モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

妻女山から斎場山、編笠百合咲く陣場平から天空の城鞍骨城跡へ(妻女山里山通信)

2012-04-30 | アウトドア・ネイチャーフォト
 高校時代の友人達と天空の城鞍骨城跡へトレッキング。春秋年二回、恒例の企画ですが、今回は歴史探索と山菜グルメ堪能のトレッキング。古墳、川中島合戦の史跡や山城を巡りながら、山菜狩りをして昼食は鞍骨城跡のてっぺんで山菜天ぷらをさかなに酒宴を開こうという、ちょっと欲張りな企画です。

 最初に象山神社に自転車をデポして、妻女山登山口の上杉謙信槍尻の泉に駐車してトレッキングを開始。ソメイヨシノは葉桜になりましたが、山桜は今が満開。雲ひとつ見えない晴天の下、まずは妻女山(赤坂山)展望台へ。現在は、ここを妻女山といっていますが、これは昭和47年に国土地理院が地図の改訂をする際に、誤って長野市が妻女山と申請してしまったため。本来は赤坂山といいます。

 妻女山から15分ほど林道を登ると長坂峠。右へ100mほど登ると斎場山です。ここが本来の妻女山。斎場山が本名で、妻女山は江戸時代につけられたもの。上杉謙信が最初に本陣としたのは、ここといわれています。山頂は円墳です。次に向かったのは陣場平。ちょうど編笠百合(貝母)が満開です。
 そこから下って堂平大塚古墳へ。ちょうど古墳の持ち主のKさんがいたので、ログハウスのデッキで一休み。連休中に行う予定の伐採木での薪作りの相談もしました。

 途中山菜狩りをしながら、天城山(てしろやま)経由で鞍骨城跡へ。尾根を進むと突然高さ50mの山城が出現します。山頂は山城の本郭なのでそこそこの広さがあり平です。そこにシートを敷いて宴会の準備。気温もかなり上がったので冷えたビールが甘露。早速山菜天ぷらの準備にかかります。途中で採ってきたのは、タラノメ、ハリギリ、カタクリ。そしてあらかじめ採っておいたウドとコシアブラ。

 揚げたてを岩塩でいただきましたが、皆その旨さに感動。それはそうです。本当にさっき採ってきたばかりの超新鮮な素材ですから。こんなものは、都会では絶対に食べられません。以外にもハリギリは皆初めてで、その旨さを絶賛していました。そんなこんなで宴会は1時間も続いたのでした。尚、山頂の放射線量は、0.05μSv/hでした。

 帰路は松代の象山へ。車をピックアップの間、象山神社に参拝。その後、汗を流しに東条にある温泉マニアには有名な加賀井温泉の一陽館へ。ここは洗い場がなく体を洗う事も洗髪もできません。まさに湯治専門の温泉。戦国時代に武士が傷を癒したという話もあり、「信玄の隠し湯」のひとつといわれています。混浴露天風呂もあります。
 その後は、打ち上げ宴会に屋代のくじら屋へ。刺身の盛り合わせはパス。安全だろうと思われるもののみを注文しました。今回は山の話に放射能の話と話題は尽きませんでしたが、ちょっと飲み過ぎましたね。

妻女山-鞍骨城跡-象山と、歴史と新緑を満喫したトレッキングのフォトルポはこちら!




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森のあんずをYoutubeにアップ!(妻女山里山通信)

2012-04-24 | アウトドア・ネイチャーフォト
 今年は春が遅く一気に暖かくなったため、梅が咲いているうちに杏と桜が咲き出しました。まだ杏と桜が散りかけているのに、今日は桃が満開。よく見ると隣のリンゴの樹も咲いていました。妻女山では桜が満開で花吹雪。八重桜や山桜、ウワミズザクラは、まだこれからとはいえ、なんと慌ただしい春なんでしょうか。そうでなくても信州の春は短いのに。昨日までフリース着てたのに、今日からTシャツという感じ。

