モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

箕輪町もみじ湖キャンプ場の朝。蔵造川水路橋。塩尻平出遺跡と博物館。井筒ワイン五一わいん。そばカフェ水舎(妻女山里山通信)

2019-08-23 | 歴史・地理・雑学

 箕輪町のもみじ湖キャンプ場の朝6時頃。こちらのサイトには5つのテントが。川向うの入口近くのサイトにも5つのテントがありました。名前の通り紅葉がたくさん植えられています。秋には素晴らしい紅葉が楽しめるでしょう。

(左)長男が教えてくれたヒトリガ。一人蛾ではなく火取蛾です。熟睡しています、ちょっと触ったぐらいでは動きません。(右)シオカラトンボのメス。ムギワラトンボとも。

(左)朝食は豊丘道の駅で買った美味しい食パンにハーブソーセージ、ベーコン、ニンニクのスクランブルエッグ、ピリ辛のワカモレ(アボガドディップ)、トマトとキュウリ、エキストラバージン・オリーブ油にリコピンリッチ、烏龍茶と麦茶。(右)爽やかな木漏れ日の下で朝食を済ませてゆるゆると出発。まず萱野高原へ向かいました。箕輪町の休憩所や宿泊施設とキャンプ場がありますが、展望以外特筆するものは特にありませんでした。北上して小野宿から塩尻へと向かいました。

(左)蔵造川水路橋(めがね橋)。貴重な明治時代の土木遺産。明治39年頃の写真。(右)現在の姿。本来は五つのアーチですが、外側の二つは土に埋もれています。この後、塩尻へ向かいます。

(左)塩尻の「平出遺跡」。縄文から平安の住居が見られます。これは縄文の住居。(右)その内部です。囲炉裏や縄文式土器が見られます。

 古墳時代の住居と、穀物を蓄える高倉。屋根の下部が切り取られ、切妻に煙抜きが。高倉には鼠返し。

(左)平安時代の住居。そうなんです。庶民の家は、縄文時代から平安時代までほとんど変化がなかったのです。(右)実は小学校の修学旅行でここを訪れていました。50数年ぶりの訪問です。感慨深いものがありました。

(左)縄文博物館へ。(右)先日訪れた野尻湖畔の遺跡が。

(左)長野市の松原遺跡で発掘された美しいトロフィー形土器。(右)長和町で発見された黒曜石。鏃(やじり)などに使われたもの。この黒曜石は、青森まで流通していました。

(左)ドラムではなかったかと思われる壺。(右)縄文時代の一軒の住居で使われていた土器はこんなにもたくさんあったそうです。大きいのは水瓶か。

(左)勾玉を使った装飾品。勾玉は古墳時代になると、突然姿を消します。しかし、この小さな宝石にどうやって小さな穴を開けたのでしょう。弥生人のもの凄く高度な技術を感じます。春秋戦国時代に越に滅ぼされた呉のエリート達が渡来したと考えるのが必然かと思われるのですが。歴史家がなぜ古代中国の史料を研究しないのか不思議です。(右)祭祀に使われたと思われる銅鐸。これが鳴り響く村の風景を想像してみました。レプリカの小さな銅鐸を買いました。

(左)様々な縄文式土器。芸術性も技術も高く、当時の人々の豊かな感性が偲ばれます。(右)石棒。男根は豊穣と多産、子孫繁栄の守り神です。

(左)奈良時代の五重塔を再現した瓦塔。実物も展示されていました。(右)それを焼いたと思われる菖蒲沢窯址。

(左)そこから北上して井筒ワインへ。(右)向かいの五一わいん。たくさん試飲しましたが、私が気に入ったのは、エステート五一のシラー。2700円。日本のワインではシラーは珍しい。ふくよかな果実の風味とスパイシーな香り、深いコクのある美味しいワインです。ビーフステーキやビーフシチュー、ビーフストロガノフ、ブラジル料理のシュラスコやフェイジョアーダなどに合うと思います。

(左)更に北上して山形村へ。そばカフェ水舎へ。(右)私は、伝統の奈川蕎麦の十割蕎麦を頂きました。腰があって美味でした。できれば新蕎麦を食べたかった。

 松本から新島々の松本電気鉄道上高地線。安曇野に戻り、息子達と別れて帰路につきました。台風10号もあって心配しましたが、充実したオートキャンプになりました。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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自然科学歴史民俗学と豊かな展示の飯田市美術博物館へ。伊那でローメンを食し箕輪町のもみじ湖キャンプ場へ(妻女山里山通信)

2019-08-20 | 歴史・地理・雑学
 飯田市と南木曽町の間の木曽峠(大平峠)近くの山奥にある携帯も通じない熊が出るキャンプ場から、無事に下山し飯田市街に戻りました。まずは評判の飯田市美術博物館へ。

