モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

貝母の芽吹き。信州にも遅い春の兆しが。福寿草、オオイヌノフグリ、虫こぶ、カマキリの卵塊(妻女山里山通信)

2022-02-26 | アウトドア・ネイチャーフォト
 23日朝の積雪を最後に、晴れの日が続き最低気温は低いのですが、最高気温が少しずつ上がり始めました。土曜日は最低気温はマイナス7度でしたが、最高気温が10まで上がりました。久しぶりに妻女山へ。陣場平の貝母(編笠百合)の芽吹きの確認に登りました。

 まず妻女山展望台へ。西方の仁科三山。里の雪は北側の日陰以外は消えました。厳冬の信州にもやっと春の兆しが訪れました。あちこちで果樹を剪定した枝を燃やす煙が立っています。

 その北側の白馬三山。右手前の茶臼山も随分と雪が解けてきました。その右奥の虫倉山はまだ残雪があります。

 北方の左に戸隠連峰と、別名戸隠富士の高妻山。右に飯縄山。雪が消えたので、これから春掘りの長芋の作業が始まります。冬越しの長芋は味が濃くて美味です。最近、松代では長芋を使ったクラフトビールが販売されました。

 妻女山の駐車場から右の林道を登ります。北面なので残雪がけっこう残っています。猟期が終わったので車の轍はありませんが、何人か山登りをした足跡があります。登り始めはカケスに威嚇されました。カケスはカラスの仲間ですが、他の鳥の鳴き真似をすることでも有名です。上ではコゲラのドラミングと、シジュウカラの鳴き声が。

 陣場平の入り口。西向きの斜面の雪が消えています。そのため、貝母の芽吹きもここが一番早いのです。

 出ていました。これは上の枯れ葉をどけて撮影したものです。踏まないようによく足元を見て入りました。ここ数年は暖冬が続いたので、芽吹きは2月10〜15日頃でした。今年は半月以上遅いですね。では、開花と満開も遅いかというと、そうはなりません。桜の開花が4月10日と予報が出ましたが、貝母の満開の時期は、それと同じなので、見頃は4月10〜20日頃になると思います。4月17日に私がインタープリターをする松代夢空間の「妻女山 花と歴史のハイキング」が行われますが、満開の貝母と桜が観られるでしょう。

 貝母のクローズアップ。赤紫なのは、まだ寒いのでポリフェノールのアントシアニンがあるからです。気温が上昇すると緑になります。

 近くにニホンカモシカの新しい糞がありました。貝母は全草が有毒ですが、ニホンカモシカは花を食べることがあります。咳止めの薬草ですが、成分は筋肉弛緩剤と同じ様なものです。

 貝母の大群生地のある陣場平は、まだかなりの残雪があります。晴れて表面が解けて凍っているので、雪渡りができる状態になりつつあります。この雪が消えるのは、これからの気温上昇もありますが、春雨が大雨になると一気に消えます。北側の日陰の雪もそれで消えるのです。春を呼ぶ恵みの雨なのです。

 陣場平の中程にある倒木の苔。まだ胞子嚢はあまり見られませんが、これから暖かくなるとどんどん発生します。山歩きをしていても、苔に注目する人はあまりいないと思いますが、なかなか面白いのです。拙書のエッセイでも粘菌で隠花植物の権威、南方熊楠を紹介していますが、奥深い魅力的な世界です。

 雪山を歩くのはけっこう疲れます。休憩をしに堂平大塚古墳のログハウスへ。眼下に千曲川、西山と北アルプスが見えます。ルイボスティーでまったりと休憩。静かでまったりとした時間が流れます。陣場平で登ってきた二人の女性と邂逅しました。林さんですかと。貝母の芽吹きと今年の満開の予報を伝えました。雪があっても登る人はけっこういるのです。

 古墳の南斜面の福寿草も増えていました。

 蜜はないのですが、多量の花粉を出すので3月に入ると昆虫が集まります。

 オオイヌノフグリもやっと咲き始めました。帰化植物ですが、全国で馴染みの花です。大きな犬の金玉(睾丸)という可哀想な命名には理由があります。

 花芽が膨らみ始めた梅の木に、蛾の蛹(さなぎ)。なんでしょう。マイマイガ (舞舞蛾)に似ています。大量発生すると大変な被害が出ます。夏に卵塊を駆除するのが最も効果的。殺虫剤や農薬は人体や他の動物、昆虫にも危険なので、除去して焼却するのがベストです。ネオニコチノイド系やグリホサート剤は絶対に使用してはいけません。
マイマイガの生態と防除について(長野市)

 戻る途中に雪の上になにかの昆虫の羽の様なものが散乱していました。楓の果実(種)です。おそらくカラコギカエデでしょう。自然界の相似律というのは、時に意外なもの同士を似させることがあります。

 クヌギの用木に得体のしれないもの。これはクヌギエダイガフシという虫こぶ(虫瘤)です。タマバチの一種のクヌギエダイガタマバチが寄生してできたものです。虫こぶ(ゴール)は、昆虫が寄生してホルモンを出して植物組織に異常な発達を促します。有名なものはマタタビで、虫こぶができることで価値あるものになります。

