モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

貝母の蕾が膨らみ、カタクリの片葉が芽生え、ダンコウバイが咲き、緋縅蝶が舞う(妻女山里山通信)

2014-03-28 | アウトドア・ネイチャーフォト
 最高気温20度の予報の朝、久しぶりに妻女山山系へ。ここのところデスクワークばかりだったので、心ウキウキ気分で出かけました。妻女山松代招魂社の奥の駐車場に車を止めて右の林道を登ります。ここのところ、妻女山北面では長野森林組合による松枯れ病にかかった赤松の伐採が行われているので、チェーンソーの音が鳴り響いています。「松枯れ病の原因は、本当にマツノマダラカミキリのセンチュウだけなのか!?」で書いたように、発生が多いとされる南面ではなく、国道や高速道路のある北面で大量発生していることは、排気ガスが主な原因という説を証明するものと思われるのです。だいたい、この妻女山でマツノマダラカミキリを一度も見たことがないのです。私のフォト・ギャラリーの昆虫3,4,5を見ていただくと分かると思いますが、ミヤマカミキリやキマダラカミキリ、希少なルリボシカミキリも遭遇、撮影しているというのに。ただの一度も見たことがないのです。

 陣場平に着くと、編笠百合(貝母)は、すくすくと成長していました。見ると蕾が形成されています。ただ、ここから咲くまでが結構時間がかかるのです。5年前には四畳半ぐらいしかなかった貝母ですが、私が二年かかって藪や灌木を切り開いたら、ここまで繁殖しました。そして、貝母は西へ西へと増えています。ゴー・ウエストです。種で増えているのでしょう。貝母の花が咲き種ができる頃は、ここでは東風(こち)がよく吹くからです。実は六角柱状のさく果で、熟すると下部が裂けて種子が散布されます。満開になるとそれは見事です。

 そこから20分ほど歩いてカタクリの群生地へ。山の北面にはまだ40センチほどの残雪が残っている場所もあります。数万株の群生地へ行くと、カタクリの片葉が出始めていました。別名カタゴ、カタカゴ(堅香子)、ハツユリ(初百合)といいます。花は温度により開閉します。17-20度で開花し、25度では完全に反り返るといいます。気温はそれほどなくても、直射日光に当たると温度が上昇するようです。種にアリが食料とするエライオソームという物質がついているため、アリによって運ばれるアリ散布植物です。アリがいなくなると絶滅します。
もののふの 八十娘(やそおとめ)らが 汲み乱(まが)ふ 寺井の上の 堅香子(かたかご)の花 (万葉集/大伴家持)
氷河期の生き残りといわれるウスバシロチョウの食草、ムラサキケマンが朝露を浴びて光っていました。チャボガヤも艶々と。

 ダンコウバイが一気に咲き始めました。仄かな香りがあります。フユヅタも活き活きとしています。白樺は高原の樹木と思っている人も多いと思いますが、信州では標高500メートルぐらいの里山にも普通に自生しています。早春に白樺は水分を大量に吸い上げます。白樺林を歩いていると、晴天なのに空から雨が降ってくることがあります。吸い上げた水分が枝先などから降ってくるのです。これを集めたのが信州の高原でよく売られている白樺水。天然のキシリトールが含まれています。

 今回は飛び始めた蝶の撮影も目的でした。たくさん見られたのは緋縅蝶と天狗蝶でしたが、お目当ては蒼い提督と呼ばれる瑠璃立羽だったのです。たった一頭見つけたのですが、撮影は叶いませんでした。少し出現が遅いような気がします。

 残雪の上に黄色い実が落ちていました。寄生植物のヤドリギ(宿木)の実です。この実はサポニンが含まれ有毒なのですが、緋連雀の大好物なのです。緋連雀が食べてそれを排泄するのですが、ヤドリギの実は非常に粘性が強く、糞とともに樹上にへばりついて増えていくのです。カタクリやスミレがアリ散布植物なら、ヤドリギは鳥散布植物なのです。ちなみにヤドリギの実は有毒ですが、一粒ぐらいならどうということはありません。ネチャネチャしていますが、ほんの僅かに甘みがあります。真ん中はニワトコの新芽。山菜として食べる地方もあるようですが、これも有毒で美味しいというほどでもないので私は食べません。最後はノビル(野蒜)。乞食ネギなんていう酷い俗称もありますが、古事記に載っているほどの野草なので、古事記ネギと呼ぶべきでしょう。ノビルの味噌焼きノビルのおやきノビル餃子は絶品です。ノビルの松前漬けもおすすめ。全て私のレシピです。

 最後に天城山(てしろやま)西の芝山へ。ここからは千曲市の雨宮田んぼと有明山、森将軍塚古墳が見えます。ホワンとした暖かい空気が、本格的な春の訪れを感じさせました。帰りに長坂峠の尾根筋で、突然ニホンカモシカが出現。その距離5m足らず。私も驚きましたが、ニホンカモシカはもっと驚いたようで、ブキャッというような叫びを残して駆け去りました。たぶん母親のシロです。まだ冬毛でしたが、来週中には落ちるでしょう。

