モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

猛暑に思う人生で一番美味かったあの時のビールベスト10。海外編。 アマゾン、アンデス、ノルウェー(妻女山里山通信)

2023-08-11 | アマゾン
 猛暑日が続く長野ですが、実は天気予報とは異なるのです。中心街はヒートアイランド現象もあって暑いのですが、郊外はフェーン現象で乾いた南風が入り、夜は涼しくてエアコンも扇風機も不要なのです。そこまで天気予報は細かくも正確でもありません。観天望気が大事です。
 日中の猛暑は変わりありません。ゼフィルスに詳しい友人からも少ないですと連絡がありました。こんなに暑いとビールが甘露です。国産ビールは思い出が多すぎるので、外国で味わったビールのベスト10?をピックアップしてみました。もちろんこれら以外にも思い出のビールはたくさんあります。最近は信州もクラフトビールが増えてきて、いや本当に美味しいのです。

 海外は円高の頃に青春だったのでイギリスにフラットを借りて住んだり、南米放浪や。ノルウェーや香港などへも。当時は学生が頑張ってアルバイトすれば海外へ行けたのです。それもツアーではなくバックパックの旅。美大の友人たちも先に欧州や中南米へ旅立って行きました。そして私も。流行りにのったわけではなく。美大を出て出版関係のデザイナーやアートディレクターとして仕事を始めたのですが、自分の引き出しの無さに唖然としました。これでは一人前のクリエイターになれないと放浪を決心しました。学生時代に村上春樹さんに悩みを打ち明けていた時に、「こんな狭い日本でうじうじしてないで世界を旅してきなよ」と言われたことも大きなきっかけでした。求めたのは「カルチャーショック」。今の様に世界中の情報が瞬時に得られる時代ではありませんでした。『地球の歩き方』もなく、情報は日本や海外のアングラ雑誌などで。当時のブラジルやボリビアはハイパーインフレの時代。ブラジルは軍政、ボリビアは民生になってすぐ。いつ軍事クーデターが起きるかも知れず。放浪中に、アンデスで女性が、リオで男性が、いずれもバックパッカーでしたが殺害されたとの情報。危険回避も重要でした。生きて帰れないことも考えましたが、そうなったらそれが自分の運命だろうと。危険なことはたくさんありました。先に行った友人はエルサルバドルのバスでゲリラに襲われ九死に一生を得たし、間接的に知っているカメラマンはカメラを奪われそうになり抵抗して太腿を撃たれ3週間入院しました。それでも知識ではなく、体験を通してだけ得ることのできる、かけがえのない宝を好奇心が上回ったのです。撮影したカットは万を越えますが、想いのあるものを厳選して載せます。

 上の写真は1983年から1984年の200日余りのブラジル・アマゾン、ボリビア・アンデスの放浪の時の写真。原盤はリバーサルフィルムです。まず左からブラジルの世界遺産の街オリンダの泊まったホテル。二番目は、よく通ったバールの看板娘。彼女の供するキンキンに冷えたビールの美味かったこと。ポルトガル語がまだつたない私のいい話し相手にもなってくれました。小さいのに荒くれ者の男たちを愛嬌であしらうのです。ときには怒ったり。愛されていましたね。次はオリンダの家族。花があふれる本当に素敵な街でした。この街はアートの学校があって街中にアートが溢れていました。絶えず緊張を強いられたレシーフェと違って、ここは天国の様な街でした。

