モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

中尾山・茶臼山ハイキング2015。蒼天のもと紅葉の里山歩き(妻女山里山通信)

2015-10-27 | アウトドア・ネイチャーフォト
 10月25日(日)の、中尾山・茶臼山のハイキングでインストラクターをしました。前夜に猛烈な風雨があったため当日の天気を心配しましたが、明けてみると快晴でした。しかし、北東の風がかなり強く、思いがけず寒い日となりました。コースは、茶臼山トレッキング愛護会の方々が、倒木や落枝を片付け整備してくれたお陰で、危険な箇所もなく、安全なハイキングが楽しめました。このコースは、拙書でも紹介していますが、標高差が330m、共和の集落を周回しても400m足らずと、初心者向けです。距離は周回で約8キロですが、普段歩き慣れていれば、幼児でも登れます。トレッキング入門には、斎場山や髻山、三峯山、聖山のパノラマホテルコースと共に最適の山です。
 拙書では、今回上りに使った一本松コースと、下りに使った恐竜公園コースの二つに加えて、20分で登れる旗塚コースと、少し長い小松原コースも紹介しています。また、芝池コースは、地図上に破線で紹介しています。

 まず開会式。ゆるキャラの「モモピー」も登場。挨拶とストレッチの後、9時に出発。私は、一本松コースの先頭を歩きました。このコースの参加者は、100名ほどで、三班に別れて出発。
 中と右は、朝日を浴びる裾花凝灰岩の白い崖。白砂青松の趣。今から600-700万年ほど前に海底で起こった大噴火の際に噴き出した火山灰や、岩石などが降り積もってできたもの。なんでも海底噴火でできたものの様です。長石や石英が含まれるため、雨上がりの地面はキラキラと光っていました。黒雲母の粒も含まれるとか。厚さは最大で2000mもあるそうです。葡萄石、または仏頭石と呼ぶ球状体の石も産出。

 今回は、特別にゲートを開けていただいて、堰堤工事に使われた舗装路を登りました。通常はこの道は入れません(左)。新しく完成した堰堤。この下にもうひとつ大きな砂防ダムがあります。舗装路の峠で小休止。ここから細い山道に入ります(右)。赤く染まっているのは、ヤマザクラやヌルデなど。黄色はダンコウバイやコシアブラ。ハウチワカエデなどの紅葉も始まっています。

 一本松まであと半分の山の神を通過(左)。笹ヶ峰と呼ばれる非常に笹の多い尾根が前方に見えます。ここまで約1時間とかなりゆっくりなペースです。さらに約20分で一本松の峠。雪州神社の石祠があります(中)。ここで再び小休止。ほぼ平坦な尾根道を20分弱歩いて善光寺平展望所(右)。

 眼下に松泉閣や老人ホームの豊寿苑、車がたくさん見える出発地点の黒木学園、右上に共和小学校の校庭、奥には北陸新幹線の高架橋が見えます。

 遠くには、雲がかかった四阿山と根子岳が。笠ヶ岳や横手山など志賀高原方面の山々も見えました(左)。そこから約10分登って北アルプス展望所へ(中)。仁科三山や白馬三山が綺麗に見えました(右)。

 左から爺ヶ岳、北側の平家の落人が隠れ住んだという「かくね里」の氷河かもしれない雪渓の調査がされた鹿島槍ヶ岳、武田菱の雪形で有名な五竜岳と仁科三山の雄姿。手前は、山布施の集落。大寒波が来れば、一晩で真っ白になります。

 白馬鑓ヶ岳、杓子岳、白馬岳と白馬三山の雄姿。やはり北なので仁科三山よりも雪が多めです。

 その右手前には、神話の山・虫倉山。神城断層地震で山頂が4割も崩壊してしまいましたが、その痛々しい跡は、茶臼山からもはっきりと見えます。鎖場が楽しいさるすべりコースは、未だ登山禁止のままです。この山も拙書では、その歴史とともに紹介していますが、コースの復旧は叶うのでしょうか。

 茶臼山山頂は、展望がないので小休止の後、茶臼山自然植物園へと下ります(左)。ガマズミが真っ赤な実をたくさん付けていました(中)。この実を焼酎に漬けると、真っ赤な薬酒ができます。抗酸化作用が強く、滋養強壮、老化防止に効きます。砂糖は入れずに、飲む時に蜂蜜を加えます。適度な酸味と甘みがあり、お湯割りにすると最高です。植物園は、来年の植樹祭に向けて大整備中だそうです(右)。階段の両側に、色々な植物が植えられています。

 途中の展望所から薄っすらと白雪をまとった四阿山と根子岳。手前は奇妙山。その左手前に重なるように尼巌山。いずれも拙書で紹介しています。今年は根子岳で、県の天然記念物のミヤマモンキチョウの撮影に成功しました。その手前には、AC長野パルセイロのホームスタジアムが見えます。

 植物園に咲く花にアサギマダラが吸蜜。海を渡る途中でしょうか。翅の透けた部分が浅葱色の、非常に美しい優雅な蝶です。夏の聖山では、この大群が見られました。

 お昼には、きのこ汁が出てのんびりと昼食後、インストラクターの話。私は本の紹介と、そこに記述されている内容などをお話しました。そして歌の時間。係の方々の歌とダンスも。
 川辺書林さんが出張販売をしてくれました(右)。拙書『信州の里山トレッキング 東北信編』をたくさんお買い求めいただき、本当にありがとうございました。キノコは、ムキタケとムラサキシメジが少し採れたぐらいだった様ですが、けが人もなく遭難者もなく、無事にハイキングを終えることができました。係の皆さんも本当にご苦労様でした。 

★以下は、茶臼山関連の私のリンク集です。
2014年の中尾山・茶臼山トレッキング(茶臼山の名前の由来や歴史の記述があります)
10月26日(日)の中尾山・茶臼山ハイキングの下見に。黄金色の棚田で見つけた信州の秋:ワレモコウ、ノコンギク、アキアカネ
2013年の中尾山・茶臼山トレッキング
2011年の中尾山・茶臼山トレッキング
2010年の中尾山・茶臼山トレッキング
4月、満開の桜とショウジョウバカマの咲く中尾山--茶臼山:トレッキング・フォト・レポート
5月、リンゴの花とマルバアオダモの花が咲く中尾山--茶臼山:トレッキング・フォト・レポート
10月、旗塚から紅葉狩りとキノコ狩りの茶臼山:トレッキング・フォト・レポート
34度! 猛暑の茶臼山で真夏のキノコ狩り
早春の雪景色の茶臼山で地名考
★茶臼山や妻女山山系の自然については、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、森の動物、特殊な技法で作るパノラマ写真など。


