松代町の旧跡で、鍵掛観世音旧址(かぎかけかんぜおんきゅうし)と聞いて、あああそこかと分かる人がどれほどいるでしょうか。しかも、ここは明治時代は信濃三十三番札所第十六番でした。尚かつ、江戸時代のある天災に見舞われるまでは、堂宇があったとか。さらに戦国時代に戦火にかかるまでは、大伽藍があったといいます。
それこそが、松代町東条の尼巌山中腹にある「天の岩戸」(天の岩屋)です。ここまで書いても聞いたことはあるとか、本で見たとかということはあっても、実際に行った事のある人は、松代町民でも少ないのではないでしょうか。実際、そう思わずにはいられないぐらい、地味な場所にあります。
先頃作成された「尼巌山・奇妙山トレッキングマップ」にも掲載はされているのですが、尼巌山・奇妙山縦走の登山道から外れていることも、訪れる人が少ない原因かもしれません。
「天の岩戸」がなぜ松代にあるのかという話ですが、須佐之男命の乱暴狼藉に怒って引き蘢ってしまった天照大神を連れ出そうと、手力男命が天の岩戸をあけた際、二度と閉じられないよう岩戸を隠してしまおうと、隠し場所を探していてひと休みした場所が尼巌山であり、岩戸を隠したところが戸隠であるという神話があります。
『古事記』中巻に「神八井耳命(かむやいみみのみこと)者科濃国造等之祖也」とあり、その子の一人が阿蘇を治めたという古史と関係があり、高千穂の伝説がこの地に飛来したのでしょうか。なんでも天の岩戸は両開きで、その一枚が北信濃に飛来したという笑い話のような逸話もあるそうです。城跡ばかりが有名ですが、尼巌山・奇妙山周辺には古墳や塚がたくさんあります。また、至る所でお地蔵さんが迎えてくれる信仰の山でもあります。
さて、前述の鍵掛観世音旧址ですが、明治の『埴科郡誌』の東条村の記述を引用します。(注:PC環境によっては旧字が文字化けします)
【鑰掛観世音舊址】(鍵掛観世音旧址・カギカケカンゼオンキュウシ)
本村寅の方尼巖山の東半腹にあり。往昔天平年中、僧行基、東国下向の日、草創する所と云うと雖(いえど)も、口碑のみ。開基詳かならず。奥院本地は一ヶの岩窟にして、方二間、奥行五間なり。即ち聖徳太子御作、十一面観世音を安置し、塔仲永福寺外六坊舎、伽藍を備へたる梵刹(ぼんさつ)なりと云ふ。当国三十三番札所の一にして、第十六番鑰掛岩戸観世音と称す。然るに数度の兵燹(ひょうせん:兵乱による火事)、野火に罹(かか)り(年代不詳)堂塔頽廃(たいはい)、僅に本地を存せしのみ。元禄九丙子年九月東光寺住務某之を憂ひ、力を衆生に借り、本堂一宇を再建す。爾來(じらい:以来)東光寺をして別当たらしむ。後弘化四年(1847)三月地震の災*、山面の磐石崩転し、堂宇破壊に属す。因て佛躰を該寺に移し。今其址地を存するのみ。
*「善光寺地震」のこと。弘化4年(1847年)5月8日(旧暦3月24日)午後10時頃に起きたマグニチュード7.4の典型的な内陸直下型地震。調度善光寺の御開帳の最中でした。家屋の倒壊や火災に加えて山の崩壊と地すべりによる土砂が河川をせき止め、やがて決壊して震災を拡大させました。当時の狂歌に「死にたくば信濃へござれ善光寺 土葬水葬火葬までする」と詠われたほど酷いものでした。天の岩屋の堂宇もこの大地震によって崩壊したようです。震災の慰霊碑が妻女山展望台の脇にあります。
岩戸は、戸隠に隠したのですから岩屋の方が適切な呼称でしょうか。幅は4m、奥行きは10mぐらいあるでしょう。入口左に掘り抜いたような不思議な大きな窪みがあります。古代の墳墓の跡でしょうか。石器時代は住居として使われたかもしれません。
聖徳太子御作、十一面観世音を安置。六坊舎、大伽藍を備えた山岳信仰の一大霊場であったという言い伝えがあるそうです。しかし、川中島合戦の際に兵火にまみれ焼け落ち、その後再建されたようですが、善光寺大地震で倒壊してしまったと書かれています。また、この岩窟は、明治時代には信濃三十三番札所の第十六番札所・鍵掛観世音旧址だったということです。ちなみに現在の第十六番札所は、やはり行基にまつわる古刹として信仰を集めている第七番札所桑台院(虫歌観音)とともに札所となっている阿弥陀山清水寺(保科観音)です。
私は息子達と尼巌山から下る途中に道を間違えて、この 「天の岩戸」の崖の上に出てしまいました。そして何かに導かれる様に崖上をへつって岩戸の前に出ました。倒木や崩落箇所もあり、かなり厳しいルートですが、古いトラロープが残っていて、昔は登山道として使われていたのかもしれません。現在は、踏み跡も怪しく、危険なのでおすすめできません。その時のフォトルポはこちらをご覧ください。
修験と信仰の山といえば、奇妙山も同様です。全山崖に取り囲まれたまさに修験の山。近年登山道が整備され、だれでも登れる山になりましたが、ちょっと登山道をはずれると、切り立った崖に行く手を阻まれる厳しい山です。やはり清滝にある阿弥陀堂と1キロほど下りた所にある信濃札所第十一番仏智山明真寺清滝観音堂が、その中心でしょう。天平年中、聖武天皇の時代、行基が千手観世音菩薩を掘り安置し、後に坂上田村麻呂が堂塔を創建したと伝わる古刹です。現在の千手観音菩薩は前立本尊で、行基作といわれる千手観世音菩薩は秘仏となっています。
そして、阿弥陀堂。往古は清滝の上にあったといわれています。その滝の上とはどんなところだろうと登ってみたのがこちらのルポです。清滝の左から登りましたが、崖上の急斜面をへつる非常に厳しいルートです。そこからさらに奇妙山山頂を目指しましたが、断崖絶壁の下の急斜面を、落石に怯えながら長い距離をトラバース、膝上まで埋まる積雪を乗り越えて、最後は崖をよじ登ってようやく山頂へたどりついたという、まさに修行のような登山でした。
「天の岩戸」へは、東条の岩沢地区の奇妙山登山口(三台ほど駐車可)から林道を100m登って奇妙山への分岐を分けて左へ。100mほど行くと右手に山道の入り口と尼巌山の標識があります。登って行くと、正面に崖の見える谷に出ます。さらに登ると分岐が。左は尼巌山、上が 「天の岩戸」です。登って行くと、右手の崖に六つほど修験に使われたと思われる岩窟が見えてきます。その最も上に鎮座するのが大きな 「天の岩戸」です。崖の中腹にあり足場が悪いので注意が必要です。この崖に囲まれた谷にいると、不思議な感覚に包まれます。厳粛な気持ちにさせる荘厳な谷です。昔は、修験と擬死体験の場であったのだろうということが実感できる空間です。
★「岩沢登山口から奇妙山へのルポ」も合わせてご覧ください。奇妙山への最も一般的なコースです。
★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。