モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

堂平大塚古墳の福寿草。妻女山陣場平の貝母。上杉謙信の陣用水の泉。最初の本陣の斎場山。謙信陣場平布陣図(妻女山里山通信)

2023-02-28 | アウトドア・ネイチャーフォト
 激寒の週末からいきなりの春。予報は最高気温8度でしたが10度を超えました。色々雑用をこなしてから山に登りました。とりあえず妻女山奥の陣場平までは車で。撮影機材や山仕事の道具も積んで行きました。

 2月4日に訪れたときは数輪咲いていただけでしたが、今回は100以上は咲いていました。福寿草は花期が長いのです。3月に入るとミツバチが花粉を求めて訪れます。福寿草は蜜はないのですが、大量の花粉を出します。

 パラボラアンテナの様な花びら。福寿草や水仙、タンポポ、ロウバイにダンコウバイと春の花には黄色が多いですね。啓蟄を過ぎても昆虫はまだ少なく、その虫たちは黄色い花に集まりやすいという習性があります。

 福寿草が群生する斜面。向かい側の堂平大塚古墳の斜面にも群生があります。フクジュソウ(福寿草、献歳菊、学名:Adonis ramosa)は、キンポウゲ科の多年草。死亡例もある毒草です。同じ春の水仙とともに要注意の植物です。

 オオイヌノフグリもあちこちで咲き始めました。大犬の陰嚢と書きますが、実の形が犬のタマタマに似ていることからの命名です(実はハート型で似ていない)。天人唐草や瑠璃唐草という別名のほうが優雅ですね。ヨーロッパ原産の帰化植物。

 堂平大塚古墳の紅梅のはちきれそうな蕾(つぼみ)。3月に入ると平年より暖かくなるというので開花も今年は早いかも知れません。

 古墳から西に鹿島槍ヶ岳。眼下に千曲川。

 林道を登ってみました。森林組合が間伐した杉林。明るくなりました。切り捨て間伐で材は搬出しない様です。スギ花粉はまだ飛び始めていません。

 樹間から松代方面。真田信之入部400年で盛り上がった真田十万石の城下町。我が家は秀吉についた真田昌幸の家来だったのですが、なぜ徳川についた信之の松代に定住することになったのか、謎です。武田四天王のひとり、山県昌景の家来だった祖先もいた様です。

 林道の上から陣場平を見下ろしたところ。川中島の戦いで上杉軍が陣地とした平地です。貝母(編笠百合)の群生地は、落葉松林の中と、その向こうの広いギャップです。

 その貝母(ばいも)の芽吹き。毎年のこととはいえ、胸がときめく季節です。今年も大勢の人が訪れてくれることでしょう。満開時にはできるだけ現地にいて説明をしたいと思っています。

 2月最終日はなんと最高気温が17度になりました。4月中旬の気温です。最低気温がマイナス4度なのに。温泉の帰りに堂平大塚古墳へ。その先の谷にある上杉謙信の陣用水と伝わる蟹沢(がんざわ)の泉。昔は沢蟹がたくさんいて祖母に唐揚げにしてもらって食べたものです。しかし、人間は蟹の外骨格のキチン質は分解できないのです。わずかな身とミソが栄養だったのでしょうか。エビ・カニアレルギーの人はアナフィラキシー・ショックを起こす可能性があるのでコオロギと同じく絶対に食べてはいけません。国はコオロギ入をアミノ酸表示やアレルギー表示でごまかそうとしています。補助金を出して国民にコオロギやウジ虫を食べさせようとしています。大量の牛乳を毎日捨てさせて乳牛を殺処分させているというのに。自公政権は狂っていますね。昆虫食に関しては2つ前の記事の最後に詳しく書いています。

 そこから斎場山(旧妻女山)へ。途中から見る陣場平。中央の杉林の右奥に樹高のある落葉松が見えますが、そこが陣場平です。

 川中島の戦いで上杉謙信が最初に本陣としたと伝わる斎場山(512.8m)。二段の墳丘裾をもつ古代科野のクニの古墳です。

 円墳なので山頂は丸く平らです。ここに盾を敷き陣幕を張って本陣とし、謡曲を吟じたといわれています。

 武田軍が全軍を海津城に入れてしまったので、本陣をこの陣場平にしたと伝わっています。陣小屋は布陣したときから建て始めていたと思います。上杉謙信はたった3日の布陣でも陣小屋を建てたそうです。前回の撮影からたった一日ですが、貝母はこの暖かさでかなり芽吹いてきました。

川中島の戦いで上杉謙信が本陣とした斎場山と陣場平へ(妻女山里山通信)『甲陽軍鑑』の編者と言われる小幡景憲彩色の川中島合戦絵図。陣場平に陣小屋が七棟建てられた図が描かれています。(東北大学狩野文庫所蔵:許可を得て掲載)

 スギ花粉はまだ飛んでいません。この杉ぼっくり一つに40万個の花粉が入っています。妻女山の杉は花粉のついた木が少ないので、在京時代の様な酷いことにはなりません。今年はここ10年で最大の飛散量とかで、東京の人は大変ですね。ご自愛ください。

 カラフトししゃもの南蛮漬け。小麦粉をつけて焼きます。人参、大根、玉葱、豆苗にキッコーマンの「しぼりたて生ポン酢」をかけて。半月前に鰯の丸干で作り玉葱ではなく胡瓜にしましたが、ししゃもより丸干しの方が美味でした。豆鯵の唐揚げも美味しいと思います。このポン酢は、柚子、カボス、シークワーサー、すだち、ダイダイなど複数の果実が使われています。種類が多いほうがポン酢は美味ですね。リンゴ酢使ってるのもいい。これを使って酸辣湯麺を作っても美味しい。

