほとんどついていません。そういう谷でキャンプをするのは非常に危険です。上田の太郎山から虚空蔵山の山脈には、よく逆さ霧が発生しますが、この山脈にも多発するのではないでしょうか。

 そんな天気の中、やっとこ狭い山頂に行くと、先客が6人ほど昼食を摂っていました。ここじゃ狭いねとか、風があるからだめだねとか話していると、西から厚い黒くもがやってきて、みるみる山頂を覆ってしまいました。ということで、ちょっと下った広場で昼食です。

 今回は「キノコすいとん」。時候坊(ハナイグチ)とムキタケを茹でこぼして下ごしらえしてきたものに長ネギを入れて味噌仕立てに。鍋と家庭用コンロも担ぎ上げました(笑)。ところが、想定外の寒さに、なかなか鍋が煮え立たず難儀。まあなんとか煮えて、ついでにラーメンも作ったりして、寒中宴会となりました。鍋は極上の味でしたが、なんといっても寒く、熱々のキノコすいとんを食べてもすぐに体が冷えてしまう有様。食後は早々に撤収となりました。

 帰路の「沢山コース」は、思った以上に長く厳しいものでした。テープが過剰なほどについているので、迷う事はありませんが(過剰です。下山後偶然そのテープを巻いた方に出合いましたw)、本当に小学生の遠足コースだったの?という道程だったのは事実です。

 その「沢山コース」の途中で撮ったカットが二番目の大きな写真。左に雲中の浅間山が。右の低い所が中山道が越えた碓氷峠です。ここを放射性プルームが越えて来ました。軽井沢に降下し、一部は北東の風に乗り、蓼科山の裾を駆け上がり、白樺湖まで届いたのです。この美しい風景からは想像もできませんが、事実です。放射能は見えないのです。

 放射能という見えないものに危機意識が働かないのは、この国がそういう教育をしてきたからです。生物学的リアリティの軽視と想像力の欠如。自然や生物に対するリテラシー(読解力)不足。知識だけでは真の危機意識は生まれないんです。学歴は関係ありません。むしろ、それが弊害である場合さえあります。生物としての危機察知能力を超えた邪悪なもの。それが放射能。だから、野生動物さえ被曝するのです。放射能は、生物学的にもっとも反動的なものです。

 下山後は、別所温泉の一番奥にある信玄の隠し湯といわれる「石湯」へ。別所温泉の外湯は、七色の湯「大湯」、ぬるめの「大師湯」、そして一番熱い小さめの「石湯」とあるのですが、「石湯」が一番好きなので。小さな湯で、当日は芋洗い状態でしたが、充分に温まりました。柏屋さんの小路を抜け、北向観音に来ると、遠くちらちら瞬く上田の夜景が見えました。そして、最後は恒例の大反省会(宴会)へ。長い一日が暮れて行きました。







今回のトレッキングは、フォトドキュメントの手法で綴るトレッキング・フォトレポート【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】にアップしました。また、Youtubeにもスライドショーをアップ

2月の積雪の独鈷山敗退フォトルポはこちらをご覧ください。北アルプスや浅間山のパノラマ写真がご覧いただけます。

★また、塩田平は、古刹の宝庫でもあります。「見返りの塔」国宝大法寺三重塔フォトルポはこちらをご覧ください。あまりの美しさに誰もが振り返るという「見返りの塔」。見頃は梅の季節。

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私だったら東京に住みません(カルディコット博士):原発問題
 ガン発症のリスク:子ども達は、大人の10-20倍。胎児は大人の数千倍。
「2016年、東京や横浜など予想もしなかった地域で小児甲状腺がんが多発するかも」:原発問題
 菅谷松本市長の警鐘。

