モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

村上義清の里巡りに続いて大晦日は葛尾城跡へ。いい出会いもありました(妻女山里山通信)

2016-12-31 | アウトドア・ネイチャーフォト

 前日はホームグラウンドの妻女山へ。仲間とやっている椎茸のホダ木栽培の様子を見に行きましたが凍っていました。春までそのままにしておきます。写真は妻女山(旧赤坂山)展望台からのパノラマ。9枚の望遠カットをフォトショップで合成しました。川中島には全く積雪がありません。長野市北部の里山もほとんど雪が見られません。

(左)妻女山松代招魂社。戊辰戦争以降の戦没者を祀っています。左奥に見える丸い山は茶臼山。(中)斎場山(旧妻女山)。山頂は円墳で、地元で上杉謙信の本陣と伝わる場所です。(右)地元で上杉謙信が七棟の陣小屋を建てたと伝わる陣馬平。4月半ばには、中国原産の貝母が満開になり見事です。拙書でも紹介しており、私が仲間とやっている妻女山里山デザイン・プロジェクトのメンバーで保護活動をしています。来春、ぜひ訪れてください。ただ薬草ですが猛毒の毒草でもあるので絶対に持ち帰らないでください。

 帰りに再び妻女山展望台に寄りました。松代方面の眺め。今年は『真田丸』効果で、松代も妻女山も鞍骨城も訪れる人が激増しました。拙書を持っている方にも何人も出会いました。著者に会えるとは思っていなかったと喜んでいただけたのが何より嬉しいことでした。

 そして大晦日は、あえて真田ではなく村上義清の葛尾城跡へ。(左)登山口の坂城神社では初詣の準備で大忙しでした。(中)登り始めてすぐ正面に見えるのが飯綱岩稜。帰りに寄ります。往路は右へ近道コースを選びました。赤松の急斜面を登っていきます。左は松茸の留山。

(左)山頂近くでホンドサルオガセでしょうか。地衣類の同定はなかなか困難です。ここにはマツゲゴケもありました。(中)途中、地元の方と邂逅して拙書を紹介したり色々お話をしたので山頂までは1時間ちょっとでした。山頂から東奥に五里ヶ峯が見えます。これも拙書で載せています。(右)山頂から西を見ると四阿があります。登山ノートがあるので記入しました。風もなく穏やかな大晦日です。
 五里ヶ峯から男性が下りてきました。なんでも坂城の80人ぐらいのトレッキングクラブに所属とか。拙書を紹介しました。続いて途中で出会った方の友人が到着。私のことを聞いていた様で、この方にも拙書を紹介。拙書で紹介の冠着山の鳴海新道を復活した鳴海さんのこともご存知でした。そのあと来られた方は、拙書を興味深く見ていました。これ写真全部撮ったのですかと。もちろん何万点も撮影した中から厳選したものです。紹介のコースももちろん全部歩いています。皆さんと色々なお話ができてとても有意義な時間でした。

 豚カツとコロッケと目玉焼きとレタスにソースをドバドバかけてきた手作りおにぎり(カツ丼おにぎり?)とアサリのみそ汁で昼食後、皆さんが下山した後は撮影に没頭。一番左は冠着山(姨捨山)。右下へ鳴海新道の長い尾根。麓は善光寺参りの精進落としの湯、戸倉上山田温泉。中央は姨捨駅辺り。奥には鹿島槍ヶ岳の仁科三山と右へ白馬三山。いつまでも見飽きません。

 南南西方面には、蓼科山。左へ八ヶ岳連峰。手前は独鈷山の山並みとその麓の塩田平。北条氏が庇護したため信州の鎌倉と呼ばれます。左手前は太郎山と虚空蔵山から続く岩鼻。その向こうにほぼ垂直に切り立った半過岩鼻。前の記事で紹介しています。ここには拙書でも写真を載せていますが、本州ではここにしか自生しないモイワナズナの群生地があります。銀色に光る千曲川の流れが本当に美しい。

 南方には眼下に坂城の町並みと、その向こうに太郎山から虚空蔵山、和合城跡から岩鼻へと続く山脈が。左に上信越自動車道。右奥に蓼科山と八ヶ岳連峰ですが、その左奥には南アルプスも見えています。

(左)帰路は飯綱岩稜のコースへ。この先からが飯綱岩稜。装備と技術がなければ越えて行けませんが、右(西側)には巻道があります。(中)東面の登山道を下ります。残雪がありました。(右)飯綱岩稜に寄りました。三点確保ができれば、かなり上まで登れます。山頂で出会った方がロッククライミングをしていました。

 飯綱岩稜からの眺めは格別です。まさにバーズアイビュー。鳥になった気分が味わえます。カメラを斜めに振って飛ぶ鳥が旋回している様なカットを撮影してみました。

(左)上から下りてきて登り返しているところ。楽しそうですね。(中)帰りに国道18号から見上げる飯綱岩稜。右上が葛尾城跡。(右)帰りに近くの笄の渡しに立ち寄りました。葛尾城跡が陥落した時、奥方や腰元衆が荒砥城跡に逃げる際に、この千曲川を渡らなければならないのですが、地元の農民に頼んで小舟で渡してもらい、その礼として奥方が笄をあげたと伝わる場所です。駐車場と説明看板があります。そこから見た千曲川。左に岩井堂山(自在山)右奥に大林山(氷澤山)。右に八頭山。その右には写っていませんが冠着山が続きます。