 友人にもらったリンゴがボケてきたので、バナナと赤ワインのコンポートにしました。赤ワインに水、キビ糖、蜂蜜、シナモンパウダー多め、レモン汁で弱火で20分ほど煮ます。シンプルですが驚くほど美味です。バニラアイスと合わせると最高。ちなみにリンゴがボケるって信州の方言ですね。以前は親戚から12月初めに3月までもつぐらい大量のリンゴをもらったので、春にはボケるのです。売り物にならないリンゴなどが大量廃棄されます。ジュースやシードルやジャムやスウィーツやドライフルーツに加工してもなお大量に余るのです。蒸留酒のカルバドスを作るとか、なにか考えないともったいないですね。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。地形図掲載は本書だけ。山の歴史や立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。10本のエッセイが好評。掲載の写真やこのブログの写真は、有料でお使いいただけます。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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晴天の北アルプス絶景。妻女山陣場平の貝母。クスサンの繭。妻女山松代招魂社(妻女山里山通信)

2023-02-23 | アウトドア・ネイチャーフォト
 20日から21日にかけて降雪がありましたが、妻女山山系は1センチほど。すぐに解けました。翌日はピーカンの晴天。北アルプスが美しい姿を見せてくれました。

 左に爺ヶ岳、右に鹿島槍ヶ岳。かくね里もよく見えます。手前には青く澄んだ千曲川で泳ぐ鴨たち。こんな風景を毎日見たくて信州に移住する人もいます。田舎に馴染めるかは本人次第ですね。無理に全員に好かれる必要はないのです。自然体でいいと40年在京のUターンの私はそう思います。移住組の方が信州の遊び方や魅力を分かっていたりします。アウトドアスポーツや農作業が好きな方にはパラダイスですね。

 妻女山展望台からの白馬三山。左から白馬鑓ヶ岳、杓子岳、白馬岳。右手前は茶臼山。レッサーパンダとオランウータンで有名な動物園や植物園、恐竜公園があります。右奥は神話の山、虫倉山。あそこまでが松代藩の領地でした。

 松代方面。右奥に根子岳と四阿山。左手前は奇妙山。山頂には古い山城の跡があります。中央の麓はあんずの里の東条。春にはピンクに染まります。拙書では、私も一度しか登ったことがなく金輪際登ることがないだろう奇妙山の厳しいコースも載せています。

 北方には戸隠連峰と飯縄山。飯縄権現は白狐にのった烏天狗で、上杉謙信が兜の前立てに使っていたことでも有名です。高尾山薬王院は飯縄権現を祀っています。長野市民なら一度は登る山で、花の山としても有名です。次男は保育園の年長組の夏休みに登っています。拙書では3つのコースを載せています。

 翌日は曇りでしたが陣場平へ登りました。5日前はまだ陣場平の中心部は芽吹いていませんでしたが、探してみるとあちこちで枯れ葉が盛り上がっています。どけてみると芽吹いていました。まだまだ小さくもやしみたいに黄色いものもあります。

 セリバオウレンも雨で葉が艶々しています。3月の中旬すぎには純白の小さな花を咲かせるでしょう。

 貝母(ばいも)が芽吹き出したので中を歩くのは止めにしました。強い野草なので、一度踏まれたぐらいでは枯れませんけれど。見頃は4月10日から20日頃です。ここが一面貝母の花で埋め尽くされる様は壮観です。開花状況は、このブログでアップしていきます。

 山蕗もあちこちに出始めましたが、まだ小さいので採りませんでした。スギヨのビタミンちくわとかき揚げにするのが楽しみです。

 クスサンの繭(まゆ)。6センチぐらいあります。主は羽化していませんが、成虫は翅を広げると10センチ以上あります。大きな毛虫は6月頃に栗の木で見られます。8月に飛び始めますが、寿命は1週間ほどです。

 天城山(てしろやま)への登山口近くからの眺め。左奥に高社山が見えます。祝日ですが連休ではないので高速やPAの車はそう多くはありません。

 その近くの杉林。ここも伐採されています。あちこちの所有者が異なる杉林が伐採されているのも可怪しい。後日、持ち主に確認したところ森林組合からこの山域の杉林の整備をしたいというハガキが来て了承したそうです。安心しました。普通は林道入口に作業をするという掲示がされるのですけど、どうしたのでしょう。

 蟹沢の泉の上部。赤松が折れて倒れています。巻き添えになった木も何本かあるようです。急斜面過ぎるので、これはこのまま放置します。

 妻女山松代招魂社に戻ってきました。戊辰戦争以降の戦没者を祀っています。左には戊辰戦争から日清日露、太平洋戦争までの戦没者の名簿を載せた石碑があります。小さな松代町だけでもこれだけ大勢の人が戦争で亡くなったのだと驚かされます。シベリア抑留で亡くなった方もいます。統一教会カルト自民党は、防衛予算倍増と戦う気満々ですが、そういう輩(やから)は絶対に戦地には行きません。戦争はアメリカの巨大な軍需産業を育成するために世界各地で絶えることが無いのです。その奴隷で言いなりの日本。この長野の空も米軍の横須賀空域で、日本の航空機は米の許可がないと飛べません。いまだに植民地ということですね。そしてウクライナ戦争は、プーチンが止めると言えば終わるのです。戦争で幸せになる人はいません。
 信濃町と赤倉温泉の間にいもり池があります。池の畔に与謝野晶子の歌碑があります。私は旅順口包圍軍の中に在る弟を歎いた「君死にたまふことなかれ」を思います。「あゝをとうとよ、君を泣く、 君死にたまふことなかれ、 末に生れし君なれば親のなさけはまさりしも、 親は刃(やいば)をにぎらせて人を殺せとをしへしや、 人を殺して死ねよとて二十四までをそだてしや。」戦争の最中に、戦争に反対する気持ちを詩に表した彼女の強い想い。

