映画『沈まぬ太陽』(原作:山崎豊子)が10月24日に公開されます。そのモデルが小倉寛太郎さんであることは有名です。作品は、「モデル小説」という事実を元にしたフィクションですが、巷やマスコミの関心は、各登場人物が実在の人物ではだれか、事実はどうだったのかというような点に集約され、報道も過熱しました。
基本的に私は、『沈まぬ太陽』は、あくまでもフィクションだと思っています。真実に近づきたいならば、あらゆる立場の人に取材した緻密で公平なノンフィクションの本を作るべきでしょう。
ここでは、氏の経歴とかではなく、私が二冊の本を通じて関わり、体験したことを綴ってみようと思います。
私が小倉さんと出会ったのは、確か1991年の後半か92年の初めだったと思います。氏が主催していた「サバンナクラブ」の本を作りたいとこことで、仕事をすることになりました。私はアートディレクター、デザイナーとして参加しました。
なんといってもナイロビ左遷の憂き目にあった小倉さんですが、「捨てる神あれば拾う神あり」。アフリカの水は氏にピッタリと合ったようです。もし、アフリカに出会わなければ氏の人生は、労働運動活動家としてだけの、実に味気ないものになっていたに相違ありません。「アフリカの水を飲んだものは必ずアフリカに帰る」という言葉があるように、氏もまたその幸せなひとりだったのです。
本の名前は、『サバンナの風』。クラブの会員には、いわゆる有名人も多く掲載順や写真の選定、トリミングなどには非常に神経を使いました。既に高名なプロの写真家もいらして、そういう方の写真はギリギリまで寄って余計なものが全く写っていないので、基本的にノートリミングで使うしかないのですが、本の版形と写真の版形は違うため、版面いっぱいに断ち切りで使おうとすると、周り3ミリのどぶ(製本の際に断ち切られてしまう部分)でさえとるのが難しいという状況さえ出てきます。絶対に切れない一方に白場を設けてキャプションを入れることにしました。
ある日小倉さんから、「岩合さんの所へ行って写真借りてきてください。」と言われました。「岩合さんといえばライオンですね。ぜひ、これといういい写真を借りてきてくださいね。」
いい写真ねえ。ライオンなんて動物園でしか見たことがないし、どういう写真があるかも分からないし。ええいままよと岩合光昭さんの事務所に出かけたのでした。
岩合さんの事務所では、ご自身が膨大なライオンのまだマウントもしていない撮りたてのリバーサルフィルムをゴソッと出してくれました。私はルーペを片手にライトボックスに次々にフィルムを乗せて膨大な量のカットを見ていきました。さすがです、『ナショナル・ジオグラフィック』にライオンの写真が特集された方ですから。どのカットもライオンの姿形の迫力が手に取るように伝わってきます。しかし、もうひとつピンッとくるものに出会えない…。共通の知人の話や、アフリカと私が行ったアマゾンの違いなどを話ながら、選定を進めましたが、どうにも出会えません。思わずひとりで唸ってしまいました。
そんな時、赤ちゃんライオンのカットを見ていて、「赤ん坊のライオンて、親とは毛質がぜんぜん違うんですね。」と岩合さんに話しかけました。「ああ、そうなんだよ。分かる?」といって、奥から別のフィルムを持ってきてくれました。それは、4頭のライオンがやっと倒して仰向けになったバッファローに食いついているというものでした。しかも、天を向いたバッファローのアゴ先には、子供のライオンが必死の形相でかみついています。これだ!と思いました。連写の中から一番のカットを選び出し、「これお借りします。」と言って意気揚々と帰路に就きました。
「よくこの写真借りられましたね。いい写真ですよ。」小倉さんの笑顔を見て、私は一気に苦労が吹き飛びました。
困ったのは、会長をされていた作家の戸川幸夫さんに『サバンナの風』の題字を書いてもらってきてと言われた時でした。動物を主人公とした「動物文学」を確立させた方で、イリオモテヤマネコの学術的発見の手がかりを得た方でもあります。子供の頃に『少年サンデー』や『少年マガジン』の原作や学校の図書館にあった小説で、私にも非常に馴染みの深い方でした。それだけに、毛筆で題字を書いてもらうなんて、気むずかしい人だったらどうしようと思いながら出かけたのでした。