 左手を見ると、先日長男と行った村上大國魂神社の上に村上氏の狐落城跡、三水城跡があります。この後は、冷えた体を温めに戸倉上山田温泉の万葉温泉に入って帰りました。今年の最後もいい方たちに出会えたいい山行で終えることができました。では良いお年を。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。


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久しぶりのジェイソンパーティーと村上義清の里巡り。真田丸何するものぞか…(妻女山里山通信)

2016-12-25 | 歴史・地理・雑学
 今回は妻女山里山デザイン・プロジェクトの作業ではなく、メンバーのK氏が千曲川河川敷でのハリエンジュの伐採権を得たためのジェイソンパーティー。伐採したものはK氏の自宅のストーブの燃料となります。したがって今回は全部彼のおごりです。

(左)坂城大橋の下に到着。ユニックとトラックとバン一台で到着。(中)まず伐採地の確認。今回は細い木ばかりです。楽かというとさにあらず。(右)伐採は皆で一斉にやると危険なのでN氏に依頼。スチールのチェーンソーで切っていきます。ハリエンジュは非常に硬いのでこんなに細くても簡単に伐倒できません。ましてや20センチ以上になると結構大変です。その分火持ちもいいのですが、特有の香りがあるので好みは別れるかも知れません。

(左)切ったものを残りのメンバーがチェーンソーやナタや手鋸で処理して行きます。(中)太い部分は3〜4mに。先っぽの枝はとりあえず積みます。これが棘だらけで痛いのなんの。左手の手首に棘が刺さって血だらけになりました(笑)。(右)あるハリエンジュにアラゲキクラゲがびっしり生えていました。私が全部もらいました。乾燥して保存します。

(左)今回最も太かったハリエンジュ。受け口を作って伐採します。(中)倒れます。(右)切ったものを玉切りしたり枝をはらったり、トラックに積み込んだり。皆作業手順を熟知しているので黙々と作業が進みます。

(左)作業は順調に進んで昼食。K氏が作ってきたおにぎり2種と牡蠣の味噌鍋。牡蠣に長ネギと、私が採ってきた皆で妻女山で栽培している原木椎茸を入れて。馬鹿旨です。信州の年末にしては暖かい日で幸いでした。

(左)綺麗に伐採しました。(中)ユニックに太い材を積み込みました。最も細い小枝はフレコンバッグ2つに入れました。(右)小枝はトラックに。

(左)満載して出発。(中)村上義清の葛尾城跡と飯綱岩稜。右奥は五里ヶ峯。いずれも拙書で紹介しています。(右)坂城大橋を渡って帰ります。葛尾城跡と五里ヶ峯。この後、材を下ろして戸倉上山田の万葉温泉で温まり、慰労会は屋代のやきとり智家で慰労会。生ビールに焼酎2本ボトルを開けて日本酒2合を開けてタクシーで帰還しました。

 翌日のクリスマスイブ、長野市は降雪。里には積もりませんでしたが山はホワイトクリスマス。妻女山展望台からの松代城と尼厳山と雪雲に隠れる奇妙山。10時頃までは横殴りの吹雪でした。

(左)長男と待ち合わせて川中島の麒麟児で鶏の中華そばと餃子を食べて坂城の村上義清の里、村上郷にあるびんぐし湯さん館へ。硫黄の香りがするいいお湯です。露天風呂からは坂城の町が一望できます。お風呂からあがると、休憩所のテレビでは『真田丸』の最終回の再放送をやっていました。その後近くの村上義清にまつわる村上大國魂神社へ。この上に村上義清の狐落城・三水城があります。(中)村上義清が作ったという十六夜観月殿。兵火に焼かれましたが江戸時代に再建。観月の名所、鏡台山が見えます。(右)右手を見ると坂城と上田を分ける虚空蔵山。半過岩鼻からグルっと回って歩いてきたという男性が下りてきたのでコースの状況などを聞きました。

(左)その後、半過岩鼻の上にある千曲公園へ。ちゃんと真田丸の看板がありました。拙書ではここの崖に咲く希少なモイワナズナを載せていますが、この撮影は崖にかかったフェンスをよじ登って撮影するという非常に大変なものでした。(中)眼下に上田 道と川の駅交流センターが見えます。(右)拙書でもコースをいくつも紹介していますが、里山とは思えないほど厳しい虚空蔵山。太郎山からの縦走もおすすめです。

 上田市街の向こうに浅間山山系の黒斑山。左手前は雪雲に隠れた烏帽子岳。2座共に拙書で詳しく紹介しています。手前に上信越自動車道のローマン橋のアーチが見えます。今年、上田は松代と共に真田丸で大変盛り上がりました。

 パノラマ写真。3枚の望遠カットをフォトショップでつないであります。右手奥に見えるのは佐久方面の群馬県境の山々です。群馬県との県境は放射能汚染が高めです。山菜やキノコは高汚染しています。詳しくは長野県のホームページで。