2:05のオオカサモチは誤りで、正しくは、トウキです。訂正します。シロヨメナも少し怪しい。ノコンギクの白花の可能性。

 この日の夜は、千曲市で「里山の歴史と自然」について、スライドをお見せしながらの講演会を行いました。地元の方々も知らないような山名や歴史と、豊かな自然。しかし、それが農薬の空中散布で脅かされ、市民に重大な健康被害が出る恐れなども具体的にお話しました。ネオニコチノイド系農薬は、金沢大学や群馬大学の研究で、もはやこれは農薬ではなく農毒というべきもので、即刻使用を中止すべきだと警告しています。欧州の先進国では、すでに製造販売使用が禁止されている国があります。信州の素晴らしい自然環境を守るためには、住民の方の勉強と意識改革が必要です。放射能汚染の問題も無関心でいてはいけません。長野県産の農産物を輸入規制している国もあります。
◉必見!新農薬ネオニコチノイドが脅かすミツバチ・生態系・人間(要保存のPDFファイル)
千曲市森の杏が最盛期、朝採り杏で焼酎漬。松枯れ病が深刻。ネオニコは農薬でなく農毒!(妻女山里山通信)
妻女山山系のゼフィルスが壊滅状態なのは千曲市による農薬の空中散布だと断言するKさん(妻女山里山通信)
松枯れ病の原因は、本当にマツノマダラカミキリのセンチュウだけなのか!?(妻女山里山通信)
松枯れの原因は松くい虫じゃなかった。大気汚染で土壌が強酸性化したことによる(妻女山里山通信)


【要保存】浸透性農薬「ネオニコチノイド系殺虫剤」が生態系と人体に与える影響について
ネオニコチノイド殺虫剤の特徴「神経障害症状(手指の震え、うつろな眼、注意力散漫、うつ病のような症状、
協調運動障害、記憶障害、暴力行動、自殺、心電図の異常)、それから、免疫症状(アレルギー症状の悪化、ヘルペスや他のウィルスに対する抵抗力の低下)など

ネオニコチノイド系農薬は、ラウンドアップだけではない。こんなにも色々な果樹や野菜で使用。あなたも毎日食べている
殺虫剤の一覧と代表的な商品名 :害虫だけに効いて、人間には無害などというのは嘘。日本の残留基準は極めて高い

天敵を利用して、マツノマダラカミキリを駆除しようという研究長野県の例野鳥利用した松くい虫被害の防除。ネオニコ農毒の空中散布だけは、絶対に止めさせなければならない。これはあなたの近くの里山でも行われているかもしれない。あなたが使っているかもしれない殺虫剤やペットのノミ取りにも使われている。決して無縁のものではない。チェックを!

林野庁の、森林の放射能汚染に関するレポート。これは読んでおいた方がいい。杉はセシウムを溜めやすい
 基本的に高汚染された森林の除染は不可能だと分かる。

 中尾山・茶臼山ハイキングの下見の時に出遭った年配の方が、茶臼山自然植物園北の新田からキノコ狩りをしながら登ってきて、途中に石像や石祠がたくさんある不思議な場所があると聞きました。その方は、このハイキングにも参加されたのですが、友人の事務局長に聞くと、あるあるということで、行ってきました。下から登るのではなく、茶臼山山頂から下ってみました。どこかにあるという菱形基線測点も探したいと思ったのですが・・。

 尾根道はこんな感じで非常に快適です。山頂付近で不明瞭になりますが、50mほど下ると明瞭な尾根道が現れます。

下って行くと空堀がありその上に楕円形状の広い台地があります。地形図では671mと書かれた場所です。ここに石像や石祠がたくさん並んでいました。中央には塚があり、その上にも石像が。東側には2段の帯状の削平地があり、これは空堀と合わせて山城の構えだと分かります。この下には篠ノ城跡、茶臼山山頂は茶臼ケ城跡。その中間の城跡ということになります。

 石像や石祠は、見たところ割りと新しいもので、江戸後期と明治初期のものの様な気がします。菱形基線測点は、見つかりませんでした。妻女山奥の陣馬平の標高が530mということを考えると、もっと下の篠ノ城跡辺りにあるのかも知れません。これは次回に探索しましょう。この尾根道は非常に快適でした。整備してハイキングの下りのコースに設定しても面白いと思いました。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。その山の名前の由来や歴史をまず書いているので、歴史マニアにもお勧めします。もちろん茶臼山も載っています。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。

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国分寺・国立70Sグラフィティ』村上春樹さんの国分寺「ピーター・キャット」の想い出。はてなブログに移動しました。順次アップしていきます。
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錦秋の米子大瀑布へ。瀑布の上にある幻のソブ池探索も。「続日本紀」に記述のある米子硫黄鉱山(妻女山里山通信)

2015-10-21 | アウトドア・ネイチャーフォト
 米子大瀑布周辺が紅葉のピークを迎えているというので、早朝に出発。駐車場には7時過ぎに到着しました。既に数台の車がいました。途中、ニホンザルとホンドリスに出遭いました。米子大瀑布は北向きのため、昼になると太陽の光が強くなり、滝部分が非常に暗くなってしまうのです。それを知っているカメラマンは、早朝から登るのです。
 米子大瀑布を「よなご」と読む人がいますが、正しくは「よなこ」で濁りません。ヨナは、文字通り米ですが、他に古くは火山灰や砂地を意味し、コは此処を意味します。(地名語源辞典)米子という地名が日本海側に多いというのは、またなにか古代からの地理的な交易や移動の証なのかもしれません。
 ここには近代日本の遺産ともいうべき米子鉱山跡が残っています。その起源は古く、江戸初期ともいわれていますが、日本三大不動尊の一つ米子不動尊(瀧澤山家原院如来寺→米子瀧山威徳院不動寺)が奈良時代に行基により開山された古刹であるということを考えると、もっと古くから採掘されていた可能性もあります。修験者というのが、鉱山を発見する特殊能力を持った者の集まりだからです。また、奇妙滝のある奇妙山は仏教用語の「帰命」が転訛して奇妙となったもので、木食信仰遺跡があることからも、深山でありながら人の出入りはかなりあったと考えられます。そう思って調べると、8世紀の「続日本紀(しょくにほんぎ)」に、当時信濃国から朝廷へ石硫黄の献上があったことが記されていると分かりました。これは米子鉱山のことと推察されます。

 撮影のために、滝方面ではなく鉱山跡地を目指します。普通は、四阿から下りが30分、登りが40分ぐらいですが、急いで登ったので19分で四阿へ。小字名がお花畑という鉱山跡地では近すぎて望遠が使えず自然なパノラマ写真が作れないため、四阿の岩の上に三脚を立てて撮影。二枚のカットをつなげてあります。朝8時前だと陽光は滝の真後ろではなく、左手の横から差し込みます。拙書の写真は真夏に撮影したので、ほぼ大瀑布全体に陽光が当たっています。この後、滝の上部に霧が巻いてきましたが、ほどなく消えました。もちろんそれも撮影しました。霧がかかった大瀑布も趣があり、いいものです。青空をバックにギラギラに彩度の高い紅葉は、むしろ和の趣ではありません。撮影をこの日に選んだのも、午前中が薄曇りの予報だったからです。
 万葉集には、錦秋の「もみじ」を詠んだ歌は100首以上あるのですが、そのほとんどが紅葉ではなく黄葉なのです。紅色よりも黄金色を好んだということなのでしょうか。ただ区別がなかったという説もあります。神話の世界では、赤・白・青・黒の4色が主流ですが、中国から仏教が伝来し、黄色が皇帝しか使えない高貴な色ということが影響を与えたのでしょうか。古事記に出てくる神話の黄泉国(よみのくに)というのも、後世に作られた物語ですし。そんな万葉集から一句。
「秋山の、黄葉(もみぢ)を茂み、惑ひぬる、妹を求めむ、山道(やまぢ)知らずも」柿本人麻呂
 秋山の黄葉(もみぢ)が繁っているので、迷ってしまった妻を探そうにも、山道が分からない。(妻を亡くして哀しむ歌)


