モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

上杉謙信の陣城跡、貝母の群生地がある陣場平へ。福寿草が咲く堂平大塚古墳(妻女山里山通信)

2022-01-29 | アウトドア・ネイチャーフォト
 週末の善光寺平は晴れました。久しぶりに妻女山へ。高速をくぐった先の謙信槍尻の泉のカーブが鬼門なので見に行くと、誰かが滑り止めに土を撒いてくれていました。猪狩りの猟師たちでしょうか。ありがたいですね。ここの危険性を分かっている方です。おかげで車で招魂社奥の駐車場まで登ることができました。土を撒いたのは、トラックが止まっていますが、左の林道で作業をしている人達がしてくれた様です。伐採や、灌木の掘り出し作業をしていました。

 妻女山の駐車場。スパイク付きの長靴に履き替えて、ここから歩きます。猟師の轍もあって、車で登れないことはないのですが、やはり相当気を使いますし運動不足解消もあります。

 6番目のカーブ。ここも結構難関なのです。以前、山仲間のKさんとMさんが、二台のバックホー付きブルドーザーで除雪をしたのですが、凍結したこのカーブで登れなくなり、もう一台のバックホーで押し上げてやっと登れたことがありました。実はこのカーブの場所には、浅い場所に水脈があって年中湿っているのです。それが凍結するともうどうにもなりません。

 アニマルトラッキング。左は副蹄が見えるので猪。右は梅の花の様な足跡で狸です。狸はあちこち寄り道するので足跡がグニャグニャ曲がっています。狐はほぼ真っすぐ歩きます。

 長坂峠。日当たりが良いので雪は溶けています。右が斎場山(旧妻女山)。山頂は古墳なので丸く平ら。上杉謙信が最初に本陣としたと伝わっています。

 左へ陣場平へ向かいます。眼下に土口の集落。三滝川の向こうは雨宮の集落。向こうの長い尾根は、五里ヶ峯から一重山まで続く五一山脈の先端。蹄ケ崎といいます。手前に北陸新幹線の高架が見えます。その向こうの里山は、桑原から姨捨辺り。篠ノ井線や長野自動車道が中腹を通っています。

 陣場平へのほぼ平坦な林道。御天上というところです。右の太い山桜は立ち枯れして危険なので、数年前に妻女山里山デザイン・プロジェクトのメンバーで伐採しました。立ち枯れの伐採は、伐採の振動で落枝があったりして大変危険です。この右下に根本の直径が80センチぐらいあるクヌギの巨樹があったのですが、数年前に突然崩れるようになくなってしまいました。現在は、その周囲のクヌギが枯れています。ナラ枯れ病ではないかと危惧しています。
ナラ枯れ被害対策マニュアル─被害対策の体制づくりから実行まで(林野庁補助事業)

 その向こう側左のギャップは、妻女山里山デザイン・プロジェクトが最初に伐採した森です。伐採前は、ダンコウバイとカラコギカエデで真っ暗な森でした。伐採してギャップを作ったことで、訪れる鳥や昆虫が増えました。ただ帰化植物が侵入してきたので、毎年除草をしていますが、完全に駆除はできていません。
その作業記録は、MORIMORIKIDS Nature Photograph Gallery の一番下の「妻女山SDP」の1〜15をクリックしてください。16以降は、このブログで紹介しています。

 正面の丘が陣場平。入り口は、すぐ先を左へ50mほど登るのがひとつ。もうひとつは、林道をS字に登ると「堂平大塚古墳」の大きな標識と、左に「陣場平 貝母群生地」の標識があります。そこから小道を50mほどで陣場平に出ます。貝母は、4月10日頃から20日頃が見頃になります。開花情報は、このブログでアップしていきます。4月の茶花なので茶道を嗜んでいる方はご存知だろうと思います。俯いて咲く慎ましやかな花ですが、群生するとそれは見事です。これだけの群生地は、日本でここだけです。

 左は副蹄らしきものが見えるので小さめの猪か。右はニホンカモシカかなと思ったのですが、副蹄ぽいものが見えなくもない。雪が溶けて分かりにくくなっています。

 菱形基線測点越しに見る陣場平。昨年の7月にメンバーで周囲の球根を掘り出して中央に植える作業を何度もしました。球根は種と違って大きなものは翌年に花を咲かせるので、どれぐらい増えるか楽しみです。このブログを見て、またローカルのマスコミでも紹介されたので来られる方も増えました。コロナの前は、富山、新潟、東京などからも。日本の里山でこれだけの貝母の群生地はここだけです。4月にはコロナが沈静化していることを祈ります。友人の信頼できる医師のアドバイスに従って、ノーベル賞を取った北里大学の大村教授が開発した治験が完全に済んでいるイベルメクチンをネットで購入し、ドラッグストアでナザールスプレーを購入。亜鉛も。出かける時は必ず使用。政府やマスコミを信じていたら生き残れません。そういう時代です。
妻女山陣馬平の貝母を発見してからの保全活動の歴史。今年も満開です(妻女山里山通信):たったひとりで初めた里山保全活動は3年続きました。そして、見ていたKさんが参加。高校時代の仲間も参加してくれました。そしてここまでするのに12年。その歴史です。そしてそれは今後も続きます。ただこの保全活動は全て自費で行っています。今後、どうすべきかの過渡期に来ています。NPOにすると補助とかありますが縛りもあります。クラウドファウンディングも考えています。それにも援助してくれた方達に応える責任があります。里山保全は、行政の補助なども含めて非常に難しい局面にあるのです。今後、仲間達と相談してどう将来に繋げていくか熟慮したいと思います。

 東を見ると松代方面。ロイヤルホテル長野のビルが見えます。松代城(海津城)は、その右手前。上杉軍もこの様な風景を見ていたのでしょう。右手前の枝の山は、倒木や落枝の処理をしたものです。春に毎年行う山仕事です。

 北を見ると、眼下に千曲川。この冬枯れの時期にだけ見られる景色です。サッカーの試合がある日には、対岸のスタジアムからチャントがここまで聞こえます。松本山雅、長野パルセイロ共にJ2に上がって欲しいものです。信州ダービーは、やはりJ2やJ1で見たいですね。

 陣場平の北西の隅に一基だけある積石塚古墳。ここが上杉軍の陣城となる前は、もっとたくさんの古墳があったのではないでしょうか。上杉謙信槍尻の泉の上にも三基の積石塚古墳があったそうですが、桑畑のために壊されました。全国では、積石塚古墳は1%ぐらいですが、信州では25%もあるのです。ツングース系の騎馬民族である高句麗の人々が、唐に滅ぼされて豪族が大量に来日し帰化したのです。篠ノ井は、高句麗の前部秋足が篠井性を下賜されたもので、それが篠山や篠ノ井の元となりました。茶臼山近くに篠井神社があります。高句麗の人々は、埼玉や東京など関東にも移住し、狛川や狛江市の地名で残っています。かなりの数の高句麗人が帰化したのでしょう。

 林道へ戻ります。左へ登ると天城山(てしろやま)経由で鞍骨城跡へ。象山へループコースもあります。健脚なら鏡台山へも。拙書の地形図を合わせると、鏡台山、五里ヶ峯と森将軍塚古墳で20キロのループコースが組めます。右下へ下ると300mで堂平大塚古墳。

 堂平大塚古墳入り口。私有地につき立入禁止とありますが、古墳の見学なら大丈夫です。マナーを守って見学してください。左奥にログハウスがあります。妻女山里山デザイン・プロジェクトの作業の昼はバーベキューで使わせてもらっています。晴れていれば、北アルプスの仁科三山が見えます。

 横穴式の堂平大塚古墳。

 古墳入り口。松城群発地震で多少壊れましたが、その後修復作業もされた様です。

 古墳内部。重機もないのにどうやってこの巨大な岩を天井に乗せたのだろうと思います。高度な技術を持った渡来人がいたのでしょう。

 古墳の丘に咲き始めた福寿草。大寒が過ぎたばかりですが、自然は春の訪れを敏感に感じ取っている様です。

 古墳から西の展望。眼下に千曲川。北陸新幹線の向こうに長野自動車道。北アルプスは稜線が見えません。

 国道403号の妻女山入り口。北向きなので、高速のトンネルをくぐった先は圧雪と凍結した路面です。必ず路面状況を確認してから登ってください。毎年JAFの世話になる車が何台もいます。左上が妻女山展望台。歩いても10分もかかりません。今回の大失敗は、靴下に貼るホッカイロを入れてこなかったこと。体は動くと温かいのですが、足先が異常に寒い。凍りそうです。そんなわけで、帰りはほぼ走って下りました。慌てて温泉へ。今回は戸倉上山田の観世温泉。エメラルドグリーンのぬるいお湯が極楽でした。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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野沢菜漬けと冬野菜の炒め物で作るチャーハンとはさみおやき。長芋のパンケーキ。ノリタケのボーンチャイナ(妻女山里山通信)