 カマキリの卵塊。雪が多い年は高いところに作るというのは迷信で、科学的根拠はないと証明されています。たとえ雪に埋もれても死滅することはありません。

 やっと見つけたウスタビガの繭。蛹はすでに羽化して空です。経年変化が非常に激しく、今年はヤママユガ(天蚕)もほとんど見られません。横浜在住の知り合いで、ウスタビガの繭でフクロウのストラップを、天蚕で布を織る人がいますが、12月に来た時はやはりほとんど見つけられなかったと言っていました。

 オニドコロ(鬼野老)。ヤマノイモ科ヤマノイモ属。自然薯や長芋の仲間ですが、有毒のアルカロイドを含むため食べられません。自然薯堀りをする人は、見分け方を完全に覚えておくことが必須です。妻女山山系にはどちらもあります。掘るのが極めて大変なので、私は長芋でいいです(笑)。山蕗がたくさん出るのは、春雨が降ってから。もう少し先になるでしょう。


上の画像は、2021年4月10日の貝母の開花状況です。開花は、4月2日頃でした。満開は15日。見頃は20日頃までで、21日ぐらいから散り始めました。30日にはかなり結実。おそらく今年も同じ様な状況になると思われます。妻女山駐車場の奥に、地図を掲載してあります。また、陣場平の入り口には看板が設置してあります。当ブログでは、貝母の開花状況をお知らせしていますが、コロナ前は富山、新潟、東京などからも見学者がありました。毎日数十人が訪れますが、タイムラグが有り里山なので密になるようなことはありません。体調管理をし感染症対策をしておいで下さい。私は保全作業をしながらガイドもいたします。お気軽に声をかけてください。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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2年ぶりに信州糀味噌の寒仕込み。手作り醤油と大豆ペーストと呉汁を土産に。大豆ハンバーグを作る(妻女山里山通信)

2022-02-19 | 男の料理・グルメ
 2年ぶりに信州糀味噌の寒仕込みをしました。前夜に雪が降ったので寒いです。3年前は、大きな釜で二つ作ったので、まだ食べ切れていません。というわけで今回は釜ひとつだけ。乾燥大豆で20キロ弱です。茹でると2.5倍に膨らみます。

(左)仕込みの二日前に釜を洗います。(右)一応油を塗っておいたのですが、かなり錆びていたのでサンドペーパーで落としてから洗います。

(左)大豆をバケツに入れて水洗いします。(右)浮いてきたゴミを流し、ある程度きれいになったらザルに移して水をかけて仕上げの洗いをします。大豆はサポニンが含まれているので水をかけると泡立ちます。同じマメ科のサイカチの実は、昔は石鹸の代わりに使われました。洗った大豆を釜に入れ、一晩水に浸します。翌日の夕方に火入れして炊き上げ、一晩熾き火で蒸らします。

 寒仕込みの当日。森将軍塚古墳。前夜に雪が降ったので里山も白くなりました。もう雪はいいです。

(左)大豆は前回より上手に炊けていました。2年前は茹ですぎて味噌も緩くなってしまいました。今年は上出来です。(右)水気を切ります。

 古い年代物のミンチマシーンで豆をペースト状にしていきます。前回は緩すぎてビール瓶の底で押さないと下りていかなかったのですが、今回はスムーズに出てきます。

(左)こんな感じで出てきます。モンブランみたいです。(右)この大きなザル山盛りで4杯分。

 分量分の作っておいた塩麹をよ〜く混ぜます。

(左)よ〜くよ〜く混ぜないと駄目です。(右)混ざったら味噌玉を作って味噌専用のバケツに叩き入れます。そして上から抑えて空気を抜きます。旧盆が過ぎた頃から食べられます。カビない様に上にラップを敷いて空気を抜き、冷暗所で常温保存します。

 少ないので2時間弱で仕込みは終了。昼餉です。ノンアルコールビールで乾杯。

 ゴミではありません。上のカットで分かる様に、一応お好み焼きです。N氏がひっくり返すのに失敗してぶちまけてしまったのです。生地は幻の小麦粉いがちくオレゴンを4割にとろろを6割。全卵4個に炒り粉とアオサ海苔。A氏のりんごが美味です。地大根の手作り漬物も。N氏が鶏の砂肝と軟骨を炒めておつまみに。牡蠣とイカのマヨネーズ焼きも作ってくれました。ひと通り食べ終わった頃に、用事で遅れたS氏が到着。

 最高気温は5度になるというのですが、北風が寒い。午後は少し晴れたのですが、なんと長野県北部に大雪警報が出ました。午後1時過ぎに解散。各自N氏に手作り醤油を一升瓶でもらい、余ったペーストと呉汁を分けました。塩麹が足りなくなって余った大豆ペーストはどう食べたらいいと言うので、ソイミートとしてハンバーグやコロッケにすると美味いよと言いました。呉汁はどうしましょう。柿の木に肥料としてあげようかしら。さてさて、大雪にならないといいのですが。

