例年よりもかなり遅い秋の進行で、ムラサキシメジも全く見られなかった妻女山ですが、やっと霜が降りて、早朝には名物の川中島の霧も見られるようになったので、これは出ただろうと山に向かいました。本来なら11月初旬には出るキノコですから、三週間ぐらい遅れているということです。

川中島合戦の際に、上杉謙信が七棟の陣小屋を建てたと伝わる陣場平に行くと、枯れ野原ではあるものの、まだ緑が色濃く残る様に驚かされました。信濃柿も例年なら、もう木になったまま干し柿になり始めているのですが、まだぷっくりとしています。干し柿になって落下したものは、タヌキなど森の動物たちの冬の重要な食料になります。信濃柿は渋柿ですが、干し柿になると甘く、非常に美味しいのです。二年前には、青い実を採って柿渋も作りました。

知っているムラサキシメジのシロを五カ所ほど回ったのですが、雨が降っていないため、見つかったのは5本だけ。森の貴婦人は、写真の様に枯れ葉に隠れているため、所謂キノコ眼がないと発見できません。ムラサキシメジは、落ち葉を白色腐朽する落葉分解菌のキノコなので、主に広葉樹林の林内に出ます。不思議なことに南米を除く世界中に見られるキノコです。フランスでは、ピエ・ブルー(Le pied Bleu)といって高級食材です。豆腐とすまし汁、味噌汁、鍋の具、きのこうどん、バターソテー、グラタン、クリームパスタなど色々合いますが、新信州郷土料理としておすすめしたいのが、ムラサキシメジのおやきです。作り方は、丸ナスのおやきと同様にムラサキシメジを刻んで油と味噌で和え、小麦粉の皮で包み、油で焼いてから蒸します。ムラサキシメジの香りと旨味が閉じ込められて、それは美味しいおやきができあがります。辛党は豆板醤を入れてもいいでしょう。

キノコ狩りの後で、妻女山里山デザイン・プロジェクトのBBQパーティーをよく開かせてもらったKさんのログハウスに立ち寄りました。落葉松の黄葉をバックに狂い咲きしたヤマツツジが、なんとも奇妙でした。主の亡くなったログハウスは、葬儀の翌日預けてあったものを取りに行ったついでに私が掃除したのですが、さらに重機や散乱していた石も片付けられていて、沈黙の佇まいの中にありました。初夏に切り倒した落葉松の切り株に腰掛けて、暫くログハウスと遠くの北アルプスを眺めていました。彼とはこの冬の伐採計画をたてていました。その計画は、残った仲間たちと粛々と進めて行かなければと思ったのですが、まだ彼がいなくなったことが、どうにも実感できないのです。不思議と悲しいという感情は生まれず、無常感に包まれた静かな時が流れて行きました。「時が去って行くのではない。去って行くのはいつも我々だ」という言葉を思い出しました。彼との付き合いは4年ほどと短いものでしたが、おそらく互いに救われたし、密度の濃いものだったと思うのです。アマゾン辺りを200日放浪したことが10年分の経験に相当した様に、彼との4年間はそれ以上の密度があったと感じています。

落葉松もやっと黄葉になり、寒風の度にチリチリと音を立てて舞うようになりました。落葉松の黄金色の雨は、信州の晩秋の風物詩。ヒヨドリジョウゴの赤い実や、アオツヅラフジの青い実(どちらも有毒)が目立つようになりました。コムラサキの鮮やかな紫が黄色い森に映えます。かなり遅れてはいますが、季節は確実に移ろっています。森の中に、ノスリに襲われたと思われる土鳩の羽が散乱していました。生物は生物を殺めないと生きてはいけないのです。シロとブランカと名付けたニホンカモシカの母娘にも出会いましたが、すっかり冬毛に変わっていました。

黄金色に輝く落葉松の葉が木枯らしでみな落ちると、信州にも本格的な冬がやってきます。林道は落葉松の落ち葉で橙色に染まり始めました。霧に濡れた林道を走ると、タイヤに橙色の千鳥格子の模様が付きます。

連休ということで、妻女山には何人もの人が訪れていました。斎場山へ行くという男性に鞍骨城跡のことを話すと、予定を変更して鞍骨山まで行くことにしたというので、詳しいコースの説明をしたり、ログハウスに訪れた二人のライダーには堂平大塚古墳の説明をしたり。別のライダーには、林道倉科坂線の説明をしたりと、山仕事をしながら、ガイドもこなした錦秋の一日でした。麓では、長芋掘りが最盛期を迎えています。一見平穏な秋の風景ですが、忌まわしき軍国主義の足音が近づいていることを、あなたは知っていますか。OLD JAPAN-1930s 【1930年(S5)頃の日本】たくさん寄せられたコメントが嬉しくもあり、哀しくもあり。平和は命をかけないと守れないというパラドックス。