 東京都が発表した都民一人当たり3600ベクレル内部被曝には希ガスが入っていない。実際は15日で数倍、全体では二倍以上。内部被曝している。外で仕事をしていた人は、その数倍から数百倍の被曝をしている。
 東京の一極集中が完全に裏目に出た。官公庁、大企業、テレビ局、出版社、実はかなりが原発村の一員。社員も下請け会社も、移住したくてもがんじがらめでどうにもならないのが現状。数年後、誰の目にも明らかなほど晩発性障害や突然死が起きたらどうするつもりか。
 原発事故の損害賠償の時効は、わすか3年。 あと1年4ヶ月しかない。東電も政府もそれを狙っている。晩発性障害が出てからでは間に合わない。
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信州大学農学部「落葉松祭」と伊那谷の秋(妻女山里山通信)

2012-11-13 | 歴史・地理・雑学
 信州大学農学部は、伊那谷の中央アルプスが作った扇状地にあります。標高が770mと高く、ほぼ高原にあるようなもの。日本一かと思ったら、さらに上があるようです。一位は、諏訪東京理科大学で標高900m。二位は高野山大学で標高820m。ということで三位でした。長野市の妻女山近辺でいうと、ちょうど鞍骨城跡の高さと同じということです。そのためか、南信なのに紅葉は妻女山よりも少し進んでいました。

 農学部のキャンパスは、森の中に埋もれていて、黄葉したユリノキ(百合の木、学名: Liriodendron tulipifera)のプロムナードを進むと中庭に出ます。北米原産のユリノキのためか、なんだか日本の大学というよりカナダ辺りの大学という感じがしないでもありません。中庭では、学生達が早くも模擬店の用意をしていましたが、の~んびりとした穏やかな空気が漂っていました。

 私が行った美大では、現在はどうか知りませんが、中庭に実際に材木を使って店を建ててしまいました。つまり、学内にちょっとした飲屋街ができてしまうのです。他の大学から来た学生は、その規模と賑やかさに目を丸くしたものです。現在は学祭でアルコールを禁止している大学も多いので、今は昔の光景かもしれません。随分と滅茶苦茶なことをしていたものです。

 それに比べると、実に長閑で牧歌的な学祭ですが、地元の野菜や学内でできた農産物や加工品も売られていたりして、地元の人達も楽しみにしている様が微笑ましく感じられました。今回は午後に用があったので、午前中しか滞在できませんでしたが、周辺にも高遠城跡や千畳敷カールなど見所は多いので、ゆっくりと訪れてみたいものです。

 今回、ツイッターで相互フォローをさせていただいている農学部の先生と会う事ができました。研究室等案内していただいて、里山の話や樹木についてお話をうかがうことができたのは大きな収穫でした。そして、なんと翌日に長野市で講座があるというので、それにも参加することにしました。里山の中世から近代、現代までの歴史についての、実に興味深い講座でした。

 特に、現在の日本の森林面積が、教養の高い人ほど減っていると誤解しているという話が気になりました。また、それを含め、里山に対するリテラシー(読解力)が失われているということも感じました。金にならないから、放置され荒れるというのは事実ですが、一方、原発はコスト的には、核廃棄物の完全処理技術もなく、本来は破綻するほど酷いものなのに、国策として膨大な税金がつぎ込まれてきて、挙げ句の果てに取り返しのつかない大事故を起こしたわけです。要は、税金の分配の問題なのです。

 原発の100分の1ほどの、予算をつけるだけで、恐らく日本中の里山の保全は充分可能だっただろうと思います。儲からないから予算をつけないというのは、実は詭弁です。全く採算の合わないゼネコン事業にどれだけの無駄な血税が注ぎ込まれてきたか、少し考えるだけでもすぐに分かる話です。北海道のように、地元の人が要らないという高速道路を無理矢理造ったりと、枚挙に暇がありません。