 アマゾン河中流の大都市マナウス。最初は市場です。乾季になると10mも水位が下がりずっと向こうまで砂浜になり市場や商店が並びます。知り合った日系人とアマゾンのジャングルの奥地の村に行きました。洗濯や水浴びをしていた家族。3番目はある女性ばかり3人の家に居候していた貧民街の景色。危険な所でもありましたが、人々は優しく私を受け入れてくれました。最後はマナウスのオペラハウス。ジャングルの中のマナウスはゴム景気で栄えたのです。映画『フィツカラルド』をみるとその狂気の栄華が分かります。この映画をなんと私はマナウスの映画館で観ました。アマゾンのビールの美味かったこと。二回目に訪れたときはかなりポルトガルも流暢になって冗談も言えるようになっていました。子供たちが私に日本の話しを聞きたくて集まって来ました。世話になっている女性たちとアマゾン河水浴に行って大きなパクーという大きな魚を塩焼きしたり、地元の少年たちと水泳の競争をしたら私があまりに速いので驚愕されたり。ただここでも悲しい事件は起きました。新婚旅行では、小舟をチャーターしてジャングルツアー。ピラニア釣りをしたり、船主の家でアマゾン料理を堪能したり、ビデオが3時間あまり残っていますがアマゾンを満喫しました。

 サンタレン。作家・開高健が『オーパ』のベースキャンプとしたアマゾン河中流の街です。91年新婚旅行でこの街を訪れたました。もちろんマナウスとベレンも。毎日小学生新聞に載った妻のイラストレポートをブログにアップしてあります。左のカテゴリーでアマゾンをクリック。撮影したビデオは3時間あまりありますが、妻は本当にリラックスして楽しんでいました。最初は川沿いの屋台。看板娘の少女。何度も通いました。河沿いには露天がたくさんあるのですが、これは世界一小さなおもちゃ屋と私が勝手に認定した店。知り合った日系人が紹介してくれたジャングルの中の先住民の家を訪れました。先住民の村で丸太をくり抜いたカヌーで釣りを楽しみました。これはその夕景。哀愁を感じながらしみじみと飲むビール。よくしてくれた家族の父親は金鉱でガリンペイロの元締めでしたが、私が帰国した後でトラブルで射殺されました。夫婦で金を貯めてスーパーをやるんだと言っていた夢は消えました。

 サンタレンその2。アマゾン河に面したおしゃれなレストラン。新婚旅行でも訪れました。アマゾンの魚がメインの食事も美味しい。ナマズのココナッツミルク煮は美味。遠くに見えるのは対岸ではなく中洲。1万トンクラスの客船が通り過ぎます。ジャングルへと続く赤土の道を100キロ近くで飛ばす。トラックで連れて行ってくれた日系人が横から出てきた豚の一家をはねた。豚が空を飛んでいった。立ち寄った牧場で逞しいガウチョ。アマゾン河畔の焼肉の屋台。美味い。アマゾン河の夕暮れ。新婚旅行では、白砂のアルテル・ド・ションという地元の人に人気の観光地へ。妻が水彩画を描いていると家族が描きあがるまで1時間半も見ていました。歌を歌ってくれてビールをごちそうになったり、ボートで中洲まで送ってくれた少年たちとの交流も楽しいものでした。

 84年の1月にボリビアに行きました。ジェット機が故障して緊急着陸とか大変でした。いきなり富士山より高い都市へ。高山病になりました。ボリビア最大の都市ラパス。1月なので花が咲く夏でした。アラシッタスという全てのものを小さくしておもちゃで売る楽しい祭りに遭遇。モルモットの姿焼きとかアルパカだかリャマだかのハンバーグ。知り合った大学の建築の先生に誘われてタクシーでチチカカ湖へ。途中で出会ったリャマを連れた少女。撮影すると全速力で谷を下って登ってニコッと笑って手を出しました。はい、ちゃんと撮影料を渡しました。チチカカ湖畔の教会。これが彼の目的。トロピカルバロック様式というのだそうです。内部も見ましたが、非常に詳しい説明をしてくれてとても勉強になりました。ラパスでは、ケーナを作る名手の工房を訪ねたり、ライブハウスへも。屋外のちょっと物悲しいルチャリブレも観ました。