2022-01-26 | 男の料理・グルメ
 手作りの野沢菜漬けも乳酸発酵してきました。ラブレ菌とかいうそうです。2月になると発酵が進み酸味も出てきます。京都のすぐき漬けや木曽のすんき漬けの様に。この善玉菌は、腸の働きを活発にしたり、病気の感染を防いだり、消化管の免疫力を高めてくれたりします。その結果、便秘解消や肌のトラブル解消、病気予防、疲労回復、老化防止などの効果があり、それが長野県が長寿県であることの一因になっているとか。善玉菌や豊富な食物繊維に加えて、ナトリウム、カリウム、亜鉛、ビタミンA、βカロテンなどが豊富に含まれています。

 そんな年を越した野沢菜漬けで作るのが、野沢菜炒めです。野沢菜だけでもいいのですが、今回は冬野菜の甘い人参と大根と合わせて。野沢菜は一度水に漬けてすぐ絞り少し塩分を抜きます。人参と大根は突きます。味付けは、干し小海老、鰹出汁粉、炒り粉、ホタテパウダー、本味醂、コショウ。炒め油はゴマ油と紅花油。このまま白飯にのせても常備菜として美味しいおかずになりますが、色々な料理に使えます。
野沢菜福建炒飯:以下全てオリジナルレシピです。

 野沢菜と冬野菜炒めを使ったチャーハン。乳酸発酵した野沢菜漬けと雪中冬野菜の甘さと旨味でスプーンが止まりません。米は仲間と作ったコシヒカリです。

 もう一品は別の日に、はさみおやきの具にしました。皮は日穀製粉のホームラン粉にとろろを同量入れます。こうすると軽くなり胃もたれしません。他には炒り粉、卵、日本酒を入れ混ぜます。水は粉の半量が目安。耳たぶより柔らかいくらい。26センチのフライパンにゴマ油と紅花油とかを入れ、粉を半量敷きます。具をたっぷりとのせて残りの生地で覆います。フタをして中弱火で6分。上が少し固まり始めたら、エイヤッとひっくり返します。またフタをして6分で出来上がり。
 ここで食器好きの方は気がついたと思うのですが、皿は美大生時代に国立のやま芳という陶磁器店でバーゲンで買ったノリタケのプリマストーンの27センチプレート。今回調べたら8500円で売っていましたが、当時は二つ買ったのですが、ひとつ1000円ちょっとだったと思います。思い出しました。この皿は手作り餃子で頻繁に使いました。26センチのフライパンで餃子を同心円に並べて作ると、32個がのるのです。餃子専用プレートでしたね。これを食べざかりの息子達のために三皿分作りました。余った分は水餃子にしたり(中国人は逆ですが)。我が家は餃子の日は中国人の様に餃子しか食べなかったのです。包むのも家族全員で作ったので週末の料理でした。
切り干し大根と野沢菜漬けのおやき

 その長芋のとろろ100%のパンケーキです。我が家の定番料理でした。具や油、調味料を変えると和洋中華エスニックなんでもできるのです。油や塩分を抑えると離乳食にもなります。写真のものは、ベーコン、みじん切りの長ネギ、すりおろし人参にマジックソルト、白出汁麺つゆ、コショウで味付け。油はオリーブ油と綿実油のブレンド。やや多めで強火で一気に作るのがコツ。焦げがついたら混ぜて中に入れ、まとまり始めたら混ぜずに両面をカリッと焼きます。中はフワフワ。皿はノリタケのスリランカで、後述します。バックに敷いてあるレースですが、うん十年前にブラジル、アマゾン、ボリビア、アンデスを200日放浪したときに、ブラジルの中部の世界遺産の美しい古都オリンダで買った椰子の繊維も使って織ったレースのテーブルクロスです。在京時代は円形のテーブルに敷いて上に透明なビニールクロスを敷いていました。ブラジルの甘いショリーニョが聞こえてくる様な美しいテーブルクロスです。

 冬野菜にも飽きてくると、春を感じたくなります。で、ほぼ毎年作るのが牡蠣と菜の花のペペロンチーノです。ペペロンチーノの作り方はあまりにも一般的なので記しませんが、菜の花を1分ぐらい下茹でしておくことと、最後にちゃんと乳化させることがポイントですね。皿は、これもノリタケの超人気シリーズの花更紗。

 ゴボウも和風で食べるのに飽きたので定番のサラダに。マヨネーズ、粒辛子、おろしにんにく、岩塩、煎りごま。私は粒マスタードがかなり入ったものが好みです。ベーコンソテーとサンドウィッチのフィリングにしたり、ツナとゆで卵と合わせても美味。太い堀川牛蒡だと肉詰して洋風にもできます。

 これはずっと前のものですが、春になると出回り始めるカタクチイワシを骨もまるごとミンチにして、とろろ、人参、長ネギ、ヒジキ、煎りゴマ、片栗粉、酒、卵を入れて混ぜて油で揚げます。息子達が小さい頃によく作りました。さつま揚げやしんじょは、とろろを入れると上品な料亭の味になります。魚の種類をアジとか白身魚やイカ、エビに変えるとまったく異なる料理に返信します。サーモンや塩鱈で作ってフランスパンやカンパーニュに挟むと馬鹿旨です。
手作りオイルサーディン
手作りアンチョビー

 既読の本二冊(左)と買ったばかりの二冊(右)。いずれも古書でネットで探しました。左二冊は同時に読むとよく分かります。左の『中国正史 倭人・倭国伝全釈』鳥越憲三郎著。春秋戦国時代に国の滅亡ゆえに渡来した弥生人を中国正史から紐解いています。魏志倭人伝にいわく、日本からの朝貢の者が、「我々は大伯の後(すえ)なり」と言っていることです。大伯とは古代中国春秋戦国時代の呉の開祖といわれる人物です。日本に渡来した弥生人が彼ら。『古代史の謎は「鉄」で解ける』竹村公太郎著。日本に多大な影響を与えた高句麗のことが詳しく書かれています。滅びた高句麗の人々が信州や関東にたくさん渡り定着しました。長野市の篠ノ井や東京の狛江は高句麗に由来します。海洋学の専門家の視点から見た古代の人の半島や中国本土からの移住の説明にリアリティと説得力があります。ちなみに高句麗人は、ツングース系の騎馬民族で、日本に馬産を伝えました。なぜ色々なスタイルの古墳があるのかについても言及しています。弥生時代から古墳時代にかけて、大量の移民があったということです。それは、60万人から400万人へと、当時の激烈な人口動態をみれば分かります。
『西暦535年の大噴火』。トンガの大噴火を見て買い求めました。文明の滅亡や人類史を変えるほどの大噴火が実は何度も起きていたのです。特に西暦535年の大噴火は、人類滅亡の危機といえるほどのものでした。西暦535年で検索してみてください。1、2世紀の倭国大乱や天照大御神・卑弥呼の時代にも世界的な大噴火があった様で、それが時代を大きく動かしたと思われます。
『女のいない男たち』村上春樹。珍しく小説を買いました。2月に映画「ドライブ・マイ・カー」を観に行くつもりなので、その前に読んでおきたいと買いました。私が美大生時代にアルバイトをしていた彼の国分寺のジャズ喫茶を描いた「国分寺・国立70sグラフィティ」を読んだ方は分かると思いますが、私は彼の初期の作品しか読んでいません。でも、今回は読んでみたいと思いました。

