モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

時に2000キロ以上も旅をする蝶・アサギマダラと真昼の邂逅(妻女山里山通信)

2013-09-25 | アウトドア・ネイチャーフォト
 夏の蝶の王様といえばオオムラサキですが、秋といえばアサギマダラ(浅葱斑)と思うのは私だけではないでしょう。なんといっても、手の平に満たないこんな小さな蝶が、時には2000キロ以上も「渡り」をするということで、魅せられる人が多いのです。浅葱斑とは、半透明な白い班が浅葱色を帯びてみえることから。浅葱色は、長ネギの薄青緑のことですが、藍染めの手を抜いて薄く染めた色のことです。新撰組の羽織の青ですね。
 海を越えて「渡り」をする蝶ということから、「てふてふが一匹韃靼海峡を渡っていった」という安西冬衛の詩が思い出されます。韃靼(だったん)海峡とは間宮海峡のことで、ロシア語のタタール海峡の中国語表記なんですね。渡って行った蝶はなんでしょう。アサギマダラは間宮海峡は渡らないでしょうから・・。

 連休のある日、キノコ狩りに出かけ、急斜面のコナラの薄暗い森を登って林道に這い上がると、眩しい陽光の中に舞うアサギマダラが目に入りました。フワフワと舞った後にスゥーっと滑空する優雅な舞いは、見飽きる事がありません。そうっと追い掛けてマルバフジバカマで吸蜜しているところを撮影。本来はヒヨドリバナなど在来種で吸蜜するのでしょうが、この林道は帰化植物のマルバフジバカマに占領されてしまっています。

 水玉の斑模様は、翅だけではなく頭部や胴体にもあります。松本出身の世界的芸術家、草間彌生さんの服を纏っているように見えるお洒落な蝶です。割と人を警戒しないので、翅を閉じて吸蜜している時など、後ろからそっと摘んで捕獲できるのですが、この蝶はけっこう警戒心が強く、近づくとすぐに飛び立ってしまいます。

 飛翔シーンを撮影したかったのですが、手持ちのカメラでは無理でした。そこで、フォトショップで合成して遊んでみました。揚羽蝶などの様に激しく羽ばたかず、フワフワと舞い滑空することでエネルギーの消費を最小限に抑え、2000キロ以上も飛ぶ事ができるのでしょうか。

 アサギマダラの最も美しいカットは、逆光で翅が透けているところだと思うのですが、今回はコントラストが強すぎてなかなか思う様なカットが撮れませんでした。アザミの花で吸蜜する時などは、アザミの濃い桃色が翅の向こうに透けて見えて、それは奇麗です。

 写真のものは、後翅に黒い性標があるのでオスです。ふと周囲を見ると、アサギマダラは三頭いました。時に互いに戯れあって舞いながら吸蜜しています。近づくとからかう様に飛び立つのですが、私の先を道案内でもするように、少し舞っては先のマルバフジバカマで吸蜜します。

 幼虫の食草は、イケマ・カモメヅル・キジョラン・サクラランなどのガガイモ科の植物です。いずれもアルカロイド系の毒素を含む毒草のためアサギマダラも毒化し身を守っています。交尾行動の際、メスはオスの腹部の先端の交尾器から出るヘアペンシルを触覚で触れ、アルカロイドが体内でダナイドンという物質に変化したものを感知すると交尾に至るのだそうです。毒性のある物質が性ホルモンというのも面白いと思います。

 林道脇で、ルビーのように真っ赤な実が光っていました。ガマズミの実です。相当酸味が強いのですが、赤く奇麗ないい果実酒になります。高酸化作用があり老化防止にもよさそうです。早速採取しました。2008年のブログ記事です。「ガマズミ酒とケルンコンサートと秋のソナタ」。