 4000m超えのラパスからインディオのおばさんが鶏かかえて乗ってくるプロペラ旅客機で行った湿原地帯のトリニダッドへ。なんの用もなくここへ来た日本人はあんたらで4人目と5人目だと言われました(鹿児島の青年と行きました)。二枚目。船で暮らす家族と知り合いました。翌日訪れると息子が父親にボコボコにされていました。なんでも息子が小舟を売り払って飲みに行ってしまったそうです。3枚目、ベニ地方は美女の産地だそうです。笑顔の素敵な女性が多かった。最後は、JICAの人に誘われて数十キロ先の川に釣りに行ったのです。釣り終わる頃、数十キロ先の家族がトリニダッドへ商売するために来ました。今日はここでキャンプするとか。別れ際に我々が釣った魚を全部あげたら、すごく喜んだと同時に怪訝な顔をしました。食べるため以外の釣り、スポーツフィッシングを彼らは知らないのです。帰りにドイツ系移民のレストランで飲んだビールの味は忘れない。JICAの人がサングラスに黒いアタッシュケースでホテルに来たので麻薬の売人と間違われ、危うく大変な目に遭う寸前に。

 ブラジルに戻ってカルナヴァウ(カーニバル)は、リオから黒人のローマといわれるサルヴァドールへ。サルヴァドールでは、早稲田の学生だった彼と知り合いリオから旅して、海辺のアパートを借りました。とんでもなく活気があり同時に危険なものでした。カーニバルが始まる前に二人で郊外のプライア(浜辺)へ。5mもの大波がきれいにブレイクしています。見ると一人の少年が体をサーフボードにしてボディサーフィンをしています。これは面白そうだと加わりました。二人共遠泳したり潜ったりと海は得意でした。まず大波の壁に突っ込んで向こう側に抜けます。浮きながら次の大波を舞って来たら猛スピードで泳いでブレイクする大波の斜面を斜めに滑り落ちるのです。この感覚は本当に最高でした。しかし、あがり際が遅れると次の大波に巻き込まれて洗濯機の中。浜で見ている二人が大笑い。帰りのバスでは老若男女の乗客がパーカッションを鳴らしてカーニバル。運転手はクラクションでリズムを取って。
 最初のカットはガンジーの子供たちという面々のパワフルなおばちゃん達。フレンドリーを越えて可愛がられました。夜は危険極まりないのですが、昼はこんな可愛い子供たちのパレードもあるのです。何台もの大型トラックの上にバンドを載せて街を回ります。広場に来て大音量の演奏が始まると、それまで私達と談笑していた女の子達が一斉に飛び出して踊りだします。何千人という群衆が踊りまくるディスコと化すのです。鳥肌が立ちました。マフィアもいるし目の前でナイフを出して喧嘩が始まるし、麻薬で行った男に尻を蹴られて2mの黒人ガードマンがいるナイトクラブに逃げ込んだこともありました。写真の道連れの友人と知り合った女の子達とバールへ。友だちを殺したマフィオーゾがいると、彼女のアパートへタクシーにオレンジを投げつけられながら向かって無事を祝って乾杯。緊張感のあるビール。ブラーマとかアンタルチカという銘柄でした。

 目覚めると窓からはコバルトブルーの海。交代でマラクジャとかカシューナッツの果肉の美味しいジュースにクソ不味いブラジルのパンで朝食。時々お互いが知り合った女の子を招いてパーティーをしたり。その前には中心街である女性の可愛い息子と娘がいるアパートを借りました。夕方には大西洋に沈む夕日にアベマリアのメロディが流れる部屋にいたのですが、その女主人があまりに酷かったので中心街から離れたおばあちゃんのマンションに引っ越したのでした。彼女はカーニバルが嫌いで、その間旅行をするので部屋を貸すのだとか。ガラスのテーブルに熱い鍋を直接置かないでね。それと植木には毎日お水をあげてちょうだい。それだけが条件でした。最高でした。
 私は向かいの娼婦宿の二階で天然爆発電熱パーマをかけました。ブーツはレッドウィングのアイリッシュセッター。名品ですが、これを脱ぐと猛烈に臭くて女の子がのけぞったのでした。毎日が本当にエキサイティングで楽しい日々でした。ちょうどマイケル・ジャクソンの「エボニー&アイボリー」とか「雨音はショパンの調べ」が流行っていて、でも殆どはブラジルのカーニバルの曲なのです。昼寝して夜に備える。出掛けに飲むビール。出先で飲むビール。その後はマラクジャやライムで割ったバチーダ(カシャッサをトロピカルフルーツで割ったカクテル)を。ナイトクラブのはしごもしました。対岸のイタパリカ島へ。経験があったのでディンギーを借りて洋上クルーズを満喫しました。カーニバルが終わった後の虚脱感はそれは凄いものでした。私は彼と別れてひとりアマゾンへと向かいました。前年に世話になったマナウスの家族に再び会うために。