 お花畑という地名の鉱山跡地から南の大黒沢を見たところ(左)。左奥に根子岳が見えます。この沢を詰めて左に登ると浦倉山へ。右へ登って滝の上部のカルデラ内を行くと根子岳、四阿山へ。米子大瀑布からカルデラを一周すると、約23キロ。10時間ぐらいかかりますが、トレランの速い人だと4時間ぐらいで回ってしまうと、駐車場の売店のおばさんが話していました。驚異的なスピードです。彼女の好意で、拙書のパンフレットも置かせていただきました。
 今回は、上からのカットの撮影と、以前から行きたかったソブ池探索が目的で、大黒沢に入りました(中)。途中には、イワカガミやシラタマノキ、古事記や万葉集にも登場するヒカゲノカズラが見られます。浦倉山方面へ、つづら折れで急斜面を登ること20分。展望地に着きました(右)。根子岳北部のザレ岩方面を見たカットです。根子岳へは、まず向かいの台地に登り、カルデラ内を横断していきます。

 その展望地から、鉱山跡地を見下ろしたところ。ちょうど座って見られる岩があるのです(左が絶壁転落注意)。ここからの眺めは本当に素晴らしいものです。遠く須坂市街も見えます。まずソブ池に向かいましたが、帰りには15分ほど岩に腰掛けて撮影したり、ぼーっと景色を眺めていました。

 展望地からほんのわずか登り、【←浦倉山(群馬県境)】とある標識のところを右へ入ります(左)。一応笹は刈ってあるのですが、15~30センチぐらい出ていて歩きにくい事(中)。始めは、右側が急斜面なので踏み外さないよう注意が必要な箇所もあります。やがて、道は落葉松林の台地の中へ(右)。涸れ沢を越えたり、湿地の小沢を飛び越えたり、難儀しながら進むこと11分。ソブ池に着きました。

 ソブ池。ここの小字名は野猿田(やえんだ)なので、野猿田池とも。むしろソブ池の方が俗称なのでしょう。浮いているのは落葉松の落ち葉。どけると水は透明で底が見えます。飲用水だったというので、すくって飲んでみました。極普通の軟水で、大黒沢や権現沢の様な酸味の強い鉱毒水ではありませんでした。ただ、若干硫黄の味がします。飲料水に使うのは厳しいかも。浦倉山からの下山中に飲んだウラノ沢上部の水場の方がはるかに美味でしたが。実際はウラノ沢の水を引いて飲料水としていた様です。
 「ソブ」というのは、以前「みすずかる信濃」と「高師小僧(たかしこぞう)」の関係を調べていたときに知った「赤渋(アカシブ・アカソブ・アカソボ・アカシボ)」のことではないかと思ったのです。米子鉱山の産出物は、石硫黄、蝋石、ダイアスポア(藤石)などの他に褐鉄鋼も産出していました。四阿山系の川では、渓流の水が金気が強くて飲めないものがありますし、鉱毒水は現在も米子川に流れ込んで汚染を続けています。
 つまり「ソブ池」とは、褐鉄鋼により底が赤く染まった「赤渋池」のことではと思ったのです。しかし、金気水では飲料水にはなりません。そこでさらに調べると、そもそも「赤渋」というのはアイヌ語で、水の箱(底が岩盤の池)を意味する「ワァカウォプ」が転訛したものという説がありました。この周囲の落葉松林には、鉱山の遺構があちこちに残っています。

 鉱山跡地のお花畑(跡地の小字名)に戻って花の撮影。遊歩道脇にたくさん咲いていたタンポポの様な花(左)。セイヨウタンポポは秋に咲くこともありますが、総苞が反り返っていません。茎も違います。たぶん欧州原産の帰化植物のブタナ(豚菜)でしょう。別名をタンポポモドキといい、環境省の要注意外来生物リストに載っています。豚菜は、フランス名の直訳。ノコンギク(野紺菊)もあちこちに見られました(中)。種内での形態変異が大きい植物です。お花畑にポツンポツンと見られたマツヨイグサ(待宵草)。白花が混じっているのはどういうことなんでしょう。仲間の月見草との交雑種か。不明です。アカツメクサでキタキチョウが盛んに吸蜜していました。

 落差75mの権現滝。古来より権現滝は、黒龍の滝と呼ばれ、男滝ともいいます。方や不動滝は白龍の滝、女滝ともいわれ、両者で双龍の滝、夫婦滝といわれます。拙書では、山頂はありませんが、ハイキングコースとして非常に面白いので特別に載せてあります。米子大瀑布周遊コースだけでなく、根子岳や浦倉山への詳しいコース地図も掲載しています。他のガイドブックと異なり、国土地理院の承認を得て私自身が地形図にコースや説明を書き入れており、シンプルで分かりやすいと評判を得ています。トレッキングの際は、コピーして持参し、自分なりの情報を書き入れてください。

 午後になると陽が当たる、お花畑東の泉坑山の紅葉。この上部にも鉱山跡の坑道が見られます。昼近くになって、観光客の数が増えました。お洒落な山ガールの姿も結構見られました。皆、お花畑の縁に腰を下ろして、大瀑布を眺めたり、お昼を食べています。午後になると風が出て落ち葉が舞い始めます。紅葉シーズン中は土日祝日はマイカー規制。平日でも駐車場は満車になるので、早いお出かけをお勧めします。周遊コースは、未舗装で浮石もあり、泥濘状態のところもあります。必ずトレッキングの装備で。林道走行は、対向車に注意。ガードレールのないところが多いのでスピードは控えめに。曇りの日は昼間でも点灯を。自分が前方を見るためでなく、自分の存在を相手に知らせるため。これを知らないドライバーが多い。長い下りの坂道ではエンジンブレーキの併用を。これも知らない人が多い。安全運転を!