★妻女山山系の自然については、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、森の動物、特殊な技法で作るパノラマ写真など。蝶の写真はこちらにたくさんあります。

川中島合戦の際に、上杉謙信が七棟の陣小屋を建てたと伝わる陣場平に行くと、枯れ野原ではあるものの、まだ緑が色濃く残る様に驚かされました。信濃柿も例年なら、もう木になったまま干し柿になり始めているのですが、まだぷっくりとしています。干し柿になって落下したものは、タヌキなど森の動物たちの冬の重要な食料になります。信濃柿は渋柿ですが、干し柿になると甘く、非常に美味しいのです。二年前には、青い実を採って柿渋も作りました。

知っているムラサキシメジのシロを五カ所ほど回ったのですが、雨が降っていないため、見つかったのは5本だけ。森の貴婦人は、写真の様に枯れ葉に隠れているため、所謂キノコ眼がないと発見できません。ムラサキシメジは、落ち葉を白色腐朽する落葉分解菌のキノコなので、主に広葉樹林の林内に出ます。不思議なことに南米を除く世界中に見られるキノコです。フランスでは、ピエ・ブルー(Le pied Bleu)といって高級食材です。豆腐とすまし汁、味噌汁、鍋の具、きのこうどん、バターソテー、グラタン、クリームパスタなど色々合いますが、新信州郷土料理としておすすめしたいのが、ムラサキシメジのおやきです。作り方は、丸ナスのおやきと同様にムラサキシメジを刻んで油と味噌で和え、小麦粉の皮で包み、油で焼いてから蒸します。ムラサキシメジの香りと旨味が閉じ込められて、それは美味しいおやきができあがります。辛党は豆板醤を入れてもいいでしょう。

キノコ狩りの後で、妻女山里山デザイン・プロジェクトのBBQパーティーをよく開かせてもらったKさんのログハウスに立ち寄りました。落葉松の黄葉をバックに狂い咲きしたヤマツツジが、なんとも奇妙でした。主の亡くなったログハウスは、葬儀の翌日預けてあったものを取りに行ったついでに私が掃除したのですが、さらに重機や散乱していた石も片付けられていて、沈黙の佇まいの中にありました。初夏に切り倒した落葉松の切り株に腰掛けて、暫くログハウスと遠くの北アルプスを眺めていました。彼とはこの冬の伐採計画をたてていました。その計画は、残った仲間たちと粛々と進めて行かなければと思ったのですが、まだ彼がいなくなったことが、どうにも実感できないのです。不思議と悲しいという感情は生まれず、無常感に包まれた静かな時が流れて行きました。「時が去って行くのではない。去って行くのはいつも我々だ」という言葉を思い出しました。彼との付き合いは4年ほどと短いものでしたが、おそらく互いに救われたし、密度の濃いものだったと思うのです。アマゾン辺りを200日放浪したことが10年分の経験に相当した様に、彼との4年間はそれ以上の密度があったと感じています。

落葉松もやっと黄葉になり、寒風の度にチリチリと音を立てて舞うようになりました。落葉松の黄金色の雨は、信州の晩秋の風物詩。ヒヨドリジョウゴの赤い実や、アオツヅラフジの青い実(どちらも有毒)が目立つようになりました。コムラサキの鮮やかな紫が黄色い森に映えます。かなり遅れてはいますが、季節は確実に移ろっています。森の中に、ノスリに襲われたと思われる土鳩の羽が散乱していました。生物は生物を殺めないと生きてはいけないのです。シロとブランカと名付けたニホンカモシカの母娘にも出会いましたが、すっかり冬毛に変わっていました。

黄金色に輝く落葉松の葉が木枯らしでみな落ちると、信州にも本格的な冬がやってきます。林道は落葉松の落ち葉で橙色に染まり始めました。霧に濡れた林道を走ると、タイヤに橙色の千鳥格子の模様が付きます。

連休ということで、妻女山には何人もの人が訪れていました。斎場山へ行くという男性に鞍骨城跡のことを話すと、予定を変更して鞍骨山まで行くことにしたというので、詳しいコースの説明をしたり、ログハウスに訪れた二人のライダーには堂平大塚古墳の説明をしたり。別のライダーには、林道倉科坂線の説明をしたりと、山仕事をしながら、ガイドもこなした錦秋の一日でした。麓では、長芋掘りが最盛期を迎えています。一見平穏な秋の風景ですが、忌まわしき軍国主義の足音が近づいていることを、あなたは知っていますか。OLD JAPAN-1930s 【1930年(S5)頃の日本】たくさん寄せられたコメントが嬉しくもあり、哀しくもあり。平和は命をかけないと守れないというパラドックス。






★妻女山山系の自然については、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、森の動物、特殊な技法で作るパノラマ写真など。蝶の写真はこちらにたくさんあります。