 妻女山もあっという間に芽吹きが始まり緑に染まり始めました。この新緑の頃は、樹種によって色が異なるため、山の色がとても美しいのです。濃くなるとみな同じですから。春紅葉といってカエデなどは、最初赤くなるため、彩りに花を添えます。その中に柔らかなピンクの山桜が点在します。白いのはコブシ。

 森のあんずは、花期が有名ですが、果実のなる梅雨明けの頃も実は見頃。あんずは松代藩が栽培を奨励したため、長野市や千曲市のあちこちにあんずの木があります。うちの周りも昔はたくさんあって、採りきれないあんずの実が落ちて、集落中がそれはそれは凄い香りに包まれたものです。昔に比べれば少なくなりましたが、それでも山上から俯瞰するとあちこちにピンク色が見えます。





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★ネイチャーフォトのスライドショーやムービーは、【Youtube-saijouzan】をご覧ください。粘菌や森のあんずのスライドショー、トレッキングのスライドショーがご覧頂けます。国蝶オオムラサキと和風の模様が美しいスミナガシは必見です!
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森の中で人知れず咲く編笠百合(貝母) (妻女山里山通信)

2012-04-22 | アウトドア・ネイチャーフォト
 この編笠百合(天蓋百合)の群生地は、昔薬草畑だったところが放置され野生化したものですが、私が3年前に発見した時は薮に埋もれて絶滅寸前でした。それを切り払って日当りをよくしたところ、3年でものの見事に復活しました。しかし、いわゆるスプリング・エフェメラル(Spring ephemeral)、春の妖精、春の儚い命のため、花期が終わり6月になるとなにもなかったように消えてしまいます。貝母は、バイモと読みます。

 編笠百合は、享保(1716-1736)年間に中国から薬用植物として入ってきた花です。貝母と書くのは、球根が二枚貝に似ているからとか。咳止め、解熱、去痰の効能があるそうです。その可愛らしく丸まった葉先と俯いて咲く地味な吊り花が茶花としても愛されています。観賞用の園芸種には派手な色のものもありますが、やはりこの控えめで自然な色合いが一番美しいと思います。

その丸まった葉先ですが、可愛らしいというのは人間の勝手な感想で、実際なんのためにそうなったのだろうと不思議に思っていました。それが、ある風の強い日に訪れて分かりました。春は爆弾低気圧が発生したり、東風(こち)などの強風が吹き荒れることがあります。編笠百合の茎は柔らかく強靭ではありません。そこで丸まった葉先で互いに絡み合って倒れるのを防いでいるのです。

 この場所は、陣場平といって第四次川中島合戦の時に上杉謙信が陣小屋を七棟建てたといわれる山上の平地です。林道から数十メートル森の中で見えないため、この群生地を知っている人は地元でもほとんどいません。といっても帰化植物なので保護の対象にもならず、放置されて薮になり灌木が覆って森が暗くなれば絶滅するでしょう。実際増えるといっても日当りの悪い森の中までは広がりません。

 山を下りる時に、キジバト(雉鳩)の羽が散乱していました。恐らくノスリに襲われたのでしょう。妻女山にはつがいのノスリが棲息していて、この間子供を挟んで三羽で旋回していました。うちの山にあったニホンカモシカの糞場が最近使われていません。きっと二頭の兄妹は自立して縄張りを移ったのでしょう。いずれまた、どちらかが子供を連れて戻って来るかもしれません。時の移ろいを感じる春です。


「俯いて 知らぬ間に消ゆ 貝母哉」 林風

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★この所海外では、大地震が多発しています。しかし、日本では3/27岩手沖M6.4が最後で、その後は不気味なほど静かです。前の記事最後に紹介した「歴史は繰り返す」にもあるように、引き続き注意が必要です。次は日本かも知れません。
4/11 スマトラM8.6,M8.2
4/12 メキシコM6.9 カリフォルニアM6.9,M6.2
4/14 南 極 海M6.2
4/15 バヌアツM6.5 スマトラM6.2
4/17 南米チリM6.7 パ プ アM6.8
4/18 南 極 海M6.2
4/21 スマトラM6.1 パ プ アM6.6
衝撃のデータ: 3月11日の地震の前に観測された日本上空の赤外線と電子量の急激な変化 :それを測れば地震予知できる!