 ガマズミの採取を終えて、ふと周りを見ると、どこにもアサギマダラの姿がありません。まるで真夏の昼の夢の様に消えてしまいました。一瞬、あのアサギマダラは幻だったのだろうかと思いました。
 荘子の『斉物論』に「胡蝶の夢」という寓話があります。荘子が夢の中で蝶になり、空を舞って楽しんでいると目が覚めてしまいます。すると、自分が夢を見て蝶になったのか、蝶が夢を見て自分になっているのか、どちらか分からないという話です。夢と現(うつつ)の区別がつかないことの例えや、人生の儚さの例え。大発生したかと思うと、アッと言う間に姿を消す生態や、蝶の予測できない不安定で気まぐれな飛び方から思いついたものでしょうか。

 長い登山道と林道歩きを終えて、妻女山展望台に戻ると、千曲川と善光寺平の向こうに戸隠連峰と飯縄山が見えました。連休なので、多くの登山者が登っていることでしょう。残念ながら長野市民の山、飯縄山山頂は放射線量が高いのです。秋の枯葉が舞う様な登山では、埃を吸わない様配慮が必要です。また、山麓の野生キノコからは放射性物質が検出されています。この一見美しい信州の風景が、強欲で無知な原発村の住民によって汚染させてしまったことは、慚愧に堪えません。これは人類の恥です。全知全霊をかけて核を廃絶しなければ、必ず人類は滅びるでしょう。核=原発は、生物学的に、最も反動的なものです。

■色々な蝶の写真は、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】の蝶をご覧ください。アサギマダラやオオムラサキ、スミナガシやゼフィルスなど。

【信州の里山】キノコの汚染と除染について
腐生菌と菌根菌(腐生の約10倍汚染)除染方法等。


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信州は、ウラベニホテイシメジの季節。菌根菌なので除染を念入りに(妻女山里山通信)

2013-09-22 | アウトドア・ネイチャーフォト
 台風一過の週末にキノコ狩り。信州で、この時期のキノコといえばウラベニホテイシメジ。イッポンカンコウともいいます。人によってはイッポンシメジという人も。確かにウラベニホテイシメジはイッポンシメジ科ですが、別にイッポンシメジという毒キノコがあるので、混同しない様に。また、最も間違え易いのは、クサウラベニタケ。プロでも間違える事があるほどなので、充分注意することが必要です。しかも、たいてい同じ所に混じって生えていることが多いのです。ウラベニホテイシメジとクサウラベニタケの記事もご覧ください。
 キノコの同定は、採取した現場で行うのが基本。時間が経つと変色したり、スギタケモドキとツチスギタケの様に、外見がほとんど同じで、木に生えると食、土だと毒というものもあるからです。生育環境(雑木林か松林か混合林かなど)を知るために採取現場の写真を撮っておくのも有効です。

 ウラベニホテイシメジは、写真の様に軸が太く、中実で、軸は枯葉を突き抜けて地面まで達しているので長いのです。写真の土が付いている部分から下が地中部です。傘は初め白く細かな繊維状のものがあり、指で押したような班があることがあります。軸の細いウラベニは、採るべきではありません。独特の刺激臭と苦みがあるので、濃い塩水に2、3時間浸けてから茹でこぼし、薄塩にまぶして冷蔵庫で保存します。適度に苦みが取れ旨味も凝縮します。秋なす、大根、鶏肉、厚揚げなどと煮込んだり、炒め物にしたり、おろし醤油で食べます。菌根菌なので放射性物質を溜め易いため、塩漬けと茹でこぼしで、7~9割除染できますが、酷い汚染地のものは食べるべきではありません。
 塩漬け茹でこぼしと同様に、味噌漬け茹でこぼし、粕漬け茹でこぼしなども除染効果があります。もちろん漬け床は捨てなければいけません。肉や魚介類、野菜にも応用できます。