(左)開館30周年記念で自然・文化展示室リニューアルオープン。(中)カマラサウルスの足の骨。触れるのがいいですね。(右)天竜川花崗岩。中央構造線とフォッサマグナの違いが分かりますか。中央構造線は、日本列島の西半分を縦断する日本最大の断層。それを分断するのが糸魚川・静岡構造線、ナウマンが命名した。フォッサマグナ(大地溝帯)。厳密に言うと糸静線は西側の境界線でフォッサマグナは面ですが。花崗岩はそれを象徴する岩石といえます。

(左)1959年の遠山郷や天竜川。(中)天保国絵図に描かれた伊那谷。細かに地名や山名が書かれています。(右)天竜川の絵図。川にたくさんの帆船が浮かび、水運が盛んだったことが分かります。

 飯田お練り祭りの本屋台「池田丸」。城下18ケ町の本屋台は二層三層からなる豪華なものでした。1902(明治35)年に電線が敷設されて曵き回せなくなり姿を消しました。残った屋台も飯田大火で消失。残るものはわずかです。竜頭彫刻と立波が見事です。

(左)飯田といえば有名な水引。(右)有用植物図説。非常に貴重なものです描写も細かい。伊那へ向かいます。

(左)伊那市錦町。切実なお願いです。(中)馬喰と馬が描かれたマンホールの蓋。(右)飯田線です。

(左)その橋のたもとにある食堂くろねこですが、惜しくも閉店となってしまいました。(中)昼はローメンの発祥の店「萬里」へ。(右)歴史あるローメン。汁は甘めです。店によって味が違うので色々食べてみたいですね。

 箕輪町のもみじ湖キャンプ場へ。テントとタープ、ハンモックを設置しました。紅葉だらけのキャンプ場です。秋は綺麗でしょうね。

(左)夕餉です。ゼブラナスのソテー。(中)モツ煮。(右)椎茸のソテー。すべて美味。

(左)メインディッシュの骨付きラムのソテー。ヒマラヤンソルトと粒黒胡椒にローズマリー。(中)ニンニクと砂肝のアヒージョ。(右)砂肝とネギのアヒージョのオリーブオイルを使った焼き飯。超絶美味。

(左)宴の跡。(右)満腹で眠りにつきました。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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飯田市の山奥、スマホ圏外で熊が出る大平キャンプ場でジビエを堪能(妻女山里山通信)

2019-08-18 | アウトドア・ネイチャーフォト
 盆休みに息子達と長野県南部(南信)の山奥にあるキャンプ場に行きました。とんでもないところでした。翌日は、箕輪町のもみじ湖キャンプ場へ。元善光寺や博物館、平出遺跡なども見学してワイルドないい夏休みでした。

(左)まず伊那のグリーンファームで食材を調達。豊丘村の道の駅でジェラートを。そして焼きたての食パンを買いました。一斤500円。これが本当に美味しかった。しかも安い!(中)飯田市で昼食。どこにしようかと選んだのが元善光寺にある「このんこぴあ」。ファミリー・レストランですが。いわゆるチェーン系のそれとは違う趣。人気店の様でほぼ満員でした。(右)私が選んだのは台湾カレーうどん。まず赤唐辛子を取り除きます。スープが充分に辛い。唇がヒリヒリしましたが美味でした。

 定額山元善光寺へ。なんだかえらく大きな看板です。思ったより狭いですね。遊具が微笑ましい。

 元善光寺。多くの参拝者が。回向柱に書かれているのは梵字(ぼんじ)ですね。インドで使用されるブラーフミー系文字の漢訳名で、日本では歴史的・伝統的に悉曇(しったん)文字を指すことが多く、神の文字・神聖な文字といわれています。
元善光寺サイト:縁起など詳細はこちらで。

(左)木鼻の木彫。右は耳が立っているので貘(ばく)。左は唐獅子と思ったのですが、鼻が長い。麒麟(きりん)でしょうか。(中)大平キャンプ場へ。飯田市民の山、風越山。(右)砂払温泉へ。単純アルカリ泉のヌルヌルしたいいお湯でした。

(左)大平キャンプ場へ登る途中で日本100名水の猿倉の泉へ。なんと茶室があります。野点も行われるそうです。(中)20リットル弱汲みます。(右)一輪だけホトトギスが咲いていました。ヤマホトトギスでしょうか。可憐です。

(左)1時間ほど路肩が何箇所も崩れた細い山道を走って、やっと大平峠県民の森にあるキャンプ場に到着しました。(右)キャンプ場の図。まず駐車場が遠くてしかも入り口とは少し離れていて分かりにくい。後から来たソロライダーと夜に来た二人のライダーは共に迷っていました。たどり着けないキャンプ場(笑)。まったくファミリー向けではありません。トイレが、ずっと使用中の看板がかかったのがあって、怖くて誰も開けられませんでした(笑)。

(左)水場です。沢の水なので煮沸して。泉を汲んできたので洗い物以外には使いませんでした。(中)小さな広場に食事場所を作りましたが、台風10号の影響で雨がふりそうなので、四阿に移りました。しかし圏外なので情報がまったく得られません。サバイバル能力が試されるキャンプになりました。(右)テントサイト。6人用のも持っていきましたが、翌日は移動するので3人用と1人様を設営。ブヨがすごくて刺されまくりました。