 こちらは北側の展望。左に戸倉上山田温泉街が見えます。右手前は岩鼻。奥に葛尾城跡と五里ヶ峯。その向こうは善光寺平。真冬はここを境に南北で天候がガラッと変わります。翌日の最低気温は、-7度と冷え込みました。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。


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眼下に聖湖を抱く麻績村の三峯山へ。やはり360度の大パノラマが魅力!(妻女山里山通信)

2016-12-21 | アウトドア・ネイチャーフォト
 前回の聖山の帰りに姨捨に立ち寄ったので、今回は冠着山(姨捨山)に登ろうと戸倉上山田温泉へ。荒砥城跡への急な道を登っていくと、城跡のところで冬季閉鎖の看板が…。事前にちゃんと調べておかなかったのが失敗でした。姨捨山というと、一般的には冠着山のことをいうのですが、江戸時代の『信濃希勝録』には三峯山を姨捨山と紹介しています。長楽寺の姨岩の上にある山だからでしょうか。

(左)男女和合の神・澳津神社(大きな男根と女陰が祀られている)の下から、眼下の戸倉上山田温泉街を見下ろしたところ。高校の美術班のOBを中心とした新年会は、当主が高校の同級生ということもありここの「国楽館 戸倉ホテル」で毎年行っています。ホテルといいますが、実際は昭和レトロの木造旅館で、ノスタルジーに浸れます。料理も素朴な郷土料理が中心で美味しい。千曲川では夏の花火大会と鮎釣りが有名です。右に見える山は、拙書でも紹介の五里ヶ峰。
(中)403号を登って聖湖へ。登山口がある対岸への道は積雪が。麻績村は昔、自衛隊の演習場を誘致しようとしたことがあるらしく、F86やF104Jなどのジェット戦闘機が展示されています。善光寺街道の博物館も併設されていますが冬季は閉館しています。(右)聖高原の絵地図。四季に咲く花の写真も。

(左)落葉松と白樺などの森をジグザグに登って行きます。山頂まではわずか20〜30分。(中)スライダー。(右)山頂には展望台。休憩所とトイレは閉まっていました。2回階のベランダの丸太の椅子でランチ。北東側は寒風で激寒ですが、南西側は無風で日当たりも良くポカポカ。

山頂から眼下に聖湖。左には前回登った聖山。左奥と右奥には北アルプス。

聖山の右奥に見える北アルプス。一番左に鹿島槍ヶ岳。右へ五竜岳・唐松岳・不帰ノ嶮・天狗ノ頭・鑓ヶ岳・杓子岳・白馬岳と続きます。

その右は、戸隠連峰の西岳・戸隠山・九頭竜岳・高妻山・妙高山・黒姫山・飯縄山と続きます。手前の低山は、虫倉山・陣場平山・富士ノ塔山・旭山など。

南東を見ると根子岳と四阿山。一番手前は五一山脈。奥に姨捨からの観月の名所の鏡台山のある戸神山脈。その奥は保基谷岳や大松山の山脈。そこと根子岳や四阿山との間が菅平高原です。

山頂から東北には眼下に善光寺平。中央に千曲川。右手前に一重山など五一山脈の北端が見え、その奥に薬師山や斎場山のある戸神山脈の先端が見えます。いずれも拙書で詳しく紹介しています。左奥に見えるのは斑尾山。中央奥は信越トレイルのある山脈で、右へ高社山。さらに右には志賀高原の山々。山頂には360度の山名を表示した方位盤があるので、山座同定をするといいでしょう。ところでこのところ晴天が続いていますが、善光寺平はいつも靄がかかっていて霞んでいます。朝は放射霧でしょうけど。調べてみると中国からPM2.5が大量に飛んできている様です。運転中もゴーグルをしないと目が痒くてシバシバします。

南を見ると今回登りそこなった冠着山(姨捨山)。左に伸びるアップダウンの激しい長い尾根には、拙書でも紹介している坂城の鳴海さんが復活させた鳴海新道があります。大正橋の先から2時間半から3時間かかる長いコースです。奥に見るのは浅間山。聖湖から冠着山へは、一本松峠、古峠経由で登山口のある鳥居平まで車で行けます。

一番手前から五一山脈。左の一重山から一度下って登り返して有明山。右へ五里ヶ峯までの長い尾根が続きます。奥に続くのは薬師山から斎場山、鞍骨山、深山、御姫山、大嵐山から三滝山、鏡台山と続く戸神山脈。その奥は金井山から奇妙山へと続く奇妙山脈。その奥は若穂太郎山から妙徳山、熊窪山から菅平高原へと続く山脈。一番奥は志賀高原の山々。右から白根山・横手山・三角の笠ヶ岳。

南西を見ると眼下に麻績村。長野自動車道が蛇行しています。奥には常念岳や北穂高岳などの北アルプス。左手奥には中央アルプスの木曽駒ヶ岳も見えました。

(左)帰りは雪のほとんどないゲレンデを下ります。前方に三峯山の名前の元となるもう二つのピークが見えます。その奥には篠山や茶臼山。さらに奥に戸隠連峰と飯縄山。右に善光寺平。(中)ゲレンデを適当に下ってきました。この下の雪のない急斜面で滑って仰向けに転倒。ザックが泥だらけになってしまいました。(右)湖面は一部が結氷しています。向こうには廃墟となったホテル。