米子大瀑布-根子岳-四阿山-浦倉山-米子大瀑布【四阿山カルデラ周回コース】約23キロ10時間のロングコース。ハイビジョンです。ぜひフルスクリーンでご覧ください! 拙書でもこのコースは、写真と地図と文章で詳しく紹介しています。



『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。本の上のなか見検索をクリックすると、20pほどがご覧いただけます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、花や昆虫のマクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。コースの写真が文章とリンクしており、分かりやすいと評判の国土地理院の地形図を加工したガイドマップと共に好評です。その山の名前の由来や歴史をまず書いているので、歴史マニアにもお勧めします。
 本の概要は、こちらの記事を御覧ください
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10月25日(日)に、中尾山--茶臼山ハイキングが行われます。
受付:午前8時から
集合場所:黒木学園カレッジオブキャリア共和校グランド(旧共和小学校校庭)駐車場はグラウンド。係員の誘導に従ってください。
出発式:午前8時半から9時
出発:午前9時
中尾山--茶臼山の一本松コースと山麓アップルコースがあります。
私は一本松コースのインストラクターをします。昨年、一本松コースは100名ほどの参加でした。初参加の方が半数以上です。当日参加も可能です。
昨年は5歳ぐらいの女の子も参加していました。初心者向けのコースです。
交流会:正午から。恐竜公園内「童謡の森」昼食、ミニ講演、歌の後、1時半頃解散となります。
持ち物:昼食、飲み物、箸、雨具など。昼はきのこ汁が出ます。リンゴや牛乳のプレゼントも。
拙書『信州の里山トレッキング 東北信編』の販売もあります。川辺書林さんのご好意で多少ディスカウントされるようです。
◉お問い合わせ:026-292-6009(中尾山ハイキング実行委員会)

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色づき始めた鏡台山へ。深まる秋に寂寥感を想うまもなくキノコが大収穫(妻女山里山通信)

2015-10-19 | アウトドア・ネイチャーフォト
 旧埴科郡の中心で、観月の山として有名な姨捨山から見る鏡台山の月は、安藤(歌川)広重が江戸時代後期に描いた『信濃 更科田毎月 鏡台山』にも描かれています。この場合の姨捨山は冠着山のことではなく、姥岩と棚田のある長楽寺付近から描かれたものです。近くにはJR篠ノ井線の姨捨駅と長野自動車道の姨捨SAがあります。「雪降りしきる冬の姨捨駅と長楽寺」。鏡台山と冠着山(姨捨山)も拙書ではコースをたくさん紹介しています。冠着山(1252.2m)の方が、飯山方面からの北風が直接吹き付けるため、鏡台山(1269.1m)よりも冬の訪れが若干早めです。

 今回は林道芝平樽滝線の三滝沢上部から出発(左)標高850m。更埴ジャンクションの辺りが見えています。西山はまだ雲の中。色づき始めた林道から登山道へ(中)。森の中からキノコ狩りの鈴の音が聞こえてきましたが、雨が降っていないのでこの標高ではほとんど出ていないでしょう。登山道脇にも毒キノコさえありません。再び林道に出て、林道終点へ。この辺りで標高1120mぐらい(右)。この辺だと朝晩霧に覆われるので、ポツポツキノコも見られます。ここから道を外れ、正面の暗い植林帯に突入します。熊の生息地のまっただ中なので警戒しながら。

 クリタケとトキイロラッパタケを発見(左)。トキイロラッパタケは、バターの香りで、乾燥するとチーズの香りといわれますが、今年その美味しさに初めて魅了されました。このクリタケは間違いありませんが、今回猛毒のニガクリタケに見えるクリタケがたくさんありました。その都度噛んで確認。嫌な苦味のあるニガクリタケも中にはありました。うっかり間違えたでは済まない死亡例もある毒キノコです。
 赤松の倒木に生えた多孔菌類の一種(中)。針葉樹なのでツガサルノコシカケの幼菌でしょうか。ゼリー状の水滴が美しく、まるで宝石の様でした。笹ヤブに見つけたキノコ(右)。おそらく食菌のカヤタケだと思うのですが、ドクササコだったら大変です。手足の先や性器が赤く腫れ、激痛が1ヶ月以上続くという恐ろしいキノコ。薬はありません。結局採りませんでした。今回はキノコ狩りはついでで、珍しいキノコの撮影に来たのですが、なかなか出合えません。

 標識のある正規の登山道の一本上の作業道を進みます(左)。途中の檜林で、チャナメツムタケとクリタケをたくさん採取しました。ヤナギ科のヤマナラシの黄葉(中)。ヤマナラシはその樹皮の模様が特徴的で、すぐに見分けがつきます(右)。

 笹薮を抜け、正規の登山道に出て北峰へ登ります(左)。ハウチワカエデや大きなホウノキの葉も染まっています。北峰にあるシラカバ(中)。落葉松の黄葉も始まりチリチリと落葉しています。大正時代に旧埴科郡下の小学校高学年が集まってキャンプと運動会をした記述の看板(右)。

 北峰から鞍部へ下り、笹の道を南峰へ向かいます(左)。10分足らずで鏡台山山頂(中)。ズミの熟した真っ赤な実が鈴生り(右)。山頂には一足早くトレランで有明山から来た男性が。これから鞍骨山経由で斎場山、薬師山へ走るというので、ちょうど持っていた拙書の地図を見せました。安曇野在住で、このコースは初めてらしいので、スマホで撮影させてくださいと。これで迷わないでしょう。本を買ってくださいねと言って、お仲間にもとパンフをたくさん渡しました。この本は、トレランの人やサイクリストなども使える様に、ループコースやロングコース、林道の紹介もしています。五一山脈と鏡台山と斎場山の地図をつなげると、約20キロのトレランコースが設定できます。健脚には、米子大瀑布からの四阿山カルデラ周回コースをお勧めします。

 彼が走り去った後、昼食をしてから撮影。以前、ここで昼食中に熊に遭遇したので、鈴が鳴らない昼食中は時々ホイッスルを鳴らします。左に冠着山(姨捨山)。右に聖山。山頂はもう少し右。冠着山の右奥には、京ヶ倉と大城のシルエットが見えます。そしてその奥には北アルプスのスカイライン。槍ヶ岳の尖った穂先がはっきりと見えました。

 上のカットの右手。アンテナのあるのが聖山。その右奥に続く峰には、気象庁の丸いアンテナのあるタララ山も。手前に霞んでいるのは、姨捨辺り。
鏡台山からの北アルプス山座同定は、こちらをご覧ください。鏡台山から富士山が見えると看板があるのですが、私も2度かすかに見ただけです。その貴重なカット。Mt.FUJIの矢印の下を見てください。微かに富士山のシルエットが!

 帰路で撮影したカメバヒキオコシの残花(左)。赤紫は花ではなく、青い花が散った後の萼片です。モミジガサの残花(中)。この他には、猛毒のヤマトリカブトも。黄葉が逆光に映えるサワグルミ。

 車に戻り、林道芝平樽滝線を沢山方面へ。まず縄文の名水を汲み、沢山峠方面へ。女陰の滝に寄りました(左)。「この滝の名称は女性の神秘をただよわせていることから生まれた」とあり、滝に打たれ身を清めると恋人が現れ結ばれる「ロマンの滝」だそうです。ちょっと滝行するには、肌寒い季節です。夏にしましょう。沢山峠手前から、さっきまでいた鏡台山山頂(中)。沢山峠から和平高原へ。黒柏木(くろかしゃぎ)登山口を目指しますが、広い舗装路が突然この様なススキの畑道に(右)。信州ではよくあることです。

 そこから振り返って拙書にも載せている蓼科山(左)。左の八ヶ岳連峰の左裾に見えているのは富士山でしょうか。蓼科山の手前は、これも拙書で取り上げている上田市の虚空蔵山。里山ですが、大変厳しい山です。しかし、歴史の詰まった面白い山でもあります。