(左)豊岡道の駅で買ったクリームチーズの味噌漬け。絶品です。(中)鹿肉の燻製。つまみに。(右)鮎の塩焼き。養殖物ですが脂ののりが凄くて、炎が暴走。美味でした。

 メインディッシュ、鹿肉のヒレのソテー。素材がいいので味付けは粒黒胡椒をひいたものと、ヒマラヤンソルトのみ。鹿肉の旨さそのものを堪能します。これは絶品でした。後から来た岐阜県のNさんも招いて熊が出る山の中で豪華なディナー。

(左)焼きとうもろこし。一度茹でてから醤油を塗って焼きます。美味い。(中)鯨の刺し身。最高の味です。(右)舞茸とブナシメジのバターソテー。台風10号のスピードが遅かったため豪雨もなく、ゆるゆると深山の夜は更けていきました。しかし、航空路直下らしく数十分ごとにジェット機が通過するのです。山奥なのにやかましいこと。

(左)翌朝は豊丘道の駅で買った食パンで朝食。有精卵を鯖のバジルオイル缶でスクランブル。(中)チーズで挟んで。(右)ホットサンドにしました。喉がピリッとする本物のエキストラバージンのオリーブオイルをかけていただきました。いやはや凄いキャンプ場でした。

(左)さて出発しようと車を見るとタイヤにキベリタテハ。タイヤに付着した獣の糞を吸っているのでしょうか。(右)そこからさらに登って南木曽町に通じる木曽峠(大平峠)の木曽トンネルへ。上に山があるわけでもなく不思議なトンネルです。トンネルを抜けたら、30センチぐらいのウリ坊(猪の子供)がいて、ブヒッ!と叫んで逃げていきました。

(左)戻って大平宿へ。廃村ですが農家民宿や休憩所があります。(中・右)廃校になった小学校。250年で幕を閉じた集落です。
 飯田市へ下り、展示が充実した飯田市博物館へ。伊那へ向かいローメンを。そして、箕輪町のもみじ湖キャンプ場へ。次の記事で紹介します。

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蓮の花が満開の妙高高原いもり池へ。信越トレイルの赤池にも行ったのですが…(妻女山里山通信)

2019-08-04 | アウトドア・ネイチャーフォト
 四日目は最終日。昨夜は再び奈良からいらしたK夫妻と邂逅しました。また話に盛り上がりましたが、翌朝3時に起きて妙高山に登るというので早々に宴を終えて。私はユキ・ラインハートのA・O・Rがリクエスト特集なので、みなさんから離れた場所に移りました。60〜80年代、時々90年代のリクエスト特集で、それは素晴らしいものでした。

 翌朝は妙高山も見えました。昨日K夫妻からいもり池の蓮が満開ですよと聞いていたので行くことにしました。

 コスモス(秋桜)が咲き始めました。高原はすでに小さな秋の匂いがします。アキアカネも舞っています。

 いもり池へ。咲いていますね。周遊の遊歩道をゆっくりと歩きます。水彩画を描いている人もいました。



 白い花が多いのですが、桃色の花も数は少ないのですが、見られました。



 サワヒヨドリ(沢鵯)で吸蜜するルリシジミ。ここでカメラのバッテリーが切れてしまいました。もちろんバックアップも持っていたのですが、なぜか充電できていません。いやこれ一応プロとしては問題でしょう。でも気持ちを切り替えます。
 赤倉に立ち寄った後、信越トレイルを歩き始めたセーラさんも歩いたはずの、沼ノ平湿原の尾根の向こうにある赤池へ行きました。マイナーな場所なのでだれもいません。池の畔にあるログハウス風の休憩所の二階のデッキで、景色を眺めながらゆるりと昼食です。彼女は今頃どこを歩いているのかなと想像しました。池の周りを散策すると、信越トレイルを歩く人のためのテントサイトがありました。

 訪れていなかった斑尾のビジターセンターに行き、赤池に戻ると、木島平在住の男性がいました。自然や歴史にも造詣(ぞうけい)が深い方で、色々と面白い話ができました。ここからは上越市の平野越しに日本海が見えるのです。
 さて、名残惜しいのですが帰路につかなければなりません。猛暑の下界に戻るのは勇気がいります(笑)。いや笑い事ではないですね。盆休みには息子達と南信の山奥へオートキャンプにでかけます。南信は戦乱(戦国時代)に巻き込まれなっかったため、古い伝統が現存する貴重な場所なのです。

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関川関所道の歴史館と片貝縄文資料館へ。江戸時代から縄文時代へと歴史をたどる旅を人口の変遷から見る。古代ユダヤも(妻女山里山通信)

2019-08-04 | 歴史・地理・雑学
 三日目の続きです。お昼ごはんを食べに信濃町へ戻ります。午後は、能生からの帰りに見つけた、国道沿いの看板が草に半分埋もれた縄文資料館が気になったので行ってみます。その前に、関川関所道の歴史館へも。

 斑尾高原から野尻湖に戻る道すがら。古海(ふるみ)の水田と集落越しに見る斑尾山。その名前から、古代は湖だったのかもしれません。現在は、関川へ古海川が流れています。左には村社の信隈最上古海神社があります。珍しい名前ですね。立ち寄ればよかった。空腹に勝てませんでした。信州の隅っこの最上の神社という意味でしょうか。祭神は?