GWに妻女山里山デザイン・プロジェクトの仲間と登った妻女山から貝母群生地経由で鞍骨城跡と象山のフォト・ルポ

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◉ふたつとも本当に珠玉のライブ。アイドルとは別のそれ以上の実力と感動を与えるライブ。マスコミは本当にいいものを伝えない。このすばらしい二つのライブを、大好きな、彼女と同世代の美しく可愛い女性Hさんに捧げましょう。彼女に幸あれと。さて、私は仕事です。

【今夜のライブ】 AYA MATSUURA 松浦亜弥 Full Concert ☆ Maniac Live Concert :2009年の珠玉のライブ

【今夜のライブ】 AYA MATSUURA 松浦 亜弥 Full Concert ☆ Fan Club Event 2010 Maniac :2010年の珠玉のライブ
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自称アイドル評論家でもある私? 米政府の愚民化政策としてのアイドルからの脱却

2014-03-26 | BABYMETAL・LOVEBITES・XG・宮本佳林・ジャズ・クラシック
 そもそもアイドルというのは、米が自国民の愚民化政策に用いたものを、戦後GHQが日本国民の愚民化政策に応用したものなのです。戦後の日本占領政策に3S政策を実行した。3S政策とはSports, Screen, Sexの3Sを使って若者から政治や経済への関心をそらし愚民化するというものでした(3R、5D、3S政策)。アイドルだけでなく芸能人や人気者に頼り、民衆の不満をそらすということは、かなり昔から世界の権力者は気付いて実行してきたことでもあるのです。権力者が、園遊会とか国民栄誉賞とかいって芸能人やスポーツマンを取り込みたがるのには、そういう歴史的理由があるのです。しかし、だからといって芸能や芸術の全てが、そういうものを目指した不純なものであるというのは間違いです。愚民化政策としてのアイドルからの脱却。それが今回のテーマです。大手代理店が金の力で捏造し、ゴリ押しするアイドルは、いずれ必ず消滅します。それが歴史の習い。

可能ならば、YouTubeに飛んでHDでフルスクリーンで見てください。
その選考プロセスから異色です。リーダーはハロプロ研修生でもない。サブリーダーは、ハロヲタから研修生の特待生になっての抜擢。後の二人は研修生の実力派。もうひとりは類まれな才能を秘めた美人。しかし、現在の彼女らのパフォーマンスを見ると、その選考は間違っていなかったと思うのです。今最も伸びしろのあるグループ。既に海外の熱いファンも。
Juice=Juice 『裸の裸の裸のKISS』[HADAKANO HADAKANO HADAKANO KISS](Dance Shot Ver.)


雑誌セブンティーンとの提携で、私服路線をとったのは、明らかに既存の男のハロヲタだけでなく、女性ファンの獲得を目指したもの。
Juice=Juice 『アレコレしたい!』[I want to do a lot of things!](MV)


彼女たちは、『まっさらブルージーンズ』の頃から知っていますが、挫折を乗り越えてきた実力は、現在のアイドル界ナンバーワンと言っていいでしょう。フランスの名門ライブハウス、ル・シガールでの公演の成功、2日に渡った武道館ライブの成功と、その実力は折り紙つき。実はマスコミや業界関係者にファンが多いのも頷けます。
℃-ute 『Love take it all』(MV)


Juice=Juiceの『アレコレしたい!』と同様、私服路線のMV。私も昔はモデルの撮影をディレクションしていたのでファッションには少々煩い。少し前まで℃-uteは、一時期どうしたんだこの風俗系の衣装は?(セクシーではなく下品)などという路線だったのですが、やっとまともになったようです。女子大生など知的レベルの高い女性ファンが多いのも特徴。私の友人の医師は父娘ともファンだそうです。
℃-ute 『心の叫びを歌にしてみた』(℃-ute[A Song from my Cying Heart]) (MV)(+ 再生リスト)


伝説のファクトリー・ライブ。15歳の彼女が、オルケスタ・デ・ラ・ルスとかバリバリのプロを聴きに来た大人の観衆にシークレットで歌い出す。ざわつくも黙らせた彼女のピュアな歌唱力は必聴。バックバンドの豪華さも必見。
松浦亜弥 - ひこうき雲~LOVE涙色


もうこれはカバーの域を完全に超えている。これ以上何を求めよう。
あなたに逢いたくて~Missing You~ -- 松浦亜弥


竹内まりやが、今の20代の歌手で一番上手いといい、椎名林檎も絶賛した彼女。
みんなひとり 「Maniac Live Vol.3」 松浦亜弥


待ち合わせ』このムービーの前半の彼女の話を聞くと、全盛期のアイドルがどういう状況に置かれていたかが分かるはず。私が知っているアイドルも社会常識が全くなかった。現在の松浦亜弥が普通の感覚を得るために歌うことを止めていたのは実に真っ当なこと。本当に可愛い女性です。一年に一度でもいいから歌い続けてほしい。『想いあふれて』。

