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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

松代町東条の奇妙山、30mの崖登りトレッキング (妻女山里山通信)

2013-10-16 | アウトドア・ネイチャーフォト
 中尾山-茶臼山トレッキングの翌日に、今度は妻女山里山デザイン・プロジェクトの面々で、信州は松代町東条にそびえる奇妙山に登りました。奇妙山は、行基が留錫(りゅうしゃく)した地で、臨死再生の修験の山です。古名を帰命山といい、一名を佛師嶽、佛師ケ嶽といいます。帰命とは、「仏の救いを信じ、身命を投げ出して従うこと。帰依」ということで、奇妙奇天烈な山ということではないのです。つまり修験の山であり、また、山頂には古い山城の遺構があります。茶臼山はハイキングでしたが、奇妙山は桁違いのハードなトレッキングでした。

 まず車を岩沢集落の一番上にある駐車スペースに置き、一旦あんず畑の中を下って清滝を目指します。途中、清滝観音堂(真言宗)に参拝。行基が千手観世音菩薩を掘り安置し、後に坂上田村麻呂が堂塔を創建したと伝わる古刹です。滝本の集落に入り、清滝と阿弥陀堂に参拝。滝の水はほとんど涸れていました。

 山麓には、マルバルコウソウ(丸葉縷紅草)の群落がありました。熱帯アメリカ原産で、江戸時代に観賞用として持ち込まれたそうですが、なぜこの山にだけあるのか不思議ですね。花は少なくタイアザミでしょうか、わずかに見られた程度です。谷筋にはサポニンが含まれるため石けんの代用として使われた幹が棘だらけのサイカチも見られます。

 滝本の上の林道から振り返ると奇妙山の30mの崖が見えました。崖は垂直ではなく三段ぐらいに別れているのですが、尾根が狭く両側が崖なので、高度感はあります。凍結した積雪期に下りた事があるので、実は私が一番恐れていたかもしれません。やはり4月に下りたことのあるKさんを除いて皆初体験なので、相当不安だったと思います。奇妙山 崖で検索しても、私のサイトぐらいしか出て来ないので、恐らく登る人はほとんどいないと思われます。

 尾根に乗るまで長い長い林道歩きを強いられるのですが、途中ショートカットのために藪山を急登しました。そして尾根に乗ったら林道を外れて急登をこなし、ひとつピークを越えた先で問題の30mの崖。まず経験者のKさんに先導してもらい、上から指示をしてもらうことに。やはり経験のある私がしんがり。ザイルが下がっている高さ6m程の崖を登ります。登った先が斜めのテラスで、そこを>の字に登ってまず一段クリア。ここが一番大変なので、これさえ登ればなんとかなります。ただ両側が崖で、その下は急斜面。さらにその下がまた崖ということで、高度感はたっぷり。このルートは、中級者以上におすすめします。

 折り重なった岩を乗り越えたり、岩の縁を巻いたりして登って行くと、目の前に神官像が現れます。真冬の単独登山で、これを最初に見た時には驚きました。どうやって持ち上げたのだろうと。それ以上にその時は、この凍結した崖を下りられるのだろうかと10分ぐらい悩みましたが(笑)。石像は、東側の赤野田の集落の人が運び上げたらしいのです。御岳信仰のもので、御岳山の方角を向いています。崖の先端に立つその像は、非常に荘厳な感じがします。

 石像からは東西南の山脈がよく見えます。眼下には皆神山。その手前には、こちらを見上げて写真を撮影した畑の道も見えます。道路には熊の檻が置かれていました。石像からは、また岩登りをしてからやせ尾根を進みます。空掘りを二つ超えるとやっと山頂です。