 ノリタケは、古くから欧米で人気の高級ボーンチャイナで有名な陶磁器メーカーです。貧乏美大生時代に、ボロアパートですが、食事はたまに奮発して洋食を作りました。それでお洒落な食器が欲しいとセールで買ったのです。左は、ノリタケの超人気商品の花更紗。4400円とありましたが、ノリタケのサイトでは在庫切れ。東洋風の小花模様が非常に美しい。真ん中は、NORITAKE Legendary SLILANKA。27センチ。5500円。右は、Giovanni Valentino ITARY のMOMOYAMA。どれもフルセットで揃えると15万ぐらいする高級品ですが、端物がセールに出ると結構安く買えるのです。メルカリやヤフオクでは、かなり安く買えます。妻がプランタン銀座でカフェメニュー教室の講師をしていてサポートをしていましたが、撮影のためにロイヤルコペンハーゲンとかウェッジウッドとかも買ったりいただいたりしました。現在は使われることもなく倉庫の中です。和食器も備前とか有田、明和窯赤とか色々あるはずですが、倉庫の中です。息子達がそれなりの家庭を築いてくれたら譲ろうと思っています。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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千曲市倉科の三滝へ氷爆の撮影に。アニマルトラッキングも(妻女山里山通信)

2022-01-22 | アウトドア・ネイチャーフォト
 大寒過ぎた週末は、最低気温がマイナス9度。起きたら寝室が1度。リビングは0度でした。暖房を入れてもすぐには暖まりません。パソコンはドライヤーで温めてから起動しました。天気はピーカンで北アルプスがくっきり。これは久しぶりに三滝の凍結が見られるかもしれないと出かけました。途中高速下のカーブで自損事故の車。警察が来ていました。その前後が雪がないので油断して40キロ超えで突っ込んでスピンしたのでしょう。高速下のカーブは、日陰で凍結していました。
 三滝へは林道が冬季閉鎖なので手前に駐車して雪道を登ります。途中軽トラが、猪狩りの猟師たちが入っているとのこと。三滝とは反対の山域なので大丈夫と教えてもらいました。三滝までは1.5キロぐらい。雪道を登ります。

 三滝の一の滝。先に来て撮影していた男性と邂逅。なんでも朝9時から来ているそうです。もう午後1時近く。粘りましたね。私は寒いのでとっとと帰ります。氷瀑は暖冬の時はできません。また、その年の気温の変化や降雪の具合で変わります。つまり同じ氷瀑は二つとないのです。拙書の鏡台山のページには、2010年の氷瀑の写真を載せています。今年は、降雪がありましたが、まずまずの氷爆でした。
 三滝は、明治の埴科郡誌に、「三瀧川は倉科村の三瀧山船ケ入に発源し御姫山より発する草山沢を合わせ倉科村を流るること一里三町にして沢山川に合す 三瀧一の瀧二の瀧三の瀧三階瀑布あり又南沢に樽瀧あり」とあります。鏡台山を水源とする三滝(みたき)は、一の滝(下段)・二の滝(中段)・三の滝(上段)で構成され、延長20mで、848mの周回遊歩道があります。地理的には、上部から数えますが観光的には下から一、二、三と。
 明治の倉科村誌には、「二の滝、高四丈三尺、幅一丈七尺、是に龍の劍摺石と唱うる石ありて、自然の穴七ツあり、俗に摺鉢と称す」とあります。川底に落ちた小石が川の流れで回転しながら川底に穴を開けた「おう穴」があったのでしょう。今は不明ですが、一の滝へのすぐ上に平らな場所があり、そこだと思われます。昔、幻の県道を造る際に、ダイナマイトの爆破で岩が崩れて埋まってしまった様です。岩をどけたら、県の天然記念物になるでしょう。
「三瀧山岩の苔間に住ながら思ひくらせし瀧の水かな」(西行) 
 此歌里俗の口碑にして、確乎たらず。(倉科村誌)


 一の滝の上部。

 一の滝の下部。

 部分。昼ですが、気温はマイナス4度ぐらいです。

 かなり長い氷柱(つらら)もできています。つららの裏側には水の流れ。

 氷はかなり硬い。

 滝壺辺りは球状の氷が。肉眼で見る氷は、こんな青くありません。カメラがそう撮るのです。補正はできますが、あえてこのままアップしています。

 これは往路のカットですが、先にスノーシューで足跡をつけてくれたので歩きやすくて助かりました。積雪は深いところで20センチぐらい。途中で鳥を撮影に来た男性と邂逅。見たのはシジュウカラぐらいかな。鏡台山の山頂近くまで登ると、アトリの群れやウソなどと出会えるかも知れません。

 途中でアニマルトラッキング。左は副蹄があるので猪。右はないのでニホンカモシカ。猪は、三滝上の右上の谷から餌を探しに下りてきたのでしょう。以前、知り合いの猟師にそこに塒(ねぐら)があると聞いたことがあります。

 谷の先に、戸隠連峰の西岳が見えました。

 日が差して、樹冠から粉雪が落ちてきます。キラキラと輝いてダイヤモンドダストの様です。

 千曲川越しに北アルプスの左に爺ヶ岳、右に鹿島槍ヶ岳。

 左に戸隠連峰の高妻山(戸隠富士)。右に飯縄山。

信州の千曲市のあんずの里倉科にある三滝へ氷瀑の撮影に(妻女山里山通信):2018年2月上旬の三滝氷結。今年とはまったく景色が異なります。2010年の氷結も見られます。ぜひ御覧ください。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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最高気温が氷点下の大寒に郷土料理の「おしぼりうどん」で温まる(妻女山里山通信)

2022-01-20 | 男の料理・グルメ
 大寒の朝、菅平では最低気温がマイナス20度だったそうです。善光寺平ではそこまでは下がりませんが、ほぼ一日中雪降りで、氷点下でした。こんな日には手打ちうどんで「おしぼりうどん」で温まろうと準備しました。おしぼりうどんは、信州の旧埴科郡と旧更級郡を中心とした極狭い地域で食べられている古い郷土料理です。なので長野市でも善光寺界隈へ行くと食べられません。北信州でも、松代、篠ノ井、千曲市、坂城と非常に限られた地域でしか食べられていない冬の郷土食なのです。その各地に名店があります。冬の北信州に来られたらぜひ召し上がってみてください。

 辛味大根の絞り汁に味噌をといてうどんをからめていただきます。薬味には、長ネギや花鰹、煎りごまなどを。辛味大根は、信州坂城の「ねずみ大根」が有名ですが、今回のは地大根の辛味大根と青大根、別名中国ダイコン(江都青長・写真右下)という中身も緑の生食用大根のブレンドです。味噌は仲間と作った信州麹味噌。小麦粉は先日友人から買った幻の小麦粉伊賀筑後オレゴン(通称イガチク)ではなく、日穀製粉のホームランです。
 辛味大根は、辛味成分のイソチオシアネートを多く含んでいます。栄養価も高く、カリウムやビタミンAやカロテンを豊富に含んでいるのです。ジアスターゼも豊富ですから、消化剤を一緒に飲んでいるようなものと良く言われます。そんなわけでお酒を飲んだあとの締めにも最適なんです。地元の人はこの味を「あまもっくら」と表現します。初めての方は、大根の辛さに驚愕するでしょうが、同時に芳醇な香りと旨味、甘さに驚かれることでしょう。漬物は私が漬けた野沢菜漬けと白菜と人参の梅風味の醤油漬け。

 小麦粉は600グラム。水は粉100グラムに対して40ccが基本です。ビニール袋に入れて踏んで畳んで踏んで寝かせてを繰り返します。左が青大根。右が辛味大根。昔は辛味大根だけでしたが、辛いのが苦手になってきたので、今回は7割が青大根です。それでも辛味はあります。

 平らに伸ばしたら6つに分けます。製麺機は、埼玉県戸田市の(株)小野機械製造所のものです。もう製造していませんが、ネットで探せば中古があると思います。

 何回か半分に折りながらのしていきます。何度も折ることでミルフィーユの様に何層にもなり、火の通りが早く均一になるのです。折らないと湯で時間がかなりかかり、外がフニャついて中に芯が残ります。

 製麺します。

 こんな感じです。六玉できました。だいたい二玉で一人分です。生麺で二玉冷凍しました。もう二玉は茹でて冷蔵。

 茹でます。二度吹き上がったら茹で上がりです。吹き上がったときにさし水をしてはいけません。火力を弱めます。信州には、在来種の地野菜がたくさんあります。大根でも長野市のたたら大根と灰原辛味大根、戸隠の戸隠地大根、坂城町のねずみ大根(中之条大根・なかんじょだいこん)、上田市の山口大根、下條村の親田辛味大根などです。地大根とは元々辛いものなのです。青首大根ではおしぼりはできませんし水っぽくて美味しくありません。おしぼりうどんは、最後に汁も全部飲みきってしまいます。心も体もぬくぬくと温まる料理なのです。