J-POPとMETALロックが融合したKAWAII METALが世界を魅了している。可愛いだけでなく、世界が認めるその実力は折り紙つき。バックの神バンドの実力も世界レベル。SU-METALの透明な歌声は、全世界のメタルファンのハートを掴みつつある。


沢田研二/一握り人の罪 テレビは絶対に流さないだろう。

愚民化政策の前に米政府がした国際的犯罪が10万人以上の罪もない一般市民を虐殺した東京大空襲。ここから福一の大事故まで、ベトナム戦争後の123便事件。プラザ合意。バブルとその崩壊。実は全てがつながっているのです。脳天気な日本人・・・。なんとなく日本は永遠に続くと思っているあなたは、完全に無知蒙昧な愚民。
1945 The Greatest Bombing of Tokio 3 of 4


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■『国分寺・国立70Sグラフィティ』春樹さんと本と学生時代に読んだ本について。僕は自転車と雑学が好きだった。村上春樹さんの国分寺「ピーター・キャット」の想い出。彼のカタルーニャ・スピーチは必見。日本を滅亡に導いた者達。
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貝母が芽吹き、ヒオドシチョウが舞い始めた早春の妻女山と茶臼山(妻女山里山通信)

2014-03-24 | アウトドア・ネイチャーフォト
 暖かくなってきたので妻女山から久しぶりに天城山(てしろやま)まで足を伸ばしてみました。陣場平の編笠百合(貝母)は、まだ最低気温が氷点下なのでアントシアニンが増えて赤紫になっています。連休が終われば最低気温も上がる予報なので、この赤紫も消えるでしょう。北面の林道を辿ると、まだ積雪が20センチほどあり、カタクリの群生地では片葉さえ全く出ていませんでした。倉科や戸倉の節分草の群生地も、まだ積雪があって全く開花していないそうです。黄色い花を鈴なりに咲かせるキブシもまだ固い蕾のまま。日当たりの良い尾根に出ると、ダンコウバイの蕾がほころびそうでした。

 やっと汗ばむような日差しになりましたが、風はまだ冷たい。それでも斎場山に登ると、ヒオドシチョウが日向ぼっこをしていました。この春初見です。昨年は3月9日でしたから、今年はずいぶんと遅れています。2009年は、節分草が3月2日には咲き誇っていましたから、今年は一ヶ月近く遅れているということです。山蕗もやっとぞろぞろ出始めました。ポケットへ詰め込んで持ち帰り、蕗味噌にしました。スギヨの竹輪とかき揚げにしても美味です。信州の春には欠かせない味です。苦味のある山菜は、冬に溜まった毒素を抜く役目もあり、熊やニホンカモシカも食べます。

 帰りに妻女山展望台に立ち寄ると、戸隠連峰がくっきりと見えました。高妻山は、別名を戸隠富士ともいいます。あんずの里の森への入り口に富士見橋というのがあるのです。富士山など見えないのに不思議だなと思っていたのですが、そこから戸隠富士が綺麗に見えることに気が付きました。

 翌日は、茶臼山に登ってみました。3月2日に次男と登った時には、20センチから40センチの積雪をラッセルしながら登ったのです。さすがにその多くは消えていましたが、日陰にはまだ相当な残雪がありました。最初のカットは、残雪のある棚田から白馬三山と神話の山・虫倉山。二枚目は、鹿島槍ヶ岳。三枚目は、水温む溜池。今年の啓蟄は、3月6日だったのですが、二週間も遅れて虫達が活動を始めたということです。

 帰りに茶臼山登山口の駐車場に戻り、東を見ると、奇妙山の奥に根子岳と四阿山が大きくそびえていました。手前では、長野オリンピックスタジアムの向こう側に、長野パルセイロのホームとなるサッカー場が急ピッチで造られています。山際の旧屋代線跡地は、サイクリングロードになることが決まっています。今後は、今まではあまり注目されることがなかった、妻女山など長野市南部の里山が注目を浴びることになるだろうと期待しています。


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★妻女山(斎場山)の歴史については、「「妻女山の真実」妻女山の位置と名称について」。をご覧ください。「きつつき戦法とは」、「武田別動隊経路図」などリンク記事も豊富です。
このブログでもページの右上で「妻女山」や「斎場山」、「川中島合戦」、「科野」などでブログ内検索していただくとたくさん記事がご覧いただけます。主に古代科野国と戦国時代、幕末から明治維新にかけての記事がご覧頂けます。
川中島合戦と山名についての考察。斎場山と妻女山まとめ。関連記事のリンク集も


★妻女山山系の自然については、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、森の動物、特殊な技法で作るパノラマ写真など。蝶の写真はこちらにたくさんあります。