★GWに山登りに行かれる方は、「測ってガイガー!」や「奥多摩、中央アルプス、北アルプスの放射線量」などを参考にしてください。山によっては、かなり汚染されているところもあります。「測ってガイガー!」を見ると、山の計測箇所が少ない。ガイガーカウンタ持っているハイカーは、ぜひ計測を。これから花粉の季節。風で再浮遊での内部被曝は、10倍といいます。充分注意を!
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花の色は うつりにけりな いたづらに・・森の杏が満開です(妻女山里山通信)

2012-04-20 | アウトドア・ネイチャーフォト
 長野県千曲市森の杏は、伊予宇和島藩主の伊達宗利の娘、豊姫が、15歳で第3代松代藩主真田幸道(17歳)に お輿入れをする際に、故郷の風情を偲ぶようにと、杏の種子を持参したのが始まりといわれています。そのためというわけではないと思いますが、杏の花には童女や少女が似合います。今年は春の低温のため例年より遅れて満開を迎えました。

 麓は満開。山の上の方はまだ七分咲きぐらいですが、この週末にはみな開くでしょう。いわゆるピーカンの杏の花もいいのですが、薄曇りぐらいの方が風情はあります。また、まだ観光客が訪れる前の朝霧の立つ早朝や、人が去った後の夕暮れもいいものです。禅透院や興正寺の杏もおすすめ。興正寺山門の「子持龍」は、天才・立川和四郎富昌の作
立川和四郎富昌についての記事

 昔はコーラルピンクに見える在来種がほとんどで、また家々は藁葺きが多かったので、全体の印象はもっと柔らかなものでした。青や赤のトタン屋根や黒灰色の瓦屋根が増え、また増築等で屋敷の杏の木が切られてしまったため。集落中が花に埋もれるという風景が見られなくなってしまったのは残念です。

 それでも、所々に古い在来種の木が残っていて、標識がつけられています。特に売店上の巨木は樹齢約250年とかで、カメラマンの絶好の被写体として人気があります。そういうところでは、なかなか人と違うカットは撮れませんが、ちょっと奥へ足を延ばすと誰も気がつかないような風景を発見できます。健脚ならば山の上から俯瞰で。

 観察眼の鋭い人は気がついたと思うのですが、在来種は花が散り散りに咲くのですが、新品種の多くは花が枝に沿って固まって咲きます。その方が実を収穫し易いのでしょう。ほとんどの人は花期にしか訪れませんが、杏の実が熟す頃に訪れると、甘い香りが集落中に漂っています。昔は採り損なった杏の実が道路に落ちて潰れてそれはすごい香りでした。

 旧松代藩の領地の家々では屋敷にたいてい1本以上の杏の木があって、果実をシロップ漬けや焼酎漬けにしたり、紫蘇巻き杏を作ったものです。昭和時代にアメリカシロヒトリという害虫が大発生したり、寿命を迎えたり、家の新築や増改築で切られたりしてずいぶんと少なくなったのは寂しいことです。在来種の杏の木は、栽培してる森よりもむしろ周辺の集落に多く残っています。

 毎年変わりなく同じ様に咲く杏の花も、よく見ると少しずつ変化していくのです。
「花の色は うつりにけりな いたづらに 我が身世にふる 眺め(長雨)せしまに」
(長雨をぼんやり眺めているうちに桜花の色は移ろい、私自身もつまらない物思いにふけっているうちに盛りの時を過ごしてしまった) [小野小町]
2009年の杏の花
2010年の杏の花-1
2010年の杏の花-2
2011年の杏の花
2011年の杏の花スライドショー
●09/04/09 2009年・森の春のあんず祭(古墳遠望)フォトルポ