ところが、氏は非常に物静かな方で、こちらの無理なお願いにも心易く書いてくださいました。ところが、ところが、なかなか題字にできそうな字があがってこないのです。特に風という字がしっくりこないんです。何度も何度もお願いして書いていただき、最後は風という文字だけたくさん書いてもらいました。書道ではないので、結局たくさん書いていただいた文字から「サバンナ」「の」「風」の文字のいいものを選び出して組み合わせることにしました。この件に関しては小倉さんも苦笑していたのを覚えています。
小倉さんは、非常に緻密な方で、「写真もまず標本写真として通用すること」が基本です。まあ面白くもない写真にもなりがちですが、いわゆるイメージカット風はダメなんですね。また、私が全編写真ばかりなので奥付にはイラストを使いたいと思い、昔の欧州の画家が描いたアフリカの動物の木版画やエッチングを持参し、小倉さんに見せたのですが、全てボツになりました。理由は生物学的に間違っているからということでした。そして、ひとつひとつのイラストを指し示し、その生物学的な間違い箇所を説明してくれました。納得せざるを得ませんでしたが、私は困ってしまいました。すると見かねたのか、「私の絵を使ってください。」とのこと。「えっ! 絵も描かれるんですか?」と伺うと、「つたない絵ですけど。」といって後日何点かペン画を持ってきてくださいました。そして、その中から私が気に入った一点を使わせていただきました。
仕事が一段落すると、小倉さんとはよく雑談をしました。アフリカや私が放浪したアマゾンの話、自然保護の話、ハンティングを銃からカメラに持ち替えた話、アフリカの動物はほとんど食べたという話、アフリカを撮る写真家は多いのに、なぜアマゾンを撮る写真家は少ないのかという話、アフリカンに嫁いだ日本女性の話、アフリカを訪れた日本人観光客の面白い話など話題は尽きませんでした。前者の女性は、東京でアフリカ人の男性に出会って恋に落ち結婚したのですが、アフリカの彼の家に行ってみると奥さんがすでに10人ぐらいいたとかいう話です。一夫多妻を知らなかったのですね。後者は、ある朝サバンナに行くと向こうから明らかに日本人旅行者と思われる男性が物凄い形相で駆けてきたそうです。車を降りるとパニックの形相で、昨日ツアーで来たが置いていかれた。岩陰に隠れたが、獣の唸り声が聞こえて一睡もできなかったと英語でまくし立てたそうです。私は日本人です大丈夫ですよと言ったが、彼はそんなことは頭に入らず英語でわめき続けたそうです。今でも人なつっこい小倉さんの笑顔と、アフリカを語るときの情熱的な眼差しは忘れることができません。
70年代のアフリカの話ですが、「田舎の娘がナイロビのクラブにほとんど裸で出勤してくるんですよ。そして服を着て舞台に出る。踊りながら裸になって踊る。家に帰る時は、また裸になって帰るんです。」急速な近代化を迎えたアフリカのちょっと哀しい笑い話もしてくれました。
ナイロビに住んでいても野生動物を見たことがない人もいるんです。実際、来日して上野動物園で始めて実物のライオンを見たというアフリカンもいるんですよ。」と。
『サバンナの風』の氏の文章の一節に、好きな言葉として、こういう一文があります。
「ここ東アフリカの大地に立つと、夜空を仰いでは天文学者になればよかったなあと思い、大地の亀裂、大地溝帯の不思議さを見て、ああ地理学者でもよかったなあと思う。原野を走る動物を見て、そうだ、動物学者という手もあった。目を落として足元の花を見て、植物学者でもよかった…と。」
こんな風に思わせるのが、東アフリカの自然なのです、と。
アフリカを通じて、「自然の中の人類の位置を見直す。」ということを訴え続けた方でした。
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