★ネイチャーフォトのスライドショーやムービーは、【Youtube-saijouzan】をご覧ください。粘菌やオオムラサキ、ニホンカモシカのスライドショー、トレッキングのスライドショーがご覧頂けます。

★妻女山(斎場山)のパノラマ写真は、「信州の低山1」のページ下部にたくさんあります。
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3.11以降見ておきたいムービーまとめ(妻女山里山通信)

2014-03-23 | 歴史・地理・雑学
3.11後のパフォーマンスでは、最も優れたもののひとつだろう。これは文明批判。
WORLD ORDER in WPC 2011


東京電力本店前、絵画館前、経済産業省前、脱原発テント、最高裁判所前、富士山、原子力発電所、3号機核爆発、太陽光発電所、風力発電所等。まもなく終わる東京のラストダンス。
WORLD ORDER "LAST DANCE"


フランスTVが伝えた福島の真実。日本のテレビは絶対に流さない極めて重要、且つ衝撃的な内容。
フランスFR3放送「フクシマ・地球規模の汚染へ」


死にたくなけりゃ東芝日立三菱の不買をすること。社畜の社員家族も奴隷に過ぎない。原発に殺されることに変わりはない。吉本隆明なんぞ忌野清志郎の爪の垢にも値しない糞だと分かった福一の大事故。人類は核爆弾ではなく原発で滅びると彼はすでに知っていた。
忌野清志郎 LOVE ME TENDER 【放射能はいらねぇ!】


デイドリーム・ビリーバーが至極。世間的にはこんなチャラチャラした男が、ずっと反原発を歌っていた。彼こそ真の先導者だった。バブルに浮かれる時代にメルトダウンや原発いらねえを歌った彼が福一大事故後の今生きていたら何を歌っただろうか・・。
忌野清志郎


体調不良にもかかわらず、心にしみる透明感のある歌声。36歳かな。ただただ美しい。
「揺れる想い」 ZARD


屑屋の清兵衛。こんな正直者は、今の政財界官僚マスゴミにはいないだろう。素晴らしく面白すぎる噺。東京の終焉で、江戸の文化も消えてゆく。
三代目古今亭志ん朝 - 井戸の茶碗


人間は何故にかくも愚かなのか。
Hiroshima & Nagasaki After the Atomic Bombings: Documentary Film - People, Radiation


彼女のピアノは生きる喜びに溢れている。圧倒的な技巧と豊かな表現力。彼女の美貌にも優る感動がある。
© Franz Liszt - Etude nr. 3, La Campanella - Alice Sara Ott(+ 再生リスト)


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編笠百合(貝母)が赤くなっていました。万葉集に詠われたという説も(妻女山里山通信)

2014-03-15 | アウトドア・ネイチャーフォト
 妻女山展望台までは、やっと普通に車で行かれるようになりました。まだカーブには雪が残っていますが。ほとんど溶けたと言っていいでしょう。しかし、そこから上の林道は北面のため、まだ20センチ以上の積雪があり、まず無理でしょう。平地は日陰を除いて雪は消えましたが、写真の西山にもまだ相当積雪がありそうです。本格的な雪解けはまだ先です。

 林道は圧雪ですが溶け始めて沈むため旧道と獣道を登って陣場平へ向かいました。林道を行く半分の時間で到着します。陣場平は、川中島合戦の時に上杉謙信が七棟の陣小屋を建てたと伝わる平地です。同じように日が当たるのに、なぜか毎年低い北東側の方から雪が消えていくのです。八角形の菱型基準測点の辺りが最初に溶けます。地温が違うのでしょうか。麗らかな天気だったので、緋縅蝶や瑠璃立羽が舞うかなと思ったのですが、まだでした。

 編笠百合(貝母:ばいも)の芽は、先日は緑だったものが、赤くなっていました。早朝の厳しい冷え込みでアントシアニンが増えたからでしょう。雪の残る場所からも芽が出ていました。貝母の持つ体温で雪を溶かしながら成長したのです。雪の下には、まだたくさんの貝母の芽が眠っていることでしょう。これが4月中旬からゴーデン・ウィークにかけて、一斉に咲き乱れるのです。といっても地味な花なのと、林道からかなり入った場所にあるので、気づく人はほとんどいません。そして、梅雨前には溶けるように消えてしまう春の儚い命です。万葉集に「時々の 花は咲けども 何すれぞ 母とふ花の 咲き出来ずけむ」(丈部真麻呂)という句があるのですが、この「母とふ花」が貝母であるという説があるのです。薬用に江戸時代に持ち込まれたとも言われていますが、案外古いのかもしれません。鱗茎にアルカロイド系の有毒成分があるので、薬用にはなっても食用にはなりません。花はニホンカモシカが食べるのを見たことがあります。

