モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

信州の里山の奥深くにある海を超えて旅をする蝶・アサギマダラの楽園(妻女山里山通信)

2021-09-26 | アウトドア・ネイチャーフォト
 信州の里山の奥深くにあるアサギマダラの楽園を訪れました。自然保護の観点から場所は記せません。アサギマダラ(浅葱斑)は、チョウ目タテハチョウ科マダラチョウ亜科の蝶です。成虫は、春から夏にかけて南から北へ移動し、移動先で世代を重ねた後、秋になると南へ海を渡って移動します。数千キロもの移動をするため、全国でマーキングをして調査をしています。アニメ『鬼滅の刃』にも登場して話題になりました。

 秋になると普通に全国の山で見られます。私の経験では、東京の高尾山、神奈川の陣場山、信州の烏帽子岳、米子大瀑布上の渓流、戸隠の自然園など。私がフォームフィールドとしている妻女山山系でも毎年見られます。

 アサギマダラと言われるのは翅の白い部分が浅葱色を帯びているからです。黒から茶色にかけてのコントラストが綺麗です。前翅の中程は半透明で透けて向こうの景色が見えます。この透明の程度は個体によってかなり異なります。1番目と4番めのカットを比べていただけるとよく分かると思います。非常に興味深いことです。フジバカマの群生地に百頭以上が乱舞していました。まさにここはアサギマダラのパラダイスです。
 この個体は、後翅下部に黒斑があるのでオスです。これは性標で、メスにはありません。オスはこの性標に性フェロモンを蓄えていて、尾部のヘアペンシルをここにこすりつけて、性フェロモンを移しとります。

 浅葱色というのは、薄い葱の色という意味で、日本の伝統色の名前です。翡翠色、江戸紫、群青色、銀鼠などは聞いたことがあると思いますが、瓶覗とか高麗納戸、甚三紅とかは聞いたことがないと思います。日本の伝統色にもっと興味を持っていただけると嬉しいです。
和色大辞典:これ以外に地方名もあります。何気なく使っている俗語もあります。古代の色名が変化したものも。色名は文化です。

 幼虫はガガイモ科のキジョラン、カモメヅル、イケマ、サクラランなどを食草とし、卵は食草の葉裏に産みつけられます。幼虫も成虫も体内に食草由来のアルカロイド系毒物質をもち捕食されるのを防いでいます。

 吸蜜に来ていたのはナミホシヒラタアブの様です。

 飛翔2500キロというのは、台湾や香港、中国本土まで飛ぶということです。そのせいでしょうか、激しく羽ばたくのではなく、上昇気流を上手に使ってしなやかに舞う姿が印象的です。





 松本出身の世界的芸術家、草間彌生さんの服を纏っているように見えるお洒落な蝶です。


 このアサギマダラの胴体なにか可怪しいですね。なんでしょうと調べましたが分かりません。で、もしやと思い「アサギマダラ 産卵シーン」で検索すると出てきました。これはメスで交尾を終えて卵を内包している個体です。フジバカマなどで吸蜜し、ガガイモ科キジョラン属の常緑のつる植物のキジョラン(鬼女蘭)に卵を産み付け、幼虫は越冬します。ただガガイモは信州の里山にもあるのですが、キジョランの北限は東京なので、これらのメスはまもなく南下して産卵するのでしょうか。6月に飛来したメスが長野県内で産卵しているのが確認されたそうですが。産み付けられた植物はおそらく新芽が山菜のイケマ(牛皮消)でしょう。その卵は夏には羽化して産卵し、その子供達が晩秋に南下するのでしょうか。まだまだ分かっていないことも多い様です。

 アサギマダラのサイトは非常に多いのですが、中でもこの2つのサイトは情報が豊富でよくまとまっていると思います。
白山の自然史36 白山のアサギマダラ:特に最後の「アサギマダラの生活史」は、まだ不明な点もあるものの、非常に興味深いものです。
驚異の飛翔2500キロ アサギマダラの神秘


『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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北アルプスから八ヶ岳まで360度の大パノラマが魅力の聖山へ(妻女山里山通信)