 アマゾン河河口の大都市ベレン。日系人のペンションに投宿。港の市場で大きな肥料の袋いっぱいのカニを買いました。宿の女中の女性に茹でてもらって、投宿していた日系人の人達も呼んでカニパーティー。淡水カニでモズクガニの大きな物みたいですが、超絶美味です。ビールも美味い。二番目はそのペンションで知り合った日系人の青年から結婚式なんだけど来る?と言われて行くことにしました。これは泊めてくれた家の庭なんです。夕方になるとジャングルの中に行っていた放牧馬が帰ってくるのです。白馬がいたり、それは幻想的で美しい光景でした。河口の街ベレンの市場。アロワナや大きなナマズ。世界最大の淡水魚のピラルクーも売られています。新婚旅行で行ったときに妻はピラルクーのフリッタ・ミラネーザのあまりの旨さに絶句していました。私はビールで流し込みました。最後はベレンのサンダルを売る女の子。日本語のシャツを売る店もあって、サンタレンでは少年が、夫の友人との情事とプリントされたシャツを着ていて、ひっくり返って笑いました。いやこれ日本でもありますよ。
■WALDIR AZEVEDO -Brasileirinho ; original

 ブラジルの音楽というとサンバとかボサノバを思い出すと思うのですが、ショーロ(ショリーニョ・Chorinho)というメランコリックな音楽があります。ある時ベレンで停電があった時に向かいの家が防犯のためでしょうね。大音量でショーロを流しました。私はペンションのドアの外に腰掛けて聴き惚れました。その家の少年も出てきて、私は親指を立ててほほえみました。大好きになって帰国する前にLPをたくさん買いました。ショーロとはポルトガル語で泣くという意味が語源。Brasileirinhoというのはブラジルのちょこまか動く小さな男の子のこと。光景が浮かびます。帰国するとき35枚のLPを持っていたら税関の人が一枚一枚見始めて、これはいい、これは最高だいい耳をしてるねとか品定めし始めて。私は後ろに並ぶブラジル人達にごめんなさいと言ったのですが、皆苦笑いしていました。これらのLPは宝物です。

 大蛇を持ち上げる女の子。先住民の土産物を売る少女。アマゾン河とセニョリータ。甘くほろ苦い思い出。色々おまけしてくれた焼肉屋台のおばちゃん。オリンダの海岸でおばあちゃんと海水浴に来ていた少女。サルヴァドールの美容室。客は我々以外は皆ボアッチ(自由恋愛のできるナイトクラブ)に出入りする夜の女性たち。彼女たちにからかわれながらパーマをかけました。階下にはエビをココナッツミルクで煮たムケッカ・デ・カマロンというものすごく美味しい料理を出す女性が一人でやっている小さなレストランがあってほぼ毎日通いました。お手伝いもしたり。結婚して妻にも教えて作ってもらいました。息子達も大好き。