(左)信濃町の国道18号沿いにあるレストラン樹香へ。天ざるを。古式製法の腰のある細い蕎麦は、東京の大盛りか二人前はあります。天ぷらは、ぶりぶりの海老天二本に、大きなカボチャとナス、ピーマンとレンコンとキノコとボリュームたっぷり。(右)実は2日前にくるみ味噌ラーメンを食べてずっと使える100円割引券をいただきました。このラーメン美味しいのですが、洗面器の様な大きな丼で、少食な私は食べきれませんでした。野菜の量ももの凄くて、麺までたどり着くのが大変でした。信州では、大盛りにするのが昔からのおもてなしなんです。東京の感覚で不用意に大盛りを頼むと大変なことになります。

(左)そこから10キロ足らずで、新潟県の関川御関所。関川にかかる太鼓橋を渡ります。(右)太鼓橋から見る関川集落への橋と国道18号の橋。

(左)関川関所道の歴史館のジオラマ。地形を見ると、なぜ幕府がここに関所を置いたのかが分かります。(右)田切がどれほどの難所であったかも。館内には詳しい説明があります。

(左)旅をする夫婦でしょうか。十返舎一九の『東海道中膝栗毛』にある様に、お伊勢参りなど、庶民の旅も盛んになりました。60年に一度のおかげ参り、特に文政のそれは8人に一人が参拝の旅に出たという事実があります。庶民不満のガス抜きや文化の交流もあり、幕府にも止められなかったのでしょう。(右)携帯の品々。真ん中が銭入れ。その右上は矢立( 筆と墨壺)。右の大きな筒は、龕灯(がんどう)。中のろうそくが常に上を向くような構造になっています。

(左)関所の様子。奥には出女を調べる部屋があります。(右)入鉄炮出女(いりてっぽう・でおんな)は日本史で習ったと思います。出女とは、通常は私娼の一種。各地の宿場の旅籠にいて、客引きの女性で売春もした。ただ、幕府が江戸に留めおかせた諸侯の婦女(人質)が国元に逃げるのを防ぐのが、関所の最大の役目でもあったのです。その取り調べは相当に厳しいものであった様です。

(左)次に片貝縄文資料館へ。廃校になった小学校の三つの教室が展示室です。係の女性が案内してくれました。最近、宝島社の『最新調査でわかった日本の古代史』というムックを買ったのですが、古代史で新たな発見が相次いでいるのです。写真は縄文時代の女性想像図と土製の耳飾り。(右)石鏃(せきぞく)。黒曜石,ケイ岩,安山岩,粘板岩などの石で作られた鏃(やじり)です。これで猪や鹿を狩ったのでしょう。

(左)魚をとるための丸木舟。ここで偶然紹介された縄文学校の先生をされている博田さんと色々話したのですが、先般台湾からの渡来実験で、丸木舟で成功したニュースがありましたが、丸木舟が出土しているのに、その前に竹舟や葦の舟で失敗しているのがそもそも可笑しいと。まあ私もそう思いましたが。(右)素晴らしい土偶。肩や胸部の文様は、衣服ではなく入れ墨なのではないでしょうか。縄文人は、昔のアイヌの人達の様に入れ墨をしていたといいます。

(左)男根の様な石。底面には溝か穴があり女陰といわれています。豊穣多産のお守りでしょうか。(右)シャーマニズムの前、アニミズムの頃の埋葬。呪術や精霊の世界です。アメリカの先住民に弟子入りし、呪術師になるまでを記したカルロス・カスタネダの『呪氏に成るーイクストランへの旅』や、アイヌ民族のイヨマンテの儀礼を思い起こさせます。この世界のすべてのものに精霊が宿り、パラレルな存在であるという概念というか生き方。
 
 1955年から1964年頃にかけて、アメリカ合衆国の文学界で異彩を放ったグループにビート・ジェネレーション(Beat Generation)がありました。ジャック・ケルアックやアレン・ギンズバーグ、ウィリアム・バロウズなど多くの作家が傾倒しました。私も70年代の学生時代にたくさんの詩集や本を読みました。カウンター・カルチャーの源流で、日本で生まれたヒッピーやロックシーンに多大な影響を与えたのです。マイルス・デイヴィスやスタン・ゲッツなどのモダンジャズも、そういう時代背景を源に生まれたものです。若い人にこそ知ってほしい歴史です。