 沢山峠へ戻り、あんずの里森の観龍寺へ。里の紅葉は、まだです。杏の木もまだ青々としています。足元にはマルバルコウソウの群生。拙書では、同じ位置からのあんずの花が満開のカットを載せています。見比べると面白いです。観龍寺は、山陰にあったため信玄の兵火に焼かれずに残ったという古刹です。

 マルバルコウソウは、熱帯アメリカ原産で、江戸時代、観賞用として持ち込まれ野生化したヒルガオ科のツル性植物なんですが、意外なところに群生地があります(左)。拙書では、松代の奇妙山で紹介しています。今回の収穫(右)。チャナメツムタケ、クリタケなど、大袋いっぱい採れました。どちらも放射性物質に汚染されやすいので、除染を念入りにします。濃い目の塩湯に浸けて一晩。その後茹でこぼして洗い、小分けして冷凍します。もちろん高汚染地のものは食べるべきではありません。県のホームページに野生キノコの汚染状況が出ているので確認してください。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。その山の名前の由来や歴史をまず書いているので、歴史マニアにもお勧めします。
 本の概要は、こちらの記事を御覧ください
お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。

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佐久間象山の縁巡りと松代城(海津城)。川中島合戦の風景(妻女山里山通信)

2015-10-14 | 歴史・地理・雑学

 秋の三連休は、歴史の山巡りへ。といっても前日、八頭山と大林山へ駆け足撮影登山に登っているので少々疲れ気味。今回は清野氏の鞍骨城跡のある鞍骨山へ。妻女山から約90分の工程です。連休なので福島や鎌倉などかなり遠方からも山城マニアが訪れていました。一日休んで最終日は、まず妻女山へ山の手入れに。その後、兵庫から来た家族に展望台でガイド。ついでに拙書も紹介。次に佐久間象山縁(ゆかり)の象山、離山、象山神社、松代城を訪れました。
 今回の記事は、リンク先も全て見ると本を一冊読む位の分量になります。Wiki以外は全て私のサイトかブログになります。ぼちぼち読んでくださいませ。

 まず象山神社へ(左)。学問の神様として受験生の参拝が絶えません。高義亭(中)。佐久間象山が安政元年(1854年)から約10年間の蟄居中に住んでいた松代藩家老望月主水の下屋敷聚遠楼の敷地内にあった建物。来客があるとこの2階に招き、応対したそうです。中岡慎太郎や高杉晋作も訪れています。境内に咲く深紅の鶏頭の花(右)。神社近くの佐久間象山記念館はお勧めです。象山愛用の品や、怪しげな電気治療器や地震予知装置などがあります。
 ペリー来襲の時に松代藩は横浜の警護を命じられ、象山は横浜に赴きます。彼の活躍には時の松代城主・真田幸貫の力もあります。象山の正室は門弟勝海舟の妹順子ですが子がなく、嫡子は側室お菊の生んだ恪二郎です。象山の敵を討つべく新撰組に入りましたが、生来のわがままで役立たず、後に司法省に入りましたが、食中毒で29歳で亡くなっています。
 象山は儒学者・科学者・医者・砲術家で、日本最初の電信実験をし、地震計、医療器、写真機など数多くの化学実験をしました。その多彩な才能には驚かされますが、それ以上に、世界的な視野から日本の行く末を見つめる視点を持っていたことに驚かされます。後に勝海舟にまでほら吹きなどといわれましたが、結局鎖国が続いた後の日本では、彼の才能と見識を真に理解できる人は誰もいなかったのでしょう。ただ、そんな象山も、明治維新が英仏金融勢力による日本隷属を企て、明治維新は結局彼らが薩長の田舎侍を利用したクーデターになるとは、想像もできなかったのではないでしょうか。田布施システムで検索を。

 気づかない人が多いのですが、高義亭の北側にある佐久間象山の像(左)。私はびっくり象山と呼んでいるのですが、頭が体の中心線からずれていて、なんかコミカルで好きです。その側に咲き誇っていたキンポウゲ科の秋明菊(貴船菊・秋牡丹)。ご近所の家にも桃色の花が満開。秋の信州っぽい趣きのある花です。花弁はなく、そう見えるのは萼片。秋風に揺れる様は優雅です。古く入った花なのに、これを詠んだ和歌がないというのは不思議です。
 池の小径を西へ進むと、佐久間象山の生家があった場所(右)。当時を偲ばせるものは井戸しか残っていません。ここも割りと見落としがちな場所です。この西の土塀の木戸を出て右斜め前の小路を登ると神田川を渡って象山への登山口があります。
---------------------------------------------
漫 述 
謗る者は汝の謗るに任す
嗤う者は汝の嗤うに任せん
天公本我を知る
他人の知るを求めず
---------------------------------------------

 橋を渡ると、「象山コミュニティの森案内図」(左)。オレンジ色は私の書き込み。山頂までは20分ほど。神社のみで象山へ登らない人がほとんどですが景色もいいのでぜひ行ってください。特に桜と紅葉の季節はお勧めです。保育園児や小学生も遠足で登る易しい山です。登山靴でなくても、スニーカーやウォーキングシューズなら大丈夫。右は登山口の写真。小さなカットは、象山が思いを巡らしながら歩いたという神田川沿いの「思索の小径」。川の中にクヌギのドングリがたくさん落ちていました。ここから鞍骨山へのコースは、拙書でも紹介しています。

 つづら折れの後、水道施設の横を抜けるとこんなレトロな四阿があります(左)。相当古いものですが、昔は中にベンチとかあったのでしょう。妙な竈かストーブみたいなものもあります。そこから木段や石段のある道を登ると、四阿のある集いの広場(中)。春は妻女山と同様に桜が見事です。キタキチョウやヤマトシジミ、アキアカネが舞っていました。そこから僅かにひと登りで象山山頂(右)。象山の石碑とスピーカーがあります。佐久間象山の名前の由来ともなった象山は、明末清初の禅宗の僧、隠元隆にちなむもので、象山の麓には彼を祀る黄檗宗(おうばくしゅう)(禅宗) 象山 恵明禅寺があります。象山の名は、彼の故郷の象山という地名に因むものでしょう。

 象山山頂から西方の斎場山、妻女山、茶臼山方面の眺め。古代科野国から戦国時代、江戸時代、明治維新と歴史の風景が堪能できます。妻女山の名称や位置の変遷については、「妻女山の位置と名称について」をご覧ください。第四次川中島合戦の考察も。注意しないといけないのは、斎場山は陣馬平と妻女山を結ぶ尾根上にはなく、400m向こうにあるということです。

