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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

妻女山陣場平の貝母(編笠百合)の生育状況。髻山の可憐なセリバオウレン再び(妻女山里山通信)

2019-03-31 | アウトドア・ネイチャーフォト
 まず妻女山の陣場平の貝母の群生地へ。髻山へ行くので車で登ろうとすると、走って登ろうとする地元の男性と邂逅。そこへ下山してきた東京からの男性とも邂逅。拙書と当ブログも紹介し、陣場平や古代科野国のことなどを話しました。大河ドラマ「真田丸」の影響もあり、全国からたくさんの歴史マニアや歴女が訪れます。

 上杉謙信が七棟の陣小屋を建てたという陣場平の貝母(編笠百合)です。もう大きな蕾が見られます。これは開花も早いですね。4月15日には満開になっていると思います。見頃は21日頃までと思います。
 貝母は、花後に六角形のさく果をつけ、下に向かって種を飛ばしますが、その時強風が吹くと飛びます。東風に乗って飛ぶので、どんどん西へ増えていくわけです。そして、梅雨のさなかに溶けるように消えてしまう、節分草やカタクリと同じ、スプリング・エフェメラル(春の儚い命・春の妖精)の一種なのです。
 ここは、2008年に帰郷して2009年のゴールデンウィークに発見したものです。当時は入れないほどのとんでもない藪で4畳半ほどの小さな群生でした。切り開いてその後参加した仲間と保全活動を初めて、ここまで増えました。
 薬草としての貝母については、「乾燥させた鱗茎は貝母と呼ばれる生薬として日本薬局方に収載されており、粉末が去痰・鎮咳・催乳・鎮痛・止血などに用いられる。貝母は、清肺湯、滋陰至宝湯などの漢方処方に用いられる。鱗茎をはじめ全草にフリチリン・フリチラリン・ベルチシンなどのアルカロイドを含む。心筋を侵す作用があるので副作用として血圧低下、呼吸麻痺、中枢神経麻痺を引き起こす事もある。また、呼吸数や心拍数が低下する事もあるため、使用時は量に注意すべきである。」(Wiki) とあります。

(左)朝露に濡れた貝母。(中)妻女山里山デザイン・プロジェクトのメンバーと作っている原木栽培の椎茸が出始めました。(右)梅も満開です。森の杏も開花宣言が出ました。そして、髻山のセリバオウレンの人知れず咲く群生地へ向かいます。

 雄花。中央に退化した雌しべの赤紫が見えます。

 両性花。雌しべの周りに雄しべ。雌しべだけの花もあるそうですが、探したのですが見つかりませんでした。今年はほとんどが両性花でした。昨年とは違います。どうしてこうなるのでしょう。

 雄花。退化した雌しべがないものもあります。

 雄花。同じ株から雄花と両性花が咲いているものもあります。下の純白のものは萼片です。その上の淡い黄色のものが花びらです。周りに雄しべと中央に退化した雌しべ。

 前回はあまりに寒くて山頂には行きませんでしたが、今回は山頂へ。男性が登ってきました。その後、二人の若い女性が。撮影したセリバオウレンの写真を見てもらいました。ついでに拙書と当ブログも紹介しました。里山が好きな人が増えてくれると嬉しいですね。左手前は天測点。東側方面の眺めです。志賀高原方面。山頂周辺は、4月にカタクリが咲き、その後シロバナオドリコソウが咲きます。

 横手山や笠ヶ岳方面の眺め。白根山も見えていますかね。

 下山して、行きたかった庚申塚古墳へ。5世紀前半に築造といわれる前方後円墳です。ここからは眼下に善光寺平が一望できます。遠くに古代科野国の初代國造という森将軍塚古墳も見えます。この古墳の主はどんな人だったのでしょうか。