 縄文学校の先生と色々話したのですが、私が話したのは縄文時代から古墳時代にかけての人口の変動と、大陸からの移住者の増大と、それに伴う文化人類学的な変化です。
 歴史人口学の研究者、鬼頭宏氏の推計によると、-----縄文時代の人口は約10万人~約26万人であり、弥生時代は約60万人だった。奈良時代は約450万人、平安時代(900年)には約550万人となり、慶長時代(1600年=関ケ原の合戦のころ)には約1220万人となった。-----
 -----縄文時代前半に人口が増えたのは、このころ気温が上昇、日本列島に食料資源がふんだんに用意されたからだ。縄文人はクリなどの木の実やサケ、マスなどの 魚類を食べた。ところが、縄文時代中期から気温が下がり始め、落葉樹林の生産力が落ちる一方、西日本では照葉樹林が広がった。これが食料を減らし、人口を 減少させる原因になった。縄文時代の人口はピーク時26万人だったが、末期には8万人にまで減少したとみられている。
 弥生時代に入ると再び増加に転じ、約60万人になる。大陸からの渡来人が持ち込んだ稲作の普及が主な原因だ。渡来人自体が人口増に貢献するとともに、稲作により食料が確保され、大量の労働力が必要になったことが増加の圧力になった。-----

 大陸から新たな文化がもたらされたのは事実ですが、それは稲作や鉄生産の技術を携えて大量の渡来人が流入したことを意味すると考えられます。生物学的な自然の人口増の範囲を遥かに超えています。そこで必要なのは、どこの誰が入ってきたのかということです。
 私は春秋戦国時代に登場する呉と越がその鍵を握っていると考えます(紀元後の三国志の呉とは異なります)。呉も越も海岸沿いでベトナムとの交易もしていたほど水運が発達していました。相当の航海術を持っていたと思われます。越により滅びた呉のエリート達が大量に日本に来たことが考えられるのです。広島県に呉市がありますが、まさにそれかと。また、和服を売る店を現在でも呉服店といいます。呉布、呉織という名で残っています。高度な文明が日本にもたらされたのではないでしょうか。紀元前480年頃のことです。それが出雲一族かもしれません。

 その後、紀元前320年頃に越のエリート達が来訪した思われます。越中、越後にその地名が残っています。高志(越)の国ともいいました。魏志倭人伝にある奴国大乱は、その両者が戦ったことをいうのかもしれません。奴国大乱は、大和にあった邪馬台国が、北九州の奴国を滅ぼした戦ともいわれています。この日本にたかだか60万人の人口の時代に、あの様なジェノサイドと思われる壮絶な戦いをしたのにはそれなりの理由があると思われます。越後の鮫ヶ尾城麓にある斐太遺跡は、弥生時代後期の奴国大乱の時代に短期間に住まわれた避難的な集落で東日本最大級といわれています。越の人たちではないでしょうか。そして彼らはその後どこへ。おそらく科野国へも逃れたでしょう。

『中国正史 倭人・倭国伝全釈』鳥越憲三郎著。春秋戦国時代に国の滅亡ゆえに渡来した弥生人を中国正史から紐解いています。『魏志倭人伝』にあるように、倭人とは当時の日本人のことですが、『晋書』には、日本からの朝貢の者が、「我々は大伯の後(すえ)なり」と言っていることです。大伯とは古代中国春秋戦国時代の呉の開祖といわれる人物です。日本に渡来した弥生人が彼らです。

 更に、紀元前200年頃に、秦に失われた古代ユダヤの一族ともいわれる、徐福を長とした3000人ほどの集落がありました。彼は秦の始皇帝に、日本へ不老不死の薬を探しに行くと言って毎年村人を渡らせ、最終的には全員が日本へ行きました。そして誰も戻りませんでした。秦の始皇帝を騙したのです。しかし、一箇所にいては秦の始皇帝に滅ぼされる危険があるので全国に散らばりました。徐福伝説が全国にある所以です。彼らは高度な技術者集団と共に来訪しました。物部氏の祖という説もあります。そして彼らが大和一族の祖という説があります。飯縄権現の祭神は白狐に乗った烏天狗ですが、それが古代ユダヤ人ともいわれます。秦氏、羽田氏、本多氏、本田氏、波多氏 波田氏、畑氏などは、その系列ともいわれています。
 諏訪氏や諏訪大社、善光寺にある守屋柱など、古代ユダヤとの関連を思わせる名前や建築物、祭祀がたくさんあります。ユダヤ教にのシンボル、ダビデの星(六芒星)を記した神社(例えば伊勢神宮)がなぜ存在するのか。古代科野国の始まりは、崇神天皇に初代信濃國造に任命された大和系の武五百建命(たけいおたつのみこと)で、妻は出雲系の会津姫命(會津比賣命・あいづひめのみこと)です。会津は、福島の会津とも深い関係があります。これらは、日本が縄文時代から弥生時代に移る長い期間の話です。真剣に研究する対象になる事案だと思われます。