 東側を見ると皆神山(左)。崇神天皇に初代科野国造に任命された森将軍塚古墳の埋葬者といわれる建五百連命(たけいおたつのみこと)の妻、会津比売命(あいづひめのみこと)の父、出速雄命(いずはやおのみこと)を祀る皆神神社があります。その父は、諏訪大社の祭神、建御名方神 (たけみなかたのかみ)。その父は大国主命。つまり、大和系と出雲系が結ばれ、古代科野国を造ったということになります。
 会津比売神社は、本来は斎場山の西の御陵願平にあったといわれ、上杉が庇護していたため、武田の兵火に焼かれたといいます。現在は、妻女山へ登る高速のトンネルを右へ進んだ山陰にあります(上のカットの妻女山の向こう側)。
 右へ目をやると、武田軍が狼煙を挙げたというのろし山(中)。中腹に、真田貞元、貞保親王、信之が合祀される白鳥神社が鎮座。境内には、天才と呼ばれた立川流和四郎富昌作木造神馬があり、これは必見です。
 象山山頂には石垣もいくつか残存。竹山城とも呼ばれたように竹林があります(右)。

 さらに南へ尾根を辿ると、長野市の水道施設(左)。ここは多田越といって上杉謙信が斎場山布陣の際に超えたところといわれています。右上に小丸山(越山)。その奥に鏡台山や鞍骨山へ続く尾根。
 (中)戻って集いの広場でキタキチョウを撮影。(右)ヤマトシジミも舞っていました。ハナアブも。この時期、温かい日には山だけでなく、畑や庭やその辺の道端でもたくさん見られます。しかし、ネオニコの空中散布をした千曲市の山域ではまったく見られませんでした。

 帰路は往路の登山口ではなく、そのまま尾根を北に下って離山へ。離山神社は改修中でした(左)。ここは山頂から城内が見えるため、江戸時代は庶民は登れませんでした。諏訪大明神を祀ってあります。清野氏の鞍骨城の鬼門除けとか。境内の一角にある青麻神(あおそさま)(中)。中風を治す神として信仰が厚かったようです。昔は塩分のとりすぎで中風や脳溢血が多かったのでしょうか。山を下りて文武学校沿いを松代城へと向かいます(右)。写真は振り返って南を見たところ。近くの真田宝物館と真田邸も必見です。
清野氏と戦国時代「清野氏について」


 前日まで松代十万石真田祭だったのですが、この日も大勢の観光客が訪れていました。太鼓門前橋から斎場山を望む(柳の木の左側の山)(左)。戌亥の櫓台(中)。櫓台とは。中学の頃は、寂れていてよく石垣を登って遊びました。太鼓門から武田別働隊が超えた戸神山脈を望む(右)。
松代城太鼓門前橋から戸神山脈と鞍骨城と斎場山(旧妻女山:上杉謙信本陣)を望む大パノラマ。山座同定も。


 武田別働隊は襲撃前夜、上のカットの西条山と書かれた手前の谷を詰め山陰に潜み、右手の戸神山向こうの唐木堂越から森の平を通り倉科に下り、二本松峠下の兵馬(ひょんば)で隊を整えてから分かれ、斎場山一帯に布陣する上杉軍を襲撃したといわれています。実際は蛻の殻だったわけですが。武田の軍学書『甲陽軍鑑』に誤って斎場山(旧妻女山)を読みが同じため西条山と書かれたことで誤解を生みましたが、当地で西条山というのは、特定の山頂ではなく、のろし山から高遠山までの山域一帯を示す言葉です。斎場山とは全く別の山です。
『第四次川中島合戦』啄木鳥戦法の検証(武田別働隊斎場山襲撃経路図)


 松代城戌亥の櫓台から斎場山を望む。上のカットの右手になり、二本松峠の左に鞍骨城跡があります。松代城から斎場山までは、2キロちょっとしかありません。かなり近いです。炊飯の煙などお互いに見えまくり必至です。謙信は、信玄が全軍を海津城に入れた後、本陣を斎場山から海津城が見える陣場平に移したといわれています。『甲陽軍鑑』の編者、小幡景憲の画「河中島合戰圖(23、27番の図)」(東北大学狩野文庫)には、陣場平に七棟の陣小屋が建てられている様子が描かれています。
 ところで、以前ここに来られた観光客から、妻女山や茶臼山がどこか分からないと言われました。ここに山名方位盤を置いて欲しいですね。しかし、現妻女山(赤坂山)を本陣としたり、斎場山を記さないのでは全く役に立ちませんが。以前聞いたボランティアガイドの人達の解説も江戸時代後期の物語『甲越信戦録』を元にしたものでした。
 戦国当時は妻女山という名の山はなかったのです。斎場山と赤坂山のみ。江戸時代になって『甲陽軍鑑』に西条山と書かれたものが流布したために、松代藩が妻女山という新名称をつけたのです。長野郷土史研究会の故小林計一郎氏も、本当の妻女山は現在の妻女山ではなく、旧岩野駅の上の512mの妻女山(本名の斎場山は知らなかったようです)と『川中島の戦』で記しておられます。『甲陽軍鑑』自体は、脚色や改変がされた江戸時代の木版本でなく、国宝の元和写本の解析で、国語学者の酒井憲二氏による『甲陽軍鑑大成』全七巻では、江戸時代には使われなくなった甲州の方言が記されており、偽書ではないということです。
甲陽軍鑑』はなぜ斎場山を西条山と誤記したのか!?(妻女山里山通信)

「上杉謙信斎場山布陣想像図」未だかつて誰も描いたことのなかった江戸時代の人が伝える上杉軍斎場山布陣図。
 【資料:『甲越信戦録』江戸後期の川中島の史書。史実というより物語で、まだ生まれていない人も出ている】(写真:昭和23年GHQ撮影。私所有の掛け軸より。青色は推定される当時の流路。無断転載禁止)
『上杉年譜』(編纂の着手は5代綱憲)の上杉軍の編成は下記の通り
●先陣
村上義清 高梨政頼 井昌満 須田満親 島津忠直
●二陣
河内和泉守貞政 石川備後守為元 本庄美作守慶秀 荒川伊豆守長実
●後備
柿崎和泉守景家 北条安芸守輔広 安田掃部介匡元 大関阿波守盛憲
●遊軍
本庄弥次郎繁長 斎藤下野守朝信 松川大隅守脩衡
●遊軍二軍
黒川備前守清実 水原壱岐守隆家 下條薩摩守実頼 元井日向守為宗 加地安芸守知綱 新津丹波守勝資 
●旗本前備
小島弥太郎貞興 福王寺兵部少 須賀修理亮盛能 黒金上野介景信 
●旗本左備
山吉孫二郎豊守 本田右近允 山内宮内少秀能 琵琶島弥七郎広員 大崎筑前守泰継
●旗本右備
桃井伊豆守義高 唐崎孫次郎吉俊 進藤隼人正家清 同山城守家長 安田冶部少長秀
●軍奉行
直江大和守実綱
●小荷駄奉行
甘粕近江守長重
●旗本先手
宇佐美民部少実定 岩井藤左衛門長忠 黒金孫太郎保信 鮎川孫次郎盛永 唐崎左馬之助為宗 田原左衛門太夫近典 
●御手廻
北条孫五郎高広 松本大学助忠繁 長尾小平次景速 岩井民部少信能 長尾勘四郎景親 長井丹波守為実 矢野因幡守綱直 平賀左京亮頼直 飯森摂津守重之 竹俣筑後守昌綱
以上一万八千(『甲陽軍鑑』一万三千)