 里山が川を育て、水田や畑を育て、街を潤し、海を豊かにすると、誰もが知っていれば、税金を投入する事を躊躇する理由は見つからないはずです。それを怠って来たツケは、今回の原発事故で国土の約4分の1が失われたという事態になり、初めて露になったわけです。汚染された里山は、もう元には戻りません。皆伐し、表土を剥ぎ取れば、大雨で土砂災害が必ず起きます。落ち葉に降下した放射性物質は、環境濃縮、生物濃縮を繰り返し、多くがそこにいつまでも残ります。除染はできないのです。

 伊那谷は、東部の山岳地帯を除くと、ほとんど汚染されませんでした。地元の産直市場「グリーンファーム」には、天然のキノコやジビエが売られていましたが、食べても大丈夫でしょう。むしろ、食べて応援に参加して福島の農水産物を積極的に使うと表明している企業の加工品の方が、何百倍も危険だと思います。

 抜ける様な青空の下、昔と変わらぬ学生達の明るい笑顔に心が和まされましたが、同時になんの責任もない平成生まれの彼らが、背負わなければならない重過ぎる十字架に心がフリーズしかかるのも確かなことでした。机上の論理だけを振り回す様な、物理学者よりも、土にまみれたり、野山でのフィールドワークにも励む彼らの方が、よほど真っ当な社会を作ってくれるだろうと思わずにはいられません。全ての学問の基礎に、生物学や農水産学をやらせるべきだろうと思いました。

 帰路に立ち寄った姨捨の展望台から見る善光寺平(長野盆地)は、3月15日と21日に放射性プルームが、放射性物質が降下しました。主に北部が中心でしたが、眼下の千曲市のある駐車場の吹きだまりの砂塵を、福島から避難して来た相互フォローの方が調べてもらうと、約10000ベクレル/キログラムあったそうです。放射性プルームは、すでに日本中の空を覆っています。ノーガードで暮らせる場所は、日本にはもうありません。いや、北半球にすらもうないのです。

★ここ二日ほど、原発事故関連で、重要な情報をつぶやいています。上のtwitterボタンをクリックか、左のツイッター・ダイジェストで。

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キノコ三昧の週末に思った事(妻女山里山通信)

2012-11-05 | アウトドア・ネイチャーフォト
 この秋の信州は、松茸は不作でしたが、10月になって雨が多かったので時候坊(ハナイグチ)は、3年ぶりに大豊作となりました。一昨年、去年とほとんど採れなかったので、狂喜乱舞と言いたいところですが、信州でもあちこちで放射能の影響が出ていて、喜んでばかりもいられない事態になっています。

 妻女山周辺のキノコからは、幸い放射性物質は検出されていないようですが、山で出合ったおじいさんによると、野生のキノコは買い取ってもらえないところが多いということです。上田市ハナイグチ:19Bq/kg/長野市クリタケ:95/軽井沢町シモフリシメジ:410と、高い値が出ています。kg10ベクレルぐらいだと除染すれば食べられるでしょうが、キノコを1キロは食べないといっても、100ベクレルもあったら除染しても、とても食べられません。国が100ベクレル以下はOKと、汚染食品を流通させているのは狂気の沙汰です。野生のキノコは食べなければ済みますが、米や野菜、肉や乳製品は食べない訳にはいきませんから。

 今年の大ヒットは、なんといっても天然マイタケを見つけたことでした。猪や稀に熊も出没するコナラの大木が林立する森ですが、狙って見つけたとはいえ、やはり本当にあると嬉しいものです。舞茸と命名した人の気持ちがよく分かります。
 キノコ狩りをしていて、3度ほどオオムラサキの保護を手伝ってくれる山仲間のKさんと出合いましたが、今年は他にキノコ狩りの人を見ないねえと言っていました。やはり、放射能のことを心配しているのでしょうか。

 キノコ狩りには、猛毒のキノコがつきものです。写真のニガクリタケ、コレラタケの他には、世界三大毒キノコのひとつ、死の天使といわれるドクツルタケも妻女山にはたくさん出ます。植物では、全草が猛毒のヤマトリカブトも。しかし、どんなに猛毒でもこれらは自然を汚染することはありません。枯れると生分解して土に還ります。そこが放射性物質との決定的な違いです。