可憐なセリバオウレン。北信濃の春を告げる花の群生地を探しに上杉謙信の山城がある髻山へ(妻女山里山通信)
GWの前半は、山菜採りと松代夢空間のハイキングと春爛漫の髻山へ(妻女山里山通信)
北国街道沿いの上杉謙信の山城がある髻山へ季節の移ろいを求めて。縮緬山椒を作る午後(妻女山里山通信)
上杉謙信の城跡が残る花の山、髻山。読めないですよね(妻女山里山通信)

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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上杉謙信の山城跡のある髻山に人知れず咲く可憐なセリバオウレン。山蕗で馬鹿旨の郷土料理(妻女山里山通信)

2019-03-23 | アウトドア・ネイチャーフォト
 昨年、群生地を見つけたキンポウゲ科のセリバオウレン(芹葉黄連) がそろそろ咲いているだろうと撮影にでかけました。23度にもなった前日とはうって変わり昼になるほど気温が下がってなんと5度。北風も吹いて寒の戻りの寒い日でした。登山道を外れ、獣道しかない藪山をかなり歩いて群生地に着くと咲いていました。
 どんよりとした曇り空なのであまりいい写真が撮れなかったのは残念ですが。

 雄花です。真ん中に雄しべに隠れて退化した赤紫色の雌しべが見えます。左奥の花は、萼片の先も赤紫に染まっています。雄しべの根本が少し黄ばんでいるのも分かります。大きなのは5枚の萼片で、その内側の少し黄ばんだ10枚ほどの小さなものが花びらです。生薬の「黄連」は根茎を乾燥したものでベルベリン(アルカロイド)などを含み、消炎、止血、精神不安に効く薬です。薬草ですが、貝母と同じく毒草でもあります。

(左)カタクリで有名な髻山ですが、このある場所にセリバオウレンの群生地があります。カタクリの後には、これも可憐なシロバナオドリコソウが咲きます。(中)山藤の実。豆は炒って食べられます。(右)藪山を少し迷いつつたどり着いた群生地。昨年と比べると草丈が低く、花も少し小さめです。

 雄花ですが、白花で、中央に赤紫の退化した赤紫の雌しべは見られません。花の直径は、1センチあるかないか。昨年は草丈が20センチぐらいのものもあり、葉ももっと生い茂っていました。昨年の様子と比べてみてください。動画もあります。
可憐なセリバオウレン。北信濃の春を告げる花の群生地を探しに上杉謙信の山城がある髻山へ(妻女山里山通信
GWの前半は、山菜採りと松代夢空間のハイキングと春爛漫の髻山へ(妻女山里山通信)
北国街道沿いの上杉謙信の山城がある髻山へ季節の移ろいを求めて。縮緬山椒を作る午後(妻女山里山通信)

 こちらは少し離れた場所にあるもうひとつの群生地。手前は中央に赤紫の退化した赤紫の雌しべがある雄花。

(左)両性花。真ん中に雌しべ。周りに雄しべ。雌しべだけの雌花もあるようです。(右)黄色い花ではなく、これは残花ではないでしょうか。

 帰路で日当たりの良い場所に山蕗がたくさんありました。袋いっぱい採れました。スギヨのビタミン竹輪とかき揚げにしたり、蕗味噌にします。今が旬のホタルイカと和風パスタにしても美味です。苦味はデトックスに。ニホンカモシカも食べます。セリバオウレンの葉も食べます。

 帰り道から須坂市方面の眺め。冬に戻った様な寒い日でした。三寒四温の三寒ですね。
 髻山の記事の一覧です。
上杉謙信の城跡が残る花の山、髻山。読めないですよね(妻女山里山通信)

 その山蕗で二品作りました。左は信州人のソウルフード、スギヨのビタミンちくわとのかき揚げ。衣に塩を入れます。さくさくで馬鹿旨。右は蕗味噌。ごま油で粗切りの山蕗を炒め、仲間と作った自家製信州糀味噌を加え、料理酒と本味醂、和風出汁で炒めます。アツアツご飯にはもちろん、おにぎりの具に、焼きおにぎりには塗って、酒の肴にもぴったりです。旬のホタルイカと和風パスタにしても美味です。

