風林火山のブームで、この夏川中島は大賑わい。海津城、八幡原、妻女山と、どこへ行っても観光客ばかり。さすがに猛暑で、36度の日中には人影もまばらでしたが、そこは信州、夕方になると涼風が吹き、人も戻ってきます。毘と龍の旗がはためく妻女山(赤坂山)展望台には、オオムラサキが舞い、観光客がひきもきらずに訪れていました。
確かに現在の妻女山は、国土地理院の地図にもあるように、標高411mの招魂社と展望台の有る場所ですが、これは明治以降に命名されたところです。本当の妻女山は、斎場山古墳にその起源を持ち、標高512mの斎場山こそが妻女山なのです。それ故、第四次川中島合戦を語るときに、赤坂山を妻女山として始めると、謙信の布陣図や別働隊の動きなどの考証がおかしくなり、全てが間違いになってしまうのです。今までに出版された多くの川中島合戦に関する本が、この間違いを犯しています。
但し、無理もない理由もあります。この妻女山山塊では、清野側にも岩野側にも、妻女山、妻女とつく字や小字が何カ所もあるからです。思うに、江戸時代に上杉謙信が布陣した辺りを、里俗伝に従い岩野も清野も勝手に妻女山、或いは妻女と命名したからにに違いありません。
しかし、妻女山が斎場山を起源とすることは明らかであり、よって本当の妻女山は斎場山古墳のある頂きしかないのです。
今回の「風林火山」ブームの中で、再び「天と地と」の時のような間違った通説が広まることを危惧するものです。また、妻女山は戦国時代の山だけではなく、古代科濃国の斎場であり、重要な場所であったということ広く知って欲しいと思うわけです。そういうことから一念発起して、「妻女山の位置と名称について」の研究をしてきました。
興味のある方は、本当の妻女山について研究した私の特集ページ「妻女山の位置と名称について」をご覧ください。古文書が多く読みにくいでしょうが、次男が作った3Dによる妻女山地図や武田別働隊の進軍経路図、古地図、古い写真などもあり盛りだくさん。地元でしか分からない事実もあり、歴史好きには楽しんでいただけるページだと思います。
また、今回のトレッキングのフォトレポは、モリモリキッズでアップしました。
それにしても戦国時代の遺恨は今に受け継がれているんですね。謙信の陣地妻女山に風林火山の旗が無いのは当然として(麓にはたくさんあります)、上田ではしつこいくらいに立ち並んでいた風林火山の旗が、村上義清の里、坂城に入ったとたんに一本も無いというのも、当たり前とはいえ驚きです。もっとも小学校の校歌にまで、「名将村上義清」と歌われているくらいですからね。市町村合併流行りの昨今ですが、上田と坂城の合併だけは、未来永劫無いだろうなと思った次第です。
「赤々と日はつれなくも秋の風」芭蕉 妻女山会津比売神社参道入口芭蕉句碑
確かに現在の妻女山は、国土地理院の地図にもあるように、標高411mの招魂社と展望台の有る場所ですが、これは明治以降に命名されたところです。本当の妻女山は、斎場山古墳にその起源を持ち、標高512mの斎場山こそが妻女山なのです。それ故、第四次川中島合戦を語るときに、赤坂山を妻女山として始めると、謙信の布陣図や別働隊の動きなどの考証がおかしくなり、全てが間違いになってしまうのです。今までに出版された多くの川中島合戦に関する本が、この間違いを犯しています。
但し、無理もない理由もあります。この妻女山山塊では、清野側にも岩野側にも、妻女山、妻女とつく字や小字が何カ所もあるからです。思うに、江戸時代に上杉謙信が布陣した辺りを、里俗伝に従い岩野も清野も勝手に妻女山、或いは妻女と命名したからにに違いありません。
しかし、妻女山が斎場山を起源とすることは明らかであり、よって本当の妻女山は斎場山古墳のある頂きしかないのです。
今回の「風林火山」ブームの中で、再び「天と地と」の時のような間違った通説が広まることを危惧するものです。また、妻女山は戦国時代の山だけではなく、古代科濃国の斎場であり、重要な場所であったということ広く知って欲しいと思うわけです。そういうことから一念発起して、「妻女山の位置と名称について」の研究をしてきました。
興味のある方は、本当の妻女山について研究した私の特集ページ「妻女山の位置と名称について」をご覧ください。古文書が多く読みにくいでしょうが、次男が作った3Dによる妻女山地図や武田別働隊の進軍経路図、古地図、古い写真などもあり盛りだくさん。地元でしか分からない事実もあり、歴史好きには楽しんでいただけるページだと思います。
また、今回のトレッキングのフォトレポは、モリモリキッズでアップしました。
それにしても戦国時代の遺恨は今に受け継がれているんですね。謙信の陣地妻女山に風林火山の旗が無いのは当然として(麓にはたくさんあります)、上田ではしつこいくらいに立ち並んでいた風林火山の旗が、村上義清の里、坂城に入ったとたんに一本も無いというのも、当たり前とはいえ驚きです。もっとも小学校の校歌にまで、「名将村上義清」と歌われているくらいですからね。市町村合併流行りの昨今ですが、上田と坂城の合併だけは、未来永劫無いだろうなと思った次第です。
「赤々と日はつれなくも秋の風」芭蕉 妻女山会津比売神社参道入口芭蕉句碑