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善光寺参りの精進落しの湯・戸倉上山田温泉國楽館で2年ぶりの新年会(妻女山里山通信)

2022-01-17 | 歴史・地理・雑学
 昨年は新型コロナで中止した新年会ですが、今年は各自対策をした上で2年ぶりの開催となりました。場所は例年通り、善光寺参りの精進落しの湯・戸倉上山田温泉の高校の同級生がやっている國楽館戸倉ホテルで。昔は9人とか集まったのですが、今回は5人でした。

 千曲川の河原に駐車して南の眺め。三角の山は岩井堂山。右へ長い尾根を登ると、拙書でも紹介の大林山。左は和合城跡から左へ虚空蔵山を経て、上田市民の山・太郎山へ。これも拙書でいくつもコースを載せています。

(左)向こう左は、私が結婚披露宴をした笹屋ホテル。ここの中華は当時陳建民の愛弟子の方が料理長で、披露宴で出た料理は友人達や親戚に大好評でした。(右)我々が投宿する國楽館戸倉ホテル。昭和レトロ感満点の旅館です。温泉は最上級の源泉かけ流し。映画『ペルセポネーの泪』でこの旅館を使って欲しかったですね。地下の卓球場、ジュークボックス(壊れています)、ハモンドオルガン、古いテレビとか懐かしいものに溢れています。

 ゆるゆると宴会の始まり。ビールの後は、黒霧島のお湯割りで。この後、いいちこを開けました。都合焼酎2本。皆酒量が落ちました。話題は新型コロナの世界的に蔓延する嘘と欺瞞。日本の古代史の検証。妻女山里山デザイン・プロジェクトの今後の活動方針などに、途中で艶っぽい話やくだらない話とか病気の話とか(年齢ですね)。経営者もいるので経済の話も。特に信州の現状を。私が知らない細かな情報も得られます。

 夕食のメニューです。これに大きなブリカマと味噌汁とご飯。ご飯はおにぎりにしてもらいました。特筆すべきは鯉こくと信州牛の陶板焼き、馬刺しでしょうか。蕗の天ぷらが美味でした。これにフルーツが付きます。

(左)大きなブリカマ。充分すぎる量です。(右)朝食です。私には多すぎる量です。おから、切り干し大根、南瓜、わさび漬け、塩鱒とヘルシーな内容です。これに淹れたてのコーヒーが付きます。

(左)旅館のいつものプレゼントの真田の六文銭まんぢう。美味いです。今回は信州人限定の県民割とクーポンを使ったので、半額で済みました。(右)で、クーポンが1000円分余って皆いらないというので私がもらい、昼にちゃーしゅうや武蔵でラーメンとお土産にメンマを。美味しゅうございました。もの凄い降雪の中を行ったので温かさが染みました。

 仲間から幻の小麦粉、イガチクを息子達のために買いました。それと超強力粉のゆめちから。手打ちの中華麺やパスタを作ります。イガチクの正式名称は「伊賀筑後オレゴン」といいます。三重県伊賀上野市の農林省関西試験場が、筑後平野で作っている小麦と、アメリカ西部のオレゴン州の小麦を交配して作った硬質小麦です。日本の小麦は軟質小麦。アメリカのオレゴン種はグルテンが多い硬質小麦です。この二つを交配して作られたのが伊賀筑後オレゴン種で、準強力粉です。信州の善光寺平から上田にいたる間の千曲川の沿岸で、大正時代から戦後まで作られた人気の小麦でした。戦前東京のうどん屋さんで一番喜ばれたのが、この伊賀筑後オレゴン種でした。 わが家でも父が昭和30年代半ばまで作っていました。60俵も収穫していたそうですが、イガチクは小麦の粒がこぼれやすく面積あたりの収量も少なかったので、新品種に取って代わられたということです。現在有志が栽培しています。うどん好きなら食べたら絶句感激すると思います。稀にネットで買えることもあります。

 昨年のクリスマスイブに知り合いのタイの女性がやっているスナックへ行った時のカットです。人通りはほとんどありませんでした。新世界通りでは、客引きの韓国人のおばちゃん達が大勢たむろしていました。私は行く店が決まっているので断りながら。コロナが収束しないと飲食業は厳しいですね。イベルメクチンを国民全員に配ればあっという間に収束するのに、政府もマスコミも利権まみれで腐りきっています。30年以上賃金が上がらずアメリカの半分、韓国にも抜かれた無能無策の政府や政党に期待する方が間違っています。いい加減気が付きましょう。覚醒しましょう。
 そして、ある方のツイートを転載しますが、「トンガ噴火はVEI6あるいは7に相当すると指摘されている。6だと100年に、7だと1,000年に一度の大噴火だ。数年間にわたる気候寒冷化・冷害が危惧される。1815年タンボラ山噴火も世界的飢饉をもたらした。大災害が起きているトンガへの支援を急ぎ、国際協力による食糧危機への対応の議論を始めてほしい。」1991年のフィリピンのピナトゥボ山の大噴火で、1993年に大冷夏になり、米の大不作でタイから米を緊急輸入したのを覚えていますか。今回はそれ以上のことが起きないとは言えないのです。
 人類は何度も大噴火に遭い大被害を受けてきました。そして世界史や日本史に大きな影響を与えました。西暦535年の、インドネシアのクラカタウ島火山もしくはエルサルバドルのイロパンゴ湖火山の大噴火は地球規模の大異変(異常寒波、自然災害、飢饉、疫病発生など)を起こしました。これに関しては、『西暦535年の大噴火―人類滅亡の危機をどう切り抜けたか』という全世界の専門家50人以上が協力、4年がかりで書きあげた「人類史の書き換えを迫る」問題作という書籍を買い求めたので読んで記事にしたいと考えています。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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雪景色の善光寺平。妻女山へ登ってみました。黒大豆きな粉入お好み焼き・小田巻蒸し。我が家の祖先が真田幸村の影武者だった(妻女山里山通信)

2022-01-14 | アウトドア・ネイチャーフォト
 1月13日から14日朝にかけて大雪になりました。善光寺平は、豪雪地帯ではないので北の長野市中心街で20センチ、南部の妻女山で10センチぐらいの積雪でした。13日の夕方に一回、14日の朝に1回雪掻きをしました。朝はパウダースノーで楽でしたが、13日はベタ雪でもの凄く大変でした。これが同じ雪かと思うほど。

 妻女山展望台は思ったより雪が多かったので近くにある四阿へ。茶臼山方面の眺め。茶臼山はもう少し右ですが雪雲に隠れて見えませんでした。気温はマイナス2度。下の国道403号は、溶けているところもありますが、シャーベット状だったり凸凹で走りにくいところもあります。速度は40キロが限界。場所によっては30キロ以下にしないとならないところも。止まる時は、セカンドにシフトダウンしてエンジンブレーキを効かせて充分に速度を落としてからブレーキを踏むと安全です。あるいはポンピングブレーキで。畑の道や堤防の道は除雪されていません。13日の午後3時から14日正午までに長野県では、182件の交通事故があったそうです。急発進、急ブレーキ、急ハンドルは厳禁です。スピードは控えめに。車間を開けて。

 パウダースノーなので枝が折れたりは少なかった様です。2月下旬や3月の雪は湿雪なので、落枝や倒木が毎年発生します。それの処理が4月初めの山仕事になります。

 戊辰戦争以降の戦没者を祀る妻女山松代招魂社。瓦に六文銭。戊辰戦争の会津戦争は、信州人同士の戦だったという歴史の悲劇です。上杉景勝の会津転封で、善光寺平の土豪達は家族家来が全て会津に移りました。加えて徳川家光の時代に、伊那高遠藩の保科正之が家光の腹違いの弟と判明し会津に転封。また信州人が行きました。この時、我が一族のものが同行し、後に豪商となって会津藩を支えました。会津は信州人が造った町ともいえるのです。そして、そのずっと前の戦国時代。我が一族の祖先の一人に林太郎左衛門という武士がいました。彼は真田昌幸に使え50人の家来を抱えていたといいます。その子の一人に林源次郎寛高がいました。大阪夏の陣のことです。彼は真田信繁(幸村)の影武者のひとりとして討ち死にしたそうです。その後、生き残った7人で林村を作ったという伝説が残っています。それがどこか分かりません。もしかしたら松本の林城下の林集落でしょうか。我が家の祖先は林采女といい、妻女山の一角に天正10年3月10日没という墓が残っています。真田に使えるためにこの地に来たのでしょうか。