妻女山の位置と名称について」妻女山の真実「妻女山は往古赤坂山であった! 本当の妻女山は斎場山である」
「妻女山」「妻女山 行き方」「妻女山 地図」「斎場山」「さいじょざん」「さいじょうざん」
真田十万国「松代城(海津城)」の歴史 その1(妻女山里山通信)
真田十万国「松代城(海津城)」の歴史 その2(妻女山里山通信)

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。その山の名前の由来や歴史をまず書いているので、歴史マニアにもお勧めします。
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国分寺・国立70Sグラフィティ』村上春樹さんの国分寺「ピーター・キャット」の想い出。はてなブログに移動しました。順次アップしていきます。

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姨捨からの観月の名山鏡台山へ。クリタケとニガクリタケの見分け方(妻女山里山通信)

2015-10-08 | アウトドア・ネイチャーフォト
 姨捨から見た浮世絵、安藤(歌川)広重が江戸時代後期に描いた『信濃 更科田毎月 鏡台山』の鏡台山(1269m)へ。キノコの様子を見に千曲市倉科の奥から林道芝平樽滝線へ。今回は登山が目的ではないので、三滝からではなく百瀬の下の林道出合いから登りました。途中、何台ものキノコ狩りと思われる車を見ましたが、日曜の聖山の山行で、ここのところ雨が降っていないので、雲や霧に覆われる標高1000m以上でないと出ていないだろうとの判断です。

 三滝沢上部の林道出合いのカーブに駐車して出発。遠く西山地域と右奥に虫倉山が霞んでいます。標高900mぐらいは地面も乾いていて毒キノコさえでていません。今年はドングリやヤマグリが豊作で、月輪熊は麓に下りずにいそうです。その分山中で出会う確率も増すので熊鈴とホイッスルは必携です。
 林下に咲くノコンギク(中)。ヤマトリカブトの残花(右)。他にはアサマヒゴダイなども。

 百瀬の県有林沿いに登り、最初の林道出合いから落葉松林を急登。ハナイグチは全く見られませんでした。さらに林道出合で広い林道歩きから、標識に従ってサワグルミのある山道へ。このサワグルミは、三滝沢のほぼ最上部の舟ケ入というところにあります(左:地図参照)。三本のサワグルミの伸びやかな枝ぶり(中)。その後ヒノキ林の道を登っていく途中で見つけたキノコ。色々調べたのですが同定できていません。なんでしょう。

 標高1200mを超えた辺りからキノコが散見されるようになりました。まずクリタケ。次もクリタケ。これは傘が開いていました。そして死亡例もある猛毒のニガクリタケ。かなり黄色いとすぐに分かるのですが、こんな色合いだと迷います。時には黄色っぽいクリタケもあるので厄介です。
 しかし、簡単で確実な見分け方があります。それは、傘を軽く噛んでみることです。クリタケは特に味がなく、ニガクリタケは吐き出さずにはいられないほどの嫌な苦味があります。すぐに吐き出せば大丈夫。念の為に口をゆすいでもいいですが。

 標高1267mの鏡台山北峰。広い台地で、大正時代にはここで旧埴科郡下の小学校高学年の児童がキャンプして運動会をやったということが書かれています(中)。熊を追い払うために鐘を鳴らしました。ここから南峰(1269.1m)までは、10分ぐらい。南峰山頂にはズミの赤い実が鈴生りでした。

 山頂から西の眺め。以前より樹木が育って眼下が見えにくくなりました。日曜日に仲間と登った聖山が見えます。この日はいい天候だったようですが、先日は山頂だけ厚い雲に覆われ、激寒でした。聖山、三峯山、風越山とも拙書には載せています。両山とも展望がよくファミリー向けのいい里山です。風越山の左手には冠着山(姨捨山)があります。右下の姨捨は姨岩のある名月の里信濃三十三番札所第14番、姨捨山長楽寺と篠ノ井線の姨捨駅、長野自動車道の姨捨SAがあります。

 山頂でクリタケの炊き込みご飯のおにぎりを食べて出発。北峰へ。写真では笹に埋もれて道が見えませんが、はっきりと道筋は分かります。だれがどう見てもこれはニガクリタケ(中)。これはちょっと迷うでしょう(右)。噛んでみることです。

 往路と同じでは面白く無いので、三滝山へ寄ることにしました。しかし、登山道はありません。笹ヤブを突っ切って行きます(左)。ツタウルシの綺麗な紅葉(中)。しかし、ウルシの中では最も毒性が強く触ると危険です。落ちている枯れ葉も綺麗だからといって拾ったら酷くかぶれます。この辺りが三滝山山頂だと思うのですが・・(右)。ここからは、左の山道に下りるルート、右の旧山道を下りて左へ行くルート、稜線をそのまま北へ植林地を下りるルートがありますが、いずれも山道らしき体はなしておらず、ただの笹薮にしか見えません。知らない人が迷い込んだら、間違いなく遭難するでしょう。今回は右へ(下の地図参照。青い線が今回のルート)。ところが旧道は完全に笹に埋もれ完全に見失いました。やがて笹は胸の高さにまで。熊の生息地のまっただ中で立ち往生。藪山に慣れていない人がこんなところで迷ったらパニックになること必至。足元は見えず、隠れて倒木が散乱していて非常に危険です。

 さすがにこれはまずいと左手に見えるヒノキの植林地へ(左)。するとなんということでしょう。幸運なことにチャナメツムタケの群生を見つけました(中)。地元では地ナメコ、または地なめと呼ばれるぬめりが強く美味しいキノコです。30本ぐらい採れたでしょうか。地形は頭に入っているので、さらに進んで稜線に乗り下ると、林道終点の広場に出ました(右)。この手前の藪の中でもクリタケの株を発見。チャナメツムタケとクリタケは放射能汚染され易いので、高汚染地のものは食べるべきではありません。また、高汚染地でなくても数時間濃い塩水に浸けて、一度茹でこぼして除染することです。これで7~9割は除染できます。それでも食後に口内炎ができたり下痢をした場合は、放射能汚染と考えるべきです。

 戻る途中のコムラサキ(左)。ムラサキシキブより実は小粒ですが鈴生りになります。タケニグサの実(中)。振るとカラカラ音がします。中空の茎中には黄色い毒液があり、除虫効果があります。リュウノウギクで吸蜜するヒラタアブの仲間。眼が赤いのが特徴的。鏡台山は農薬の空中散布がないので、ハナアブがたくさん見られます。同じ千曲市でも土口、生萱、倉科の山とは大違い。

 出発点へ戻りました。黄色く実った水田では、あちこちで稲刈りが行われています(左)。樽滝の崖に咲くリュウノウギク(竜脳菊)(中)。天然の竜脳は熱帯アジアに分布するフタバガキ科の常緑高木、リュウノウジュの樹脂を加工したもので、樟脳のような芳香があるらしいのですが、この花の竜脳菊はそれほど強い香りでもありません。花ではなく葉をもむと香るようです。
 ヤクシソウ(薬師草)。花後に細くなって下を向くので他の花と区別できると思います(右)。鏡台山では、尾根の南の林道で群生地を見かけます。