 その余った大豆ペーストをソイミート(代替肉)としてハンバーグにしました。前回は、マジックソルトやケイジャンスパイスで洋風にしたので今回は和風に。大豆ペーストに、玉ねぎ、人参、ヒジキ、クコの実、煎りゴマ、卵。手作り信州麹味噌、片栗粉、本味醂、キビ糖、鰹出汁粉、コショウで味付け。よく練って成形します。具を炒めてないので、蒸し焼きにしてから焼き目をつけます。非常に軽くて旨味がたっぷり。そのままでも美味しいのですが、おかずにするにはやや塩気が足りないので、N氏からもらった手作りの醤油を少しかけて。これははまります。鶏挽き肉とかアジの焼きほぐしとかを混ぜ入れてもいいし、衣とパン粉を付けてコロッケにしても美味しいと思います。

三連休は、信州人のソウルフード。手作り信州糀味噌の仕込み。手作りの馬鹿旨昼食(妻女山里山通信):2019年の仕込みです。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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アカデミー賞ノミネート、村上春樹原作「ドライブ・マイ・カー」を観に長野相生座・ロキシーへ。感動の大作!(妻女山里山通信)

2022-02-15 | シネマ・テレビ
 カンヌ国際映画祭で、脚本賞受賞ほか全4冠。アカデミー賞にノミネートされた村上春樹原作の「ドライブ・マイ・カー」を観に長野相生座・ロキシーへ出かけました。3時間に渡る大作でしたが、想像以上の面白さ。深い作品でした。正直言って、まだ自分の中で咀嚼しきれていません。原作の村上春樹さんの短編集『女のいない男たち」の「ドライブ・マイ・カー」に「シェラザード」と「木野」を加えて極めて緻密に濃密に構成されたストーリー。劇中劇のチェーホフの「ワーニャ伯父さん」が、もうひとつの原作といっていいほど重要な要素となっていて、最後の20分間は圧巻です。とにかく素晴らしい。
 私のブログの読者の方はご存知でしょうけど、学生時代に国分寺の村上春樹さんのジャズ喫茶、ピーター・キャットでアルバイトをしていたことを綴ったフォトエッセイ「国分寺・国立70Sグラフィティ」 村上春樹さんのピーター・キャットを中心とした70年代のクロニクルがあります。世界中からアクセスがあります。今回は事前に「ドライブ・マイ・カー」が収録された短編集「女のいない男たち」を買い求めましたが、あえて読みませんでした。全く同じでないことは分かっていましたし、先入観を刷り込みたくなかったからです。気が向いたら、これからゆっくりと読みます。映画は、村上ワールドの空気がそのままに漂っていたと思います。濱口監督の深く厚い力量に感服します。

 長野相生座・ロキシーは、長野市中心街の繁華街、権堂というところにあります。車で行くと時間が読めないので、久しぶりにしなの鉄道で行きました。何十両と連なった石油の貨物列車。上越市のタンクで積載し、坂城駅に向かいます。長野県は全国一、二を争うほどガソリン価格が高いのです。ガソリン税を減税するべきです。元売りに補助金など何の効果もない。2、3歳の頃、両親が畑仕事で忙しい時に、女子高生だった叔母の自転車の後ろに乗って線路近くの女子校へ。体育館でバトミントンをする女子高生には目もくれず、蒸気機関車や長い貨物列車を見ていました。今なら女子高生を見るでしょうけれど(笑)。これは、実は映画の伏線です。

 長野駅には、4月から始まる予定の善光寺御開帳の大きな提灯が。底に大きなQRコードがあるのが可笑しい。あれ使う人いるのでしょうか。映画館までは北へ15分歩きます。東急デパート横の鄙びた道を歩きました。権堂に近づくとキャバクラとかスナックとか居酒屋とか。私は来たことありませんが。長野で最初にコロナ感染者が出たのは、この辺りのキャバクラでした。田舎は狭いので、すぐにどこの娘だとか特定されてしまって、それは可愛そうでした。彼女に責任はないですから。一日も早くおさまることを祈ります。

 権堂のアーケード街。この先に映画館があります。平日とはいえ昼の時間なのに人通りが少ないです。松本に比べると中心街の空洞化が目立ちます。長野は、長野駅と善光寺の間が2キロほどあります。しかも上り坂。昔は中程に丸光と丸善がありました。それがなくなり、丸善は東急と提携し駅前に。中央の空洞化が顕著になりました。かといって駅前もバブルの頃にチャンスはあったと思うのですが再開発が進まず、県庁所在地とは思えないほどの寂れた状況になっています。今後、20年をかけて再開発をする計画があるそうですが、どうなるのでしょう。唯一、いいのは高層ビルがないことです。長野に高層ビルは不要です。周りの里山やアルプス、志賀高原を借景とすべきです。全ての世代が歩きたくなる街、集いたくなる街。新交通システムも考えていいでしょう。街の活性化には、若者、馬鹿者、よそ者の声を聴けという話があります。善光寺だけではない長野。その構築が求められています。

 長野相生座・ロキシーの入り口。燦然と輝く受賞とノミネートの表示。

 昭和レトロの映画館。明治25年(1892年)に現在地に芝居小屋「千歳座」として建てられ、30年(1897年)に活動写真を初上映しました。 大正8年4月(1919年) 相生座が千歳座を買収し相生座と改称。 活動写真の営業を始めたという国内最古級の映画館です。これは長野市民ならず日本の有形文化財です。小津安二郎の映画の街、鎌倉に映画館が一つもなくなってしまったという事実を考えると、この映画館の貴重さが分かると思います。