 4年後にマナウスの貧民街で世話になった女性が再婚してノルウェーに。遊びにおいでというので出かけました。彼女の娘はアマゾン時代の私をはっきりと覚えていて。空港で出逢ったときには飛びついてきて顔中にキスをしてベトベトにしてくれました。アイスクリームが大好きで甘えん坊、でもきちんと自分の意志は言う。お母さんが大好き。最初に、チェルノブイリ3年後で、キノコと川魚は絶対に食べちゃ駄目と言われました。25度以上になると白樺でしょうかケサランパサラン、何かの種が大量に飛ぶのです。クリスチャーノ・ロナウドの出身地でもあるマデラ諸島出身の青年が居候していて、友人の娘の誕生日のケーキを取りに行ったら娘のスペルが間違っていて、どうしようと話していたら店員の女の子が「この人達何語で話しているのかしら」と。その時私達はポルトガル語で話していました。スペルのミスは私が直しました。ノルウェー人と結婚した日本人の御婦人の家で飲んだ、北欧のビールの甘露。フィンランドには東郷ビールなるものがあるのです。今日も明日も明後日も、ビールを飲むために私の体は存在する。

この記事は、ついこの間まで存在していた20年続いた我が家のホームページ「CAPINO」からの抜粋です。tok2の広告表示の無料サイトが突然閉鎖されました。そのためアクセスが多かったトレッキングやネイチャーフォト、妻のグルメサイトや水彩画のサイト、息子達のペーパークラフトのサイトが消えました。復活は技術的な部分で非常に負担が多く不可能に近いのです。今後、当ブログで少しずつ再編集して行こうと思いますが、情報量があまりにも多すぎてどうしようか思案中です。いずれにせよツイッターなどSNSも永遠なんていうことはないのです。古代の石板や洞窟絵の方が今のDVDやデータより遥かに保存性永続性が高かったのだと思います。写真もデータも儚い。

インスタグラムはこちらをクリックツイッターはこちらをクリックYouTubeはこちらをクリックもう一つの古いチャンネルはこちら。76本のトレッキングやネイチャーフォト(昆虫や粘菌など)、ブラジル・アマゾン・アンデスのスライドショー

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、
『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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30数年前のアマゾン新婚旅行。妻が描いた某大手新聞の小学生新聞の記事画像を発見!Saudade de meu amor.(妻女山里山通信)

2022-11-03 | アマゾン
 ブラジルで大統領選挙があり、前大統領のルーラ候補が当選。現職大統領ボルソナロが破れました。汚職で逮捕された前大統領が当選も驚きですが、アマゾン開発を推進し熱帯雨林を3分の1にしてしまったボルソナロが破れたのは地球にとって人類にとっていいこと。ただルーラが南北格差と経済問題を解消できるかは甚だ疑問ではあります。それ以外の選択肢がなかったブラジル国民は不幸といえます。統一教会と創価の自公カルト政権の日本はもっと悲惨ですが。
 そんなブラジルは、私にとって第二の故郷ともいえる国です。叔父が私が1歳の時に移民したこともあり、物心ついて最初に覚えた外国がブラジルでした。そして、アマゾンが好きになり1983〜84年に200日余りのブラジル・ボリビアを放浪したのです。そして、三度目には新婚旅行で2週間あまり訪れました。それをある大手新聞社の依頼で、小学生新聞に妻がイラストレポートを描きました。探していたのですが見つからず諦めていたのですが、古いハードディスクに画像が残っていました。それをアップします。これは息子達も見たことがないと思います。記事にもありますが、一眼レフに当時まだ珍しかったソニーのビデオカメラを持っていきました。そのビデオが3時間あまりあります。息子が変換する会社に依頼してmp4にしてくれました。これは宝物です。