 妻女山(赤坂山)の桜も、今が見頃です。山頂へは桜のトンネルを通って車で行く事ができます。山桜はこれから咲きます。里ではGWにかけて桃、林檎が咲き乱れます。信州の春は短いのですが、今年は春先が寒く急に暖かくなったので、例年以上に気ぜわしい春となりました。
妻女山から陣場平への行き方
妻女山から斎場山への行き方


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■歴史は繰り返す:864年:富士山噴火/868年:播磨国地震(阪神)/869年:貞観地震M9・貞観津波(東北)/871年:鳥海山噴火/874年:開聞岳噴火/878年:相模武蔵地震(関東)M 7.4/887年:仁和地震(東海南海地震)M9(M=推定)
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いつになく遅い春が信州にもやっと訪れました。花の季節到来(妻女山里山通信)

2012-04-17 | アウトドア・ネイチャーフォト
 例年なら3月中旬には咲き始める妻女山の梅がやっと満開になりました。ここ数日の暖かさで杏も咲き始め桜もまもなく咲きそうです。急に暖かくなると、そうでなくても短い信州の春がますます短くなり、梅、杏、桜、桃、林檎の花が時期を重なり合わせながら次々と咲いて行きます。それは賑やかで見事な眺めですが、いかにも気ぜわしく追い立てられるような気分にもなります。

 芽吹き前には終わらせたかった山の整備も、9割は終わりました。うちの山にあったニホンカモシカの糞場の糞が一ヶ月以上使われていないことに気がつきました。そういえば彼ら兄妹を見なくなりました。彼らの母親はもう何ヶ月も見ていません。どうやら兄妹はそれぞれ自立して縄張りを移ったようです。春は引っ越しのシーズンですからね。目撃情報も得ているので、そのうち他の尾根で出合う事でしょう。

 林道の日当りのいい斜面で、青い提督と英語では呼ばれるルリタテハが日向ぼっこをしていました。非常に警戒心の強い蝶で、人の気配がするとすぐに飛び立ってしまう蝶なので、死角から音をたてないようにしてゆっくりと近づきます。しかし、ちょっと慌ててしまいミラーアップするのを忘れたためワンカット撮ったシャッター音で飛び去ってしまいました。

 展望台には、ちょうど開催中の長野マラソン見物のため数人が訪れていました。昨年は震災で中止、一昨年は満開の桜と菜の花の大会でしたが、今年はちょっと地味な装いでした。それでも参加人数は最大。麓からは応援の歓声やブラスバンドの演奏が聞こえてきました。参加人数は東京被曝マラソンに譲りますが、北アルプスを見ながら田園地帯を走る爽快さということでは、おそらく日本一の大会ではないかと思います。実は旧友ふたりが参加していたのですが、いずれも関門にひっかかり残念ながら完走はできませんでした。

 ひと目十万本と言われる千曲市森の杏も三部咲きだそうです。今週末には見頃になるでしょう。妻女山の麓では耕耘機や長芋の畝を作るトレンチャーの音が響いています。ヒメオドリコソウやオオイヌノフグリが咲き乱れ、千曲川の土手のセイヨウカラシナも咲き始めました。畑の野良坊菜がとう立ちし始めたので摘んで食べています。もうすぐ韮のおやきもできるでしょう。