 毒キノコのクサウラベニタケ。軸が細く、枯葉から出るので短いと図鑑には書いてありますが、写真のように太くしっかりしたものもあります。ただ、地中ではなく枯れ葉の部分から出るので、ウラベニホテイシメジと区別ができます。傘は艶があり放射状の筋があります。傘の裏を嗅ぐと特有の嫌な匂いがします。ウラベニホテイシメジと違い苦みはありません。誤って食べると激しい嘔吐、下痢が襲います。死亡する事は稀で、軽く済むこともあるので、実際はニュースにならない中毒の事例がたくさんあると思われます。ウラベニホテイシメジと同じ場所に生えていることが多いので、見比べて違いを把握しておくといいでしょう。

 帰化植物のマルバフジバカマの林道を1キロ程歩き、薮を抜けて急斜面の森へ。マルバフジバカマでは、イカリモンガが盛んに吸蜜していました。キノコ狩りは薮ごぎが必須ですが、この時期はいわゆる「ひっつき虫」を避けることはできません。ありとあらゆるひっつき虫が付いて来ます。植物の種なのに虫とは面白い名前ですが、これを気にしていたらキノコ狩りはできませんね。

 この時期には珍しい夏キノコのアカヤマドリがありました。傘が25センチにもなる大きなキノコで見てくれはグロテスクですが、美味しいのです。ただ、醤油と合わない。洋風にバター炒めやオムレツ、リゾットなどにすると美味しいのです。そして、森の倒木にピンク色のキノコ。なんだろうと近づくとウスヒラタケです。ウスヒラタケは発生する樹種によって色が変わります。山桜だとやや灰白色、コナラだと薄茶色。このピンクは山藤でした。獣道の脇で見つけたのが、松茸のようなキノコ。雑木林なのでバカマツタケでしょうか。香りはそれっぽい感じなのですが、もうひとつ確証が持てませんでした。やはり、香りからしても違う感じです。

 日当りのいいギャップにミドリヒョウモンが留まっていました。梅雨明け頃に羽化したものでしょう。翅はボロボロですが元気です。撮影後、軽やかに舞って行きました。薄暗い林床で木漏れ日に光る秋の銀竜草(アキノギンリョウソウ)。別名は、銀竜草擬き、幽霊茸。腐生植物で葉緑素が全くないため、透明感のある白色です。銀竜草は雌しべが青紫ですが、秋の銀竜草は白。果実は銀竜草は液果(えきか)で、秋の銀竜草は果(さくか)です。今年は、「死の天使」といわれる猛毒のドクツルタケがあちこちに生えています。林道脇では、嫁菜も咲いています。獣道にはイノシシの真新しい糞がありました。森の奥には大きなヌタ場(泥浴び場)も。

 帰りにKさんのログハウスに寄りましたが、不在でした。恐らく写真に見える向こうの西山へキノコ狩りに行ったのでしょう。台風18号で洪水に見舞われた千曲川も、すっかり水が引いて、水たまりではたくさんの中鷺が小魚を狙っています。
  ところで、キノコは古くから日本人に食べられて来た食材ですが、意外な事に万葉集では一首しかありません。
「高松の この峰も狭に 笠立てて 満ち盛りたる 秋の香のよさ」作者不詳「万葉集 巻10-2233」
 高松とは奈良の春日山の南に連なる高円山のことだそうです。秋の香というのは松茸のことでしょう。ちなみに猟師の知人が愛犬を松茸犬に仕立てようと訓練したのですが、いざ赤松林に入ると、そこいら中が松茸の匂いで犬が混乱し、全く役に立たなかったそうです(笑)。

 キノコは、標高800m以上1500m位までがよく採れます。理由は、朝晩霧に包まれることが多いからです。もちろん低山でも採れますが、乾き易いためポイントが限られ、いわゆるシロと出るタイミングを知らないと、まず一本も採れません。それから、月の輪熊との遭遇にも気をつけなければいけません。私も鏡台山系で三度ほど出逢っています。

ウラベニホテイシメジとクサウラベニタケ(妻女山里山通信)