 湖畔の駐車場から見上げる三峯山。へらぶな釣りの太公望が長閑に釣り糸を垂れています。左がゲレンデ、中央がスライダー。その右の森のなかに登山道。山頂まで別荘地があるので、ほぼ山頂まで車でも行けます。拙書に載せていますが、反対側の千曲市の『風林火山』のロケが行われた大池から風越山経由でのコースもおすすめです。いずれもファミリー向け、初心者向けのいいコースです。

【信州の里山】三峯山 Mt.Mitsumine at Obasute in Nagano  秋の大池コースの2本のスライドショー。紅葉と秋雨。
【信州の里山】冠着山(姥捨山)鳴海新道 Mt.Kamuriki at Togura in Nagano  カタクリの咲く鳴海新道の春。4箇所の展望台からの絶景をぜひ。コースの全景と『信濃希勝録』も紹介。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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麻績村の聖山へ。北アルプス初め360度の大パノラマを堪能!(妻女山里山通信)

2016-12-17 | アウトドア・ネイチャーフォト
 15日の木曜日、信州の12月とは思えないほどの晴天で風もなく穏やかな日。これはどこかの山に撮影に行かなくてはと思いましたが、色々雑用があり出発したのが11時過ぎ。北アルプスになるべく近い山ということで、麻績村と旧大岡村の境にある聖山へ車を走らせました。403号から雪の凍った道路を慎重に登って聖山パノラマホテルに着いたのが正午。

(左)聖山パノラマホテルの大きな駐車場から、今は閉鎖されたスキー場のゲレンデの遊歩道をジグザグに登ります。左に見えるのが山頂。ここの気温は−3度でした。(中)ゲレンデの中頃から聖山パノラマホテルと、向こうに見えるのは戸隠連峰。国民宿舎ですが、手打ち蕎麦や郷土料理が美味しいと評判らしいので、いつか泊まってみたいですね。(右)更に登ると東に善光寺平(長野盆地)が見えます。奥の志賀高原方面は真っ白です。ニホンカモシカとタヌキの足跡を追いながら登りました。

(左)25分で展望台。以前はリフト降り場だったところです。(中)山頂は目の前に見えますが、やはり25分ほどかかります。(右)聖山山頂(1447.2m)。実はアンテナがあるため山頂まで車で行けます。今回もアンテナの保守点検作業の車が来ていました。ほぼ無風ですが、気温は−6度ぐらい。慌てて出てきたので、フリースにウィンドブレーカーと軽装で寒いです。でも登っている時は軽く汗をかいた程でした。積雪は10センチ足らず。これぐらいだとスノーシューやかんじき、軽アイゼンも不要です。輪かんじきは持っているのですが、今回は持ってきませんでした。ただ、独鈷山や京ヶ倉の様な、厳しい岩場がある山は、里山でも軽アイゼンは必須です。過去には滑落死亡事故も起きています。

 北東の展望は善光寺平。左に見えるのは中野の高社山。その右奥に連なるのは志賀高原の山々。右手前には右(南)から何本もの尾根が左(北)に伸びていますが、これが長野盆地南部の地形の特徴です。一番手前は、私が撮影や自然観察のホームフィールドとしている妻女山・斎場山山系です。今年は『真田丸』人気で訪れる人が激増しました。中央手前の青い流れは千曲川。

 南東に見えるのは噴煙を上げる浅間山。現在はレベル2です。左手前に三角の烏帽子岳。一番手前は冠着山(かむりきやま)。別名は姨捨山(おばすてやま)。浅間山外輪山の黒斑山と共に、いずれも拙書で紹介しています。黒斑山や浅間山の火山情報は、気象庁や小諸市のサイトで確認してください。

 北西を見ると仁科三山の勇姿が見えます。左から爺ヶ岳、鹿島槍ヶ岳、五竜岳。手前の霧氷がキラキラ光って綺麗です。美し過ぎてため息が出ます。

 山頂の雲が取れたので、鹿島槍ヶ岳を望遠で撮影してみました。西風で吹き上げられる雪も見えます。まだ積雪量は多くない様ですが、厳しい冬山の様相です。日本4例目、信州初の氷河らしいと調査中のかくね里も見えます。思わず言葉を失う厳しさと美しさです。

 こちらは南面の大展望。一番奥に蓼科山と八ヶ岳連峰。その右手前に美ヶ原。蓼科山の左奥は南アルプス。その手前、八ヶ岳の長い裾野の手前のノコギリ状の山は塩田平の独鈷山。その手前の台形の山は子檀嶺岳。中央手前の大きな里山は四阿屋山。その手前の里は麻績村。長野自動車道が見えます。

 南西を見ると安曇野や左に松本盆地が見えます。台形の有明山の奥は大天井岳でしょうか、左に常念岳。手前にはゴールデン・ウィーク頃に満開になるヒカゲツツジで有名な京ヶ倉も見えます。京ヶ倉は拙書でも紹介していますが、テレビで紹介されたこともあり、ヒカゲツツジの季節は全国からの登山者で溢れます。ただし1000m弱の低山ですが滑落事故も起きており、初心者向きの山ではありません。