 採ってきたキノコの除染方法ですが、まず塩をひとつかみ入れた40~50度ぐらいの湯に浸け、2~3時間おきます。これは、福一事故の前から行っていた方法で、本来は虫を出すためのものでしたが、今思えば核実験やチェルノブイリの事故で汚染されていたので、適切な処置だったと思います。
 次にお湯を沸かし、沸騰したらキノコを入れます。一度沸騰したらザルにあげて湯を捨てます。これで終了です。そのまま調理したり、冷ましてから冷凍保存したりします。汚染の状況が酷い場合は、塩湯に浸けては取り替えたり、茹でこぼしを何度もすればいいのですが、当然風味は落ちます。実験では、70~90パーセント除染できる様ですが、高汚染されたものは、食べるべきではありません。

■キノコの除染については、【信州の里山】キノコの放射能汚染と除染について[Radioactive contamination and decontamination for the mushroom.]をご覧ください。
 内容は、放射性物質に汚染されたキノコと、その除染方法について。「菌根性キノコ」と「腐生性キノコ」に分けてまとめてみました。特定の樹木と共生する「菌根性キノコ」は、放射性セシウムを腐生菌の約10倍吸収(同じ条件の場合)。主な「菌根性キノコ」は、アミタケ、コウタケ、サクラシメジ、シモコシ、チチタケ、チャナメツムタケ、ハツタケ、ハナイグチ、ホウキタケ、ホンシメジ、マツタケ、ヤマドリタケモドキなどです。
 後半にウクライナ放射線医学研究センターとフィンランド食品安全局による除染方法も載せてあります(意訳)。汚染されたキノコは食べないのが一番いいのですが、どうしてもキノコ狩りをしたい、食べたいという人のためのスラードショーです。実際の除染は、ネットなどで詳細を確認の上、ご自分の判断で行ってください。また、栽培キノコについては、生産者かメーカーにお問い合わせください。独自に検査しているメーカーもあります。
 塩漬け、茹でこぼしで除染は他にも応用できます。味噌漬け、粕漬け、糠漬けも良。但し漬け床は捨てること。
 大きな画面でご覧になりたい時は、右下のYoutubeの文字をクリックして、Youtubeのページを開き、画面の右下で、大きな四角(720p)を選んでください。

★キノコの写真は、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】でご覧ください。

 掲載の写真は、今年発生したキノコです。妻女山展望台から見える長野市北部の低山は、昨年の3月15日夜に放射性プルームに覆われ雨が降りました。そのため、クリタケが95ベクレル/kgという高い値が出たものと思われます。放射性物質は、斑状に降下するので、北信のキノコがすべて駄目というわけではありませんが、要注意であることは間違いありません。

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■この記事は必読!【福島第一原発と日本の運命と全国の子供の救出】Kaleidoscope
ーー世界最高峰の学者たちの共通見解を、いまだに理解できない日本の議員たち。日本の破局は彼らが招くだろう。「福島の事故は科学的な修復は、もう無理だ。解決策となるアイデアの一つもない」ハンス=ペーター・デュール(原発の研究の最高機関、世界最高峰のマックス・プランク・インスティテュート元所長)ーー
 この記事で分かる様に、日本では政府や東電、マスコミの陰謀による矮小化で、福島第一原発は収束に向かっている様な印象を与えているが、とんでもないことである。現在、日本は国家が終わる瀬戸際にある。もう一度、原発事故が起きたら、間違いなく日本は終わる。大地震は必ず来る。それが日本終了の合図。結局は国民が目覚めなければ、この日本終了の難局は乗り越えられない。事実を知り得た各自が自分の家族親戚友人知人愛人恋人他人に伝えなければならない。呟いているだけではだめだ。
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