 最初はアマゾン河河口から1500キロ上流にあるマナウスです。1900年前後をピークとする未曾有の生ゴム景気の時代、一攫千金をねらう人々の欲望が渦巻くマナウスは魔都と呼ばれました。アマゾンなのに南米で最初に市内電車が走り、わざわざイタリアから輸入した大理石で、パリ・オペラ座のレプリカ、テアトロ・アマゾナス(アマゾナス劇場)が造られ、アマゾンの奥地に黄金帝国が築かれたのです。泊まったのは確か14階建てのホテルの12階。屋上にはプールとレストランがありました。マナウスの街と遠くジャングルが見えました。ここでは小舟をチャーターしてジャングルクルーズをしました。ピラニア釣りと100種類以上ある南国フルーツのアイスが妻は気に入った様です。4mの大蛇にはビビっていましたが。現地の優しい人達との交流も心に残りました。地元の人がお気に入りの公園の野外レストランのお母さんの料理(ピラルクーのピラフなど)は忘れられません。

 次はサンタレン。サンタレンは、タパジョス河に面したアマゾン河中流の中核都市。日系人も多く、作家の故開高健が『オーパ!』執筆の基地とした町です。郊外にある三ツ星のトロピカルホテルに滞在。タクシーをチャーターして1時間ほどの白砂の中洲がある風光明媚なアルテル・ド・ションという小さな村へ。妻が水彩画を描き始めると皆が集まってきて完成まで1時間半も見ていました。その家族とは色々話してお父さんが歌ってくれたりビールをご馳走してくれました。地元の子供達と遊んだのもいい思い出です。地元のレストランで食べた、地上最大の淡水魚ピラルクーのミラネーザは細かいパン粉で揚げたフライですが、巨大なヒラメの縁側を食べているような旨さ。忘れられない味です。そして口が痺れるタカカスープも絶品でした。毎日ホテルのベランダから観るジャングルに沈む夕日の美しさに息を呑みました。毎朝プールサイドでいただくトロピカルフルーツ満載の朝食は至福の味でした。

 最後はアマゾン河口の大都市ベレン。アマゾンのパリと呼ばれる美しい街です。テムズ川が一年かかって海に流す水量を、たった一日で流してしまう長さ6770kmの大河アマゾン。河口の幅が東京ー名古屋間とほぼ同じで、その間にマラジョー島という九州とほぼ同じ面積の中州を抱えています。その河口にある人口120万人の大都市がベレンです。四つ星のホテルに滞在。猛烈な暑さに参りましたが、高級レストランのナマズのソテーやココナッツミルクで煮込んだ料理、アマゾンのカニをすりつぶしたスープは絶品でした。なんと私達に五人のボーイがつきました。私達だけのために生演奏も。街で突然襲われたもの凄いスコールや檻にパンフレット通りの動物がいない不思議な動物園や、アマゾンのスーパーパワーフードの「マニソーバ」を堪能しました。
 こんな旅ができたのも、バブル崩壊の直後とはいえ、まだ円高だったからです。現在の円安では無理でしょう。アベノミクスの悪政は、日本経済を根底から壊しました。大企業は税金を払っていません。消費税戻税や輸入戻税、減額された法人税で内部保留を500兆円も溜め込んでいます。もう少し利口になりませんか。このままだと、外国人労働者も賃金の低い日本には来ません。労働者が集まらず休業や倒産する企業も出てきます。先祖が馬鹿だったから日本は滅びたと言われない様に、覚醒しないとだめだと思います。
 叶うものならば、もう一度アマゾンへ旅をしたい。

AMAZONN.JP-アマゾン一人旅(フォト・エッセイ):アマゾンやアンデスで出会った愛すべき人達、サルヴァドールでの熱狂のカーニバル。ノルウェイに移民したアマゾンの母子。新婚旅行の逸話なども写真と共に。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。地形図掲載は本書だけ。山の歴史や立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。10本のエッセイが好評。掲載の写真やこのブログの写真は、有料でお使いいただけます。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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ペットフードやハンバーガーのためにアマゾンの熱帯雨林が消える。[CAPINO] SAVE THE RAINFOREST