 一番右が爺ヶ岳。大きな木の左に大きな山体の蓮華岳。左へ唐沢岳、餓鬼岳と続き、一番左が燕岳辺りでしょうか。手前のアンテナがある山はタララ山ですね。

 結局、山頂に25分弱いましたが、厚い雲に覆われはじめ、あまりに寒いので下山しました。白馬三山方面と戸隠連峰、志賀高原などの北部の山脈は、結局稜線がずっと雪雲の中でした。登りは50分ほどでしたが、下りはさっさと30分ほどでした。

(左)403号に下りる途中で撮影した三峯山。これも拙書で紹介していますが展望がよく、ファミリー向きのいい里山です。スキー場には全く雪がありませんね。下の聖湖では数人がへらぶな釣りをしていました。(中)JR東日本篠ノ井線のスイッチバックで鉄道マニアには有名な姨捨駅に寄りました。色々改装中でした。駅舎の左に造っているのは展望レストランでしょうか。手前は幅が広いのですが奥は狭いのでカフェですかね。なんか楽しみです。(右)ホームにあるベンチは、線路側ではなく善光寺平側を向いています。ここからの夜景は一見の価値があります。ぜひ訪れてみてください。姨捨SAでもご覧いただけます。

 最後に棄老伝説で有名な姨捨の長楽寺に寄りました。そこから見る姨捨の棚田と左に観月の鏡台山。姨捨から見た浮世絵、安藤(歌川)広重が江戸時代後期に描いた『信濃 更科田毎月 鏡台山』で有名です。
信州麻績村の聖山はアサギマダラの楽園だった。その100倍ぐらいアブが大発生でフリーズ(妻女山里山通信)真夏の聖山もおすすめです。
日本3大車窓駅の姨捨駅と初詣は雪降りしきる姨捨山長楽寺へ(妻女山里山通信)真冬の姨捨駅。
403号の千曲川展望台からの善光寺平大パノラマ(山座同定)
同じく千曲川展望台からの暮色に染まる善光寺平と五一山脈。街の明かりが灯り始めた青く染まる善光寺平の大パノラマ。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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一反の畑で栽培した大豆を脱粒。雪も舞う寒い日でしたが鯛飯と天然キノコ入けんちん汁で温まる(妻女山里山通信)

2016-12-11 | 男の料理・グルメ

 まず7日の妻女山展望台からの戸隠連峰と飯縄山。最高気温が8.6度で風もなく穏やかな日でした。仲間とうちの山でやっている椎茸の原木栽培の森へ行き、椎茸を40本ほど採取しました。半分に割って天日干しします。椎茸の放射能汚染が酷いので初めたものですが、2年前に40本ほどコナラに2000駒打ち込んだものが次々続々出始めました。採りながら脳内をアンジュルムの『次々続々』が流れていました(笑)。アマゾンもボリビアもロンドンも香港も行ったのに九州には行ったことがないのです。アンジュルム「糸島Distance」2016春【九位一体】ごぼ天うどんとモツ鍋食べたいですね。

(左)週末は、仲間と一反の畑で栽培した大豆の脱粒作業でした。K氏が農協で脱粒機を借りてきました。トラックから慎重に降ろします。(中)右から入れると殻や枝と分けられて袋に大豆がたまるはずなんですが、何かおかしい。豆が袋に出てこなくなりました。(右)なんかおかしいなとあちこち見ています。分かりました。枝が大豆が送られるところに詰まっていました。結構アバウトな機械です。

(左)出が悪いので機械の傾斜を変えました。これで作業は捗り始めました。しかし、実にやかましい機械です。(中)根っこを切っていなかったものを押し切りで切ります。うちにもありますが、古い農家にはどこにでもある道具です。(右)今回は使いませんでしたが、これが昔の足踏み式脱粒機。これでやっていたら一日じゃ終わりません。昔はこの機械で稲や麦の脱穀もしたのです。

(左)時折、北陸新幹線も通ります。ガンガンぶち込んで大豆がたまっていきますが、ほぼ有機栽培に近い方法で育てたので虫がたくさんいました。(中)私は麻ひもで束ねてある大豆を紐を切って受け皿に乗せます。N氏が脱粒機にどんどん突っ込んで行きます。(右)その間にS氏は鯛飯の火の番とけんちん汁も作ります。気温は4度ぐらいですが北風が吹くと体感気温は0度ぐらい。時々小雪も舞いました。寒いのですが動くのでさほど寒さは感じません。

 新幹線の向こうに見えるのは、西山の長野市西部の陣馬平山ですが、雪雲に覆われています。この機械は樹木の枝を粉砕するチップマシーンと同じぐらい喧しいです。近所迷惑ですが、幸いすぐ近くに民家はありません。時々通る北陸新幹線の轟音の方が、一瞬とはいえ煩いかも。他にJR東日本のワイドビューや普通列車、しなの鉄道の列車が通ります。