■色々なキノコの写真は、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】のキノコをご覧ください。

■【信州の里山】キノコの汚染と除染について
 菌根性のキノコと腐性性のキノコに分けて解説しています。文章が長くて読みきれないときは、ポーズボタンをクリックしてください。文字が小さい時はフルスクリーンで。


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★妻女山(斎場山)の歴史については、「「妻女山の真実」妻女山の位置と名称について」。をご覧ください。「きつつき戦法とは」、「武田別動隊経路図」などリンク記事も豊富です。
このブログでもページの右上で「妻女山」や「斎場山」、「川中島合戦」、「科野」などでブログ内検索していただくとたくさん記事がご覧いただけます。主に古代科野国と戦国時代、幕末から明治維新にかけての記事がご覧頂けます。
川中島合戦と山名についての考察。斎場山と妻女山まとめ。関連記事のリンク集も

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台風18号で千曲川が洪水に見舞われる(妻女山里山通信)

2013-09-16 | アウトドア・ネイチャーフォト
 台風18号は長野県南端で谷に沿って北上し、豪雨の地域が松本から佐久地方になったため。千曲川と犀川の上流に多量の雨が降りました。そのため千曲川では、2004年、2006年に続いて7年ぶりの洪水となりました。水は午後から増え始め、アッと言う間に堤防から堤防までを埋め尽くしました。河川事務所のライブカメラで見ていたのですが、確認のため現地に行く事にしました。

 まず、全体を俯瞰で見ようと妻女山展望台へ。既に約500mある堤防と堤防の間は灌水していました。堤防の上には、畑を見に来た軽トラが何台も止まっており、消防自動車が巡回していました。水没した河川敷に見える緑色の筋があるのは長芋畑です。長芋やゴボウなどの根菜類は、水が引けば大丈夫です。対岸の桃畑は、既に収穫が終わっているので、これも大丈夫でしょう。上流や下流にはリンゴ畑があるのですが、これは被害が出たでしょう。

 次に山を下りて赤坂橋脇の堤防へ。長芋畑が冠水しています。本来の流れは、写真の赤坂橋のアーチが見える部分の真下だけなのです。その手前は全て河川敷の畑や耕作放棄地の草原なのです。既に雨は止んでいたのですが、40~50分の間に水位が50センチ程上昇しました。

 そんな撮影中に、巡回の消防車が来ました。すると下流から来た軽トラの男性が、向こうの中州で老人がひとり取り残されているというのです。私も付いて行く事にしました。ちょうど赤坂橋から200mほど下流の50mほど沖合にある雑木林の中の木に掴まって、その老人はいるようでした。まもなく次々にサイレンを鳴らした消防車や救急車、パトカーが到着。ゴムボートを膨らませて消防隊員が救助に向かいました。林の背後には老人が乗って来たと思われる軽トラックが沈んでいました。林に着いたゴムボートからは、拡声器でなにか話しかけています。林の中の木に登っているようです。そのため、ゴムボートは中に入れず、救助に手惑いましたが、4時半の通報から30分後の5時に、無事に救助されました。畑が心配なのは分かります。サラリーマンだってたった一度の雨で年収が流れてしまうとなったら、やっぱり駆けつけるでしょう? しかし、命あっての物種です。くれぐれもプライオリティを間違えない様に。

 老人はすぐに救急車に乗せられ病院へ。野次馬やテレビの撮影クルーや新聞記者もやってきました。ところが、最初に通報した男性が去ってしまったため、そこにいた私が消防署やマスコミに事情を説明するはめになりました。まあ、それはいいのですが・・。この河川敷の畑の歴史は古く、江戸時代の初めまで遡ります。その頃は、河道が今より南にあったため、この辺りの畑は対岸の集落のものだったのです。川南川向新田という小字名が、それを物語っています。恐らく救助された老人も、対岸の人でしょう。
 1742年(寛保2年)の戌の満水という大洪水の後で、松代藩による大規模な河川改修(瀬直し)が行われるまで、千曲川は妻女山にぶつかる様に流れ、広大な河川敷と氾濫源を持っていました。千曲川旧流については、当ブログの「上杉謙信が妻女山(斎場山)に布陣したのは、千曲川旧流が天然の要害を作っていたから」をお読みください。