 貝母を撮影していると、前方の落葉松林の向こうに黒い影が二つ見えました。ジッとこちらを見ています。ニホンカモシカの親子です。シロとブランカでしょう。子連れでいるときは母親のシロが警戒するので、なかなか近づかせてくれません。手を振りながら、声をかけながら少しづつ近づいたのですが、どんどん歩いていきます。呼び止めると止まりましたが、近づくとまた歩き出します。最後は鼻からシュッという威嚇音を発して塒(ねぐら)のある谷へ駆け下りて行ってしまいました。まあ仕方がない。午後は単独で行動していたので、午前中だけ母子で移動しているのでしょうか。相変わらず冬毛のままでした。

 山蕗を採った帰りに亡きKさんのログハウスへ。デッキの掃除をしてから北アルプスを見ながらおにぎりを食べました。食後、大雪で倒れた落葉松の枝を切って片付けました。ふと屋根を見ると、前回は気づかなかったのですが、屋根の一部に枝が当たったようで、少し壊れていました。もう一本、倒れたら直撃しそうな斜めに生えた落葉松があり心配です。伐採するにもロープで吊っておいてしないと無理でしょう。古墳の福寿草の黄金色のパラボラアンテナが全開でした。野毛壇と呼ばれる北面の斜面には、イノシシが必死で餌を探した痕跡がありました。これは鼻で掘り返した跡です。あの豚鼻で耕耘機の様に掘ってしまうのですから、その威力は驚異的。

 梅の蕾がかなり膨らんできましたが、咲くのはまだまだ。早春に里山を黄色く彩るダンコウバイの蕾もまだ固いままです。いつものログハウスからの景色。左から蓮華岳。そのすぐ右奥に針ノ木岳。右へずっと行って雲に隠れた爺ヶ岳。一番右に鹿島槍ヶ岳。猫耳の双耳峰が、同じ様に雲に隠れています。千曲川の上を直線で渡る長野新幹線。手前に更埴ジャンクション。今日は小鳥のさえずりがあちこちで聞こえました。
 一週間ほど前に鳥を撮影しようとして散歩中に、近所のお宅近くで見かけたものの撮り損なった鳥が、今朝窓を開けたら隣家の屋根に留まっていたのですが、そんな時に限って手元にカメラがない。慌てて取りに行ったら、飛び立った後でした。眼の周りが白いスズメの倍ぐらいの鳥なのですが、メガネをしていなかったので同定もできないまま。なんだかもやもやしています。茶色ではないのでツグミではなさそうだし。たぶんムクドリなんでしょうけど・・。そうそう、そのお宅の貝母が芽吹いているのを見つけたので、帰って我が家の庭を見ると、日当たりが悪いのでそのお宅よりは小さいのですがちゃんと芽吹いていました。

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初物の山蕗を採りに行ったらニホンカモシカと出会った(妻女山里山通信)

2014-03-08 | アウトドア・ネイチャーフォト
 もう雪景色は飽きましたと書いたのですが、さすがに山蕗は出ているだろうと妻女山の奥山へ。編笠百合(貝母)も芽が出たかどうか気になります。展望台のある旧赤坂山の妻女山松城招魂社は雪も溶けて麗らかでしたが、そこから北面の林道はしっかりと積もっていました。樹上で盛んに小鳥がさえずっているのですが、鳴き声だけで種類が分かるほどの知見は持ち合わせていないので、ただ佇んで聴いていました。春の喜びの歌です。

 長坂峠へ向かう北面林道には、ちょうど一週間前に次男と登った時の足跡が残っています。その時は足が雪に埋まって歩くのが大変でしたが、今回は凍って雪渡りが出来る状態。林道を詰めて足跡も全くない場所へ。そこは妻女山山系で最も早く山蕗が出る場所なのです。予想通り10個ほど初物が採れました。蕗の天ぷらになりました。山蕗は里蕗と種類は一緒ですが、味の濃厚さが全く違うのです。山蕗を里に持ってきて植えても、里蕗の味になってしまいます。畑は過栄養なのでしょう。

 戻って亡き友人のKさんのログハウスへ寄ろうと道もない森を下って行くと何かの気配がしました。見下ろすとニホンカモシカが一頭、こちらを見ていました。シロの双子の兄妹の内の妹のブランカの方です。シロ自体が兄妹の双子だったので、親子二代で双子を産んだという実に珍しいケースです。時々手を振りながら静かにゆっくりと近づいていきました。まだ冬毛のままです。最高気温が10度を超えるようになると冬毛がおちて夏毛になります。ブランカは夏毛になると、白っぽい山羊のようになります。限界距離を超えたところで逃げ出しましたが、呼び止めると止まってジッとこちらを見ていました。ウシ科なのでどうにも好奇心が強いのです。ここでブランカと別れてログハウスへ。

 ログハウスから見る千曲川と北アルプスの風景は、Kさんが亡くなる前と少しも変わりません。今年も福寿草が一面に咲いています。前回来た時は、雪でかなり傷んでいたのですが、復活したようです。古墳の上にもたくさん咲いていました。カタクリなどと同じく初春に花を咲かせ、夏までに光合成をおこない、それから春までを地下で過ごす、典型的なスプリング・エフェメラル(春の妖精・春の儚い命)です。漢方薬にもなりますが、毒草です。花言葉は永久の幸福、思い出、幸福を招く、祝福。