 上信越自動車道。2月28日から4月25日まで、更埴JCTから坂城ICまで工事のため対面通行や車線規制が行われます。信州に来られる方は情報を確認してください。先に見える薬師山トンネルは、トンネル内がS字に曲がっているためか事故が多いのです。ご注意を。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。地形図掲載は本書だけ。山の歴史や立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。10本のエッセイが好評。掲載の写真やこのブログの写真は、有料でお使いいただけます。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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妻女山陣場平の貝母(編笠百合)の芽吹き。ああ、春が来る。ゴヨウアケビの実生。ウスタビガの繭。豚足中華煮。昆虫食について(妻女山里山通信)

2023-02-18 | アウトドア・ネイチャーフォト
 最高気温が10度の予報の週末(実際は9度)。そろそろ貝母も芽吹いている頃と妻女山陣場平まで登りました。林道の雪は消えていました。軽トラの轍がありました。猪狩りはほぼ終わっているので、林業関係者でしょう。
 最近昆虫食で推されているコオロギの重大な問題については、分量が多くなったので最下部に移しました。

 陣場平西面の貝母(ばいも)が毎年真っ先に芽吹く場所へ。出ていました。10以上の株が芽吹いていました。最低気温がそう低くないのでアントシアニンによる赤紫のものは少ない。積雪があると地面が凍結しないので、芽吹きは早くなります。雪を自分の体温で溶かしながら芽吹いてきます。今年は例年並みです。満開は4月の10〜20日頃でしょう。初めて見た人は感嘆の声をあげるその様子は毎年の4月のアーカイブを御覧ください。実際に見る光景はそれ以上です。
松代夢空間主催の「妻女山 花と歴史のハイキング2022」。斎場山や堂平大塚古墳、貝母満開の陣場平を案内しました。楽しんでいただけた様です(妻女山里山通信):満開の貝母と万葉集の歌。カスミザクラやヤマザクラ、オオヤマザクラも満開です。

 陣場平入り口。貝母に加えて山蕗も出ていましたが、まだ小さく数も少ないので採りませんでした。ここで一年ぶりに土口のYさんと邂逅。しばらく立ち話。予報より曇りがちで気温も上がらない様です。ただ北風がないので寒くはありません。鳥の鳴き声がします。月日星?サンコウチョウがいるのかしら。

 陣場平。注意深く探しましたが、ここはまだ芽吹いていません。週明けにまた寒気が来るので芽吹くのは来週末以降でしょう。そろそろ鏡台山から餌を求めてツキノワグマが下りてくる頃です。子連れの熊は要注意です。年末に生まれた子熊は5キロもありません。熊鈴を鳴らしていても母熊は逃げられないと判断すると待って襲います。遠くからホイッスルを鳴らしてこれから行くことを知らせるべきです。
 川中島の戦いでは、上杉軍がここに七棟の陣小屋を建て本陣としました。その絵図や記事はたくさん掲載しているのでブログ内検索してみてください。

 今夜から雨が降るので育つでしょう。これから最低気温はマイナス5度以下にはならないでしょうし、最高気温が少しずつ上っていくので成長を即します。

 先っぽに節の様なものが見えます。すでに花芽の用意ができているのでしょうか。

 ゴヨウアケビの実生(みしょう)は、あたり一面に見られますが、大きくなれるのは極わずかです。

 ウスタビガ。ヤママユガ科(山繭蛾科)。夜行性の蛾。成虫よりもこの美しい繭の方が有名ですカマスの形をしているのでツリカマスなどとも呼ばれます。上部に羽化用の出口、下部に雨水の排出のための穴があります。これは穴が空いていますが、この位置からは羽化しないので何かに食べられてしまったのでしょうか。天敵はカラスや野ネズミです。

 枯れ葉を押し上げて芽吹くのですが、枯れ葉に隠れているので取り除いて撮影しています。もう一つは誤って踏まれないようにするためです。強い野草なので一度踏まれたぐらいでは枯れませんが。

 こんな風に枯れ葉を突き破って芽吹いてきます。咳止めの薬草として奈良時代に入ってきました。江戸時代以降は全国各地の里山に栽培地があったようです。現在は日本中でもこれだけの群生地はここだけです。

 杉が伐採されています。皆伐ではなく間伐の様ですが、この山の持ち主を知っているので、その近所の方に出会ったので伐採を森林組合や業者に頼んだか確かめてくれるように頼みました。最近ニュースにもなった違法伐採、盗伐でないといいのですが。ロシアから木材が入らなくなり国産材が値上がりしています。後日、持ち主に確認したところ森林組合からこの山域の杉林の整備をしたいというハガキが来て了承したそうです。安心しました。