『古代史の謎は「鉄」で解ける』竹村公太郎著。日本に多大な影響を与えた高句麗のことが詳しく書かれています。滅びた高句麗の人々が信州や関東にたくさん渡り定着しました。長野市の篠ノ井や東京の狛江は高句麗に由来します。篠ノ井は、高句麗から渡来した豪族の篠井氏が名の由来です。高句麗の王族、前部秋足(ぜんぶのあきたり)が延暦18年(799)に篠井性を下賜(かし)されています。それが現在の篠ノ井の名称の元でしょう。この時、多くの高句麗の豪族が帰化しています。高句麗人はツングース系で馬産と石の文化を持ち、現在の半島の人とは異なります。長野市には高句麗式積石塚古墳として大室古墳群が、多くが破壊されましたが妻女山にもあります。千曲市には堂平積石塚古墳群があります。この本ではなぜ色々なスタイルの古墳があるのかについても言及しています。弥生時代から古墳時代にかけて、大量の移民があったということです。それは、60万人から400万人へと、当時の激烈な人口動態をみれば分かります。

■科野国造 武五百建命と妻 会津比売命の家系図(諸説あり)
神武天皇--神八井耳命--武宇都彦命--武速前命--敷桁彦命--武五百建命--健稲背
          大国主命--建御名方富命--出速雄命--会津比売命(出速姫神)



 黒板に無造作に描かれた人類の歴史が、非常に分かりやすい。一番右にアフリカで人類が誕生とありますが、最新の学説では、人類は複数の場所で同時多発的に発生したといわれています。第四紀学会編、東京大学出版会刊行の『図解・日本の人類遺跡』という1992年出版の本があるのですが、もう一度じっくりと読み直してみようと思います。旧石器時代から奈良時代末までの道具の組み合わせ、生産、住居・集落、墓制、祭祀を基本として図示した貴重な本です。形而下での分析が、新たな相似率の発見から歴史分析につながるかもしれません。

(左)発掘された縄文式土器の数々。(右)別の教室には、縄文学校で地元の人達が作り焼いた縄文式土器が展示されています。これが非常に素晴らしい。地元の方たちの郷土愛、縄文愛を感じます。一階の教室では夏休みの子供達が書道教室を開いていました。
 ここまで来たので再び道の駅のきときと寿しへ。信州ではありえない安いガソリンを給油して、苗名の湯に入ってから道の駅しなのに戻りました。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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斑尾高原の沼の原湿原へ。2万年以上の時を経てできた貴重な自然の宝庫。信越トレイルの一部です。素敵な出会いも(妻女山里山通信)

2019-08-03 | アウトドア・ネイチャーフォト
 三日目は、斑尾高原へ行こうと決めていました。それも北信五岳の斑尾山に登るのではなく沼の原湿原を歩こうと。沼の原湿原は、関川の支流の土路川の源流域にある約21haの湿原で、2万年以上の年月をかけて形成されたものです。近年湿原の重要性がいわれています。長男の卒論が、飯綱の10万年ともいわれる逆谷地湿原の花粉研究で、ボーリングの手伝いもしたので、より興味があるのです。

 5時過ぎには起床して野尻湖に向かいました。パワースポットともいわれる弁天島。湿度が高いです。一休みした後で斑尾高原へ出発しました。

(左)野尻湖畔の船着き場の隅にある、A.R.ストーン先生の記念碑。アルフレッド・ラッセル・ストーンは、カナダ出身のメソジスト派の宣教師です。昭和時代の初期、柏原や古間で鍛冶の機械化をすすめ、ルバーブなどの野菜の植付けなど農業への取り組みもされた日本を愛し、野尻湖を愛した宣教師です。洞爺丸事故で遭難死する前に、救命胴衣を日本人の若者に与えた話は有名です。野尻湖に来たら必ず立ち寄ってください。(右)時代を感じさせる水門。こういう構造物が大好きです。

 7時20分頃に斑尾高原着。目的は、1980年代に友人たちと何年か訪れた「1982年にニューポート・ジャズ・フェスティバル・イン・斑尾」の現場がどうなっているか見るためでした。B.B.キング、ウェイン・ショーター、ジャッキー・マクリーン、ディジー・ガレスピー、マル・ウォルドロン、マッコイ・タイナーなどなどを思い出します。青空の下でバドワイザーを飲みながら聴くジャズは最高でした。なんとなく面影はありました。

(左)7時50分。野尻湖方面から来るとこのT字路に着きます。広い路肩に駐車して、看板の向かいの入り口へ。中央トレイルを下ります。(右)ウツボグサ(靫草)シソ科。別名は夏枯草(かごそう)。円筒形の花穂の形が、武士が弓矢を入れて背中に背負った道具の靫(うつぼ)に似ていることに由来します。

(左)ネジバナ(捩花)ラン科。低地から亜高山帯まで湿った草地に見られます。(右)トリアシショウマ(鳥足升麻 )ユキノシタ科チダケサシ属の多年草。 若葉は山菜です。

(左)シロキクラゲ(白木耳右)。抗酸化成分があり、古代中国では不老不死のキノコで、楊貴妃も愛したとか。保湿成分があり、化粧品の原料にも。濃い味はありませんが、中華スープや炒め物に。(右)壊れていますが食菌のタマゴタケ(卵茸)テングタケ科。ロシアでは帝王のキノコと呼ばれ、バターやクリームと合います。クリームパスタは絶品です。