(左)捗って1時前に作業は終了。私が持ってきた天然キノコ、ジコウボウ(ハナイグチ)、ムキタケ、ヒラタケ入りのけんちん汁。熱々で馬鹿旨です。(中)K氏が作ってきた鯛飯。旨いです。鯛一匹を焼いて酒蒸しして彼の自家製米にのせて現場で炊きました。炊き上がったらほぐして骨を除去してご飯と混ぜます。お焦げがまた美味しい。(右)この大豆でまずは味噌を作りますが、豆腐、豆乳、湯葉、油揚げ、厚揚げ、きな粉と夢は広がります。今回は152キロほど採れました。これから唐箕にかけて選別が大変なのです。昔は味噌も醤油も全て自家製でした。お醤油豆という郷土料理もあります。

(左)大豆の殻が山になりました。(中)ブルーシートに乗せて脱粒機で畑の真ん中に持っていきます。(右)どうするかというと燃やして肥料にします。このまま耕運機ですき込むと来年、大豆がたくさん出てきてしまうのです。大豆は日本国内の大豆消費量は年間約434万トン。このうち国産大豆は約23万トン。300万トンぐらいがサラダ油などに。今回作って分かったのですが、いやうちでも父が亡くなるまでは作っていましたが、大量に作ると本当に大変なのです。なので大豆栽培は今回で一旦終わり(笑)。次に何を作るかというとワイン用葡萄と料理用トマトです。県から補助金も出るそうで。明治時代に我が家はワイナリーでした。その夢よもう一度ではないのですが、おじさん達の妄想は膨らむ一方なのです。やれやれ。帰りは温泉に入って温まって帰宅しました。S氏と長芋とねずみ大根を物々交換しました。これで信州埴科更科の郷土料理「おしぼりうどん」を作ります。もちろんうどんも地粉で手打ちです。これを食べずしてうどん通を名乗るなかれ。タオルのおしぼりではないですよ。冬の北信に来たら甘もっくらの旨味を一度ぜひ味わってください。
信州地大根の酢辛子漬け。塩分も少なくご飯が進む絶品の漬物。亡き父の発明です。塩漬けした大根が、酢と辛子に漬けると入れ替わるのです。青首では物足りないかも。
信州のスローフード、切り干し大根と野沢菜のおやき。切り干し大根は地大根(辛味大根)の天日干し、野沢菜は本漬けでないとだめです。

 その前日にまた椎茸を採りに行ってみつけた座頭虫。日本には80種類ぐらいいます。アメリカでは足長伯父さんと呼ばれます。森の掃除屋さん。これは大波座頭虫でしょうか。寒いので動きが緩慢で長い時間じっとしていてくれました。

(左)椎茸が大量に出ています。菌がこぼれたのか地面から出ているものもありました。なかなか晴天が続かないので椎茸が乾かなくて困っています。やはり天日干しがひと味もふた味も違います。(右)柿酢もほぼ出来上がりました。白いのは酵母のコロニーで、この下に透明な柿酢が出来ています。搾ってもいいのですが、コロニーをどけて上澄みを掬って瓶に詰め替えて行きます。これがもう一樽あり、息子にやる小さな樽がひとつと、広口瓶がふたつ。そのうちのひとつは、柿酢になる前の柿サワーの状態で飲んでいます。多少アルコール分もあり美味です。次は年末に千曲川の河川敷でハリエンジュの伐採作業が待っていますが、今日は冷たい粉雪が舞っている善光寺平です。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。


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北アルプスの絶景を求めて茶臼山へ。仁科三山、白馬三山の絶景を堪能(妻女山里山通信)

2016-12-07 | アウトドア・ネイチャーフォト

(左)篠ノ井から86号を登って茶臼山動物園の入口前を通り、信里小学校の校門の前を右折するとすぐに茶臼山登山の駐車場。100mほど登ると、大正時代に立てられた川中島合戦の石碑。(右)武田信玄が布陣というのは看板にもある様に江戸時代後期の『甲越信戦録』からの引用で、これは極めて物語性が強く史実とはとうてい思われません。それ以前の文献には信玄の茶臼山布陣は全く見られません。

(左)大正時代に崩壊してしまった茶臼山南峰のあった場所。双耳峰で、ここに北峰と同じ高さの山があったのです。古い写真でも残っています。山頂には山城の跡や空堀があったといいます。古墳があったという伝承もあります。(中)15分ほど登って北アルプス展望台へ。丸太のベンチがあります。(右)信州の里山の原風景のかなたに北アルプスのスカイライン。この山里は、古代より信濃の豪族望月氏系の布施氏の領地でした。茶臼山を中心として東西南北に布施神社(布制神社)があります。

 茶臼山の北アルプス展望台からの白馬三山。左から唐松岳・不帰ノ嶮・天狗ノ頭・白馬鑓ヶ岳・杓子岳・白馬岳。右手前に神城断層地震で山頂が4割崩壊してしまった虫倉山。
妻女山展望台から見た北アルプスの大パノラマ。山座同定(初夏) 
妻女山展望台から見た北アルプスの大パノラマ。山座同定(冬)