 長坂峠へ。陣場平の文字が陣馬平と間違えていますね。N氏に修正するよう頼まないといけません。

 長坂峠から見上げる斎場山(旧妻女山)。川中島の戦いで上杉謙信が最初に本陣とした場所で、山頂は古代科野のクニの古墳(円墳)です。

 現在の妻女山展望台から善光寺平と戸隠連峰、飯縄山の眺め。春めいてきたというにはまだまだ寒々しい冬の景色です。3月に入ると気温は高めの予報なので、風景も一変するでしょう。啓蟄(けいちつ)。今年は3月6日(月)ですが、それを過ぎると妻女山山系でも越冬したヒオドシチョウが舞い始めます。

 スーパーで沖縄フェアをやっていて茹でた豚足があったので買いました。酢味噌をつけて食べるように書かれていましたが、それを中華風に煮込みました。中国醤油、牡蠣油、五香粉、中華スープ、ホタテパウダー、味醂、長葱、大蒜、生姜、干し椎茸、紹興酒で煮込みました。食べる時は両手を使って豪快に。指が脂とコラーゲンでベトベトになります。この汁を使って豚バラと中華おこわにすると絶品です。

 翌日は春雨だったのでサンドウィッチを作りました。メンチカツとアボガドとゆで卵のアルフレッド・トリュフソースとフムス、シェフマヨネーズのライ麦パンサンド。パンはトーストしてエキストラヴァージンオリーブオイルをぬり、更にフムスをぬります。アボガド、ゆで卵をアルフレッド・トリュフソースとシェフマヨネーズ、コショウで和えます。ソース類は業務スーパーのもの。アルフレッド・トリュフソースは、3種のチーズと生クリームの濃厚なパスタソースですが色々に使えます。フムスは中近東のもので、ひよこ豆に胡麻ペースト、ニンニク、レモン汁、オリーブ油を練ったペースト。これも色々応用が効きます。ボリュームがありすぎて半分食べて満腹でした。

最近、昆虫食で異常なほどにコオロギが推されていますね。変だと思いませんか。酪農家が廃業寸前なのに。信州は昆虫食が伝統的にありますが、イナゴ、蜂の子、ザザムシとか限られています。加えて安全な採取や調理法も長い歴史で確立されています。ところが、イナゴやバッタと違いコオロギはゴキブリに近い(生物分類学上の話ではありません)。外骨格のキチン質を人間は分解できない。長期的に摂取した際の治験も全くありません。エビ・カニアレルギーの人が摂取すると重大な症状が出る恐れがあります(死亡例も)。さらに発がん物質が含まれるという説も。キノコにも可食と毒キノコがある様に、食べてはいけない昆虫があるのです。このブームは根底に非常に悪意があると思われます。長い歴史の中で中国人も日本人もコオロギは食べませんでした。知っていたのです。中国では、古代よりコオロギは中国の薬学上、妊婦にとって『禁忌』とされ、有毒ということで食されてきませんでした。安易な昆虫食ブームは非常に危険です。これに大手企業や大学やマスコミがのっていることに絶対に騙されてはいけません。ビル・ゲイツに代表されるグローバリストの人口削減計画かも知れません。じわじわと病人が増えると世界の巨大な製薬会社が莫大な利益を得るのです。私達はその辺の国の国家予算より遥かに多い売り上げを得る巨大企業の傘下にあるのです。しかも彼らは利益にしか興味がない。世界人民の健康や幸福には全く無関心なのです。

 昆虫食には旬があって、常食していたわけではないのです。千曲川は昔は大量に鮭が上ってきたし、鯉の養殖も古い。飢饉の時は別にして、旬の自然の恵みを楽しむという側面が強かったのです。それは今でもそうでしょう。昔、従兄弟が夜バイクの横に網をつけてあぜ道を走ると、ライトと音に驚いたイナゴがたくさん捕れました。しかし、強い農薬を使うようになってそれも止めました。有機リン系のホリドール(パラチオン)などです。現在はベトナム戦争の枯葉剤とほぼ同じ成分の浸水性神経毒のネオニコチノイド系農薬が使われています。欧米ではすでに製造も使用も禁止されている猛毒です。ラウンドアップや草退治がそれです。私はスーパーでも加工食品はほとんど買いません。原材料名の成分の/(スラッシュ)以下が食品添加物です。そこにどれだけ危険なものが含まれているか知っていますか。毎日食べるものです。あなたが将来それが原因で癌や病気で苦しんで死んでも、その原因は誰も究明できません。死に損です。なるべく無農薬や無化学肥料の野菜、ネオニコ農薬や放射能汚染のない野草や山菜、海藻や発酵食品を食べることが大事です。外食も気をつけるべきです。大手のファミレスやファストフードは、遺伝子組み換え食品を使っている可能性が高い。それがあなたの健康をじわじわと蝕むのです。私達は非常に難しい世界に生きていることを自覚しないといけません。

 地蜂の子のヘボやザザムシは、今や超高級品で自分で捕らないかぎりは、高価でなかなか口には入りません。それでも好きな人は、直売所で買って楽しんでいます。平安時代の薬物辞典「本草和名」(深根輔仁・918年)にはイナゴを食べていた記述が残っていますが、バッタはありません。先人たちはその危険性を身を以て知っていたのです。