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妻女山陣場平の貝母・真田信之の御霊屋の長国寺・松代夢空間(妻女山里山通信)

2019-03-17 | アウトドア・ネイチャーフォト
 拙書や当ブログ、信濃毎日新聞の記事で知られるようになって、毎年何百人もの人が訪れる様になった妻女山奥の、上杉謙信が陣小屋を建てたと伝わる陣場平の貝母の生育状況を観に行きました。下山後は長男と待ち合わせて松代の長国寺へ。祝神社も参拝した後、こむぎ亭へ餃子を食べに。その後、御霊屋が寺になった清野の林正寺へ。戸倉上山田の万葉超音波温泉に入って帰宅。花粉の飛散もほとんどなく、平穏な一日でした。

 まず、妻女山奥の陣場平へ貝母(編笠百合)の生育状況を観に行きました。昨年と同じく早いです。この状態だと、見頃は4月の15日から20日頃になるでしょう。拙書にも当ブログにも満開の写真を載せていますが。それは見事なものです。妻女山里山デザイン・プロジェクトのメンバーと保護活動をしています。今日は、天城山へ向かう父娘かなと邂逅。斎場山や貝母の陣場平、拙書や当ブログも紹介しました。これからハイカーが激増します。里山好き、歴史マニア、山城マニア、サイクリスト、トレラン愛好者、野鳥マニア、山菜刈りなどなど。

(左)早いですね。薬草として中国から古くに持ち込まれたものですが、誤って食べると死亡することもある強い毒草です。慎ましく可憐な花ですが、決して持ち帰らないでください。(中)貝母の手前に山蕗。ビタミンちくわとかき揚げにすると馬鹿旨です。(右)セリバオウレンの小花。これも薬草であり毒草です。

 長男と待ち合わせて、松代の真田家の菩提寺、長国寺へ。御霊屋と呼ばれる長国寺の真田信之の霊廟へ。以前も雪降る日の参拝を記事にしました。黒漆塗の荘厳な建物です。今後修復作業で2,3年観られなくなるので、今が見頃です。格天井の絵は、可能探幽作。
松代藩の祖 真田信之の御霊屋と墓所のある長国寺へ。真田宝物館へも(妻女山里山通信)
長国寺公式サイト

(左)左甚五郎作と伝わる二羽の鶴。(中)両側の木鼻には、内向きに唐獅子、外側には麒麟。見事な木彫ですが、誰の作でしょう。(右)四代真田信弘公御霊屋。

(左)真田信之の墓。ここだけ鳥居があります。(中)真田信綱、幸隆、昌幸の供養碑。(右)真田幸村父子の供養碑。上田から松代に転封されたのは、左遷とガイドの話。徳川との結びつきが強かったにもかかわらず、戊辰戦争でいち早く新政府軍についたのは、真田の身代わりの速さとか。