 上映はロキシー1で。ご覧の通り客席に段差がありません。私がよく行く上田の東宝シネマズ上田は、最新ですので階段状で椅子も広く、音響も最新です。久しぶりですこういう映画館。東京でもなかなかありません。思い出すのは、国立スカラ座ですね。スタンリー・キューブリック監督の「博士の異常な愛」とか、デヴィッド・リーン監督の「ドクトル・ジバゴ」などを観ました。右のスチーム暖房が、お湯が通るとチンチンと小さな音を立てるのです。この後、観客が大勢入ってきました。凄く若い人からけっこうな高齢者までと、年齢層がもの凄く幅広いのに驚きました。ただ、3時間と長いのでトイレに行っておくことと、事前に飲み物は控えたほうがいいですね。フィルムの頃は、半分でフィルムの取替があって休憩時間があったのですが、これはありません。途中でトイレに行く人が年配者に多くいましたが、これはもったいない。途中でコーラを飲んだりポップコーンを食べるような映画でもありません。体調を整えて万全の態勢で鑑賞しましょう(笑)。

 スタッフ手作りの掲示板。いいですね。劇中劇は、サミュエル・ベケットの「ゴドーを待ちながら」とアントン・チェーホフの「ワーニャ伯父さん」。撮影の殆どは広島県で行われ、ロケ地巡りも人気の様です。主人公たちが広島から北海道へ向かうシーンでは、よく知っている国道8号の親不知の洞門が出てきて思わずハッとなりました。俳優については、ネタバレになるので記しませんが、日本人俳優だけでなく韓国や台湾の俳優が非常に印象的でした。手話も非常に効果的で心に残りました。私は若い頃から英国やフランス、ノルウェー、ブラジルやボリビアを長いこと放浪して、外国の友人も多いのですが、違いもありますが、相似律というものも多くあるのです。濱口監督は、それをよく分かっている方だと思いました。

 上映が終わった濱口監督の作品。ドストエフスキー。偶然とは人間が計り知れない必然のことをいう。と私は思う。一枚の枯れ葉が落ちる場所も、実は計り知れない必然の重なりでできている。それを因果という。物事には必ず原因と結果がある。その連続。その偶然を受け入れるか拒絶するかで、人生はドラスティックに変わる。諸行無常。会者定離。どんな幸せな人生も、ほんの小さな事件や潜在的なトラウマで崩壊する危うさを持っている。諦めと再生する愛。

 3時間はあっという間でした。北陸で春一番が吹いたというツイートが流れてきました。重厚な最後の20分で、ラストはどうおさめるのだろうと思いました。フフッという感じで終わりました。濱口監督の緊張感と弛緩の組み合わせが、最高に心地よいと思いました。弛緩の時間に観客に安堵と考える時間を与えてくれるのです。絶妙です。

 1956年のイタリア映画「鉄道員」というモノクロの映画を思い出します。悲しくも美しく愛に溢れた映画でした。なんでこんな殺伐とした世界になってしまったのでしょう。効率と金。異常なほどの科学信仰とまかり通る嘘。
 で、「ドライブ・マイ・カー」ですが、ネタバレを避けて感想を言うのはとても難しい。抽象的に。真っ赤なサーブ900ターボの美しさ。劇中劇のベケットとチェーホフ。生きることに真っ直ぐに向き合うことと、演じてしまう人生。物語を必要とするということ(メタ・フィクション)。物語と自己再生の旅。ソシュール言語学でいうところのシニフィアン(意味しているもの)とシニフィエ(意味されているもの)。ドラマツルギー(戯曲の創作や構成についての技法。作劇法。戯曲作法。演劇に関する理論・法則・批評などの総称。演劇論。)など。
「生き残った者は、死んだ者のことを考えつづける… ぼくや君はそうやって生きて行かなくてはいけない」「生きていくほかないの」という人生にレーゾンデートル(存在理由)はあるのか。そもそも必要なのか。どんなに愛し合った夫婦でも元は他人。全てを知りたいとか全てを理解したいと思うのは性か業か。ありのままの全てを受け入れることこそが…。なんのアクションもスリルもサスペンスもないけれど、静かな緊張感に溢れた時間が過ぎていく。そういう作品でした。亡き妻を想う。

映画『ドライブ・マイ・カー』公式サイト

■DRIVE MY CAR - Trailer


■西島秀俊、三浦透子、霧島れいか、濱口竜介監督が登場『ドライブ・マイ・カー』壮行会イベント【トークノーカット】


■西島秀俊、岡田将生、濱口竜介監督が登場!映画『ドライブ・マイ・カー』初日舞台あいさつ【トークノーカット】


■『ドライブ・マイ・カー』三浦透子インタビュー「運転に人柄が集約される」


 ネタバレになるので、映画を観てからご覧になった方がいいと思います。素晴らしいレビューです。「メタ・フィクション」
●Drive My Carドライブマイカー Movie Review 解説・映画レビュー Oscar to Ryusuke Hamaguchi? アカデミー賞なるか?