 赤坂橋から上流側(西側)を撮影しました。中央やや右に茶臼山が写っています。本来の千曲川の流れは、一番右側の70m程です。写っている堤防間500mのうちの7分の1ぐらいなのです。ただ、この場所は戦国時代から十二河原と呼ばれたところで、堤防のない時代には、河の流れが分かれ、十二もの中州があったとされるところなのです。斎場山から武田別働隊が山を下り、上杉謙信が信玄がいる本陣へ攻め込んだ対岸へ向かおうと甘粕隊と激戦を繰り広げた浅瀬でもあったのです。この上流には、犬でも渡れる戌ヶ瀬が、下流には猫でも渡れる猫ヶ瀬という地名があります。

 赤坂橋の本来の流れの上から下流側(東側)を撮影しました。本流の真ん中は流れが早く、流木やゴミが固まって流れて行きます。正面に見えるプリン型の山は、皆神山。左に奇妙山、右にノロシ山。皆神山の手前は松代。この辺りは、昔には松代小学校の水泳に使われたチャラ瀬があったそうです。江戸時代の戌の満水後に、大規模な河道の移動が行われる前は、松代SAの辺りは猫ヶ瀬といって、猫でも渡れるような浅く広い瀬があったということです。また、この2キロほど上流の岩野橋上には、犬ヶ瀬という犬でも渡れる瀬があったそうです。その上流が雨宮の渡になります。

 日没間近の千曲川。一見美しい風景ですが、実はこらえきれない程悪臭が凄いのです。洪水でありとあらゆるものが流れてきます。山間部の産業廃棄物や農薬や生活排水。軽井沢の放射能も流れ出しているに違いありません。佐久の放射性廃棄物処理場は大丈夫だったのでしょうか。幸い当地では、堤防の決壊は免れ被害は最小限で済みましたが、水が引いた後のゴミの処理を考えると頭が痛くなります。あまりの悪臭で頭痛もしてきたので帰る事にしました。

千曲川洪水の歴史

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秋雨後の妻女山で、クロメマトイにまとわりつかれながらキノコ狩り(妻女山里山通信)

2013-09-15 | アウトドア・ネイチャーフォト
 雨後のタケノコと言いますが、雨後に出るのはキノコも同じです。台風18号が来る前にと山に入りました。山桜がわずかに紅葉し始めましたが、蝉は鳴いているしクロメマトイは五月蝿くまとわりつくし、油断するとヤブ蚊に刺されるし、薮こぎすると蜘蛛の巣だらけと、9月の山は湿度も高く、決して快適ではありません。むしろ一年で一番不快かもしれません。それでも入るのは、秋のキノコが出始めるからなのです。不快に欲が勝つのです。キノコ屋の性とでも言いましょうか。

 クロメマトイをタオルで振り払いながら最初に見つけたのは山桜の倒木にびっしりと生えたウスヒラタケでした。除伐した山桜の倒木数本に白い花が咲いた様に群生しています。小さいものと老菌を除いて端から採って行くと大きな袋がいっぱいになってしまいました。とても食べきれない量なので、Kさんのログハウスに立ち寄ってお裾分け。これはいい出汁が出るんだよねと喜んでもらえました。柴犬の子犬モモタと遊んで再び山中へ。

 薮の急斜面を下りて、獣道を辿るとお目当てのウラベニホテイシメジが10本ほどありました。周囲には間違え易い毒のクサウラベニタケもたくさん。慣れないと見分け方が難しいキノコです。猛毒ではないので間違えても激しい腹痛と下痢に襲われるぐらいですが・・。ウラベニは、傘にかすり模様があって軸が太く長く中実。よく傘に指で押したような丸い紋があります。軸は枯葉を突き抜けて地面まであるので、写真で見えている長さの二倍はあります。クサウラは、傘に艶があり軸は細く中空。軸は枯葉から出るため短め。ところが軸が太くしっかりしたウラベニ擬がたまにあるので要注意なのです。しかも、なぜかウラベニで中空のものもあるのです。虫に喰われたのでしょうか。今回もありました。