(左)開山堂。もとは三代真田幸道公のために享保12(1727)年に建てられた御霊屋。明治5年(1872)に同寺が伽藍諸堂を焼失したため、同19年(1886)本堂再建の際、この霊屋を現在の場所に移築して開山堂としたものです。方三間の宝形造、桟瓦葺。肘木などの細部には見事な細工が残っており、長野県宝に指定されています。(中)紅梅が咲き始めていました。遅い信州にも春の兆し。(右)近くにある祝神社へ。
松代の祝神社と皆神山の皆神神社(熊野出速雄神社)へ参拝と撮影に行った小春日和の好日(妻女山里山通信)
 この長国寺と千曲市森の岡地にある天満宮には、不思議な関連があります。
 −−−菅原道真を祀る岡地天満宮。この神社には、菅原道真の木像と、法華経妙荘蔵王品一基が所蔵されていますが、菅丞相書『法華経並びに親作木像記』によると、どちらも菅原道真自作のものと伝えられています。 岡地に安置されるようになった経緯は非常に複雑です。もともとの所有者は、江戸城を築城した太田道灌(「七重八重花は咲けども山吹の実の(蓑)ひとつだになきぞ哀しき」の逸話で有名)が足利学校で学んだ折りにもらい受けたとされています。ただし、道真公からどういう経緯を辿って足利学校に所蔵されるようになったかは不明です。
 第四次川中島合戦の折に、ここ岡地には観音堂の大伽藍があったそうですが、戦火のために焼失したと縁起には記されています。その後、湯島天満宮に納めようとしたのですが、不慮の変があり果たせず、徳川家康の手に渡り、三代将軍家光へ、さらに幕府の官医であった土岐長庵の手に渡ります。土岐長庵は松代藩の真田家と懇意だったようで、真田家の菩提寺の松代長国寺(曹洞宗)に遺贈されました。更にその後しばらくは、松代の長国寺にあり、長国寺十七世千丈寛厳和尚が千曲市森の岡地に華厳寺を開いて隠住したとき(1785年)に森の岡地に天満宮を造って安置したのが始まりということです。
 現在では華厳寺は檀家も途絶えて廃寺となり(母はここで演芸会をしたそうです)、天満宮だけがあります。天満宮には、かの米山一政氏が驚嘆したという平安末期-鎌倉初期の作といわれる一刀彫の像があります。さらには、幻の善光寺五重塔建立のための試作品とされる名工・立川和四郎富棟作の「惣金厨子」があります。---
 詳しくは、下記の記事で御覧ください。

信州千曲市森のあんずが開花しました。見頃は今週末。妻女山の貝母もすくすくと成長(妻女山里山通信)

(左)昼は近くの「こむぎ亭」へ。餃子20個1200円。美味です。(中)昔ながらのやさしいラーメン600円。実は松代中学の同級生でサッカー部で一緒だった同級生の店です。(右)「松代夢空間」。拙書も売られています。ハイキングのインタープリターもしています。つるし雛が飾られていました。真田十万石の松代を散策する際は、ぜひ訪れてください。貴重な情報が得られます。色々なパンフレットや書籍、土産グッズがあります。
NPO法人夢空間松代のまちと心を育てる会

(左)その後、温泉に行く前に、清野にある林正寺へ。ここには松代藩二代藩主、信政の御霊屋があります。なぜここに移築されたかは不明です。相当寂れて傷んでいます。早急に修復が必要です。(右)波風の唐獅子。

木鼻の、かなり風化が激しいですが、左は貘、右は唐獅子と思われます。
来週末は、誰も知らない上杉謙信の山城がある拙書でも詳しく紹介の髻山へ、人知れず咲くセリバオウレンの群生地に撮影に行きます。場所を公開できないのは、保護もありますが、登山道から遠く離れた藪山の中で道もなく遭難する恐れもあるからです。里山を甘く見てはいけません。

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信州の千曲市倉科杉山の節分草群生地へ。素敵な出会いでセリバオウレンの群生地も。5回目の『ボヘミアン・ラプソディ』(妻女山里山通信)

2019-03-09 | アウトドア・ネイチャーフォト
 昨年に続いて春の訪れが早いですね。節分草の北限といわれる信州千曲市の杉山に撮影に行きました。平日なので誰もいないだろうと思いましたが。二台の車が。一台はなんと青森ナンバー。群生地へ登っていくと二人の男性が。貴重なお話が聞けました。更に貴重な植物の群生地へも連れて行ってもらいました。撮影に戻ると、金沢から来られた父娘と邂逅。当ブログと拙書の紹介もしました。