「70年代は、ニューシネマ。そして私はシネマフリークになった」:70年代の美大生時代と80年代のデザイナー時代に観た映画についてのフォトエッセイ。『国分寺・国立70sグラフィティ』ー村上春樹さんのジャズ喫茶、ピーター・キャットを中心とした70年代のクロニクルまたはスラップスティックー(海外からのアクセスも多い32本のフォトエッセイ)


 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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大雪注意報の妻女山へ。静かで美しいモノクロームの世界(妻女山里山通信)

2022-02-10 | アウトドア・ネイチャーフォト
 10日、長野県は上田地域、佐久地域、諏訪地域、県南部に大雪警報が出ました。長野市は大雪注意報。降雪の中、妻女山へ。積雪が20センチになると最低地上高が高い私の車でも登れなくなるので、昼前に。その前に雪掻きをしましたが、上雪なので湿雪。非常に重くて疲れます。東京では凍った路面で転ぶ映像が流れますが、ビブラムソールではだめです。「靴につけるスパイク」で検索してください。楽天やアマゾンなどで1000円以下で買えます

 戊辰戦争以降の戦没者を祀った妻女山松代招魂社。積雪は深いところで10センチぐらい。同じ長野市でもここは南部。北の善光寺付近では倍以上の積雪になりますが、今回は上雪なので上田や佐久、諏訪の方が大雪になっています。

 駐車場の奥から。雪は牡丹雪ではなく粒が小さいのですが、粉雪(パウダースノー)ではありません。湿雪は車に積もると厄介です。長野県の条例では、車の屋根に雪をのせたまま走るのは県条例違反です。後ろに落ちると後続車の事故の恐れ。ブレーキで前に落ちるとフロントグラスの視界がなくなります。スキー帰りの首都圏ナンバーの車に見られますが、非常に危険です。雪を落とすスキージつきスクレーパーや、脱出用スコップとボロ毛布とか必須です。

 林道を登ってみました。静かで美しいモノクロームの世界。

 林道には動物の足跡はありません。風がないので寒くはありません。フリース二枚の上に防水のパーカーを着てきたので、歩くと少し暑いほど。

 枝が描くモノクロームの自然の絵画。

 林道入口。これから3月にかけて降る雪は湿雪なので、大雪になると落枝や倒木が発生します。毎年4月、妻女山里山デザイン・プロジェクトはその処理に追われます。

 展望台下に足跡。新雪は足跡がはっきりしないので同定が難しい。雪の日に歩き回るのはニホンカモシカぐらいなので、その子供かもしれません。アニマルトラッキングは、雪が降り止んだ翌日の晴れた日が最適です。

 妻女山展望台から眼下に国道403号。視界は1キロもありません。長野市中心街はもちろん、松代や篠ノ井市街も全く見えません。幹線道路に積雪はありませんが、シャーベット状で滑りやすい。スピードの出しすぎは禁物です。車間距離は速度にもよりますが、通常の2、3倍は空ける必要があります。早朝に濡れた路面はブラックミラーバーンになりますが、スタッドレスでもかなり危険です。圧雪の道は、スノーモードとか低速モードで走るべきです。下りは必ずシフトダウンしてエンジンブレーキを使って。スタッドレスでも、大雪の時はチェーンや非金属チェーンがないと通行できない場合もあります。国道事務所やネクスコのサイトで確認を。

 展望台後ろの善光寺地震の罹災横死供養塔。前の記事の写真と比べると違いが分かります。

 長居は無用なので下ります。右後方の斎場山さえ見えなくなりました。雪は深夜まで降り続きそうです。2014年の大豪雪の様にはならないと思いますが、上雪は雪に慣れていない地域に降るので心配です。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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貝母の群生地がある陣場平から堂平大塚古墳へ。春を探しながらのんびりと。愛読者と嬉しい邂逅。山座同定(妻女山里山通信)

2022-02-09 | アウトドア・ネイチャーフォト
 10日は上雪で関東地方から長野県は中南部が大雪になりそうです。前日は、本当かなと思うほど穏やかな晴天。まず妻女山展望台へ。今回は陣場平からログハウスへと2時間ほどの短い山歩きでした。スパイク付き長靴は、ホッカイロを入れても冷たいので、今回はインナーがフカフカのスノーブーツで。これが正解でした。

 妻女山展望台から北西の眺め。今回は山座同定を入れてみました。晴れてはいるのですが、里山の上には濃い灰色の雲が。虫倉山、茶臼山は拙書でも紹介しています。虫倉山は神城断層地震で山頂が4割崩壊してしまいましたが、登って非常に面白い里山です。また歴史の山です。信毎に、白馬岳は「しろうまだけ」か「はくばだけ」かという記事が。国土地理院はしろうまだけ、白馬村でははくばだけと読んでいます。その成り立ちを記します。
 明治時代に帝国陸軍陸地測量部が地図を作るために白馬村に訪れた時、この山々には確固たる山名がありませんでした。岳山(たけやま)とか西山とか適当に呼んでいたそうです。そんな馬鹿な話があるかと役人に怒られて、長老が集まって必死に考えて命名。雪型の代かき馬からとって代馬岳、貝杓子に似ているので貝杓子岳、長いので貝を取って杓子岳、尖っているので槍ヶ岳、しかし槍ヶ岳、鹿島槍と既にあるので駄目だと言われて白馬鑓ヶ岳と命名。代馬岳は、実際の地図では白馬岳となっていましたが、村人達は長い間その事実を知らなかったそうです。(出典:『北アルプス白馬ものがたり』石沢 清著)そんなわけで、元がしろうまだけなので、国土地理院はしろうまだけ。白馬村は、しろうまむらって言いにくいですね。よってはくばむらなのではくばだけ。山名は、山の反対側で呼び名が違うことはよくあります。拙書でも他の山で書いていますが、山名が時代によって変わっていくことはよくあることなのです。呼び方が複数あっても少しもオカシクはないのです。