 山頂は、東山城跡(清滝城跡)の本郭で、鎌倉から室町の築城といわれています。東條氏の尼巌城跡の支城ともいわれますが、不詳です。 足利勢が鎌倉を奪回し、中先代の乱が収束すると信濃守護の小笠原貞宗は北朝側の武将として転戦。1336年(建武3年)に北条勢の残党が立て篭もる東山城を村上信貞らと共に攻略したと伝わっています。さらに古代には修験の山で、行基にまつわる伝説が数多く残っています。
 昼は、N氏が持って来た沖縄料理の数々。ラフテー、ミミガー、島ラッキョなど。S氏はお手製の奈良漬けと八角の効いた豚の角煮。そして私が持参した時候坊(ハナイグチ)とネギを入れたラーメンなど。ゆるゆると、まったりとした午餐が繰り広げられたのでした。

 帰りの高見岩からの展望。北アルプスは霞んでいましたが、茶臼山まではよく見えました。帰路は、通常の登山道で尼巌山との鞍部に下ります。そこから出発点の岩沢の駐車スペースへ。近くの天の岩戸へ立ち寄る提案をしたのですが、却下されました。いつかの尼巌山登山の時までとっておきましょう。その代わり、西条の舞鶴山にある白鳥神社へ、まるで生き馬のようといわれる立川流和四郎富昌の木造神馬像を見に行ったのですが、格子戸があり暗くてよく見えません。LEDのソーラー式センサーライトぐらいつけてくれてもいいんじゃないでしょうか。その後、疲れを癒しに温泉に入り、慰労会会場へと向かいました。来春は、もう少し優しい山で、山菜天ぷらパーティーをしようと思います。来月は、妻女山SDPで、手打ちキノコうどんパーティーを、Kさんのログハウスで行う予定です。

◉この奇妙山も掲載の『信州の里山トレッキング東北信編』川辺書林が発売中。平安堂やAmazonで。カラー668枚の写真とコース地図。レアなバリエーション・コースなど3コースも。

■【奇妙山】今回のトレッキングの詳細なフォト・ルポです。

ハイビジョンでご覧頂くには、Youtubeのページを開いて720dpiを選択してください。



■【清滝-奇妙山】雪のある奇妙山へバリエーション・ルートで挑戦。雪のある30mの崖を命がけで下った超ハードな1月下旬のトレッキング。

■【奇妙山】イカリソウやクルマバソウが咲く、5月の通常コースでの奇妙山トレッキング。

【信州の里山】キノコの汚染と除染について
腐生菌と菌根菌(腐生の約10倍汚染)除染方法等。

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■『国分寺・国立70Sグラフィティ』夏に似合うジャズアルバム。村上春樹さんの国分寺「ピーター・キャット」の気怠い夏。現在発売中の光文社『フラッシュ』1258号の、村上春樹特集の最後のページに、私のインタビュー記事が載っています。
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中尾山・茶臼山トレッキング2013 (妻女山里山通信)

2013-10-15 | アウトドア・ネイチャーフォト
 10月13日に、中尾山-茶臼山トレッキングのインストラクターをしました。数日前まで30度の日があったとは思えない程、涼しい朝を迎え、雲ひとつない絶好のハイキング日和となりました。そのためか、当日参加の方々も多く、百数十名(ハイキングではちょっと多すぎか)と過去最高の人数となりました。年配の参加者が多かったので、先頭を行く私はいつもの1/2倍速で登ったのですが、それでも少し速すぎたようで、時々立ち止まって待つこともありました。暑い日が続いたために、紅葉はまだまだでしたが、途中、ダンコウバイやネジキ、ハウチワカエデ、ホウノキなどの樹の説明をしながらゆっくりと登りました。ガマズミの赤い実で作る果実酒の話も。

 中尾山は白土の美しい崖が見られます。裾花凝灰岩は石英が含まれるため、登山道の砂は日が当たるとキラキラ光ります。一昨年は、キノコ狩りも楽しめたのですが、今回は台風18号の後ほとんど降雨がなかったので、まったくなかったのが残念でした。茶臼山に多いモミジイチゴの説明もしました。木イチゴの中では最も美味しいもので、生食もいいのですが、ジャムや果実酒にもなります。