(左)アカヤマドリ。イグチ科の食菌。これもバターやクリームと合うので、オムレツにすると最高です。虫が入りやすいので、直径8センチぐらいまでのひび割れていない幼菌がおすすめです。(右)チチタケ(乳茸)ベニタケ科。傷つけるとお乳がでるので乳茸。もしくはチタケ。栃木では、ナスと炒めてうどんや蕎麦の汁に入れます。放射能汚染されやすいので、注意が必要です。

(左)もの凄い湿度の谷。朴葉みそに使われるホウノキが見られます。(右)約40分での沼の原湿原入り口に到着。ショートコースを歩きます。

 ウバユリ(姥百合)ユリ科。高さが2m近くあるのでオオウバユリでしょうね。20センチぐらいある花が放射状に咲きます。この後、向こうから若い女性が大きなザックを背負って現れました。まだ朝の8時半です。彼女はジョージア州に住む環境学を学ぶ大学生で、日米のハーフ。お母さんが日本人だそうです。信越トレイル80キロを歩くのだとか。今朝は斑尾山から歩いてきたそうで、ここも信越トレイルの一部なんです。色々な話をしました。拙書も見せてお話を。可愛くて素敵な女性でした。

 彼女と別れて湿原の木道を歩きます。ドクウツギ、トリカブトと並んで日本三大毒草のひとつ、ドクゼリ(毒芹)。誤食すると、嘔吐、下痢、けいれん、呼吸困難などの中毒症状を起こし死亡することもあります。

(左)コバノギボウシ(小葉擬宝珠) ユリ科。(右)彼女が見せてくれたユリ。写真ではコオニユリかなと思ったのですが、実際に見ると大きく、クルマユリ(車百合)ユリ科でした(Lilium medeoloides)。数は少ないですが、コオニユリもありました。

 ベンチのある見晴らしのいい休憩所でサンドイッチで朝食。湿度は高いのですが、心癒される風景です。ウグイスやホトトギスの鳴き声が聞こえます。

(左)ホタルガ(蛍蛾)マダラガ科。ホタルへの擬態からの命名。(右)拙書のコラムでも紹介しているイカリモンガ(碇紋蛾・碇紋蛾)。前翅に錨形のオレンジの紋様があることから、そう命名されました。留まる時は翅を立てます。触角は細く一般的な蛾のように羽毛状ではありません。また、昼行性で昼間に活動します。

 帰る道を間違えてしまい、斑尾高原ホテルの前に出ました。ここから車まで車道を25分歩きました。その途中で撮影した斑尾山。10時40分に車に戻りました。信濃町に戻って昼食です。後半は次の記事で。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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幻想的な野尻湖から日本海のマリンドリーム能生へ。夏は岩牡蠣に限ります(妻女山里山通信)

2019-08-03 | アウトドア・ネイチャーフォト
 二日目は、夏休みなので混雑を避けて早朝にマリンドリーム能生へ出発。海なし県の信州人(中信、東信、北信)は、上越の海へ海水浴や海釣りに行くのです。海岸の駐車場は、長野と松本ナンバーばかりです。逆に野沢温泉などは長岡ナンバーばかり。

 出発してまず野尻湖に立ち寄りました。時間は6時少し前。雲の一部が切れて朝日が水面に落ちています。風があるので水面が波立っています。気温は19度。幻想的な風景にしばし見とれていました。

 夜明け後なので釣りをする人や、ジョギングをする人がいます。晴れていれば、向こうに斑尾山も見えます。小一時間、湖畔を散歩して出発しました。国道18号を北上し、直江津で8号を西へ向かいます。谷浜、名立を経て能生へ。

 8時前にはマリンドリーム能生に着きました。ロビーで朝ドラの「なつぞら」を見たり海岸を散歩したり。雲ひとつ無い青空と青い海が広がります。小さな漁船が一隻。素潜り漁をしていました。サザエやアワビでしょうか。

 風力発電のプロペラ。現在は使われていません。風がないと回りません。日本では、波力発電や地熱発電の方がいいのでかも。ダムの要らない極小規模な水力発電も有望かと思われます。実は苗名滝で、サングラスをなくしてしまいました。なんとか能生までドライブしてきましたが、眩しくてたまりません。糸魚川市へ買いに行きました。ちょうどセールをしていて、気に入ったものが手に入りました。目の日焼けは非常に危険なのです。色白なので日焼けも厳禁です。火膨れするので日焼け止めも欠かせません。

 お昼少し前に鮮魚センターの魚正へ。大きな岩牡蠣を注文しました。美味しいなんていうレベルじゃありません。ほっぺたが落ちそうというのは、こういうことを言うのでしょう。3店ありますが、それぞれ個性があるので全部周ることをおすすめします。自家製の塩辛も美味。ホタルイカの沖漬けと酒粕漬け、イカの丸干を買いました。