 だれも登っていなかったので自分のつけた轍をたどります。右上が斎場山(旧妻女山で、上杉謙信の本陣跡)。中央のたるみが長坂峠。この雪の前に雨が降って凍ったので、カーブなどは雪の下が氷です。セカンドに落としてゆっくりと下りました。

 千曲市の温泉へ。拙書でも紹介している御姫山と右奥に大嵐山(杉山)。右手前の尾根は、これも載せている大峯山。左手前は鷲尾城跡のある鷲尾山を登ると倉科将軍塚古墳を経て鞍骨城跡へ。これも載せています。麓に見えるのは大日堂。松代藩初代藩主の真田信之の次女泰子姫が如来を祀るお堂として寛文13年(1673)に建立したもの。下の小さな園地には万葉歌碑があります。
「人皆の 言(こと)は絶ゆとも 埴科(はにしな)の 石井(いしゐ)の手児(てご)が 言(こと)な絶えそね」詠人知らず
(世の中のすべての人の言い伝えが忘れられても、埴科の石井の美しい乙女の言い伝えはどうか絶やさないで欲しい。:石井は倉科の古名。現在のここの地名の石杭も石井と関連があると思われます。手児とは手児奈(てこな)といい、『万葉集』のなかで、山部赤人や高橋虫麻呂によって詠まれた悲劇の女性。リンクはウィキペディア)


(左)お好み焼きですが、違うのはホームラン粉に長芋に加えて黒大豆のきな粉をかなり入れていることです。色が濃いのはそのためです。ほかはキャベツ、豚バラ肉、紅生姜、炒り粉、鰹出汁、鶏ガラスープの素、ホタテパウダー、本味醂、青海苔にソースとマヨネーズ。コクのある香ばしい味で後引の旨さです。(右)苧環蒸し(小田巻蒸し)。大阪の船場の昔の高級料理です。卵は贅沢品でしたから。わかりやすく言うとうどん入の茶碗蒸し。うどんは幻の小麦イガチクオレゴンで手打ちしました。卵は3つ鰹と昆布出汁で。具は蒲鉾、自家栽培の椎茸、小松菜、長ネギです。実は学生の頃から密かに作って食べていた私の大好物。ちょっと蒸し時間が長すぎてすが入ってしまったのはご愛嬌。正月に次男が長崎のアゴの白出汁を持ってきてくれたのですが、それならもっと上品な味になるでしょうね。焼きアゴを使えば自分で白出汁を作ることもできます。
小田巻蒸しのオリジナルレシピ:在京時代に妻が作ってくれたズワイガニを使った贅沢レシピです。ウニで中華味とか牡蠣でもいいですね

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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茶臼山の北アルプス展望台へスノーハイキング。仁科三山・白馬三山。北アルプスの圧巻の大パノラマ(妻女山里山通信)

2022-01-09 | アウトドア・ネイチャーフォト
 2022年1月8日の善光寺平は、雲ひとつ無いドピーカンの晴天。運動不足解消を兼ねて茶臼山の北アルプス展望台へスノーハイキングをしました。二つ前の妻女山展望台からの大パノラマの記事の写真より、5キロ北アルプスに近く、乾燥していて空気がクリアだったので大迫力の望遠カットが撮影できました。
 我が家は元旦の夜は、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートを鑑賞するのが習わしだったけれど、今年は見そびれてしまったので再放送で視聴しながらブログ記事を書いています。ダニエル・バレンボイムの指揮で。やっと新年が来た気がします。

 茶臼山(729.9m)の旗塚コースは、拙書の中でも最も短く標高差のないもので、幼児でも登れる散歩コースです。それでも積雪が10センチ以上となると里山でもそれなりの用意が必要です。今回はスパイク付きの長靴で登りました。北アルプス展望台までは、信里小学校の校門を右折してすぐの駐車場から約20分。標高差はわずか60mです。展望所からは上のカットの様な大パノラマが望めます。左から仁科三山の鹿島槍ヶ岳、最も右に白馬岳。眼下には里山の原風景といえる風景が広がります。

 仁科三山。左から爺ヶ岳、鹿島槍ヶ岳、五竜岳。

 その右に白馬三山。左から白馬鑓ヶ岳、杓子岳、白馬岳。この三山の命名については、妻女山展望台からの記事に詳しく記しています。笑ってしまうような内容です。以下のキャプションも前回の記事と重複するものもあります。

 白馬三山の手前に虫倉山。拙書でも載せていますが、2014年の神城断層地震で山頂の4割が崩壊してしまいました。更にクラックが入っていて、次に大きな地震があればまた崩壊してしまうかもしれません。中腹には旧中条村(現長野市)の小さな集落があちこちに点在します。米、西山大豆、野沢菜などが名産です。

 北アルプスを左(南)から紹介していきます。左に蓮華岳(2799m)、右奥に針ノ木岳(2821m)。蓮華岳と針ノ木岳の間にあるのが針ノ木峠(2536m)。非常に険しい山岳地帯ですが、古くは信濃国と越中国を結ぶルートの要衝だった歴史ある峠です。一番右の頂きはスバリ岳(2752m)。

 爺ヶ岳(2670m)。栂山・栂谷ノ峯・後立山・五六ヶ岳・爺岳・爺子岳とたくさんの別称があります。南峰と本峰の間の白沢の上部には、春に種蒔きをする老爺の雪形が見られ、山名の由来となりました。雷鳥も生息します。

 鹿島槍ヶ岳(2889m)。山頂の右手の陰になっている谷には、平家の落人が隠れたというカクネ里があり、上部の雪渓は2018年に長野県初の氷河であると認定されました。ここ茶臼山からの直線距離は、約33キロです。

 春に武田菱の雪形が現れることで有名な五竜岳(2814m)。このカットでは、山頂の右下に見えています。旧字体では五龍嶽。名称は武田の領地であった御菱(ごりよう)から。右の小ピークは白岳。

 唐松岳(2696m)。別名は上犬ヶ嶽。八方尾根から唐松に向かうルートは上り下りにリフトとゴンドラを利用でき、標高1800m付近まで上がることができます。山頂までの標高差も800mなので北アルプス入門の山として人気があります。

 左にWに切れ込んだ不帰ノ嶮(かえらずのけん)。右の天狗ノ頭。この命名のエピソードも二つ前の妻女山展望台の記事で。

 左から白馬鑓ヶ岳(2903.11m)、杓子岳(2812m)。

 白馬岳(2932.24m)。右へ長い尾根をたどると、朝日岳などを経て栂海新道は、親不知の日本海へと続いています。フォッサマグナの成り立ちと深い関係があります。糸魚川市のフォッサマグナミュージアムは必見です。この望遠カットを見た妻女山里山デザイン・プロジェクトのメンバーのひとりから、腕がいいのかなカメラがいいのかなとメール。腕はともかく、カメラとレンズが凄いのです。ボディはOlympus OM-D E-M1 Mark III。望遠レンズは、M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F2.8 PRO。非常に評価の高い望遠ズームです。これに2倍のテレコンバーターを付けています。35ミリ換算で、600mmになります。そして驚いていただきたいのは、これらのカットの撮影には三脚は使っていません。すべて手持ち撮影です。オリンパスの手ブレ補正の凄さが分かっていただけると思います。加えて天気や空気の乾燥度など好条件が重なった結果です。
私がOLYMPUSを使い続ける理由。たかが写真されど写真(妻女山里山通信)

 その右手前にある里山は拙書でも紹介の虫倉山(1378m)。そこで虫というのは古代は蛇(龍)のことであるとか、松代藩の領地で尊崇されていたということを記しています。旧中条村の方たちが「むしくら」という非常に詳しい研究書を出されていて、拙書の記述の際も参考にさせていただきました。本では不動滝に生息するハコネサンショウウオの写真も載せています。