 鹿島槍ヶ岳から白馬三山のパノラマ。北アルプスの大パノラマが望める里山は、鏡台山、太郎山、大林山、虫倉山、大姥山などがありますが、いずれも拙書で紹介しています。特におすすめは鏡台山からの大パノラマ。北アルプスの北から南までほぼ全てが見えます。このパノラマ写真は、拙書の鏡台山のページに載せています。

 鹿島槍ヶ岳。山頂右(北側)の大きな谷は、平家の落人が隠れ住んだという「かくね里」。日本で4例目の氷河かもしれないと雪渓の調査がされましたが、その可能性があるそうです。かくね里の人々は、やがて大川沢を下り鹿島川の辺りに住み、それが今の鹿島集落とか。ただ、鹿島神社には807年(大同2年)には集落があった記述があるそうで、平家追討以前にすでに集落があったことになります。戦国時代の天文年間の大地震で鹿島槍が大崩壊し、麓が大被害を受けたため、地震の神様である鹿島神社を勧請したともいわれています。かくね里は、鹿島川最上流部の標高1800〜2200mにあり傾斜もきつく、雪崩や落石も多くとても人が住めるようなところではなさそうです。もし落人が住んでいたとしても、もっと下流の方かも知れません。

 白馬三山の勇姿。左から白馬鑓ヶ岳・杓子岳・白馬岳。明治時代に帝国陸軍陸地測量部が地図を作るために白馬村に訪れた時、この山々には確固たる山名がありませんでした。岳山(たけやま)とか西山とか適当に呼んでいたそうです。そんな馬鹿な話があるかと役人に怒られて、長老が命名。
 代かき馬からとって代馬岳、貝杓子に似ているので貝杓子岳、長いので貝を取って杓子岳、尖っているので槍ヶ岳、しかし槍ヶ岳、鹿島槍とあるので駄目だと言われて白馬鑓ヶ岳と命名。西山にいる山の主で天狗の尾根、身の程を知らぬ者が天狗に近づこうとして帰れなくなったので不帰ノ岳と適当に命名して今に至ります。代馬岳は、実際の地図では白馬岳となっていましたが、村人達は長い間その事実を知らなかったそうです。(出典:『北アルプス白馬ものがたり』石沢 清著)

 2014年(H26)11月22日22時8分に白馬村を震源として発生したM6.7の神城断層地震で、山頂が4割崩壊してしまった虫倉山。崩壊した赤茶色の崖が生々しく見えます。1847年5月8日(弘化4年3月24日)の善光寺地震でも大規模な山崩れが発生し、死者総数8,600人強、全壊家屋21,000軒、焼失家屋は約3,400軒を数えました。折しも善光寺御開帳の真っ最中で死者が増えました。参拝者の生存率は1割ぐらいとか。松代藩の立てた慰霊碑が、妻女山展望台の裏にあります。
 虫倉山は、上部が硬い凝灰角礫岩(荒倉山火砕岩層)で、下部が柔らかい砂岩など。その境界部辺りの岩石が大崩落し、大田の集落を全滅させました。崩落地点のすぐ左側を登って山頂に到る人気のさるすべりコースは、登山禁止のままです。
虫倉山。神城断層地震で崩壊した山頂へ。無常と360度の大展望と。登山情報(妻女山里山通信)崩落した山頂の写真がご覧いただけます。

 同じく展望台から山布施の集落。左の布施神社の右の道を15〜20分ほど登ると、布施氏の須立之城跡。
山布施の布施神社と石川流木彫。布施氏の須立之城探訪。陣馬平のカモシカの親子(妻女山里山通信)
大彦命と布施氏の布制(布施)神社詣でと茶臼山ラッセル(妻女山里山通信)
茶臼山の茶臼ケ城、修那羅城、篠ノ城探索。布施氏の山城は想像以上に大規模でした(妻女山里山通信)

(左)茶臼山山頂(729.9m)。布施氏の茶臼ケ城跡で、南北に長い変形ですがおそらく地滑りや侵食で当時の形ではないと思います。北側から南を見たところ。(中)北の端から北側の段郭らしき部分を見下ろしたところ。右(東)へ伸びる尾根を下ると、修那羅城、篠ノ城へ。(右)山頂から尾根の登山道に戻り北アルプス展望台を過ぎて北へ200m足らず下ると、右に善光寺平展望所。手前で男性に遭遇。マイナーな小松原コースを登ってきたというので、どこで知りましたと尋ねると拙書を持っていました。嬉しいですね。載っていないコースなどを紹介しました。

 善光寺平展望所から見る根子岳と四阿山。拙書で詳しく書いていますが、四阿山は真田の修験の山で、山頂には麓の山家神社の奥宮が二つあります。神社には、真田幸隆が奉納した奥宮の漆塗りの扉が現存します。その手前に松代東条の奇妙山とさらに手前に東条氏の山城がある尼巌山(あまかざりやま)。いずれも拙書で紹介しています。根子岳もほとんど積雪がありません。これではスキーはできませんね。この日の善光寺平は、地面から300m辺りまで薄い霧がいつまでもかかっていました。
四阿山から根子岳縦走。多くの方とお話ができました(妻女山里山通信)