 帰りに拙書の扉の写真にも使っている三滝の最上部の三の滝へ寄りました。紅葉は10月下旬から11月上旬にかけてで、まだ先です。滝を見学に男性が一人来ていました。滝マニアの人も結構いますね。拙書でも米子大瀑布ほか滝も紹介しているので本の話をしたら、興味を持っていただいて、帰りにパンフをお渡ししました。本でも紹介していますが、この三滝は条件さえ揃えば、見事な氷爆が見られます。この冬はどうでしょうか。

国土地理院25000分の一地形図使用 拙書『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林の国土地理院承認の地図より一部抜粋加工

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。驚愕と発見の面白いコラムも10本掲載。信濃毎日新聞や新潮社のSINRAの書評欄でも高い評価をいただきました。
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赤そばを愛で高ボッチ山へ。修那羅峠、旧大岡村、信州新町。茜色の北アと姨捨の夜景(妻女山里山通信)

2015-10-01 | 歴史・地理・雑学
 帰路はやはり高速ではなく下道を。まずは箕輪町の赤そばを見に。伊那高原の赤そばの里手前の赤そば畑へ。

 信州大学の故氏原暉男名誉教授がタカノ株式会社(宮田村)と共同で開発して真紅の花を作り、高嶺ルビーと名付け、品種改良をかさね、2011年にさらに赤みを増した「高嶺ルビー2011」が誕生。花も綺麗ですが、味もいいのだそうです。食べてみたいですね。

 そこから153号を北上し、山賊焼き定食で有名な小松食堂のある善知鳥峠(うとうとうげ)を越え、ひとつ目の信号を右折して進み20号を右折して諏訪方面へ。途中で高ボッチスカイラインへ左折。名前は立派ですが、ただの舗装された林道です。狭い箇所もあるので対向車に注意、林道は昼でも暗い所は点灯が原則です。見とうしの悪いカーブではクラクションを。長い下りでは必ずエンジンブレーキ併用で。この意味が分からないドライバーが多いようです。セカンドかサードにギアを落として下ることです。信州では常識。
 最後は高ボッチ牧場を巻いて広い駐車場へ。北アルプスのパノラマが望めます。雲が多めでしたが、槍ヶ岳の穂先はしっかり見えました。眼下に松本盆地。

 駐車場から高ボッチ山山頂までは、10分足らずの散歩道。右の前翅が欠損したヒョウモンチョウの仲間(左)。ヤマラッキョウにハナアブが吸蜜に訪れました(中)。ノハラアザミでイチモンジセセリが吸蜜中(右)。左手前はヒラタアブの仲間。

 高ボッチ山山頂。360度の展望が得られます(左)。連山の向こうに蓼科山(中)。山頂から西方の眺め(右)。

 南南西を見下ろすと、諏訪湖が見えます。右に守屋山から三つ峰の山塊。南アルプスは霞んでいました。

 鉢伏山が間近に見えるところまで林道を走ってみました(左)。松本へ下る分岐の駐車場から高ボッチ山(中)。松本の崖の湯方面へ林道を下りて行きます(右)。山麓線を走り、63号線を北上。やまびこ道路(295号)で松本市街地を抜け、143号を旧四賀村から青木峠越えへ。道の駅あおきで休憩してから戻って12号を修那羅峠(しょならとうげ)へ。

 途中で撮影した花。ミヤマママコナ(左)。ヤマハハコ(中)。ハクサンフウロ(右)。

 青木峠を超えて143号の下りから見上げた子檀嶺岳(左)。拙書の表紙に使っています。その谷あいから見る夫神岳(中)。いずれも塩田平の名峰。修那羅峠の駐車場から山道を20分ほど登ると、舟窪山(1,037m)にある安宮神社へ(右)。

 ここは、800体余の修那羅石仏群があることで有名です。山道に木漏れ日を受けて石仏が並んでいます(左)。狛犬というより、これは猫神でしょうか(中)。夫婦地蔵(右)。地味な所なので、だれもいないかなと思ったら、結構参拝者がいました。

 麻績村に下りて、12号を旧大岡村(現長野市)へ。途中の展望所から南にアンテナ群のある美ヶ原の王ヶ頭が見えました(左)。別の展望所から、台形の山は生坂村の大城(中)。すぐ左は、ヒカゲツツジで有名な京ヶ倉。非常に面白い山で、拙書でも紹介しています。98年の長野冬季オリンピックの開会式に登場し、世界中の人々から熱狂的な歓迎を受けた芦ノ尻道祖神(右)。 北アルプス展望所にあるのですが、道路からは見えないので、通りすぎてしまう車が多いのが残念です。
 ここから12号を外れて395号で19号へ下り、大岡道の駅へ。味噌おやきを買いました。150円と安く、色々な野菜が細かく刻んで入っていて、添加物もなく非常に素朴で美味しいのです。いつもレジの前に置いてあります。ここのくるみパンも超お勧め。19号を下って信州新町道の駅へ。ここでざる蕎麦をいただきました。冬は「おしぼりそば」がお勧め。残念ながらナスのおやきは売り切れ。ここを出て19号を下ると白馬有料道路との合流の先で大渋滞。これは19号は使えないとUターンし、安庭から384号へ。途中で右へ折れて70号へ。この辺で随分と暮れてきました。山の日暮れは早いのです。

 途中から暮れなずむ鹿島槍ヶ岳。左に爺ヶ岳。鹿島槍ヶ岳の氷河かもしれない「カクネ里雪渓」(下流の鹿島集落の祖先で平家の落武者の隠れ里が転訛したものといわれる)の調査も終了し、氷塊が得られたようです。結果が楽しみです。

 鹿島槍ヶ岳を真ん中に、左に爺ヶ岳、右に五竜岳と仁科三山。

 仁科三山。山里はすっかり夜の帳の中。茜色に染まる空がなんともいい色合い。そのまま一服の日本画のようです。

 そこから403号を登り返して姨捨駅上の千曲川展望台に寄りました。薄暮から暮れなずむ夜景を撮影したかったのですが、ちょっと暮れすぎていました。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。この夏は、信州の里山や亜高山を歩いてみませんか。
 本の概要は、こちらの記事を御覧ください
お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応は不可能です。

◉10月25日(日)に、中尾山--茶臼山ハイキングが行われます。
受付:午前8時から
集合場所:黒き学園グランド(旧共和小学校校庭)
出発式:午前8時半から9時
出発:午前9時
参加費:300円(中学生以下無料)、きのこ汁、りんご、牛乳が出ます。
持ち物:昼食・飲み物・箸・シート・雨具
中尾山--茶臼山の一本松コースと山麓アップルコースがあります。
私は一本松コースのインストラクターをします。昨年は100名ほどの参加でした。
交流会:正午から。恐竜公園内「童謡の森」昼食、ミニ公演、歌の後、解散となります。
    川辺書林さんによる『信州の里山トレッキング 東北信編』の販売もあります。
◉お問い合わせ:026-292-6009(中尾山ハイキング実行委員会)


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