 北の眺め、飯縄山は山頂が雲に隠れていますが、雪は降っていません。雲は手前です。富士ノ塔山は、山頂直下まで車で登れます。手前に見える白い崖は、裾花凝灰岩。この山際に活断層が走っていて、江戸時代の善光寺地震の時に動いて甚大な被害を出しました。飯縄権現については拙書でも、謙信や信玄とからめて詳しく記しています。

 北東の眺め。拙書でも紹介の高社山。親しみを込めてたかやしろと呼びます。その美しい山容から高井富士とも。松代大橋のたもとにある松操山典厩寺は、歴史マニアにはおすすめ。曹洞宗の寺院ですが、東洋一の大きさといわれる閻魔大王の像があります。また、川中島の戦いで討ち死にした武田信繁の墓があります。境内には、信繁の首を洗ったという「首清め井戸」や、甲越弔魂碑、武田・上杉両雄の一騎討ちの碑などもありますが、川中島合戦記念館はぜひ訪れて欲しい。展示されているものは、念持仏や血染めのかたびらなど全て本物です。拝観料は200円。
武田典厩信繁の墓と全国随一の大きさの閻魔大王像がある典厩寺探訪(妻女山里山通信):歴史マニア必見!とりあえず左の文をクリックして内容をご覧になってください。驚きます。

 妻女山(旧赤坂山)展望台後ろにある善光寺地震〔弘化4年(1847)〕の罹災横死供養塔で、善光寺平を見渡す場所にあります。ちょうど善光寺の御開帳で賑わっていたこともあり、死者総数は8600人余り。新潟の高田から長野、松本まで広範囲に甚大な被害をもたらしました。石碑は嘉永二年(1849)建立。文字は松代長国寺住職、圭白師。なぜ善光寺から遠くここに供養塔があるかというと、松代藩はここが古代からの神聖な斎場(いつきなるば)であったことを知っていたからと町史には記されています。

 駐車場から歩いて登ります。6番目のカーブの上。崖のずっと上に陣場平があります。ここの地名は野毛壇(のげだん・のけだん)といいます。野毛は崖という意味で、壇はその下が平らな雛壇の様になっているからです。陣場平は、周囲が急峻な崖や急斜面なので、陣を構えるのにも最適な場所だったのでしょう。

 長坂峠の先に謙信の本陣と伝わる斎場山(旧妻女山)。古代科野のクニの円墳です。向こうの谷に細い雪形がありますが、長坂峠から土口集落へ下る古道の跡です。昭和40年ぐらいまでは、谷の上半分が桑畑で、下半分が梅園などでした。一度下ってみたことがありますが、現在は荒れ果てています。今年はウスタビガの黄緑色の繭が全く見られません。そういう年もあります。

 貝母の群生地がある陣場平へ。陣場平は日当たりも悪くはないのですが、なぜか雪解けが遅いのです。菱形基線測点の周りだけ先に解けます。地温が低いのでしょうか。不思議です。2月下旬には、残雪を押しのけて貝母が芽吹くと思います。右向こうに見える山塊は、松代の東にある奇妙山。

(左)陣場平の西側の日当たりの良い斜面にひとつだけ山蕗が出ていました。(右)苔むした丸太の上に動物の糞。「テンの高糞」といい石とか切り株とかの上にします。これは柿の種が混じっていますね。ホンドテン(貂、黄鼬)は、妻女山山系にいて出会ったこともあるのですが、極めて稀です。冬のテンは顔は真っ白ですが、体毛が黄色でとても美しい。似たイタチの糞はもう少し細めです。雑食で、鳥を襲ったり、爬虫類や昆虫、果実も食べます。三重県の伊賀地方では「狐七化け、狸八化け、貂九化け」といい、テンはキツネやタヌキを上回る変化能力を持つという伝承があるそうです。

 堂平大塚古墳の脇にある友人のログハウスで休憩。今回もルイボスティー。こちら側を東山(旧埴科郡)といい、向こうを西山(旧更級郡)といいます。起伏の緩やかな里山が犀川まで続き、あちこちに集落があります。ポツンと一軒家もありますね。西山大豆や野沢菜が有名です。

 左(南)に目を向けると篠山。麓にある長谷観音からゴルフ場経由で篠山山頂直下まで車で登れます。ブログでも2回ほど記事にしましたが、見晴らしもよくツツジと紅葉が綺麗です。私はやりませんが、信州のゴルフ場は安くて街から近いので結構賑わっています。

 ログハウスの左奥が古墳。南面の斜面とその向かいの斜面に福寿草が咲いています。まだ咲き始めで、夏期が長いので3月に入っても咲き続けます。まだ蕾のものが多いので、見頃はこれからです。私有地につき立入禁止とありますが、古墳や福寿草を見るだけなら大丈夫です。