欧州食品安全機関(EFSA)、新食品としてのヨーロッパイエコオロギについてリスクプロファイルを公表
(1)総計して好気性細菌数が高い。
(2)加熱処理後も芽胞形成菌の生存が確認される。
(3)昆虫及び昆虫由来製品のアレルギー源性の問題がある。
(4)重金属類が生物濃縮される問題がある。
 この情報は、内閣府の食品安全委員会の食品安全情報システムのページで公開されているものです。詳細は上のアンダーラインのあるタイトルをクリックしてください。世界的な昆虫食推進の流れには、非常に問題があると思います。何か地球規模の新たな利権拡大や人口削減計画が隠されている様な気がします。タンパク質の不足には豆類でもカバーできるはず。肉を生産するより容易で環境にもやさしい。豆類にも毒性がありますが、納豆やテンペなどの食品は問題ありません。煮豆や豆腐なども適正に調理され、日常的な量の摂取ならば無問題です。人工肉やゲノム養殖魚にも重大な問題があります。薬もそう。人類が何百万年もかかって獲得した自然免疫力の方が、治験もあやふやなワクチンや薬より強く安全なのです。免疫力を高める食生活や行動が大事です。特にほぼ全てをお金に頼る都会では難しいですね。そんなで、地方に移住する人が増えているのも分かります。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。地形図掲載は本書だけ。山の歴史や立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。10本のエッセイが好評。掲載の写真やこのブログの写真は、有料でお使いいただけます。

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偽造の感状書。真田幸村の影武者として討ち死にした先祖。保科正之に仕えた先祖。林采女(妻女山里山通信)

2023-02-16 | 歴史・地理・雑学
 我が家に古くから伝わる感状があります(下の写真)。父から見せられた時に、これは偽物だなと思いました。私は出版関係のプロなので、紙質がどう考えても戦国時代のものではないと思ったからです。そこで長野県立歴史館へ持っていって鑑定をお願いしました。内容は・・・
「天文21(1552)年 10 月 15 日、林織部が桔梗ヶ原の戦いで手柄をたて、山縣三郎(武田四天王のひとり)より感状と褒美をもらうとあります。」
『甲陽軍鑑』に拠れば、山縣昌景ははじめ武田信玄の近習として 仕え、続いて使番となる。『甲陽軍鑑』では晴信期の信濃侵攻における伊奈攻めにおいて初陣を果たし、神之峰城攻 めで一番乗りの功名を立てたとし、天文 21(1552)年、信濃攻めの功績により騎馬 150 持の侍大将に抜擢される。 林織部は、その信濃攻めの際に手柄を立てたと思われる。ということなのですが・・・。
 歴史館の方によると、感状は、江戸時代以降の偽造。戦国時代の感状書に感状という文字は入らない。また、 書体も江戸のもので戦国時代のものではないとのこと。ただ、何か本来あったものの写しではないかということ。 戌の満水(1742年)で流失したものを記憶を頼りに再現したものではと言われました。よって、記載に記憶違いがあり誤記があるのではということです。今回のトルコ大地震や東北大震災、阪神淡路大震災でも、尊い命がたくさん失われましたが、同時にかけがえのない歴史遺産や古文書なども失われてしまうのです。

 では、ほぼ確実な先祖の話を。林一族の祖先は真田の臣(しん・けらい)なりという言い伝えがあります。その中に真田幸村の影武者として討ち死にした先祖がいました。
 林太郎左衛門(1543〜1582 年)。真田幸隆の代から真田家に仕え、真田昌幸に仕える。東松本郷内の足軽衆。 足軽頭として主に吾妻一帯を守衛したとされ、真田昌幸の上州攻略の陣立てで後備(約50 騎:全体で約500騎)を務めた。真田家の個々の家臣団編成の仕方に関して、天正13年6月21日に矢沢頼綱の長男矢沢頼康に与えた真田昌幸朱印状によると、乗馬衆として鵤甚九郎ほか4名と足軽衆として林勘左衛門尉ほか11名が記載されており、いずれも有姓の者たちで、「右の衆同心に申し付け候間、向後は人衆を催され一手役の奉公肝要たるべき者なり」とあり、いわゆる寄親、寄子制に基いた同心衆、足軽衆が付与され、軍団編成が進められていたことが明らかであると記されています。

 林源次郎寛高(1563 ~ 1615 年)。林弾左衛門ともいう。林太郎左衛門の長男。
●林源次郎寛高
天正6年 (1578年 ) 真田昌幸の上州攻略の陣立てで父林太郎左衛門に従い参戦。殿を務める。林寛高にとっては初陣となる。
天正7年 (1579年 ) 矢沢頼綱に従い中山城と尻高城攻略に大きく貢献。戦功を立てる。
天正8年 (1580年 ) 真田昌幸に従い小川城と名胡桃城攻略に参戦。その後は真田信幸に従い、上野国で転戦する。 天正13年 (1585年 ) 真田昌幸が上杉景勝に真田幸村を人質として海津城に送り援軍を要請した際、矢沢頼康の配下として真田幸村に随行する。このとき真田信幸が、鵤幸右衛門、吉沢ら乗馬衆5名と、林寛高、坂本らの足軽 衆12名を矢沢頼康の配下につけ、真田幸村を守らせたという。 矢沢頼康とともに上田に戻り、上田合戦に参戦し、戦功をあげる。以後は真田幸村と行動を供にする。
天正17年 (1589年 ) 真田幸村の足軽隊将として小田原攻めに従軍。
天正18年 (1590年 ) 真田幸村が人質として大阪へ赴く際、それに従う。その後も真田幸村とは行動を供にする。 慶長5年 (1600年 ) 関ヶ原合戦の際は、真田幸村とともに西軍につき、上田城に籠る。真田家の足軽隊将として徳川軍撃退に大きく貢献し、戦功をあげる。関ヶ原合戦での敗戦後は、真田昌幸・真田幸村父子に伴い一時は九度 山に赴くが、上田に戻り帰農する。慶長19年 (1614年 ) 大阪の陣では真田幸村のもとに馳せ参じる。林寛高5 1歳である。
元和元年 (1615年 ) 大阪夏の陣では、真田幸村の影武者として徳川家康の本陣に斬り込み、本陣を突き崩す働きを示した後、真田幸村に成りすまして奮戦したが討死する。
* 信繁(幸村)には、三浦新兵衛国英、山田舎人友宗、木村助五郎公守、伊藤団右衛門継基、林源次郎寛高、斑鳩(鵤) 幸右衛門祐貞、望月六郎兵衛村雄の7人の影武者が存在したといわれている。
* その後、生き残った 7 人で林村を作ったという伝説が残っているがどこかは不明。
 歴史マニアや幸村マニアの歴女の方々などに関心を持っていただける話はここまでしょうか。