 雨が多かったので、森には色々なキノコが出ていました。ほとんどは毒キノコか食べても美味しくないキノコ。今年は一本で8人分の致死量、別名を死の天使という猛毒のドクツルタケがあちこちに出ていました。こんな猛毒のキノコにつく虫がいるのですから、自然は面白い。写真のアイタケは、キノコには珍しい青緑色ですが、これは食菌です。食べられます。甘ったるい不思議な香りがします。コナラの倒木に近づいた時、突然ドンドンドンと太鼓の音が。狸の腹鼓ではなく山鳥のホロ打ちです。威嚇されたのです。

 不快極まりない森ですが、秋の気配も感じます。キツリフネの群生。微風に揺れる様は趣があります。ゲンノショウコの群生に木漏れ日が当たっていました。薬草です。マムシグサは毒草であり薬草。たいていの毒草は、微量なら薬草にもなります。秋が深まると真っ赤に色付きますが、決して口にしてはいけません。口内が焼けただれます。秋になる赤い実はほとんど毒と思っていて間違いありません。ヒヨドリジョウゴなどは、鳥も虫も食べないので、真冬になっても残っているわけです。クマノミズキの実は、晩秋になると赤から黒に変わり、鳥達の餌になります。

 薄暗い森の朽ちたキノコの傘に森の掃除屋といわれる座頭虫のオオナミザトウムシがいました。蜘蛛よりは壁蝨(ダニ)に近い仲間です。よく林道や登山道を歩いていると、カサカサと草むらに逃げ込むのが見られます。薄暗い林下の葉に真っ白な蛾が留まっていました。手ぶれしないように撮影。種類が多いのでたいてい現場では同定できません。今回も帰って調べてやっとヒトツメカギバと判明しました。蛾の同定にはいつも苦労します。

 前述したように9月の森は、まだ夏の薮がそのまま残っています。見通しも悪く湿った草や樹木が音を吸収するので動物の気配が感じにくいので要注意です。月の輪熊やオスの大きなイノシシに突然遭遇したら洒落になりません。雨が多いせいか今年は蛇もよく見ます。オオスズメバチも攻撃的になるのでこれも危険。里ではアメリカシロヒトリも大発生しました。おまけに7月以降は、福一の地下で再臨界でもあったのでしょうか、微量ですが長野市にも毎日の様にセシウムが降り注いでいました。ほとんどの人は知らないでしょうけど・・。最後に載せるスライドショーのように除染すれば、8~9割は除去できますが、高汚染されたキノコは、除染しても食べられません。

 真夏の様な妻女山の森ですが、それでも色付いたススキやカワラナデシコが、小さな秋を教えてくれます。
 大伴家持は、撫子がお気に入りだったようで、何首か詠んでいます。
「なでしこが  その花にもが 朝な朝な 手に取り持ちて 恋ひぬ日なけむ」
「秋さらば 見つつ偲へと 妹が植ゑし  やどのなでしこ 咲きにけるかも」
「なでしこが 花見るごとに 娘子らが 笑まひのにほひ 思ほゆるかも」

■【信州の里山】キノコの汚染と除染について
 菌根性のキノコと腐性性のキノコに分けて解説しています。文章が長くて読みきれないときは、ポーズボタンをクリックしてください。文字が小さい時はフルスクリーンで。



長野県内産きのこの放射性物質検査及び野生きのこの情報
 リンク切れの場合は、長野県のサイトトップから放射線等関連情報へ。軽井沢、佐久地方の野生キノコは、放射性物質の検出により、採取、出荷、摂取の自粛要請が出ているものがあります。