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■アメリカ政府のHPで2011年3月の首都圏の放射線量を公開。高い濃度でストロンチウムやα線核種が存在。
http://energy.gov/situation-japan-updated-102111
http://www.data.gov/raw/5270 空間ダスト
http://www.data.gov/raw/5271 土壌
http://www.data.gov/raw/5272
http://www.data.gov/raw/5273
【港区米大使館前3月18日 Sr-90:69715 Bq/m3 換算するとストロンチウム90だけでなんと5.6μSv/h! 】
しかも、元米軍関係者によると、公表されているのは見せられるものだけ。本当のデータはたぶん出ていないだろうということです。更に危険な他の核種も確認されている可能性があるということ(ウラン・プルトニウムなど)。但し、この表でもα線核種、β線核種がかなり検出されたことが分かります。つまり、これから5年、10年の間に首都圏では、甲状腺癌や白血病、心筋梗塞が多発するだろうということです。それ以外に脳機能の低下や疾病の重症化も増えるということです。呼吸や食べ物による内部被曝を避けることが重要。可能なら移住がベスト。
-----------------------------------------------------------
★データの一部(事故直後膨大な量のストロンチムを都内で検出)  
●東京都赤坂アメリカ大使館
経度35.67 緯度139.74 福一からの距離224.9km
■3/18/2011
Sr-89 610472Bq/立方メートル
Sr-Total 297159Bq/立方メートル
Sr-90 69715Bq/立方メートル
I-132 2Bq/立方メートル
■3/30/2011
Sr-Total 42297Bq/立方メートル
Sr-90 6486Bq/立方メートル

●東京都福生市米軍横田基地
経度35.74 緯度139.36 福一からの距離237.7km
■3/21/2011
Gross Beta 2632Bq/立方メートル
I-131 16Bq/立方メートル
Te-132 9Bq/立方メートル
Te-129m 2Bq/立方メートル
Cs-134 2Bq/立方メートル
Cs-137 2Bq/立方メートル
■4/1/2011
Sr-Total 30291Bq/立方メートル
Sr-89 25913Bq/立方メートル
Sr-90 9306Bq/立方メートル

換算式
1µCi/mL=1mCi/L
1mCi/L=3.7×(10の7乗)Bq/L
1Bq/L=1000Bq/立法メートル
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川中島合戦:上杉謙信布陣の妻女山と斎場山への行き方(妻女山里山通信)

2012-04-12 | 歴史・地理・雑学
 例年より2週間以上遅れて妻女山の梅がほころび始めました。このままだと梅、桜、杏がほぼ同時に咲くかもしれません。暖かくなって妻女山を訪れる人も増えてきました。鞍骨城跡まで登る人もいます。そんな人達のために、昔の航空写真を使って現在との比較をしてみたいと思います。現在のものは、Googleマップの写真を見てください。見比べると面白いと思います。

 モノクロの写真は、昭和23年にGHQが撮影したもので、20年近く前に買った掛け軸スタイルの大きなものです。妻女山へは現在、北から登るので南を上にしてあります。黄色い線は、現在の林道です。千曲川河道跡の文字から舗装路が妻女山まで通じています。招魂社奥の広い駐車場から先は林道で、二手に分かれますが、悪路なので一般車は入れません。

 写真左下の赤坂山とあるのが現在の妻女山(さいじょざん:411m)です。展望台と招魂社、駐車場があります。ここは本来は赤坂山といい、旧妻女山は写真中央の斎場山(さいじょうざん:513m)のことです。そもそも戦国時代には妻女山という呼び名はありませんでした。

  『甲陽軍鑑』にある川中島合戦の「西條山(さいじょうざん)」とは、「斎場山(さいじょうざん)」のことなのです。妻女山は江戸時代に命名された俗名です。本来は斎場山のことを指したのですが、後年地元でも下の赤坂山を妻女山という様になり、現地形図でもそう表記されています。事の詳細は、妻女山(斎場山)について研究した私の特集ページ「「妻女山の真実」妻女山の位置と名称について」をお読みください。

 妻女山を斎場山ともいうと書いてあるサイトがありますが間違い。斎場山が妻女山と改名され、尚かつ位置が赤坂山に移ったのです。ですから戦国時代の「さいじょうざん」とは「斎場山」のことなのです。決して現在の展望台のある妻女山のことではありません。ほとんどの歴史家や小説家は、この事実を知らずに考証したり本を書いています。