(左)春のパラボラアンテナ福寿草。(右)タラの芽はまだ固いまま。

(左)梅の花芽もまだ固いですね。(右)杉の木にキヅタ(木蔦)。冬でも緑なのでナツヅタに対してフユヅタと呼ばれます。アイビーですね。「蔦の絡まるチャペルで〜」ペギー葉山って古いですね(笑)。舞台になったのは、青山学院のベリーホール内の「チャールズ・オスカー・ミラー記念礼拝堂」。そういえば昔、青学の図書館の検索システムのマニュアルのデザインをしました。似ているものにツタウルシがあるのですが、これに触れると本当に酷い目に遭います。信州の里山には普通にあるので、画像検索をして完全に覚えてください。

(左)苔の同定は難しい。カサゴケ(傘苔)でしょうか。苔のテラリウムやってみようかしら。(右)冬でもツツジの葉は青々としています。これは確か純白の大きな花を咲かせるリュウキュウツツジだった様な。この後、陣場平分岐に戻って天城山(てしろやま)に登ってきたK夫妻と邂逅。拙書の読者でブログもご覧いただいているそう。古墳に行ったけれど福寿草が見つからなかったというので場所をお教えしました。しばらく話して私は下山。

(左)左がコナラで右がクヌギ。妻女山山系はほとんどがクヌギです。どんぐりは、コナラが細く、クヌギが丸いのです。(右)柊(ヒイラギ)。モクセイ科モクセイ属に分類される常緑小高木の1種で、別名は鬼の目突き。古くから「家の庭の、表鬼門(北東)には柊を、裏鬼門(南西)には南天を植えると良い」との言い伝えがあります。欧米でも、キリストを邪悪なものから守ったとして魔除けのために使うそうです。

 駐車場に戻って、林道倉科坂線に入ったところから東方の松代方面の眺め。象山の先にある離山は、江戸時代は登ると城内が見えるため庶民は登山禁止でした。山頂には懸造りの離山神社が鎮座します。戦国時代は清野氏の支配下にありました。清野正衡は入道して徳寿軒といい鞍骨城を築き、後永正年間(1510頃)同城の鬼門除けに離山神祉を創建したといわれています。お諏訪さんが祀られています。奇妙山は、拙書では清滝の上に登って崖下を延々とトラバースする変態コースも載せています。さて、明日は上雪なので善光寺平は大雪にはならないと思いますが、2014年の大豪雪も上雪でした。70センチは積もりました。油断はしないようにしたいと思います。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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上杉謙信の陣城跡、陣場平から斎場山経由で土口将軍塚古墳へ。猪のヌタ場。春はどこ?(妻女山里山通信)

2022-02-05 | アウトドア・ネイチャーフォト
 土日は大寒波が来るというので、晴れの金曜日に妻女山へ。前回忘れてひどい目に遭ったので靴下につけるホッカイロを。猪狩りの猟師が登っていないので天城山(てしろやま)林道を歩いてみました。ログハウスで休憩の後は、久しぶりに土口将軍塚古墳へ。立春なので、春の兆しを見つけに登ったのですが。

 堂平大塚古墳の丘に咲く福寿草も先週よりずいぶんと増えていました。幸福と長寿を表す野草ですが、キンポウゲ科のかなり強い毒草です。薬草ですが、民間薬として使える様なものではありません。誤食して死亡例もあります。貝母やカタクリと同じく、典型的なスプリング・エフェメラル(春の妖精・春の儚い命)です。

(左)妻女山駐車場から右の林道を登ります。入り口に妻女山里山デザイン・プロジェクトが設置した登山ノートがあります。向こうに大日如来の石像。(右)1番目のカーブ。カーブは曲がった先が急傾斜です。それを知らないと酷い目に遭います。下りはセカンドかファーストに落としてエンジンブレーキも使って。フットブレーキだとABSが効いて危険なことも。切っておくことも必要。凍結していたらスパイクアタッチメントは必須。

(左)2番目のカーブ。下は岩盤。(右)3番目のカーブ。処理された倒木。

(左)4番目のカーブは、中央が深くV字にえぐれているのでそこを避けます。(右)5番目のカーブ。

(左)最後の6番目のカーブ。ここもえぐれています。見た目以上に傾斜がきつく日陰で凍結しているので要注意です。この先で、つがいのヤマドリが私に気づいて逃げていきました。ヤマドリは信州黄金軍鶏と同じかそれより美味です。販売禁止なので、知り合いの猟師からもらうしかありません。ただ養殖もされているので買うことは可能ですが、野生のものとの味の違いは知りません。天然記念物のニホンカモシカも、実は獣害駆除で長野県では年間700頭ぐらい狩られていてほとんどが東京の高級料亭やレストランに送られています。(右)長坂峠に着きました。歩いても10〜15分ぐらいです。正面は斎場山。左へ陣場平へ向かいます。400mほど。

 上杉謙信の陣城跡、陣場平。入り口の雪がない西向きの斜面で貝母(編笠百合)の新芽を探しましたが、まだ出ていません。立ち枯れの木が何本かあるので、春の作業で伐倒しようと思います。里山保全は、行政はしてくれません。我々の様な者達が各地でほそぼそと保全作業をボランティアで行っていてなんとか保たれているのです。