 急な登りは、一本松まで。そこからはほぼ平坦な尾根道歩き。茶臼山の山頂の手前でアルプス展望台に立ち寄ります。稜線に雲はかかっていましたが、仁科三山、白馬三山が奇麗でした。右手には神話の山、虫倉山。初めて参加の人が多かったので、ここからの展望は感激したようです。10月半ばというのに風景は青々して真夏の様ですが、月末にかけて一気に紅葉が進むでしょう。

 今回の最高地点、730mの茶臼山山頂は、展望がないのでさっさと通過。下って茶臼山自然植物園の中を下りて行きます。ここも中腹のアスレチック広場までは人が来るのですが、その上へはほとんど行く人がいません。長い山藤の棚の下を歩きながら、花の季節は凄く奇麗なのでおすすめですと説明しました。展望台で、ちょっと早過ぎるということで時間調整。ここからは東側の笠ヶ岳や横手山、根子岳や四阿山が善光寺平の向こうに奇麗に見えました。

 そして昼食と交流会。地元の主婦の皆さんが作ってくれた美味しいキノコ汁で昼食。その後、私とSさんで講演をしました。今回は江戸時代後期に描かれた武田信玄茶臼山布陣の絵図を持って来て、茶臼山の名前の由来や山城の説明をしました。Sさんは、崩れ易い茶臼山の地質などについて興味深い話をされました。その後はいつもの様に歌の会。終了後は、真っ赤や黄色に実ったリンゴ畑の中を歩いて、出発点へ戻りました。
 茶臼山は、いわゆる西山と呼ばれ、東山に属する妻女山とは地質や気候が違うため、植生も異なり、両方を交互に訪れると非常に面白いのです。もっと地元の人にも、山ガールなど若い人にも登って欲しい山です。


■茶臼山=茶臼岳、茶摩山、茶磨山などとも書かれ、全国に200以上あるもっとも多い山名だそうです。茶臼とは甜茶を抹茶に挽く石臼です。抹茶が日本に入ってきたのは鎌倉時代。茶道が武将の間に広まったのは戦国時代にかけてといいますから、茶臼山という名称も室町時代以降といえるのではないでしょうか。戦国当時、名だたる武将は陣を張るとまず幕内に茶臼をしつらえ、抹茶を立てて一服するのが習わしだったそうです。抹茶を飲む事は、精神を落ち着けるとともに、相手を粉々に粉砕するという意味も含まれていました。
 その茶臼を使わない時に布をかぶせると富士山のような形になります。その形に似ている山ということで、全国各地に茶臼山という山があるのですが、大阪の茶臼山(大阪夏の陣で真田幸村が布陣)のように武将が好んで布陣した山でもあります。武将にとって縁起のいい山名だったのでしょう。そのため、茶臼山には山城が築かれたところも多くあります。また、それより遥か昔には古墳だったところもあります。円墳や前方後円墳の後円部は茶臼の形をしています。そう考えると、武田信玄が茶臼山に布陣したというのも、江戸時代の作り話でしょうが、そう荒唐無稽な話ではないかもしれません。



●今回の講演で使った「川中島合戦陣取りの図

■【茶臼山】紅葉の美しい錦秋の茶臼山へ。キノコも。10月末のトレッキング

■【中尾山-茶臼山】ガマズミやアオダモの白い花や新緑が美しい、5月の茶臼山

■【中尾山-茶臼山】ショウジョウバカマやスミレなど、春の花が咲き乱れる4月の茶臼山

【信州の里山】キノコの汚染と除染について
 腐生菌と菌根菌(腐生の約10倍汚染)除染方法等。


◉この中尾山や茶臼山も掲載の拙書『信州の里山トレッキング東北信編』川辺書林が発売中。平安堂やAmazonで。カラー668枚の写真と分かりやすいと評判のコース地図とガイド。初心者からベテランまで38山、74コースを収録。信濃毎日新聞の記事と書評に次いで新潮社『SINRA』の本のコーナーでも高い評価を頂きました 。2015年7月10日初版