 上杉謙信が最初に本陣としたのは、現在の妻女山ではなく、斎場山と伝わっています。斎場山へは、林道を歩いて15~20分ぐらい。頂上は円墳です(斎場山古墳)。今の林道がなかった頃は、白い線が見えますが、真っすぐ南へ登り右へ折れて東風越に出ました。斎場越という文字が三カ所ありますが、左の清野小学校から赤坂山に登り、斎場山を巻いて、右の土口将軍塚古墳から土口へ下りる道を斎場越といって千曲川が洪水で笹崎が通行できない時に、大名行列も通ったという歴史ある尾根道です。現在は林道で分断されてわずかに残る程度です。

 東風越近くに現在の長坂峠があります。そこから南へ向かうと陣場平という広い台地に出ます。写真では広い畑になっていますが、現在は落葉松林や草原です。ここは、上杉謙信が陣城七棟を建てたところと伝わっています。その左下が千人の兵を潜ませたという千人ヶ窪。千人窪、千ヶ窪ともいいます。

 『甲越信戦録』等の記述や地元の伝承による上杉軍の布陣の形を想像図にしてみました。写真は、今度は北が上になっています。一万以上の上杉軍が、斎場山一帯に広く布陣していた様が想像できるでしょうか。

 妻女山松代招魂社の南に句碑があるのですが、「志ら雲に果ては」まで読めたのですが、その後がと思っていたら、案内看板が立ちました。「しら雲に 果てはつつみて 花深し」鸞生(らんせい)文化七年中沢村生 明治五年没。現在はソメイヨシノが中心ですが、幕末の頃から妻女山は桜の名所だったことがうかがえます。花の頃にぜひおいで下さい。
 ソメイヨシノはクローンのため個体差が少ないのです。異常率で放射能との因果関係は証明できていませんがが、いずれ貴重な資料となる可能性は大です。
 たんぽぽ舎「サクラ調査ネットワーク」

★関連記事
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妻女山から陣場平への行き方
ガイドに載っていない川中島合戦の史跡!
『第四次川中島合戦』啄木鳥戦法の検証
時に笑える『地名辞典』における妻女山の記述 その1 ■その2 ■その3


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芸者と呼ばれる艶やかな孔雀蝶が舞う春弥生 (妻女山里山通信)

2012-04-06 | アウトドア・ネイチャーフォト
 爆弾低気圧が通過して、信州は暴風雨から曇り、曇りから晴れ、晴れからまた雪と目紛しく変わりましたが、低温傾向はしばらく続きそうです。4月になっての雪は珍しくはなく、2010年の4月17日には満開の桜に積雪がありました。信濃では31年ぶり、東京では41年ぶりの突然の春の雪でした。覚えていますか。

 エルニーニョのせいか、そんな低温傾向の春ですが、先週の日曜日の束の間の暖かな陽射しに誘われて妻女山の奥まで足を延ばしました。足下からは日向ぼっこをしていたヒオドシチョウやルリタテハが舞上がります。ヒオドシチョウは、まるで威嚇するかのように肩すれすれにバサバサと羽音をたてて飛び交います。

 日当りの一番いい林道の崖面のザレ場に一頭のクジャクチョウが留まりました。今年の初見です。気配を殺して秒速5センチぐらいの感じで近づきます。そうやって最終的にはレンズのフードから5センチぐらいまで寄ることができました。それが掲載の写真です。一眼レフの場合はミラーアップしてシャッター音がでない様にしておきます。

 このクジャクチョウ(孔雀蝶)、学名を Inachis ioといいますが、亜種名を I.i.geishaといいます。艶やかな翅の眼状紋を着飾った芸者になぞらえたものです。この芸者という学名を1908年につけたのは、ドイツの昆虫学者・Stichelです。当時の美しい日本女性といえば芸者さんのことだったのでしょう。信州では、里山から亜高山まで棲息し、夏の高原ではマツムシソウやアザミに吸蜜する姿がよく見られます。樹液バーに訪れて、カブトムシやオオムラサキと共に樹液を吸う姿も度々見られます