 天城山への林道のピークから見下ろす陣場平。芽吹き前の今だけ見られる風景です。かなり広いことが分かります。川中島の戦いの際に、上杉軍が七棟の陣小屋を建てたと伝わる場所です。ここからなら武田軍がいた海津城は丸見えです。

 林道を登って松代方面。左下に上信越自動車道の松代PA。手前の国道403号からも入れるので、昼食に訪れる人が多い。下りの盛り蕎麦とろろ飯セット、上りの真田とろろ六文そばセットがおすすめです。上りでは産直の野菜も買えます。白いビルは、ロイヤルホテル長野。他には泉質が素晴らしい松代荘がおすすめ。布袋屋というゲストハウスも人気です。

(左)天城山や鞍骨山への登山道との分岐。私は右の林道へ。動物の足跡がたくさん。(右)狸の足跡。重なっているので何度も通っている様です。

 林道を歩きましたが何もないので戻ってログハウスへ下ります。右に堂平大塚古墳。ここでルイボスティーを飲みながらまったりと休憩しました。北面に山があるので寒風もなく穏やかです。暖冬ならもうオオイヌノフグリも咲いているのですが。梅の花芽もまだ小さく固いまま。山蕗の芽吹きももう少しかかるでしょう。

 古墳の丘に咲く福寿草のアップ。パラボラアンテナの様に熱を集めます。蜜はないのですが、多量の花粉で昆虫を集めます。花言葉は「幸せを招く・永久の幸福」など。

(左)立ち枯れの山桑にキクラゲがたくさん。それも高級なアラゲキクラゲ。小さいので春まで待ちます。キクラゲとトマトの卵炒めは、中華料理の定番で大好きでよく作ります。キクラゲは、食物繊維がゴボウの3倍。ビタミンDの量は、食品の中でもトップクラス。ビタミンB2、カルシウム、マグネシウムも豊富な優良食品です。(右)ヤブソテツ。これはニホンカモシカが食べます。一種類のものをたくさんは食べませんが、非常に多くの種類の植物を食べます。それが氷河期から生き残ってこられた理由なのでしょう。

(左)林道を戻って長坂峠から斎場山へ。最初上杉謙信が本陣としたと伝わる古代科野のクニの古墳です。(右)その尾根の西には旗塚と呼ばれる塚が7基あります。古墳時代後の、県司や郡司の墳墓と思われます。

 御陵願平(龍眼平)にある猪のヌタ場。たくさんの足跡があります。猟犬に追われた猪が火照った体を冷やすために来ることも。ただ氷が厚すぎて割れないので水浴びはできませんね。溶けている部分で水は飲めます。周囲には泥だらけの体を擦り付けた木がたくさん見られます。猪も優良なジビエですが、知り合いの猟師によると、美味しいのは年末までの30-40キロぐらいのメス。年を越したものや100キロの巨獣は美味くないと。ログハウスのKさんが存命の時は、猪や鹿などのジビエを揃えてバーベキューを盛大に行ったものです。

 更に西へ長尾根を進み、ここから標高差80mほど下ります。このルートは、拙書の斎場山のページで詳しい地図や説明を載せています。赤松やクヌギの倒木がいくつもありました。向こうに見えるのは篠山、高雄山、三峯山。この道は、ノイバラやヤマガシュウなどの棘植物が多いので、剪定バサミで切りながら進みます。

 土口将軍塚古墳の前方部。前方後円墳です。森将軍塚古墳が、初代科野國造の墳墓とすれば、これはそれ以降の科野のクニの王の墓なのでしょう。墓穴は二基だそうですが夫婦でしょうか。

 前方部の上から後円部を見たところ。倒木で古墳が傷むことはないでしょうけど、景観を損ないますね。

 後円部から前方部を見たところ。向こうに斎場山が見えます。ここは、古代科野のクニの聖地だったのです。

 土口将軍塚古墳の説明。現在は埴科(はにしな)古墳群として国指定史跡になっています。埴科古墳群とは、森将軍塚古墳、有明山将軍塚古墳、倉科将軍塚古墳、土口将軍塚古墳です。周辺には斎場山(妻女山)古墳・坂山古墳・堂平古墳群・笹崎山古墳・北山古墳など数多くの古墳が残されています。これらの古墳群は4世紀末 - 6世紀初頭の築造と推定されています。更埴市というのは、現在の千曲市のことで、戸倉町、上山田町と合併して2003年に千曲市になりました。 8行目の文字が欠けていますが、葺石(ふきいし)で、古墳の表面が石で葺かれていたということです。葺石古墳は、古墳時代前期と中期に見られ、後期には見られなくなります。

 長坂峠に戻りました。北の善光寺平の長め。北東からの寒風が吹き始めました。ログハウスは無風3度で暖かかったのですが、ここからは北面を下るので激寒です。気温はマイナス3度ほど。体感気温はマイナス10度ぐらいです。寒さで膝が痛くなりました。立春なんですが、週末は大寒気が入るそうで、積雪もありそうです。遅い昼は、昨夜の残りの塩鮭と冬野菜のクリーム煮を卵おじやにして、夜はうどんの入った茶碗蒸し、小田巻蒸しを作って暖まりました。3時間半ほどの山行で、6回救急車のサイレンを聞きました。いくらなんでも多すぎませんか。葉がないので麓の音が非常によく聞こえます。週末は白銀の世界になるでしょう。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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