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嫁菜が咲き乱れる天空の山城・鞍骨城跡へ (妻女山里山通信)

2013-10-03 | アウトドア・ネイチャーフォト
 妻女山でも低い所では、まだミンミンゼミが鳴いています。蝉はけっこう長生きで、鳴いているものは9月上旬頃に羽化したものでしょう。木々の葉も山桜や山椒やヌルデが色付いてはきましたが、まだまだ緑が多く、一見真夏と変わりません。それでも季節は確実に移ろってきています。そんな小さな秋を見つけに久しぶりに鞍骨山に登ってみました。妻女山駐車場から右の林道に入り、長坂峠を目指します。斎場山(旧妻女山)との分岐を経て左へ。天城山(てしろやま)の巻き道を使って二本松峠経由で約90分で鞍骨山山頂です。

 今回は途中で山栗を拾いました。山栗にしては大きな粒です。渋皮もきれいに向いてマロングラッセでも作りましょうか。栗がセシウムをため易いのは、ひょっとしてお茶の葉と同じくタンニンが多いためではないかと思い調べました。すると、やはり渋皮に含まれるタンニンがセシウムと結合すると分かりました。高汚染地でなくても渋皮煮は避けた方がいいでしょう。玄米のセシウムがもみ殻とぬかに集中することも分かっています。渋柿やタマネギの外皮、柑橘類果皮などの植物系バイオマスは、高いウラン濃縮能力を持つそうです。つまり、その効果を利用して"汚染されていないタンニンを含む食品"によりセシウムの排出を促したり、タンニン系生体物質を放射性核種の除去剤として利用できる可能性もあるということです。

 妻女山山系では、嫁菜は白嫁菜が比較的標高の低いところに、薄紫の嫁菜が高い所にあります。【追記】と書いたのですが、これはノコンギクですね。別のカットを見ると葉の表面がざらついていました。嫁菜は里の野草なので山にはほとんどありませんでした。ノコンギクは交雑種が多く、見た目だけでは同定が難しいとつくずく思います。
 鞍骨城跡の馬場跡といわれる所にはカタクリの群生地があるのですが、秋は全草が猛毒のヤマトリカブトが咲きます。爽風に吹かれて揺れるヤマトリカブトは、怪しく美しい。撮影していると右下で突然獣の逃げる足音。見ると二頭のニホンジカが私に気づいて逃げ出しました。逸れ鹿がたまに来るのは見ているのですが、定着しているつがいだとすると非常に問題です。ニホンカモシカと違ってニホンジカは群れを作るので、食害が甚大になるのです。山奥に縦横無尽に作られた林道が、鹿の長距離移動を容易にしたのです。

 駒止と呼ばれる3つの深い空掘りを超えると鞍骨城跡が目の前です。高さ50mの五段に別れた腰郭を登る事10分。ようやく798mの鞍骨山山頂に到着。ここが鞍骨城跡の本郭です。鞍骨山は、別名に倉骨山、鞍橋山、鞍掛山、清野山などがあります。信濃の小領主であった清野氏は、村上義清の配下でしたが、天文22年(1553)8月、村上義清が上杉謙信を頼り逃れると、清野氏は、道寿軒と長子清秀が上杉方に、次子信清(清寿軒)は武田方にと、親子兄弟敵味方に分かれて戦いました。どちらが勝っても一族が生き延びるという苦肉の策か。その後、武田が滅びると上杉の会津移封に伴って清野を去ったのです。
 武田氏滅亡後、鞍骨城は『景勝一代略記』によると、 1582(天正10年)7月に上杉景勝が「清野鞍掛山の麓、赤坂(現妻女山)と云所に御馬を立てられ、・・・鞍掛山へ御上がり云々」(信濃史料)との記録があり、景勝と北条氏政が川中島四郡支配を争った際に、上杉方がこの一帯に陣取った様子が記されています。そういう経緯から、今の鞍骨城は、景勝時代の姿ではないかともいわれています。そんな城跡を500年前の石垣かと思って触れると、色々な事を思います。なぜ人は戦ばかりするのだろうとか・・。
 山頂でお昼にしました。ピザドゥからソース、小布施茄子はもちろん、アンチョビーも手作りの茄子ピザです。買ったのはチーズとタバスコだけ。信州丸ナスのピザのレシピです。