 そして江戸時代になり、先祖のひとりが高遠藩の保科正之に仕えました。正之が家光の腹違いの弟ということが分かり会津に加増転封されます。そこにも付いていきました。後に商人となり林正光などは豪商となり会津藩を支えました。その前に秀吉の国替えで上杉景勝が会津へ。善光寺平の土豪は家族家来すべてを連れて会津へ。その後高遠藩もまた会津へ。会津は信州人が作った街なのです。以前福島から来た方と妻女山展望台で話した時にそう言っていました。戊辰戦争で会津若松城をメリケン砲でボコボコにしたのは松代藩でした。しかし、薩長はボロカスに言っても松代藩を攻めることはしません。同根だと知っているからです。歴史の皮肉、悲劇です。
 会津若松の林家の先祖は、保科正之候が高遠から山形・会津に入られたときに200石で随身した「林太左衛門 光仁」。その何代か前の祖先は、林采女(林齋:はやしいつき)と言い小笠原一族に仕え、小笠原長時が1548年(天文 17)塩尻峠の合戦で武田軍に大敗し村上義清を頼って落ち延びた際に、林采女は信州松代に入り土着したと伝わっています。
 という伝承があるのですが、これも確証はありません。林采女は、村上義清の系統の清野氏を頼って岩野に土着したのかも知れません。墓は幕末に再建され土口トンネルの上にあります。当時、武田と真田は味方同士でしたが、村上義清と小笠原長時は敵です。林一族は、戦国時代にはよくあることですが、小笠原長時、村上義清と、敵対する武田信玄や真田昌幸に敵味方に分かれてついていた可能性もあります。ただその後、当地では川中島の戦いが繰り広げられたわけで、その間はどうしていたのか。全く不明です。

 これ以外にも色々伝承があるのですが、幕末の嘉永六年(1853・ペリー浦賀来航)に業者に頼んだと思われる「林家譜説」などは非常に如何わしいものです。これも歴史館の方に見ていただきました。今もそういう会社はありますが、幕末頃に家系図を調べますという商売があり、大本家から分家で出た堀田重蔵が頼んだ様ですが、ツッコミどころ満載の実にいい加減なものです。なぜ堀田で林ではないのかというと、幕末に堀田という侍株を買ったからなのです。堀田家は跡目相続で争った末に屋敷を売却し一家離散しました。ただこのいい加減な「林家譜説」にその後の我が一族がどうも振り回された様で、林一族は小笠原の末裔であるとか、とんでもない勘違いが広まってしまいました。小笠原は三階菱で甲斐源氏(林城城主の林藤助はもとは小笠原氏。この林で勘違いしたらしい)、林家は上り藤で藤原系の分家筋。先祖は中大兄皇子と組んで蘇我入鹿を倒して大化の改新をした藤原鎌足。そこで、私が色々ある伝承や物証などから、複雑に絡み合う事実を検証してみたのです。ただ、混沌とした戦国時代の話ですから、不明な点も多く非常に難儀しています。なにより戌の満水の大水害で貴重な史料が失われたのがもっとも大きな痛手でした。ただ、真田氏の史料などを調べていくと、あらたな事実が判明するかも知れません。

■林采女墓石
●右側の墓石
右側面
天正十六戌子(つちのえね)年(1588年)三月二日
正面
繹林齋(釈林斎)之墓
左側面
俗名 林 采女(うねめ:女官を束ねる長の官名)武士が勝手に官名をつけるのが流行った。

●左側の墓石
右側面
未記録
正面
殊勝院繹林齋寂靜居士
歸命盡十方旡●光如来
勝善院繹林齋証大●
左側面
未記録

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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春の兆しを求めて、約2ヶ月ぶりに妻女山陣場平へ。福寿草が咲きはじめ。善光寺平パノラマ(妻女山里山通信)

2023-02-05 | アウトドア・ネイチャーフォト
 最高気温が8度の予報の週末(実際は10度まで上がりました)。春の兆しを求めて、約2ヶ月ぶりに妻女山陣場平まで登りました。ただし山中は2度。日陰は0度。靴の中敷きにホッカイロを入れていきました。そうでないととても歩けません。

 福寿草が咲き始めました。花期が長いので3月末ぐらいまで芽吹いて咲き続けます。フクジュソウ(福寿草、献歳菊、学名:Adonis ramosa)は、キンポウゲ科の多年草。現在4種に分類されていますが、死亡例もある毒草です。春の水仙とともに要注意の植物です。