 編笠百合の様子を見ようと坂道を登ると、Kお婆さんの森のコナラの大きな木が四本も倒れていました。これはいずれ始末しなければなりません。椎茸のホダ木にでもしましょうか。薪もたくさん取れそうです。もちろんKお婆さんには承諾を得ています。陣場平に出ると雪の溶けた部分に編笠百合の艶々とした芽が出ていました。去年より若干遅い感じです。4月中旬からGWにかけて見事な花畑を見せてくれるでしょう。ここはヤブだらけで、編笠百合も絶滅しかかっていたものを、私が二年かけて切り開いて群生地を復活させたものです。元々は薬草畑でした。先日雪かきのお手伝いに行ったらT婦人が、うちに亡くなったお祖父さんが持ってきた貝母が植えてあって、それが増えて毎年咲きますよと言っていました。編笠百合は茶花として用いられるとも。風流で優雅なお話でした。貧しくとも、昔のほうが心にゆとりがあって豊かだったなと思います。

 林道へ戻る途中に、雪の重みで折れたカラコギカエデの翼果が逆光に透けていました。陽だまりの斜面では、この山で最初に咲くすみれ、アオイスミレの小さな葉が見られました。まだ固い蕾の梅圃の下ではオオイヌノフグリが咲き始めていました。

 妻女山展望台からは、まだまだ雪深い飯縄山が。飯縄山は長野市民の憩いの山ですが、山頂付近は放射線量が高めです。麓の戸隠高原や飯綱高原、野尻湖あたりの野生キノコや山菜は、長野県のホームページを見て汚染度を確認したほうがいいでしょう。

 最後にブランカの大きな写真を載せます。ここは、元々はブランカの母親のシロのテリトリーだったところです。ブランカはオスのプレット(黒)と双子ですが、実は母親のシロもクロ(オス)と双子だったのです。産んだのはマダムと私が呼んでいた母親。ニホンカモシカの双子は珍しいそうです。母娘で双子を生むというのは相当に稀なことなのだろうと思われます。その親子三代の変遷はこちらで御覧ください
 ニホンカモシカの親子は緩い縄張りを持ち、時に共有します。一日のある時間を一緒に過ごすこともあります。塒(ねぐら)もたぶんまだ一緒でしょう。ニホンカモシカは、本来はメス同士とその子供たちで共同生活をしていたと私は考えています。『遠山奇談』の記述にその描写が見られます。そのことについては、以前の記事「ニホンカモシカは昔、群れを作っていたのでは・・」をご高覧ください。
春よ来いの北信濃です。

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★妻女山(斎場山)の歴史については、「「妻女山の真実」妻女山の位置と名称について」。をご覧ください。「きつつき戦法とは」、「武田別動隊経路図」などリンク記事も豊富です。
このブログでもページの右上で「妻女山」や「斎場山」、「川中島合戦」、「科野」などでブログ内検索していただくとたくさん記事がご覧いただけます。主に古代科野国と戦国時代、幕末から明治維新にかけての記事がご覧頂けます。
川中島合戦と山名についての考察。斎場山と妻女山まとめ。関連記事のリンク集も


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川中島合戦の広場と松代文武学校と吉田初三郎展(妻女山里山通信)

2014-03-05 | 展覧会・イベント・コンサート
 もう雪景色は飽きましたね。3月というのに、春の気配は盛のついた猫の嬌声だけというのもなんだか・・。ちょうど息子二人が揃ったので用事ついでに松代へ。途中、上信越自動車道の松代SA(下り線)に立ち寄りました。ここは、外からも入れるので、地元のサラリーマンなどが昼食によく利用します。松代名物とろろ飯がなんと260円でしたかね。ちなみに上り線とは階段でつながっていますが、知っている人はわざわざ下り線の食堂に来るそうです。上り線には、地元の野菜の直売所もあります。ここは千曲川の南(右岸)で、松代町清野と思いきや、住所は北側の篠ノ井東福寺狐塚なんです。1742年(寛保2年)の大洪水、戌の満水の後の大規模な瀬直しで河道が変えられるまで、千曲川がこのSAの南側を流れていた名残なのです。この辺りは猫島といい、猫ケ瀬といって猫でも渡れるような広く浅い瀬があったところです。

 下り線から入り、初めて上り線に行ってみました。川中島合戦の広場というものがありました。千曲川や妻女山(斎場山)、海津城(後の松代城)が公園内に再現されているのです。海津城から妻女山(戦国時代は斎場山)へは、こんな短路ではなく、実際は西条の入から鏡台山手前の尾根を超え倉科に下り、兵馬で隊を整え天城山(てしろやま)から陣場平や斎場山へ攻め込んだと伝わっています。櫓は海津城を模したものです。向こうに本物の海津城跡が見えます。この後、牡丹雪の吹雪になりました。やれやれでした。妻女山を襲撃した武田別働隊に関しては、以前の記事「『第四次川中島合戦』啄木鳥戦法の検証」をお読みください。