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今回の妻女山SDPは、パエリアとピルピルでスペイン料理三昧(妻女山里山通信)

2013-09-02 | アウトドア・ネイチャーフォト
 前夜の雨で今回の妻女山SDPは、作業中止となってしまいました。そんなわけで時間を持て余したので、秋の椎茸栽培のほだ木の選定と除伐の下見をしました。松枯れ病にかかった赤松を伐採する予定です。ついでに斎場山古墳もチェック。折れて掛かり木になっていたコナラの太い枝を除去。山頂の標識には「斎場山古墳ともいう」と書かれていますが、これは誤り。斎場山古墳が正しい名称です。五量眼塚古墳は俗名で、しかも古い更埴市誌に一カ所しか出て来ません。竜眼塚ともいいますが、これは西方にある御陵願平という地名が転訛した俗名ですが、ここの地名は斎場山で、御陵願平ではないので、地名通り「斎場山古墳」というべきものなのです。

 その後、カエデの伐採地に寄りましたが、仙人草が八分咲きになっていました。この花は、野草の中でも一、二を争う程いい香りだと思うのですが、近づいて匂いを嗅ぐと感じないのですが、少し離れると八角の様な香りがするのです。目を閉じると、高級中華料理が目の前に並んでいる感じ・・。

 そして、もう何十年も放置された杉林の点検。実生から生えた幼木が何本もあって森を暗くしています。林道に風倒木があっても持ち主は来ないので、我々がボランティアで片付けなければならないのです。今回も危ない立ち枯れの木を何本かチェックしました。材が乾燥する晩秋に切る事になるでしょう。

 早めにKさんのログハウスへ行くと、すでにKさん、Mさん、Tさんはスタンバイ状態。早速パエリアの調理に取りかかりました。パエリア鍋は、昔わが家の竃(かまど)で使っていた焙烙(ほうろく)鉄鍋。昔はこれでおやきを焼いたり、大豆や胡麻を炒ったりしたものです。相当錆び付いて漬け物部屋の奥で眠っていたものを、グラインダーで磨いて復活させたのです。これがパエリア鍋にぴったりでした。まずニンニクとタマネギをオリーブ油でよく炒め、鳥もも肉を炒め、魚介類を炒め、白ワインでフランベして魚介類は取り出します。次に洗って乾かしておいた米を炒め、サフラン水とフィメ・ド・ポアソン(魚スープの素)を入れて煮ます。米とスープの割合は、1:3ですが、一度に入れずに2/3位を入れ、後で様子を見ながら足していきます。多すぎるとパエリアではなく、おじやになってしまうからです。

 そんな所へ、仏人のお宝ハンターのTさんが彼女と到着。CAVAとモッツァレラチーズなどを持って来てくれました。パエリアを炊いている間に、予め蒸して来たトウモロコシにN氏手作りの醤油を塗って七輪で焼きトウモロコシを。香ばしいいい香りが漂います。ピルピルは、とにかく極弱火で煮る事が全てです。オリーブ油に海老等入れて、つぶしたニンニクと鷹の爪、塩を加えてひたすら煮るのです。たまに鍋を回す。するとオリーブ油に海老のエキスが出て乳化します。これにバゲットを浸して食べると最高。火が強いと素揚げになってしまいます。

 パエリアの完成! 米を四合使いました。今回苦労したのは、やはり魚介類など放射能汚染されていないものを揃える事。K氏が吟味してくれました。

 ちょっと量が多いかなと思いましたが、お代わりの連続でアッと言う間に無くなってしまいました。Kさんが連れて来た柴犬のモモタも食べたそう?

 途中にわか雨もありましたが、34度にもなった前日と違い、わりと涼しかったのでパエリアはピッタリでした。信州の秋はもうすぐです。次回はたぶんキノコ鍋かキノコうどん(もちろん手打ち)になりそうな予感。ピザ釜を作ろうという案も出て来ました。

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