昼前、長野オリンピックの金まみれのIOC主催、税金の無駄遣い聖火リレー(聖火というのは日本だけ。他国はトーチ、つまり松明と呼んでいます。聖火リレーを始めたのはヒットラー。最初から国威発揚の道具だったわけです。今はIOCの金儲けと中国の失敗したプロパガンダのため。)の馬鹿騒ぎを見てから、買い物ついでに実篤公園と旧甲州道中瀧坂の切り通しに寄りました。つれが5月13日から仙川のカフェギャラリーniwa-coyaで行う「林真理 水彩画展 -仙川を描く-」で販売する「仙川お役立ちマップ」のバージョンアップ拡大版の古跡確認のためです。
実篤公園は、いわずと知れた白樺派、武者小路実篤の旧家跡です。国分寺崖線に建つ旧家は、現在は公園となって無料公開されています。(併設の記念館は有料です。)家は、崖線の傾斜地を上手く使って建てられています。写真のように旧鎌倉道を挟んでふたつの池があり、上の池にはニジマス、下の池には鯉がいます。ちょうど立浪草(コバノタツナミ)が咲いていました。他には、イカリソウ、ツツジ、シャガなど。孟宗竹の竹林には、1mぐらいに育った筍が何本も生えていました。私達が帰ろうとする頃に、10人ほどの見学者が入ってきました。仙川の観光スポットです。
次に北上して滝坂道に出て甲州街道の歩道橋を渡り、西の滝坂を眺めます。中程の写真右下に入っていく道が、旧甲州道中瀧坂の切り通しです。右へ行く広い通りは深大寺表参道のひとつでした。昔はもっと狭く、左の滝坂道(南街道)とは、十字路ではなく、ずれていました。
大正時代の地図を見ると、右手の角には、まゆ買場がありその向こうが、戸長田辺家で、新選組の近藤勇が出稽古に来ていたそうです。その向こうが馬宿川口屋。入口の角に馬宿川口屋と旧瀧坂の標石があります。この標石は新しい物です。滝坂の切り通しを下っていくと中程で左手に薬師如来像と地蔵(首無し地蔵)が見えてきます。地元の人が花を欠かさずにたむけているようです。さらに下ると左手の新しい甲州街道の滝坂の斜面に石段が見えます。けれどもガードレールで通行止めになっていて、現在は使われていません。この石段は、通りの向こう側にもあります。
これは、昔の鎌倉街道のわき道が、新しくできた甲州街道を横断するために造られたもので、交通が激しくなってからは危険なため通行止めになったものです。知っている方は、トマソンの典型というとご理解いただけるかと思います。旧鎌倉道は、国分寺崖線の中腹を通り、実篤公園の真ん中を通って、若葉小の中を抜け、大坂からの玉川府中道と合流して、狛江方面へと続いていました。
入間川(いりまがわ)は、甲州街道より北は暗渠になっていますが、これより北では中仙川と呼ばれています。大川ともいいます。甲州街道の北で支流が4つぐらいに分かれます。そのうち二つが中仙川遊歩道となっており、西側の遊歩道を辿ると、中央高速に辿り着き、側道に沿って西へ歩くと深大寺に着きます。仙川は、仙ケ谷(せんがや)の転訛で、昔上仙川に千釜と呼ばれる泉があり、仙人が住んでいたそうで、いつしか仙川と呼ぶようになったとか。ちなみにつつじヶ丘は、昔は金子でした。詳しくは「仙川お役立ちマップ」を。
また、甲州街道の南側には、いりま橋があり、その仙川へ伸びる坂は「売地の坂」といい、昔の京王線の跡なのです。一部ですが当時のコンクリートと鉄パイプの柵が現存しています。京王線は、本当は中央線が通るはずだったのですが、沿線の農家が桑畑が汽車の煤で汚れると猛反対して実現せず、後に電車なら汚れないと1913年に京王帝都電鉄が開通したものです。