 撮影を終えて戻ります。樹上から落雪。ダイヤモンドダストの様にキラキラと輝いて美しい。鳥のさえずりはわずか。ヤマガラが一羽、カケスが一羽いて威嚇されました。

 茶臼山の南峰。地滑りで崩壊する前は、ここに北峰とほぼ同じ高さの山があったのです。伝承では山城の跡や古墳があったというものがあります。

 駐車場に戻って南方の眺め。坂城、上田方面が見えます。茶臼山は山頂近くまで集落があります。ここから見る善光寺平の夜景は素晴らしい。長野県は、移住希望で何年も全国一位ですが、この絶景を毎日見られると思うと住みたくなる気持ちは分かります。蓼科山(2530.7m)は、別名を諏訪富士とか女神山(めのかみやま)といわれます。富士山と八ヶ岳の背比べの話は有名ですが、女神の富士山に叩かれて低くなってしまった男神の妹が蓼科山なのだそうです。

 林檎畑の向こうに善光寺平と根子岳と四阿山。積雪はそれほど多くないですね。眼下に長野オリンピックの会場になったスタジアム。右奥は松代の市街地。氷点下ですが、歩くとわずかに汗ばむほど。温泉へ向かいました。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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初詣は会津比売神社。妻女山奥の貝母の群生地・謙信の陣城跡の陣場平へ。アニマルトラッキング。雪道走行に必須なもの(妻女山里山通信)

2022-01-05 | アウトドア・ネイチャーフォト
 1月6日(木)。関東南部は降雪模様。東京が雪に弱いのは、在京38年の経験で熟知しています。殆どの車はスタッドレスさえ履いていません。住んでいた調布市の長い坂では交通事故が頻発しました。小さかった息子達は国分寺崖線の急斜面を利用してソリを楽しんでいましたが。私は駅まで行って、これは無理だと帰宅したこともあります。信州では積雪30センチぐらいでも普段通りですが、東京は10センチでも交通は麻痺します。冬期は信州のスキー場や温泉に訪れる人が多いのですが、スタッドレスだけでは不十分です。非常用脱出のためにチェーンかスパイクアタッチメントを携行してください。非金属チェーンなどで売られています。5000〜10000円位で前輪二つが買えます。装着したら時速40キロが上限。できれば30キロ以下で。写真は私のスパイクアタッチメント。北欧製で3つでひとつのタイヤ。2セットあります。万が一の場合は、これかチェーンがないと脱出できません。加えて雪掻きスコップ、手袋、氷溶解スプレー、暖房カイロや防寒具か毛布に非常食などが必要です。そして、車の屋根に雪を積んだまま走るのは非常に危険です。長野県条例に違反で検挙されることも。ブレーキでフロントグラスに落ちると視界が無くなります。後ろに落ちると事故を誘発することも。絶対にしてはいけません。

 2022年1月5日の善光寺平は、やはり晴天。私が主宰する妻女山里山デザイン・プロジェクトで貝母(編笠百合)の保護活動をしている妻女山奥の陣場平へ登りました。猪狩りの猟師の轍があったので、一瞬車でと思いましたがそれでは運動不足解消にならないと徒歩で登りました。約1時間半の山歩きですが、いい運動になりました。

 まず初詣に会津比売(あいづひめ)神社へ。私が子供の頃は、春秋の祭には参道に出店が並びお小遣いを握りしめてでかけたものです。会津比売神社は諏訪社系の神社なんですが、御柱はありません。全国でたった一社という非常に珍しい神社です。会津は福島の会津と関係があります。
 崇神天皇10年9月9日、崇神天皇の伯父大彦命(おおひこのみこと)を北陸道へ、その子武淳川別命(たけぬなかわ わけのみこと)を東海道へ遣わせた。日本海側を進んだ大彦命は越後から東に折れ、太平洋側を進んだ武淳川別命は南奥から西に折れた。二人の出会った所を相津(會津、会津)という。『日本書紀』
 相津と想定される会津坂下町青津。能登南部からの移住者を想定される弥生時代終末期の男壇遺跡・宮東遺跡があり、亀ヶ森古墳等がある。(会津学研究会サイトより引用)
 この会津と、会津比売命の関係やいかに・・。大彦命は東征の後で、長野市篠ノ井の茶臼山動物園の下の長者窪という所に住み、薨去したと伝えられています。彼の功績を讃えて父出速雄命は娘に会津比売とつけたのではないでしょうか。
 この会津比売神社の祭神、会津比売命(會津比賣命)ですが、東北の大震災以降、知られるようになった貞観地震の記述がある『日本三代実録』貞観8(866)年6月甲戌朔条(最初の行)に、「授信濃國-無位-會津比賣神 從四位下」と出てきます。官位のない会津比売命に従四位下の位を授けますよということです。かなり高い位を授かっています。
 その理由なんですが、会津比売は、諏訪大社の祭神、建御名方富命(たけみなかたとみのみこと)の子、出速雄命(いずはやおのみこと・伊豆早雄)の子といわれているからなのです。しかも、神武天皇の子、神八井耳命(かむやいみみのみこと)の子孫といわれる、大和王権より初代科野(信濃)国造に任ぜられた武五百建命(たけいおたつのみこと)[古事記]の室(妻)といわれているからなのです。
■科野国造 武五百建命(たけいおたつのみこと)と妻 会津比売命(あいづひめのみこと)の家系図(諸説あり)
 神武天皇--神八井耳命--武宇都彦命--武速前命--敷桁彦命--武五百建命--健稲背
           大国主命--建御名方富命--出速雄命--会津比売命(出速姫神)

 つまり、出雲系の出速雄命一族は、娘の会津比売命が、天皇系(大和系)の科野国造 武五百建命と結婚したことにより、官位を授与され、後に諏訪に戻って大祝(おおほうり)家となったわけです。貞観年間に、無位となっていた出速雄命、会津比売命の官位授与を申請したのは、当時の埴科郡の大領であった金刺舎人正長といわれています。金刺氏は諏訪系統の流れで、貞観4年(862)に、埴科郡大領外従7位金刺舎人正長とあります。『日本三代実録』[信濃史料] 無位にあった自分の先祖の復権をすべく申請したということでしょう。古代科野国は、出雲系と大和系が結ばれてできたといえるのです。

(左)会津比売神社(會津比賣神社)はいわゆる式外社(しきげしゃ・『延喜式』神名帳に記載の無い神社)ですが、「国史現在社」です。「国史現在社」とは、式外社ですが、『六国史』にその名前が見られる神社のことを、特に国史現在社(国史見在社とも)と呼びます(広義には式内社であるものも含む)。『六国史』とは、『日本書紀』、『続日本紀』、『日本後紀』、『続日本後紀』、『日本文徳天皇実録』、『日本三代実録』をいいます。
(右)拝殿の中の額には、「大明無私照」の文字。大明には私照なく、至公には私親なし。 太陽は、私心をもって選ぶことなく万物を照らし、真に公平なものは、私情によって人を選んで親しむということはないという张蕴古《大宝箴》の古代中国の格言です。大明無私照、至公無私親といいます。

(左)林道を登ります。積雪は5〜10センチほど。コゲラのドラミングが響きます。雪がなくても知っていないと車では登れない林道ですが、積雪があるとずっと難易度が上がります。(右)長坂峠。前方に斎場山(旧妻女山)。陣場平は左へ300mほど。

 その長坂峠からの南西の眺め。拙書でも紹介の三峯山(1131.4m)。ここから見ると3つの峰があるのが分かります。山頂は麻績村が経営する小さなスキー場があります。市街地から近いので小さな子供がいるファミリーにおすすめです。

 少し歩いて眼下は土口集落。その向こうに川中島の戦いで有名な雨の宮の渡しがあります。奥に伸びる里山の尾根は、五里ヶ峯から伸びる尾根の先端で一重山。少し前に紹介した森将軍塚の前方後円墳や長野県立歴史館、古墳館があります。ぜひ訪れて欲しい博物館です。

 積雪期にはアニマルトラッキングが楽しめます。左は副蹄がはっきり分かるのでイノシシです。足の大きさから40キロ前後の個体と思われます。右は、3つの足跡。これは野うさぎでしょう。

 猟師の轍は天城山(てしろやま)方面へ。左下に歩くと陣場平。右の林道を300mほど下ると堂平大塚古墳。4月17日(日)の松代夢空間主催の「妻女山 花と歴史のハイキング」では、私がインタープリターをします。お申し込みは夢空間へ。