 次に用事を済ませて真田宝物館駐車場へ。旧樋口家の前を過ぎて国指定史跡 真田邸(新御殿)の白塀に添って文武学校へ。昔の武士は背が低かったので、これぐらいの高さで充分だったのでしょうか。刀を立てかけて塀を越える忍者がよく時代劇に出てきましたが、背の高い息子達だとジャンプしたら簡単に超えられそうです。文武学校は改修中で、奥の建物が見られませんでしたが、その代わり無料でした。

 文武学校は、松代藩八代藩主・幸貫が水戸の弘道館にならって計画し、九代・幸教の時代、1855(安政2)年に開校にした松代藩の藩校です。孔子廟がなく、儒教ではなく、東洋・西洋の医学、小笠原流礼法、西洋の軍学などの先進的な教育が行われていました。剣術所から人の気配がするので、木戸をくぐって中庭に入って見ると、袴姿の男性が居合抜きの稽古をしていました。息子達と静かに見学。その後お話を聞かせて頂きました。戸山流居合道だそうで、陸軍戸山学校の軍刀術として古流居合の剣技を実戦的な立ち居合中心に組み立て、大正14年に制定したものだそうです。使っているのは、もちろん真剣です。なんとも言えない緊張感がありました。松代は剣道が盛んで、私も中学校時代にやりました。剣道の防具は洗えないので臭いのが嫌でしたが、剣道は好きでした。

 西序と東序では、雛人形が展示されていました。なかなか立派なものです。顔の形や表情でだいたいの時代が分かります。文武学校は、昭和期まで松代小学校の教室として実際に使用されていました。こういう校舎で学べた児童は幸せ者だと思います。

 中庭からは南方に武田信玄が狼煙をあげさせたノロシ山が見えます。西所の前には木肌が特徴的な花梨の木がありました。花梨はマメ科シタン属で、実を食べるバラ科のカリン(榠樝)とは全く別の種です。南洋材で日本では八重山諸島が北限です。これは趣向で植えられたものでしょう。赤茶色の美しい材で、家具や床柱、楽器などに用いられます。

 帰りの403号線から見た象山から鞍骨山への山脈。右へ辿ると天城山経由で妻女山。御姫山をずっと南へ辿ると鏡台山。翌日は、千曲市の長野歴史館へ次男と「大正広重」と呼ばれた鳥瞰図絵師 吉田初三郎を中心とした『戦前の観光信州展』を見に行きました。大人から子供まで楽しめる非常に面白い展覧会でした。3月9日(日)までやっています。以前このブログで「吉田初三郎作鳥瞰図『長野電鉄沿線温泉名所案内』」という記事を書きました。今回は、その地図が3点セットで1000円という安さだったので買い求めました。彼の絵地図はネットでも画像検索をするとたくさん見られますが、やはり原画は大きく迫力がありました。春が待ち遠しい信州です。

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★妻女山(斎場山)の歴史については、「「妻女山の真実」妻女山の位置と名称について」。をご覧ください。「きつつき戦法とは」、「武田別動隊経路図」などリンク記事も豊富です。
このブログでもページの右上で「妻女山」や「斎場山」、「川中島合戦」、「科野」などでブログ内検索していただくとたくさん記事がご覧いただけます。主に古代科野国と戦国時代、幕末から明治維新にかけての記事がご覧頂けます。
川中島合戦と山名についての考察。斎場山と妻女山まとめ。関連記事のリンク集も
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雲海に埋まった善光寺平を見に茶臼山へ行ったのですが・・(妻女山里山通信)

2014-03-02 | アウトドア・ネイチャーフォト
 朝目覚めて外を見ると不思議な光景が。茶臼山の頂上が見えているのにその下に帯状の雲が山脈を覆っているのです。姨捨・千曲川展望公園のライブカメラを見ると、眼下の善光寺平に蓋をする様に雲海が覆っています。これは面白いと次男と朝食を食べてから出かけました。

 茶臼山に向けて車を飛ばし、茶臼山動物園入り口を過ぎた頃から雲の中に突入。前を行く青いジムニーが消えて行きました。そして、尾根の信里小学校の手前で雲海から抜けました。茶臼山登山口の駐車場へ、20センチ余りの雪をかき分けて到着。善光寺平を見ると眼下に雲海が。その上に浮かぶのは、五里ヶ峯から一重山に続く五一山脈。なかなか幻想的な風景です。

 せっかく来たのだからと茶臼山へ。雲海が上がって来て茶臼山も雲の中。20~30センチの積雪をラッセルしながら登山道を登ります。杉林では雪のための倒木が何本も見られました。赤松の枝は積雪に弱いので、あちこちに落下した枝が散乱。