2012-01-14 | アマゾン
 カピーノのモデル「カピバラ」は、南米の三大大河(オリノコ・アマゾン・ラプラタ)流域に生息する、世界最大の齧歯類です。つまり、ネズミの仲間です。体長は1.3メートル、体重は70キロにもなります。ジャングルというよりは、湿地帯や沼地の水辺に、群を作って生息しています。ブラジルの大湿原、パンタナルでは、牧場にもすんでいます。雨期には湿原全体に散らばり、乾期になると減少した水辺に集まってきます。

 足には水かきがついていて、ぬかるんだ所も平気。泳ぐのも得意で、ジャガーなどに襲われたときは、10分以上も潜っていることもできます。彼らの食物は、イネ科の植物や水草です。雌は120日前後の妊娠期間の後、2~8匹の子供を産みます。食物連鎖では下位に位置する彼らは、用心深く常に群で行動し、草を食べるときも必ず周囲を監視しています。
 
 アマゾンでは、その存在はありふれたもので、ジャガーのように生態系のほぼ頂点に座るものでもなければ、ピラニアのように誇張された生態によって有名になってしまったものでもありません。カピバラは、その辺の水たまりにいくらでもいたありふれた動物だったのです。

 基本的には用心深く慎重ですが、餌を食べた後子供を忘れて帰っていってしまうような、おちゃめな面もあります。そのありふれたカピバラが現在激減しています。 ライオンタマリンやマナティーのようにレッドデータブッ クには載ってはいませんが、だからこそ熱帯雨林の保護のシンボルになるといいなあと考えています。

[CAPINO] SAVE THE RAINFOREST 【カピーノ:ジャングルを守れ!】

大きな画面で見るには、画面上のタイトルをクリックして、Youtubeのページを開き、フルスクリーン&ハイビジョンでご覧ください。BGMは、GarageBandによる自作です。

■フォト・エッセイ「―ここからすべてが始まった―<アマゾンひとり旅>AMAZON.JP」1983-1984年の200日余りの、時に抱腹絶倒、ブラジル・ボリビア・アマゾン放浪記

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世界一短い?御伽話と大爆笑の南米文学(妻女山里山通信)

2009-12-06 | アマゾン
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 経験者は分かると思いますが、幼児を寝かせつけるというのは結構大変なもので、御伽話(おとぎばなし)なんぞはいい題材なのですが、なにせこちらも疲れていたりすると、桃太郎の話に金太郎が出てきたり、桃太郎が鬼に負けてしまったり、挙げ句の果てには宇宙へ消えてしまったりと、途方もないものになったりしたものです。

 そして、もっともっとという際限のない要求にも参ったものですが、そんなとき便利なのがこのお話でした。二歳ぐらいでしたか、なぜかこの話を長男はえらく気に入ったようで、ある日電車の中で始めたそうです。
 「むかしむかしあところに、(るが言えない)おじいさんとおばあさんがいました……おしまい。」というものです。隣に座っていた女子大生とおぼしき女性が思わず吹き出してしまったそうです。

 そこで、吹き出しつながりで南米文学です。冬の夜長に久しぶりに読み始めました。著者は、元国際ペン会長、大統領候補、大爆笑、シネマ。なにか結びつかないような感じです。もう二十数年前のことです。みなそうするように私もよく通勤電車の中で本を読みました。あるとき買ったばかりの南米文学のハードバックを読んでいました。とにかく面白い本で、時折クスクスと笑いながら読んでいたのです。

 そして、ある部分にさしかかった時にこらえきれずにガハハハハッと大爆笑してしまったのです。周りの人はビックリですね。いや恥ずかしかったです。そんな面白い本はなに?って思った人もいるでしょう。さすがにそれ以降は読めなくなってしまいましたが、内心はああ読みたい!今すぐ読みたいと思っていました。

 ここまで読んで、あああれかと思った方はかなりの南米文学通? 本は、マリオ・ヴァルガス・リョサの『パンタレオン大尉と女たち』高見英一訳《新潮・現代文学の世界》です。原題は、PANTALEON Y LAS VISITADORASですから、パンタレオンと訪問者たち。英訳本は、CAPTAIN PANTOJA AND SPECIAL SERVICEです。これも意味深な、しかし意味が分かると爆笑もののタイトルです。