 同じく展望台から横手山の望遠カット。山頂へのリフトの白い線が見えます。標高は2307mで、横手山・渋峠スキー場は、日本一標高の高いところにあります。横手山山頂ヒュッテのパンとボルシチときのこスープは人気です。山頂へは、のぞきの駐車場からスカイレーターとリフトで、渋峠の駐車場からはリフトで。周辺にはトレッキングコースもいくつもあります。左の梢の向こうに見える三角の山は、笠ヶ岳。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。


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『真田丸』で人気。清野氏と上杉景勝氏の鞍骨城跡へ。北アルプスの絶景に感動(妻女山里山通信)

2016-12-04 | 歴史・地理・雑学
 『真田丸』で人気の清野氏と上杉景勝氏の鞍骨城跡へ登りました。もちろん拙書でも詳しく紹介しています。大河ドラマの影響もあり、全国から歴史マニア、山城マニア、歴女などが訪れる様になりました。展望の良さも人気の秘密です。

(左)妻女山奥の駐車場から右の林道を登って15分で長坂峠。正面は上杉謙信の本陣と伝わる斎場山(旧妻女山)。今回はこの分岐を左へ。(中)林道から天城山(てしろやま)への登山道へ。落葉して北アルプスも見える様になりました。(右)巻道を使って二本松峠。

(左)この二本松峠の標識がまた180度回されていました。設置したMさんも怒っています。倉科の人が清野に行くのに登ったので倉科側が清野坂、清野側が倉科坂なのです。妻女山の駐車場から左に続く清野側の林道が、林道倉科坂線という表示があるのでも分かると思います。倉科側が倉科坂だろうと誤解してのことでしょうが、本当に迷惑な行為です。今回打ち捨てられた杭にその旨を明記して来ました。(中)深い駒止めと呼ばれる空堀。ここから鞍骨城跡の城内です。(右)ほどなく鞍骨城跡の全貌が見えてきます。

(左)高圧鉄塔の先に二条の空堀。(中)コナラの樹皮にたんこぶ。菌えいです。今回は4個ほど収集しました。(右)鞍骨城跡の麓。ピンクのテープを回収しました。環境破壊、景観破壊、林業従事者への迷惑以外の何物でもありません。いらぬお節介。自分のためにしたのなら回収してください。私と倉科のMさんが設置したかまぼこ板を再利用した矢印の標識があります。それで充分です。城跡へは矢印に従い左(北面)から登ります。

(左)二の郭から見上げる本郭。ここで標識に従い右(南面)に回り込みます。(中)南面の大手から山頂へ。(右)まずその先の二つある展望岩へ20mほど進みます。

 西の展望岩からの北アルプス、白馬三山の勇姿。手前右の山は、通ってきた天城山。右奥は、神城断層地震で山頂が四割も崩壊してしまった虫倉山。拙書でも詳しく紹介しています。

(左)続いてすぐ先にある東の展望岩へ。こちらの方が若干広いです。(中)松代や中野の高社山方面がよく見えます。(右)眼下に松代城跡。奥の崖が見えるのは金井山。やはり城跡があります。その向こうにホワイトリングとMウェーブが見えます。

 松代城跡(海津城跡)の望遠カット。その右上が私の母校で、世界的アコーディオン奏者のCOBAさんや、モーニング娘。16の羽賀朱音ちゃんの母校でもある松代中学。校章は真田の結び雁金です。
鞍骨山など松代周辺の里山トレッキングや観光の宿として「松代ゲストハウス布袋屋」さんをお勧めします。築120年の登録有形文化財に指定されている郷愁を覚える宿です。詳細は、この文をクリックしてホームページを御覧ください

 白馬三山の勇姿。左から白馬鑓ヶ岳、杓子岳、白馬岳。今年はまだ積雪量が少ないですね。厳冬という予報なのですが。どこかでドラスティックに変わるのでしょうか。山頂に戻ると一組の夫婦と男性が。いずれも拙書を持っていました。著者に会えたと喜んでくださいました。『真田丸』で松代城跡が大人気ですが、この鞍骨城跡も訪れる人が増えました。

(左)帰りに見つけたタヌキの溜糞。柿の種があるので信濃柿(豆柿)を食べた様です。(中)鋭いトゲのヤマガシュウ。これが登山道を塞ぐと先へ進めなくなります。今回も剪定バサミで何本か切りました。(右)堂平大塚古墳の上の森でシロに遭遇。前回の記事で紹介したマッシロの母親です。夏毛の白い毛ではなく、すっかり冬毛になっていました。出産後も元気そうで安心しました。

(左)上杉謙信が七棟の陣城を建てたと伝わる陣場平。落葉松もほとんど落葉しました。『甲陽軍鑑』の編者、小幡景憲がその絵を描いており、東北大学の狩野文庫に所蔵されており、許可を得て当ブログで紹介もしています。(中)左がカモガヤ、右がヤブソテツ。ニホンカモシカの冬の貴重な食料です。(右)リョウメンシダ。これもニホンカモシカの餌になります。翌日も快晴だったので、久しぶりに茶臼山へ登りました。北アルプスに近くなるので、さらに迫力のある絶景が見られました。それは次回に。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。


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