 山頂は展望がないので、アルプス展望台へ。しかし、アルプスどころか、眼下の山布施の集落さえ見えませんでした。仕方がないので戻ります。ベニヒワと思われる群れが樹冠を飛んで行きました。

 駐車場に戻ると、気温の上昇と共に雲海も上がって来ました。さっきまで見えていた五一山脈も雲の中。なにも見えません(笑)。

 たくさんぶら下がっているのは、山藤の実。さやの中にある豆は炒って食べられます。新芽や花も天ぷらで。尾根の反対側の山布施の集落は、雲が取れて見えて来ました。けれども反対側の善光寺平側は、すっかり雲の中。とても3月の風景とは思えません。

 そんな頃、長男は、森林(もり)に学ぶネットワークという会で、飯綱にいました。昨日は卒論の発表などをしたようですが、なかなか好評だったようです。ちなみに彼の卒論のテーマは「後氷期の長野市 逆谷地湿原における植生変遷と人間の活動」というもので、湿地の地中に含まれる花粉分析をして研究結果をまとめたものです。逆谷地湿原は、飯綱高原にある4ヘクタールの小さな湿原ですが、数万年の歴史を持つ非常に古い貴重なものなのです。作夏には、私もボーリング調査に同行し、お手伝いをしました。添付の写真は、「市民の森ながの」が主催した、かんじき作り体験教室のものです。かんじきを作って森を歩こうという企画。スパイラルに立ち寄って、ボブスレーを見たりしたそうです。かんじきは、私がもらいました。妻女山で使おうと思います。かんじきの輪の木は、リョウブだそうなので、自分でも作れそうです。

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亡きK氏のログハウスへ。福寿草が咲いていました(妻女山里山通信)

2014-03-01 | アウトドア・ネイチャーフォト
 春休みに帰省した次男と妻女山へ。長男は泊まりで戸隠へ卒論の発表に。このところの温かさでかなり雪は溶けましたが、妻女山は北面から登るので、場所によっては30センチ以上残雪がありました。

 展望台から善光寺平を望むと、眼下の長芋畑は、融雪剤を撒いたところはもう雪が全くありません。林道を登ると、前回来た時にはなかった赤松の大きな枝がいくつも落ちていました。やはりかなりダメージを受けていたようです。林道をラッセルしながら登って行くと、ヤマガシュウのつるにウスタビガの繭がいくつも付いていました。もちろん主は秋に羽化して空っぽです。さらに林道を登ると、道の真ん中に赤松が生えています。いやいや、落ちた大きな枝が刺さっているのです。

 前回は見られなかった動物達の足跡もあちこちに。まずはニホンカモシカ。ついでイノシシ。副蹄が低い位置ではっきりしているので分かります。昨年140キロのオスが罠にかかりましたが、この個体もかなり大きそうです。最後はタヌキ。

 長坂峠に出ると南面はほとんど雪がありませんでしたが、尾根の林道には残っています。松ぼっくりが大量に落果。コナラのドングリがまず目に入りました。つぎにクヌギの丸っこいドングリ。そうそう、妻女山里山デザイン・プロジェクトの面々で駒打ちした椎茸がいくつも出ていました。今春は期待できそうです。春にまた新たな駒打ちもします。この時期に出る天然のエノキダケを探したのですがありませんでした。

 亡きK氏のログハウスへ行くと、ジャノヒゲの青い実が艶艶と光っています。古墳の南面と向かいの斜面には福寿草が。おそらく降雪前に咲いたのでしょう。花が傷んでいます。奇麗に咲くと太陽に向かってパラボラアンテナの花びらを広げるのですが・・。クヌギの幼木に付いた不思議なボンボンは、クヌギエダイガフシといって、クヌギエダイガタマバチによる虫こぶ(ゴール)です。虫が特殊なホルモンを出して、植物の一部を奇形化するのです。中に卵を産みつけ、その中で育ちます。虫こぶの世界は深いです。そして様々な形態や色があり、見飽きません。

 古墳もログハウスもそのままでした。主を失ったログハウスは、まるで時が止まったままのようです。ログハウスに至る道には、雪解けの水たまりがあり、イノシシのヌタ場(泥浴び場)になっていました。最後のカットは、妻女山里山デザイン・プロジェクトの面々で創作した「森の揺り籠」という現代芸術作品です。

 有線から正午の音楽が流れたので下山しました。ツグミの小さな群れが樹冠でさえずっています。3月になりましたが、北信濃の春は、もう少し先のようです。

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★妻女山山系の自然については、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、森の動物、特殊な技法で作るパノラマ写真など。蝶の写真はこちらにたくさんあります。

★ネイチャーフォトのスライドショーやムービーは、【Youtube-saijouzan】をご覧ください。粘菌やオオムラサキ、ニホンカモシカのスライドショー、トレッキングのスライドショーがご覧頂けます。

★妻女山(斎場山)のパノラマ写真は、「信州の低山1」のページ下部にたくさんあります。
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