 陣場平へ向かう小道にタヌキの足跡。雪の無い季節にここを歩いているので道跡が見えなくなっても覚えていて歩くのです。

 陣場平。貝母は3月上旬には雪の下から芽生えます。それが好きと訪れる方もいます。昨年はメンバーと周囲の球根を掘り起こして、真ん中の貝母がない部分に植えました。この春にどれだけ増えるか楽しみです。

 陣場平の北東の隅にある昭和時代の地理の重要な文化遺産の菱形基線測点。ハイキングのインタープリターでも必ず説明しています。これを探していて、貝母を発見したのです。

 比較すると分かりやすいでしょうか。左が副蹄がはっきりしているのでイノシシ。右は副蹄が見えないのと蹄の間に雪があり、なおかつイノシシは下りていかない様な急斜面を下って行ったのでニホンカモシカかと。以前の記事でアップしましたが、寒立といって雪の中で反芻するために立って休んでいるニホンカモシカを見ることがあります。

 長坂峠手前から見る斎場山。

 長坂峠に戻って斎場山を目指します。長坂峠からは数分。途中から見る左に陣場平、右に天城山(てしろやま)。右手前の枯葉はヤマコウバシ。クスノキ科クロモジ属なので、枝を折るといい香りがします。新葉が出るまでこのままなので、真冬でも目立ちます。落ちないので、受験のお守りにも使われます。

 斎場山(旧妻女山:512.8m)。古代科野のクニの首長の墳墓です。第四次川中島の戦いでは、上杉謙信が最初に本陣とした場所として伝わっています。現在は赤松が繁茂して松代城(海津城)方面は見えませんが、当時は丸見えだったでしょう。

 そこから西へ100mほど下ると御陵願平。イノシシのヌタ場があります。珍しい誰も訪れていません。猪狩りの猟犬に追われて命からがら火照った体を冷やしに氷を割って入った跡も何度か見ています。右は泥浴びしたイノシシが体を擦り付けた跡。これをたどっていくとイノシシの棲みかにたどり着きます。

 長坂峠からの善光寺平。幹線道路には雪はありません。ただ日陰の道や集落の日陰の道は凍結しています。雪がなくてもミラーバーンになっているところがあります。下る途中に猪狩りの車が4台登ってきました。先に2台登っている人達の仲間でしょう。いやはや今日は猪の厄日だった様です。下から猟犬で追い上げて上で待ち伏せて仕留めます。ただ、横に逃げてしまったりそう容易いことではありません。知り合いの猟師も高齢で止めました。女性や若い人も増えてはいますが、お金もかかるし危険だし、ただ農作物の被害は甚大だしと、非常に困難な問題を抱えています。根本にあるのは里山の放置と無関心。東京などの大都市に住んでいる人達にも無関係のことではないのです。里山が崩壊すると大都市も滅びるのです。それを知ってほしい。妻女山里山デザイン・プロジェクトは、微力ながらそれを改善するために活動しています。

 妻女山駐車場の奥にある妻女山里山デザイン・プロジェクトのメンバーが安置した大日如来の石像。多くのいわれがあってここに安置されました。建築関係のメンバーが覆屋を作ってくれました。後ろでは椎茸の原木栽培を行っています。

 前の記事で妻女山展望台からのパノラマはたくさんアップしたので、今回は展望台後ろにある四阿からの北アルプスと茶臼山をアップします。週末まではなんとか晴れの日が続きそうな信州です。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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妻女山展望台大パノラマ。北アルプス仁科三山・白馬三山、戸隠連峰・飯縄山、高社山(妻女山里山通信)

2022-01-03 | TOKYO 東京
 2022年1月2日の善光寺平は、雲ひとつない朝となりました。昼近くには北アルプスには薄雲が掛かり始めましたが、絶好の撮影日和なので妻女山展望台へ。パウダースノーが5センチぐらいありましたが、溶けて再凍結はしていないので車で登れます。アイスバーンになったら、脱出用スパイクアタッチメントがないと登れません。上信越自動車道は、豪雪の場合は冬タイヤだけでなくチェーンがないと通行できない場合もあります。豪雪や除雪作業で通行止めになる場合もあるので、ドラぷら長野国道事務所のサイトで情報確認を。

 東の松代方面。左の奇妙山は、積雪期に登ったことがありますが、山頂右(南)の30mの崖を下りる時は本当に緊張しました。右奥に根子岳(2207m)と四阿山(2354m)。

 左の根子岳は山スキーのメッカです。スノーキャット(18人乗り雪上車)に乗って山頂直下まで行くツアーがあります。晴れた日なら、日本百名山の30峰以上が観られるそうです。そこから四阿山へのスノーシュー登山のツアーもありますが、冬山仕様の完全装備が必須です。拙書で詳しく書いていますが、四阿山は真田の修験の山で、山頂には麓の山家神社の奥宮が二つあります。里宮には、真田幸隆が奉納した奥宮の漆塗りの扉が現存します。

 北東に目を向けると、たかやしろの名前で知られる高社山(1351.4m)。美しいコニーデ型の火山で、別名を高井富士といいます。山の向こう側は木島平村で、木島平スキー場があります。調布市と木島平村は姉妹都市なので、息子達は中学の時にスキー教室で訪れています。この日は二人共ここへ滑りに行きました。左手前には、ホワイトリングとエムウェーブが見えます。右手前の松代大橋のたもとの森には、武田信繁の墓がある典厩寺(てんきゅうじ)があり、ここの川中島の戦いの展示は全て本物なので一見の価値があります。

 高社山の山頂の峰には、冬期に雪庇(せっぴ)が、こちら側にできます。踏み抜いて滑落したら助かりません。新年の冬山登山で登る人も多い山ですが、充分に気をつけなければいけません。拙書ではGWころの花をたくさん載せています。古くは修験の山で、山頂の峰には、高森杜神社、御嶽神社が祀られています。

 展望台から北を見ると千曲川と川中島の向こうに戸隠連峰と飯縄山がそびえています。飯縄山手前に見える飯綱高原スキー場は、1998年の長野五輪の際にはエアリアルとモーグルの会場になりました。経営難から2020年2月で営業を終了。現在は飯綱高原づなっち広場となっています。右手の信濃町方面にいいづなリゾートスキー場、北側に戸隠スキー場があります。

 山頂は右の頂きです。左の南峰には飯縄神社の奥宮があり、上のカットではその建物が見えます。祭神の飯縄権現(飯綱大明神)は、管狐(くがきつね)を使って術を行う飯縄遣(いいづなつかい)の仏神。山岳信仰が発祥といわれる神仏習合の神です。その姿は白狐に乗った烏天狗で、大日如来の化身の不動明王のさらなる化身といわれています。冬山登山は雪がしまる2月中旬以降がおすすめです。もちろん冬山装備は必須。アイゼンも必要です。

 別名を戸隠富士と呼ばれる高妻山。奥には乙妻山。手前に戸隠連峰。一番手前は富士ノ塔山の尾根です。

 戸隠連峰の西岳の峰々。鎖場の直登や両側崖の痩せ尾根がたくさんあり、高度な技術と経験を積んだ登山者向け。鏡池からその険しい山容が望めます。

 西を見ると北アルプスの白馬三山。左にWに切れ込んだ不帰ノ嶮(かえらずのけん)。右の天狗ノ頭から右へ縦走すると白馬三山。左から白馬鑓ヶ岳・杓子岳・白馬岳。明治時代に帝国陸軍陸地測量部が地図を作るために白馬村に訪れた時、この山々には確固たる山名がありませんでした。岳山(たけやま)とか西山とか適当に呼んでいたそうです。そんな馬鹿な話があるかと役人に怒られて、長老が集まって必死に考えて命名。雪型の代かき馬からとって代馬岳、貝杓子に似ているので貝杓子岳、長いので貝を取って杓子岳、尖っているので槍ヶ岳、しかし槍ヶ岳、鹿島槍と既にあるので駄目だと言われて白馬鑓ヶ岳と命名。西山にいる山の主で天狗の尾根、身の程を知らぬ者が天狗に近づこうとして帰れなくなったので不帰ノ岳と命名して今に至ります。代馬岳は、実際の地図では白馬岳となっていましたが、村人達は長い間その事実を知らなかったそうです。(出典:『北アルプス白馬ものがたり』石沢 清著)
 手前右の里山は茶臼山(729.9m)。中腹には双子のレッサーパンダが生まれて話題の茶臼山動物園があります。その下には恐竜公園。