 蜜は無いのですが、大量の花粉を出すため、暖かくなるとハナアブやミツバチがたくさん訪れます。福寿草や水仙、タンポポ、ロウバイにダンコウバイと春の花に黄色が多いのには理由があります。啓蟄を過ぎても昆虫はまだ少ないのです。その昆虫は黄色い花に集まりやすいという習性があるのです。植物の生存戦略です。

 妻女山駐車場から長坂峠までは北面なので残雪があります。イノシシ狩りのハンターの轍が凍結しています。途中でバードウォッチングの人が遠くに見えました。ルリビタキが近くの枝を飛んでいきました。

 長坂峠の先から斎場山(旧妻女山)。上杉謙信の最初の本陣で山頂は古代科野国の古墳(円墳)です。手前の明るいところは、年末に妻女山SDPで灌木やノイバラを伐採したところです。これでイノシシの隠れ場所もなくなります。オオムラサキの幼虫が生息するエノキ(榎)の保護にもなります。

 陣場平入り口。向こうの西向きの斜面は、我々が保護活動をしている最初に貝母(ばいも)が最初に芽吹くのですが、さすがにまだです。2月の中旬過ぎには芽吹くでしょう。3月4月は例年より温かい予報が出ています。春は一気に進むかも知れません。

 川中島の戦いの際に、上杉謙信が七棟の陣小屋を建てて本陣としたと伝わる陣場平。「甲陽軍鑑」の編者の小幡景憲がここに七棟の陣小屋がある絵を描いていて東北大学の狩野文庫に所蔵されています。当ブログでは大学の許可を得て掲載しています。
川中島の戦いで上杉謙信が本陣とした斎場山と陣場平へ(妻女山里山通信):『甲陽軍鑑』の編者と言われる小幡景憲彩色の川中島合戦絵図。陣場平に陣小屋が七棟建てられた図が描かれています。

 向こうに見える小山は高句麗人の積石塚古墳。その手前に昨年、仲間と貝母の球根を100株近く移植しました。この春が楽しみです。満開の時期は、4月の10日から20日頃です。それは美しく見事です。日本でこれだけの群生地はここだけです。開花状況はこのブログでお知らせしていきます。

 杉にからみつくフユヅタ(冬蔦)。実がなっています。ナツヅタは紅葉し枯れますが、冬蔦は年中緑です。

 タヌキの足跡。ニホンカモシカやイノシシ、ノウサギは見られませんでした。ちょっと気がかりです。

 陣場平の菱形基線測点の上に何かの糞。テンの高糞というのでテンかもしれません。赤いのですが何を食べたのでしょう。種を見ると柿ではなさそうです。なんでしょうね。有毒のヒヨドリジョウゴでしょうか。不明です。

 山を下って仲間とやっている椎茸のホダ木栽培の現場へ。倒木とか落枝もなくて安心しました。

 翌日は温泉の帰りに妻女山展望台に立ち寄りました。やや雲は多めで戸隠連峰や飯縄山の稜線は雲の中です。眼下の長芋畑では春掘りがそろそろ始まります。冬越しの長芋は適度に水分が抜けて甘さが増しているので美味です。

 北東の方角には拙書でも紹介の名峰の高社山。その向こうは木島平や飯山の豪雪地帯で、風景が一変します。ただこの冬は積雪が少ないのです。高社山麓の白く見える部分は葡萄畑です。左手前にはエムウェーブとホワイトリングが見えます。

 東の松代方面。左の大きな山塊は奇妙山。山頂は古い山城でハイカーに人気の里山です。右奥には根子岳と四阿山も。昨年は真田信之入部400年で賑わいました。徳川についた信之公ですが、我が家の祖先は、真田昌幸、信繁(幸村)親子についたので、ちょっと微妙です(笑)。その前には小笠原長時に使えていたのですが、塩尻峠の急襲で武田信玄に敗れ、村上義清を頼ってその系列の清野氏の当地に土着したと伝わっています。1548年のことです。ただ我が家には1552年に桔梗ヶ原の戦いで戦利をあげ山縣三郎(武田の四天王)より褒美をもらった感状があるのです。戦国時代は兄弟親子が一族存続のために敵味方に別れたのは普通ですから。ちなみに真田信繁についていた林源次郎寛高は、幸村の7人いたといわれる影武者のひとりで、大阪夏の陣で討ち死にしています。今日の最高気温は6.5度。これから三寒四温で春になって行きますが、おそらく2、3度はなごり雪が降るでしょう。

 ここのところ英国プレミアムリーグのブライトン所属の三笘薫選手の活躍がもの凄いですね。往年のサッカー小僧としては目が離せません。技術レベルはもちろんですが、知的レベルと落ち着きが凄い。あれだけ前傾姿勢で懐が深かったらディフェンスも迂闊に飛び込めない。しかも相手の重心を見てというか重心を誘って逆をつく。もうこれは対処ができません。しかもおごっていない。まだまだ伸びるでしょう。他にも刺激されて欧州で大活躍している選手が多数います。楽しみです。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。地形図掲載は本書だけ。山の歴史や立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。10本のエッセイが好評。掲載の写真やこのブログの写真は、有料でお使いいただけます。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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紅甘夏のウィスキーマーマレード。ブリカマ塩焼きと酒粕汁。乳酸発酵野沢菜漬け炒め。春待ちホタルイカと菜花のアンチョビーパスタ(妻女山里山通信)