 この本は既に絶版になっていて古書店では定価より高い値段で売られているとか。シリーズものですから、大きな図書館ならあると思います。内容は、くそがつくほど生真面目なパンタレオン・パントハ大尉が極めて優れた事務処理能力を買われ、軍人のための慰安婦部隊を密林内部に設定するよう命じられて、アマゾンジャングルの奥地に赴くのです。彼はしごく真面目に任務を遂行し、やがて指揮する慰安婦部隊は国内最大の売春施設へと発展していくのですが…。あとは読むことをお勧めします。面白いだけでなく、強烈な風刺や人間観察の鋭さもあって充分読み応えがあります。アマゾンに行ったことがあれば更に数倍は楽しめるかもしれません。舞台はイキートスですが、私はかつて魔都と呼ばれたマナウスのジャングルと街を思い出します。

 ただ、文章は映画的手法が使われていて、突然場面が変わったり、インサートされたり飛んだりとするので、そのつもりで読んでいかないと、なにがなんだか分からなくなります。まるでヴアルガス・リョサは、これを映画化することを念頭において書いたかのようですが、実際に「囚われの女たち」という邦題でDVDにもなっています。これは、まだ観ていないのでぜひ手に入れて観たいと思っています。

 ヴアルガス・リョサ?知らないなあという方も、フジモリ氏と大統領選挙を戦って破れた人というと、ああそうかと思うかも知れません。もうひとりの南米文学の巨匠、ガルシア・マルケス(鞄じゃないですよ)とは、仲が悪いので有名? 私は両方読みますが…。ガルシア・マルケスの『百年の孤独』は、三ヶ月かかって読んだ記憶があります。圧倒的な孤独と魔術的リアリズムの世界を堪能できます。私は彼の短編集が好きです。『無垢なエレンディラと無情な祖母の悲惨な物語』は、その中でも特に好きな作品。映画化もされましたが、これも秀作でした。ビデオを買って何度も観ています。

 そのほかにも、ロザ・ドノーソ、マヌエル・プイグ、A・カンペティエール、ボルヘスなどなど、冬の夜長に南米文学。きっとはまります。

★【AMAZON.JP-アマゾンひとり旅-】をご覧ください。スリリングなアマゾンひとり旅のフォトエッセイです。
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「ブラジルへの郷愁」レヴィ=ストロース

2006-03-02 | アマゾン
クロード・レヴィ=ストロースといえば、構造主義の原典となった「悲しき熱帯」が有名ですが、本書は、その著者が二台のライカで撮った1930年代のブラジル、アマゾンの写真集です。美しいモノクロ写真と共に彼のスケッチも入っています。

白亜の高層ビルの建築が始まったサンパウロと、対照的に300年余りの白人による侵略の中で、追いやられ、殺され、略樽されて未開人へ転落したある部族。しかし、同時に見られるジャングルで暮らす先住民たちの逞しさと美しい笑顔。

アメリカ大陸発見と欧米人は言いますが、先住民は「俺たちがどう猛なお前達を発見したのだ」と言うかもしれません。そして忘れてはいけない、おぞましい民族大虐殺(ジェノサイド)。文明の不幸な衝突は古くて新しい問題。ヨーロッパ中心主義が破壊したものは限りなく大きい。それは、同時に日本にも置き換えて見ることができるものでもあるのです。近代化による世界的な画一化とそれに対する過激な抵抗。

それでも無邪気な笑顔を見せる少女、裸で戯れる子供達の姿には、心が和みます。しかし、同化政策や入植者、金堀人たちとの軋轢で、この光景の多くが失われた過去のものであることも事実なのです。
真に美しいものは忘却の彼方にある、のかもしれません。

「ブラジルへの郷愁」レヴィ=ストロース
川田順造訳 みすず書房
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