 左から白馬鑓ヶ岳(2903.11m)・杓子岳(2812m)・白馬岳(2932.24m)。手前の里山は、右が茶臼山南峰(699m)。左には信里小学校とJAの建物や民家が見えます。白く見えるところの多くは林檎畑。標高の高いところではサンフジ、低いところではシナノゴールドや秋映などが作られています。

 更に左へ目をやると仁科三山の左に爺ヶ岳、右に鹿島槍ヶ岳。もう一座の武田菱の雪型で有名な五竜岳はその右でこのカットには入っていません。手前は、茶臼山から続く里山で、西山と呼ばれます。高齢者が多いのですが、世界的なミュージシャンが住んでいたり、極上のパンを売るお店や隠れ家的な蕎麦屋やカフェがあるのです。旧更級郡なので、正月は「おしぼりうどん」を食べる習わしが残っています。大晦日の年取り魚は、富山のブリと新潟の鮭を食べる文化が混在しています。

 鹿島槍ヶ岳(2889m)。山頂の右手の陰になっている谷には、平家の落人が隠れたというカクネ里があり、上部の雪渓は2018年に長野県初の氷河であると認定されました。

 その南に鎮座する爺ヶ岳(2670m)。栂山・栂谷ノ峯・後立山・五六ヶ岳・爺岳・爺子岳とたくさんの別称があります。南峰と本峰の間の白沢の上部には、春に種蒔きをする老爺の雪形が見られ、山名の由来となりました。雷鳥も生息します。以上は、2日の風景です。4日の朝は夜から雪が降り続き、長野市南部でも6センチ。ほぼ一日中降りそうです。雪掻きが大変です。視界は1キロもありません。夜はホワイトアウトするので運転するべきではありません。

妻女山展望台大パノラマ


Queen Don't Stop Me Now

 新年にもっとも聴きたい曲。こんな一年をおくりたいものです。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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寅年の元旦は須坂市動物園へ。ベンガルトラと人気者のカピバラ温泉(妻女山里山通信)

2022-01-02 | 展覧会・イベント・コンサート
 旧年中は当ブログをご愛読、応援いただき本当にありがとうございました。300万あるgooブログでもアクセスランキングがたいていいつも1000から2000番台をキープしています。過去の記事への検索での訪問も非常に多いのが特徴です。グーグルボットなどが来ると、時に3位とかも。本年もよろしくお願い申し上げます。皆々様にとってよい年でありますように。

 元旦は須坂市動物園へ。以前は、ボクシングをするアカカンガルーのハッチ(『天才!志村どうぶつ園』などに登場)が有名でしたが、現在はカピバラの入浴やフンボルトペンギンの餌やりで人気です。まず寅年ということでベンガルトラに会いに行きました。オスメスの二頭がいます。レンズを向けたらポーズをとってくれました。これはメスの未桜(みお)ですね。

 二頭で檻の中をゆっくりと咆えるでもなくグフグフと歩き回っていました。お腹が空いているのでしょうか。トラは獲物を狩る時以外はそれほど走り回る動物ではないのでしょうけど、肥満にならない様に食事制限もされているのでしょうね。

 臥桜と未桜の新年の飾り。訪れた小学生のコメントが貼られているのですが、面白いです。

 ちょうどフンボルトペンギンの給餌の時間になりました。飼育員のお姉さんがバケツを持って来るとグーグー鳴きながらワラワラと集まってきます。

 ペンギンにも序列があるのでしょう。気後れしたり下手だったりするペンギンもお姉さんはよく分かっていてあげていました。餌は私達が唐揚げにして食べる小アジ。午後にもう一度餌やりタイムがある様です。

 フラミンゴ。アクリル板が古くて曇っているので隙間から撮影したら、ちょっと幻想的なカットが撮れました。

 人気のカピバラ温泉「華の湯」。まもなく入浴タイムの様です。カピバラは、ネズミ目テンジクネズミ科カピバラ属の哺乳類で、世界最大の齧歯類です。和名は、オニテンジクネズミ(鬼天竺鼠)。南米のアマゾン水系やラプラタ水系のパンタナールやオリノコ川水系などに生息します。私は1983〜1984年の南米アマゾンとアンデス200日放浪の時に、何度かカピバラと遭遇しています。あまり大きな声では言えませんが、カピバラさんを食べたこともあります。
『アマゾン一人旅』30数年前のアマゾン一人旅のフォトエッセイ。アマゾンやアンデスの大自然と、人々との交流、危険なことも多々ありましたが、その後の生き方を決める様な重要な放浪の旅になりました。今思うと、よく生きて帰って来れたなと思います。

須坂市動物園のカピバラ温泉


[CAPINO] SAVE THE RAINFOREST 【カピーノ:ジャングルを守れ!】

 カピバラの少年を主人公に、昔作ったウェブ絵本です。


 こちらは入浴しなかった二頭。干し草をムシャムシャ食べています。なんていうかカピバラは何を考えているのか全く分からないこのぼ~っとした表情がいいのです。昔、テレビでカピバラをやっていて、5、6頭の子供達を連れたお母さんが餌を食べに来て、帰る時に子供達を置いてひとりで帰ってしまって、途中でアッ!と気がついてそそくさと戻るシーンがあり爆笑しました。その間子供達はというと、固まってお母さんぼくらはどうなるの?という顔をしていました。

 入浴した一頭には、お正月なので紅白の餅に見立てたミカンとカブが振る舞われたのですが、飼育係の男性は、普段あげてないから食べないかもと言っていました。ミカンには見向きもしません。カブは食べようとするのですが、ツルツルして噛めない様です。これって元旦からイジメじゃないですか(笑)。やっぱリンゴとか干し草がいいわと言いそうです。

 バーバリーシープ。ウシ科バーバリシープ属に分類される偶蹄類。アフリカ北部の高地にいる野生のヒツジで、長いたてがみ状の毛と、長さ75cmにもなる巻いた角が特徴で、別名はタテガミヒツジ。旱魃、スポーツ・ハンティングによる乱獲などにより生息数は激減し、絶滅危惧種です。動物園は、こういう絶滅危惧種を保護育成する重要な役目も担っているのです。私が、妻女山里山デザイン・プロジェクトで松代の妻女山山系の里山で希少植物や絶滅危惧種の生物のために保護活動をしているのと共通するものがあります。

 D51型蒸気機関車の401号。通称「デコイチ」。話題のアニメ『鬼滅の刃 無限列車編』に出てくる機関車にそっくりと話題に。近くには話題の「龍の割石』とそっくりの岩も人気。デコイチは須坂を走る長野電鉄には無関係ですが、長野電鉄屋代線(河東線)が最初に走った頃は、蒸気機関車だったのです。ただ、養蚕の桑畑が汚れるとのことで、早い時期に電化されました。

 臥竜公園の竜ヶ池。臥竜公園は、日本さくら名所100選、日本の名松100選、長野の自然100選に選定されています。黒いおでんと団子が名物です。

(左)動物園入場の際にクジを引いたらなんと大当たり。カレンダーやら年間パスポートが当たりました。小さな孫がいたら最高なんですけどね。(右)須坂市旧上高井郡役所(現須坂市文書館)の建物。美しい。

 元旦の遅い朝食は、昔から太く長く生きるようにと長野県でも旧埴科郡と更級郡にしかない辛味大根を味噌でといていただく「おしぼりうどん」が習わし。辛味大根とシナ大根のブレンドに味噌をといていただきます。泡は糖分で辛いだけでなく甘みと旨味があります。醤油が生まれる前の食べ方ですから、うどん通は絶対に食べなければならない逸品です。松代、篠ノ井、戸倉上山田温泉、坂城には名店があります。

 遅めの昼は、九州のアゴの白出汁で作ったお雑煮。餅に鶏肉、蒲鉾、ほうれん草、白髪葱。夜はモツ鍋。今回は九州でまとめました。鍋を食べた後は煮込みうどんで締め。つまみには、松本の名店のスモークサーモン、ナスの揚げ浸し、鶏の唐揚げ、だし巻き卵など。ゆるゆると夜はふけていきました。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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