こんな感じで、新しい地図はB4に拡大。歴史・古道の記述も増えました。さらにAEDの新しい設置箇所も加え、当地で見られる動植物昆虫も掲載。読み応えのある、なかなか興味深いお役立ちマップになっています。ぜひ5月13日からの展覧会場でお求めください。200円で販売の予定です。よろしくお願いします。
実篤公園は、いわずと知れた白樺派、武者小路実篤の旧家跡です。国分寺崖線に建つ旧家は、現在は公園となって無料公開されています。(併設の記念館は有料です。)家は、崖線の傾斜地を上手く使って建てられています。写真のように旧鎌倉道を挟んでふたつの池があり、上の池にはニジマス、下の池には鯉がいます。ちょうど立浪草(コバノタツナミ)が咲いていました。他には、イカリソウ、ツツジ、シャガなど。孟宗竹の竹林には、1mぐらいに育った筍が何本も生えていました。私達が帰ろうとする頃に、10人ほどの見学者が入ってきました。仙川の観光スポットです。
次に北上して滝坂道に出て甲州街道の歩道橋を渡り、西の滝坂を眺めます。中程の写真右下に入っていく道が、旧甲州道中瀧坂の切り通しです。右へ行く広い通りは深大寺表参道のひとつでした。昔はもっと狭く、左の滝坂道(南街道)とは、十字路ではなく、ずれていました。
大正時代の地図を見ると、右手の角には、まゆ買場がありその向こうが、戸長田辺家で、新選組の近藤勇が出稽古に来ていたそうです。その向こうが馬宿川口屋。入口の角に馬宿川口屋と旧瀧坂の標石があります。この標石は新しい物です。滝坂の切り通しを下っていくと中程で左手に薬師如来像と地蔵(首無し地蔵)が見えてきます。地元の人が花を欠かさずにたむけているようです。さらに下ると左手の新しい甲州街道の滝坂の斜面に石段が見えます。けれどもガードレールで通行止めになっていて、現在は使われていません。この石段は、通りの向こう側にもあります。
これは、昔の鎌倉街道のわき道が、新しくできた甲州街道を横断するために造られたもので、交通が激しくなってからは危険なため通行止めになったものです。知っている方は、トマソンの典型というとご理解いただけるかと思います。旧鎌倉道は、国分寺崖線の中腹を通り、実篤公園の真ん中を通って、若葉小の中を抜け、大坂からの玉川府中道と合流して、狛江方面へと続いていました。
入間川(いりまがわ)は、甲州街道より北は暗渠になっていますが、これより北では中仙川と呼ばれています。大川ともいいます。甲州街道の北で支流が4つぐらいに分かれます。そのうち二つが中仙川遊歩道となっており、西側の遊歩道を辿ると、中央高速に辿り着き、側道に沿って西へ歩くと深大寺に着きます。仙川は、仙ケ谷(せんがや)の転訛で、昔上仙川に千釜と呼ばれる泉があり、仙人が住んでいたそうで、いつしか仙川と呼ぶようになったとか。ちなみにつつじヶ丘は、昔は金子でした。詳しくは「仙川お役立ちマップ」を。
また、甲州街道の南側には、いりま橋があり、その仙川へ伸びる坂は「売地の坂」といい、昔の京王線の跡なのです。一部ですが当時のコンクリートと鉄パイプの柵が現存しています。京王線は、本当は中央線が通るはずだったのですが、沿線の農家が桑畑が汽車の煤で汚れると猛反対して実現せず、後に電車なら汚れないと1913年に京王帝都電鉄が開通したものです。
こんな感じで、新しい地図はB4に拡大。歴史・古道の記述も増えました。さらにAEDの新しい設置箇所も加え、当地で見られる動植物昆虫も掲載。読み応えのある、なかなか興味深いお役立ちマップになっています。ぜひ5月13日からの展覧会場でお求めください。200円で販売の予定です。よろしくお願いします。