 イカのポッポ焼きとエビを焼いたもの。イカやエビは生のものをその場で焼いて持ってきてくれました。かに横丁も賑わっていましたが、前日出会った地元の人は、蟹の旬は冬で6月までだね。地元の人は夏の冷凍の蟹は食べないよと言っていました。まあそうでしょうね。今の季節なら他にはタチウオやキジハタ、アジ、イワシ、ハモ、車海老、アワビ、サザエなどでしょう。

 そして、散歩したりウィンドウ・ショッピングをしたりしましたが、岩牡蠣の味が忘れられず再び訪れました(笑)。お店のおばさんも驚いていましたが、美味いです。この岩牡蠣には、レモンもポン酢も不要です。牡蠣だけの味を堪能すべきです。信州ではまず食べられません。実は車中泊も考えていましたが、車の温度計がなんと37度。無理です。信濃町に戻ることにしました。

 帰りに3時頃に道の駅あらいの「きときと寿し」へ。富山の氷見に本店があります。まずは旬の光り物から。(左)好物のカニ味噌です。(右)錦織圭選手が帰国後食べたいと言ったことで一躍大注目されとんでもない高級魚になってしまいました。そののどぐろの握り寿司です。とろける旨さです。

(左)魚卵三種。手前から数の子、とびっ子、イクラ。(右)もう夕飯はいらないねと、信濃町で焼きとうもろこしを買いました。香ばしくて極甘です。夜は奈良から来たK夫妻とお酒を飲みながら歓談しました。奥さんは以前スバル360のバンに乗っていたとか。高原の夜はゆるゆると更けていきました。この夜は20台以上の車がいました。ほろ酔い気分で眠りにつきました。明日は、斑尾に行こうと決めました。さあ、どんな出会いがあるでしょうか。翌日は、非常に濃い一日となりました。

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妙高の名瀑、大迫力の苗名滝へ。(妻女山里山通信)

2019-08-02 | アウトドア・ネイチャーフォト
 猛烈な暑さになるというので、三泊四日の高原への旅に出ました。三泊とも信濃町の道の駅しなので車中泊。夏休みに入ったので、日中は大勢の家族連れなどで賑わいましたが、5時に閉店して日が暮れると、静寂に包まれます。

 まず6月にも訪れた苗名滝へ。関川の流れがもの凄かったので期待して向かいました。やはりもの凄い水量で、地響きがします。地元のバスの運転手が話しかけてきて、こんな水量の滝はめったに見られないと言っていました。滝の前の吊橋を渡った四阿からの定番のカットです。落差は55m。滝まで片道10〜15分です。

 滝を正面から撮影するためには、滝の上に続く道を登り、写真の場所に出ます。木の根っこが絡み合って滑ります。根っこの向こうは高い崖なので転落しないように慎重に。

 そこからのカット。近いので轟音が凄まじい。湿度も凄まじい。滝の柱状節理が綺麗です。

 最初の吊橋の上にある関川1号砂防堰堤。これも大迫力。

 堰堤横の階段から駐車場方面。流しそうめんや黒姫霧下蕎麦、ソフトクリームなどが食べられます。観光地なので、スカートにサンダルの女性もいましたが、滝への道は泥濘状態のところもあるので、最低でもスニーカーで。

(左)道中にたくさん見られるユキツバキ(雪椿)。豪雪地帯なので幹が根本から横倒しになっています。別名は、オクツバキ、サルイワツバキ、ハイツバキ。(右)メタリックな青い尾が美しいニホントカゲが岩の上にいました。

(左)カラマツソウ(落葉松草、唐松草)。キンポウゲ科。(右)キイチゴの一種。真ん中の黒っぽく熟れた実を食べてみましたが、甘酸っぱく美味。

(左)ヤマアジサイ(サワアジサイ)。道中のあちこちで見られます。(右)ヤマホタルブクロ(山蛍袋)。

(左)なんの葉でしょう。ピンク色のコブは、虫こぶ(ゴール)です。(右)ミナミヒメヒラタアブが、サワヒヨドリ(沢鵯)で吸蜜中。複眼がくっついているのでオス。メスは離れていて腹部も横に膨らんでいます。

 関川1号砂防堰堤は、平成7年の梅雨前線豪雨で地震橋が流されたりの大きな災害の後に造られたもの。階段式魚道があります。整備の費用は約13億円。前述のバスの運転手から、滝も崩壊し、直したので昔の形ではないと教えてもらいました。

 苗名の湯に入って道の駅しなのへ。長岡から来たKさんが話しかけてきて、色々な話で盛り上がりました。夜が更けてきます。ビールとハイボールを飲みながら、ユキ・ラインハートのA・O・Rを聴きます。特集はボサノヴァの創始者といわれ、〈ボサノヴァの法王〉、〈ボサノヴァの神〉と称されていた伝説的シンガー/ギタリスト、ジョアン・ジルベルト。最高でした。惜しくも先月88歳で亡くなりました。
 翌朝は19度。少し肌寒く感じるほどでした。朝早く起きて混雑する前に能生のマリンドリームへ向かいました。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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