 啓蟄がとうに過ぎたというのに、低温で虫の発生も遅れています。鳥は賑やかになりましたが、数の方は正直言って分かりません。当地では極端に少なくなったということはないようです。なにせ里の梅が咲き始めたところ。妻女山の梅は硬い蕾のまま。山桜も当然蕾です。このまま低温傾向が続いて急に暖かくなると、梅、杏、桜、桃、山桜、林檎と一気に咲くかもしれません。

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春を告げる蝶、青い提督・ルリタテハと戦国武将・ヒオドシチョウ(信州妻女山里山通信)

2012-04-01 | アウトドア・ネイチャーフォト
 ダンコウバイが咲き始めた林道を登ると足下から突然なにかが舞上がりました。あとを目で追うと黒い蝶。あっ、やっとルリタテハ(瑠璃立羽)が舞い始めたかと、立ち止まって待ちます。人の気配に敏感で近づくとすぐに飛び去ってしまいますが、しばらくすると必ず戻ってきます。

 英名を、Blue Admral(青い提督)といいますが、こちらのページの最後の写真で分かる様に、エッヘンと胸を張ってまるで青い提督みたいに見えます。黒地に瑠璃色のラインが美しい蝶です。これはスーパーマクロで撮影したものですが、レンズから蝶まで4センチぐらいしかありません。ここまで接近するには気配を殺さないと寄れません。
暖地では年2、3回。寒冷地では夏に1回発生し、成虫で越冬します。

 撮影後、林道を登って行くとオレンジの蝶が周りを飛び始めました。ヒオドシチョウ(緋縅蝶)です。ルリタテハと共に春を告げる蝶。こちらも林道の日溜まりで日向ぼっこしてました。近づくとやはり飛び立ってしまいますが、必ず戻ってきます。こちらの写真のものは翅がぼろぼろですが、オス同士の縄張り争いの結果です。初夏に発生して成虫で越冬し、春に産卵。食樹がエノキなのでオオムラサキと競合します。樹液・獣糞・腐果を好むため、花にはほとんど留まりません。

 幸い妻女山山系では、例年通りの数といっていいでしょう。しかし、ここ数年春の低温やその他の影響で激減しているゼフィルス(シジミチョウ)が復活するかどうか気がかりです。放射能の影響というのは、当地では見られませんでしたが、東北や関東の昆虫は注意深く観察する必要があります。

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菅谷 昭松本市長のインタビュー
「政府、汚染の深刻さを未だ理解せず」まだまだ伏せられている情報がたくさんある…。国に現場の声を拾う姿勢があまりにも乏しい…。国策として汚染地域から移住させることを考えるべきだ…。移動費用として一家族あたりに4000万円を払ったとしても、災害復興費用の23兆円には到底届かない。除染よりも強制移住にお金を使った方が遥かに効果的では…。このような重大な事故を引き起こしていながら、原発推進派の人間は誰も責任を取っていない。これも大きな問題だ…。
「仮に政府がその情報を持っていて、敢えて表に出さないのであれば、それは隠蔽だ」「市民運動や国民運動を起こさない限り、今の日本が正しい方向に進むことは難しいのかもしれない」
放射能防御プロジェクト:木下黄太のブログ
「放射能問題を認識したがらない首都東京のマスコミ人が、事態をさらに悪化させます。愚かです」東京23区の汚染はキエフ以上。事態は深刻。ゆっくりと確実に体は被曝し蝕まれていく環境にある。
殺人的瓦礫を焼却できる安全な施設は当分の間ありえない1,2,3:春夏秋冬
原発用のフィルターシステムでさえ完璧には遮断できない。広域瓦礫焼却は全国被曝。広域瓦礫焼却は、東北から金も仕事も奪うという事実。
■必見! ドイツZDFハーノ記者「被災地は置き去りにされている」:Kaleidoscope
今回の災害は、地震、津波、原発事故、そして信頼の喪失の四つ。原子力ムラの人々は間違いなく狂人たち。
放射能被ばく検査結果報告(尿検査・甲状腺検査):けいとうさぎ
次々と報告される症状。検査結果の登録も可能。


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