2023-02-01 | 男の料理・グルメ
 2月になった途端に3月の陽気に。最高気温は9度の予報。とはいえ1月は寒く曇天が続いたので撮影にも行けませんでした。ということで郷土料理やらを作りました。水上勉原作、沢田研二主演、土井善晴料理監修の映画「土を食らう十二ヵ月」の様な料理の数々。間に中華やフレンチ、イタリアン、エスニックが入りますが、基本は旬のものを地産地消です。Aコープの産直コーナーでは朝どれの新鮮な野菜が100円、高くても200円ぐらいで買えます。道の駅は観光客相手なのでやや高め。山間部では無人販売も見られます。

 ソフトボールより大きな紅甘夏が特売(130円)だったので買いました。久しぶりに「ウィスキーマーマレード」を作りました。まず粗塩でよく洗いヘタを取ります。食べないのはヘタだけ。厚い皮に十字に切れ目を入れ皮を剥き2ミリにスライス。ひたひたの水で沸騰したら5分弱火で。実は半分に切って縦にザクザク横にザクザク。種ごと皮の鍋に入れ弱火で5分。大さじ6杯ぐらいのキビ糖を入れ弱火で5分。さらに同量のキビ糖を入れ5分。味を見て蜂蜜大さじ2とキビ糖を入れ5分。最後にウィスキー、今回はバーボンのフォアローゼズを大さじ3杯ほど入れて火を消します。煮沸した瓶に保存。まず全粒粉のバタートーストで。苦味酸味甘味バーボンのアルコールと大人の味です。ポークソテーやラムソテー、煮込み料理の隠し味に。
「フォアローゼズ」という名の由来は、創始者であるポール・ジョーンズJr.がある女性に出会いプロポーズした際、彼のプロポーズを受諾する目印にされたのは薔薇のコサージュ。 プロポーズが結実し永遠の愛を誓ったというエピソードから、ラベルには四輪の薔薇がデザインされ、「フォアローゼズ」と名付けられたそうです。

「ブリカマ塩焼きと酒粕汁」。酒粕汁は、地大根、牛蒡、人参、里芋、長芋、長葱をカツオ出汁、炒り粉、昆布、干し椎茸で煮込んで手造り信州麹味噌と酒粕で味付け。別にブリカマの塩焼きを作りのせます。煮込みません。ブリの味を汁に移さないのです。ブリカマを別皿に粕汁をかけてもいいです。西京焼きの様な奥深い味になります。

 2月になると野沢菜の本漬けもかなり乳酸発酵が進んできます。もちろんこのまま漬物でいただくのも美味ですが、冬野菜と炒めると格別の一品になります。植物性乳酸菌は、美味しいだけでなく、からだにも非常にいいのです。

 野沢菜漬けはかなり塩辛いので、ぬるま湯につけてある程度塩気を抜きます。みじん切りにして地大根、人参をついて多めの胡麻油で炒めます。人参大根に火が通ったら、鰹出汁の顆粒を加え本味醂を入れて炒め仕上げます。

 昨冬作った「野沢菜炒めのおやき」。皮にとろろと炒り粉、卵を入れます。とろろを入れると軽くなります。他には包みおやきにしたり、炒飯にしたり、チーズをのせてドリヤに。ピザのトッピングにも。木曽のすんき漬けの様に蕎麦やうどんのトッピングにしても美味。すんき漬けと違い塩気があるのでつゆをやや薄めにするのがコツ。

「春待ちホタルイカと菜花のアンチョビーパスタ」。芽キャベツも入っています。菜花はさすがに信州産ではなく高知産です。山蕗が出始めたらそれでパスタにします。春が待ち遠しい一品です。

「長芋と菜花芽キャベツハムのチーズグリル」。長芋のととろに白だしと卵を加えて混ぜ混ぜ。菜花と芽キャベツの塩茹でをのせて、無塩せきのハムをのせ、チェダーチーズ、溶けるチーズ、パルミジャーノ・レッジャーノをかけて500ワットのオーブンで10分ほど温め、1000ワットで3分ほど焼き目をつけます。最後にパセリを振ってできあがり。食べる時は全体をよく混ぜていただきます。とろっとして優しい味でなんとも美味です。

 手造りの干し柿がたくさんあるので、干し柿のウィスキー漬けを作りました。ウィスキーはバーボンのフォアローゼス。ブランデー、ラム酒、ウィスキー、赤ワインなどでも美味です。これをマカダミアンナッツ入りのバニラアイスと合わせて大人のデザートに。アイスに更にバーボンを入れています。もう一品は、干し柿にブルーチーズを合わせておつまみに。これはベストマッチといえるほど美味しい組み合わせです。個人的にはもっと味の濃いゴルゴンゾーラあたりが好みですが。ウィスキー漬けの干し柿と食べると至福の味ですが、これは旨すぎてちょっと危険。巷では生ハムメロンが有名ですが、それを遥かに超えています。

 お雑煮、お汁粉、安倍川餅、揚げ餅、カレー餅、揚げあられ。色々食べてアイデアが尽きました。そこで、ターキー(七面鳥)のスパムとブルーチーズの海苔餅。けっこういけます。餅を上の野沢菜漬け炒めを海苔で巻いても美味。お好み焼きに入れたり、蕎麦粉があるのでガレットに入れてもいいかも。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。地形図掲載は本書だけ。山の歴史や立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。10本のエッセイが好評。掲載の写真やこのブログの写真は、有料でお使いいただけます。

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