 鞍骨山頂は、北面のみ伐採してあり松代城(戦国時代は海津城)が見えます。冬枯れの季節は展望が開けます。写真の白い長野ロイヤルホテルの左下の森が城趾です。その手前に松代小学校の校庭が見えます。奥に横たわる山は金井山。左向こうにホワイトリング、中央奥にMウェーブが見えます。大手のある南面からは、鏡台山や眼下に万葉の里・倉科が見えます。

 鞍骨山頂は、眺望があまりよくないのですが、そこから30m先にある二つのやせ尾根の岩場がいい展望台となっています。写真は手前の岩場からのもの。北西方向が開けます。手前の尾根の一番右下が妻女山(旧赤坂山)。今回の出発地点です。そこから尾根を伝って登ってきました。向こうに広がるのは川中島。稲刈りの最盛期です。昔は水田や畑の中に、集落が点在するのが見えたのですが、今は皆繋がってしまい、どこがどこやら分かりません。でもこれからどんどん人口が減少していくわけで、20年後、30年後にどのような風景になっているのか・・。写真の奥に薄く見える山並みは、2011年3月15日に放射性プルームが流れた所です。飯綱山麓の野生キノコからは、相当量のセシウムが検出されています。以前計測した時、鞍骨城跡は地表面で0.05μSv/hでした。長野市の中では低い方です。北へ行く程高くなります。

 鞍骨城跡の本郭は嫁菜が群生し、三頭のミドリヒョウモンが吸蜜していました。梅雨明け頃羽化したのでしょう。翅はボロボロですが元気です。撮影後南面へ下ります。道は南面から西方へ下るのですが、相当に急なので転落に注意です。月の輪熊が鏡台山から遠征してくるのは、3月と12月です。奥山に食べ物が無くなる頃です。でも、それ以外の季節でも熊鈴は付けた方がいいでしょう。イノシシもいますから。

 台風18号以降降雨がないので、キノコ狩りもできないのでさっさと下ります。途中の天城山の巻き道から奇妙山。まもなく仲間と、あの右側に見える30mの崖登り登山をします。その頃は雨も降ってキノコがじゃんじゃん出ているといいのですが。帰りに堂平大塚古墳の横にあるKさんのログハウスに立ち寄ったのですが留守でした。カメムシと蜂がぶんぶん飛び回っていたので早々に退散しました。林道脇にはヤマハッカが群生していて撮影していると、突然上からドサッとなにか落ちました。ミツバアケビの紫色の実でした。子供の頃の秋のおやつでした。甘い果肉を食べて種を吐き出したものです。大人になって開発したアケビのブルーチーズ入りミソハンバーグのレシピ。種ではなく皮を使う大人の味のハンバーグです。
 鞍骨山は、初心者でも登れる往復約4時間の手軽なハイキングコースです。山城マニア、歴女には特におすすめ。

■【GWの花咲く鞍骨山トレッキング・ルポ】編み笠百合やカタクリ、山吹など。

■【信州の里山】妻女山-鞍骨山-象山 Mt.Kurabone at Kiyono in Naganoスライドショー

■【冬の鞍骨山トレッキング・ルポ】冬枯れの鞍骨城跡は、また趣があり周囲の景色もよく見える。

■【信州の里山】象山-鞍骨山-斎場山 Mt.Kurabone at Kiyono in Nagano スライドショー

【信州の里山】キノコの汚染と除染について
腐生菌と菌根菌(腐生の約10倍汚染)除染方法等。

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