 可憐な節分草。早春に咲き、2、3ヵ月でその年の生活サイクルを終え消えてしまう植物は、スプリング・エフェメラル(Spring Ephemeral、春の妖精、春の儚い命)と呼ばれます。セツブンソウの種は、アリが巣に運んで発芽する虫媒花。アリ散布植物です。石灰質の土壌を好み、晩秋から冬の間に、地中深くにある黒褐色の塊茎から発芽します。種子から開花まで3年以上かかるわけですから、林床の環境が良い状態で続かないと生育できません。昔は雑木林に入って草刈りや灌木の除伐や薪拾いをしたので、明るい林床にセツブンソウがたくさん咲いたのだとか。カタクリと同様、人の暮らしと密接な関係にある植物だったのです。ですから、盗掘や自生地の環境が破壊されると真っ先に消える植物です(絶滅危惧植物II類)。節分草は、万葉集には詠われていませんが、平安時代の「本草和名」や「倭名類聚鈔」に「以倍仁礼(いえにれ)」という古名で登場します。

 花の直径は約2センチ(ここのは小さく、約1センチ)。花びらに見えるのは萼です。先が黄色く見えるのが退化して蜜腺になった花びらです。千曲市の群生地は、他に戸倉のものが有名で訪れる人も多いのですが、倉科の群生地は訪れる人も少なく静かに鑑賞や撮影ができます。

(左)節分草の説明。(中)長野県鳥獣保護管理員のS氏と邂逅。この丸い葉は1年目のものだとか。(右)2年めの葉。3年目か4年目で開花するそうです。

(左)そのS氏に、次は髻山のセリバオウレン、続いて妻女山陣場平の貝母を撮影に行きますと言ったら、セリバオウレンの群生地が近くにあります。行きませんかと。驚きました。早速現地へ。なんと咲き始めていました。(中・右)これは雄花でしょう。髻山のと比べると草高は半分、花も半分ほどの大きさです。葉がないものが見られましたが、ニホンカモシカの食痕です。山蕗も食べられていました。次にヒメギフチョウの舞う場所に案内してもらいました。ニホンカモシカは、ひとつの植物を食べ尽くすことはありません。驚くほど多様な植物を食べます。それが氷河期から現在まで生き延びてきた理由なのでしょう。
可憐なセリバオウレン。北信濃の春を告げる花の群生地を探しに上杉謙信の山城がある髻山へ(妻女山里山通信):人知れず咲くセリバオウレンの見事なお花畑。

 清野氏の山城、上杉景勝も籠城した鞍骨城跡。もちろん拙書でも詳しく載せています。カタクリと猛毒のヤマトリカブトの群生地があります。『真田丸』以降、全国から歴史マニアや山城マニアが訪れます。探訪にはぜひ拙書をお買い求めください。10本のエッセイも他では読めない内容だと思います。

 万葉の里、倉科から望む白馬三山。

(左)撮影に行く前に、昼食は篠ノ井消防署隣の長崎亭へ。(中)斜向かいの紅日香。激辛味噌ラーメンが激旨です。(右)前回は長崎ちゃんぽんをいただいたので、今回は皿うどん。美味です。隣の二人の御婦人は刺身定食を召し上がっていましたが、何度も美味しいと言っていました。長野市では最高レベルの刺し身が食べられる店だと思います。ご主人は長崎出身とかで、味は本物です。

(左)メニューです。リーズナブル。(中・右)鮮魚のメニューが並びます。海のない信州では貴重な店です。

 翌日は、5回目の『ボヘミアン・ラプソディ』を観に行きました。千曲川の土口水門から望む北アルプス。仁科三山。一番右に頭だけ見える五竜岳。左に双耳峰の鹿島槍ヶ岳。右の平家の落人が隠れ住んだと伝わるカクネ里に日本で5番目、信州で初の氷河が確認されました。『ボヘミアン・ラプソディ』は、春休みなので20人以上の、高校生かな、観に来ていました。フレディ・マーキュリーが亡くなってから随分経って生まれた彼らですが、どんな想いを抱いたのでしょうか。最高気温は17度。千曲川の水位は雪不足で低いのが分かります。このままでは田植えに影響が出ることは必至です。
Queen - "Hungarian Rhapsody: Live in Budapest" (1080p / 60fps / 5.1 Surround)


Freddie Mercury - Freddie's Ballads (30 minutes long)


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上杉謙信が七棟の陣小屋を建てたという妻女山山系の陣場平へ。貝母の芽吹きと満開の予想(妻女山里山通信)

2019-03-03 | アウトドア・ネイチャーフォト
 妻女山里山デザイン・プロジェクトの仲間と保護活動をしている陣場平へ、春の妖精・スプリング・エフェメラルのひとつ貝母(編笠百合)の芽吹きを観察に行きました。暖冬なので芽吹きも早いだろうとでかけました。もちろん拙書『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林でも紹介しています。マスコミでも紹介されたため、何百人も訪れるようになりました。

(左)仲間が作ってくれた陣場平の標識。妻女山の駐車場から右の林道を登り、15分で長坂峠の分岐。林道を左へ5分ほど歩くと、堂平大塚古墳との分岐に、この標識があります。前方の落葉松林の向こうが陣場平。(右)西向きの斜面に山蕗。蕗味噌や蕗とスギヨのビタミンちくわとかき揚げにしていただきます。苦味が美味しい春のデトックス山菜です。

 陣場平。仲間が作った落葉松のベンチ。ベンチの向こうにクマノミズキ。左には信濃柿(豆柿)が。ここに保護活動をしている貝母の群生地があります。

(左)落ち葉を押上げて、時には突き破って貝母が芽吹いています。(右)まだ寒いのでアントシアニンで赤紫色のものも。昨年に続き今年も開花と満開は早いでしょう。見頃は、4月15〜20日頃だと思われます。薬草として栽培されていたものですが、誤って食べると死亡することもある毒草です。決して持ち帰らないでください。
 昨年の満開の様子。4月の茶花なので、茶道を嗜む女性にはお馴染みの野草です。慎ましやかですが、群生すると見事です。丸まった葉先で互いを繋ぎ、この時期に発生する爆弾低気圧の突風から身を守っています。
信州妻女山の陣場平の貝母(編笠百合)が満開。来週末(21・22日)まで見頃!(妻女山里山通信)


(左)陣場平の北東の角にある菱形基線測点。地理史の重要な遺構です。インタープリタとしてここに案内したときには、必ず解説をしています。当ブログでも記事にしています。(右)陣場平入り口の西向きの斜面の貝母は、日当たりが良いので青々としています。
茶臼山有旅と妻女山陣馬平の菱形基線測点。地理史の重要な文化財(妻女山里山通信)

 妻女山(旧赤坂山)展望台から善光寺平(川中島)の北方の眺め。AC長野パルセイロのホームスタジアムの向こうに拙書でも紹介の飯縄山。左に戸隠富士と呼ばれる高妻山。

 東方の松代方面。上信越自動車道のカーブの向こうに松代城址(海津城跡)。奥の山は拙書に掲載の奇妙山。山頂には古い城跡があります。この奇妙な山名の由来は、拙書で詳しく説明しています。

(左・右)上杉謙信槍先の泉。実は2回移動しています。江戸時代には、この泉をめぐって霊水騒動がおきました。
上杉謙信槍尻之泉の新事実発見!妻女山湧き水ブームとは・・(妻女山里山通信)


 所要のついでに立ち寄った千曲川対岸の東福寺の堤防から望む妻女山山系。妻女山は本来は赤坂山。斎場山が本来の妻女山で、斎場山は本名です。上杉謙信の本陣といわれるのは、この山頂です。拙書でも載せている鞍骨城跡は、清野氏の山城。『真田丸』以降、全国から山城マニアが訪れています。妻女山から約90分です。標識も完備されています。春には、まずダンコウバイが咲き、スミレが咲き、やがてカタクリも咲き誇ります。信州の里山散策をしてみませんか。

 昨年の4月20日の満開の貝母です。例年ならば4月25日頃からゴールデンウィーク中頃までが満開なのですが、間違いなく今年も早いでしょう。


『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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