2021-09-24 | アウトドア・ネイチャーフォト
 シルバーウィークの休日23日は朝から晴れました。有名な観光地や山は首都圏からの客でいっぱいなので聖山へ。拙書でも紹介の1447.2mの里山なんですが、360度の展望が魅力です。今回は体調が最悪なので車で登りました。

 聖山パノラマホテルの広い駐車場から見上げる聖山。アンテナが見える左が山頂です。ススキのある斜面は、昔スキー場だったところ。ここからのコースは拙書で紹介しています。ゆっくり登って1時間。幼児から高齢者まで登れます。このホテルはいつも日帰りなので泊まったことはありませんが、リーズナブルで食事も美味しいそうなのでおすすめです。

 白樺の森。紅葉はまだですね。春先には吸い上げた樹液がポタポタと落ちてきます。白樺ジュースは美味です。

 鮮やかな紅葉。山葡萄でしょうか。山葡萄のジュースも美味ですね。

(左)聖山山頂。南東方面の眺め。気温は15度。爽快です。アキアカネがたくさん舞っています。(右)西方の眺め。ハンゴンソウの彼方に仁科三山が見えます。たくさんのアンテナが強い電磁波を出しているので、スマホの電波状況は悪いです。人間は、人工電磁波に対する耐性がありません。電気製品やスマホ、ハイブリッドカーなどの強力な電磁波は小児白血病や癌の原因になり得ます。スマホを常にポケットなどに入れているのは自殺行為です。「電磁波 危険性」で検索すれば情報が得られます。放射能、環境ホルモン、食品添加物、ネオニコチノイド系農薬など、現代の人類は様々な汚染物質に囲まれて生活しているのです。

 南東の眺め。修那羅峠の向こうに台形の拙書の表紙になった子檀嶺岳(こまゆみだけ)が見えます。修那羅山安宮神社の800余りの石神仏群は必見です。その奥は、これも拙書で紹介の独鈷山(とっこさん)。両山とも非常に面白い里山です。首都圏からもたくさんハイカーが訪れます。

 南西に目を向けると筑北村から松本方面。善光寺街道が越えています。長男が松本や安曇野在住の時は、403号を何度も走りました。すごく好きな道です。正面の山には虚空蔵山城跡があります。その向こうは旧四賀村で松茸の名産地。今年は松茸が豊作で道の駅や直売所にたくさん出ています。

 その右奥に見えるのは安曇野。そうなんです。聖山からは長野盆地と松本盆地、八ヶ岳や中央アルプス、北アルプスに北信五岳も見えるのです。本当に素晴らしい里山です。拙書では、その歴史も紹介しています。有明山や常念岳が見えています。

 ノコンギク(野紺菊)で吸蜜するオオハナアブ。野紺菊は、キク科シオン属の多年草。薄紫から濃い紫までありますが、白花もあります。白い野菊はたくさんあるので同定が難しい。

 ハンゴンソウ(反魂草)で吸蜜するツマグロヒョウモン(褄黒豹紋)のオス。ハンゴンソウは、キク科キオン属の多年草。反魂草ってすごい名前ですが、反魂とは魂を呼び戻すことで、深く切れた葉の裂片が幽霊の手のように下に垂れ下がることからだそうです。春の若葉は山菜として食べられます。

 ミナミヒメヒラタアブのオス。ハナアブ科ヒラタアブ亜科ヒラタアブ族ヒメヒラタアブ属の体長8〜9ミリの小さなアブ。見ようとしないと存在にすら気づかないほど小さなアブです。

 北東方面の眺め。善光寺平の南部は、南から北西に向けて何本もの尾根が伸びています。それぞれの谷は扇状地で、林檎、葡萄、栗、杏、梨などの名産地になっています。川中島は、川中島白桃の名産地です。千曲川がうねっていますが、これでも戌の満水の後で松代藩が大規模な瀬直しして真っ直ぐにしたので、それ以前はもっとグニャグニャ千の曲がりの川だったのです。

(左)これ以外のシシウドは全て咲き終わっていました。シシウド属には間違いないと思いますが、なんでしょう。吸蜜しているのはアリノスアブの一種だと思います。(右)同じ株からのものは種になりかかっています。

 ヒマラヤ原産の赤そば。信州大学の氏原暉男名誉教授が1987年にヒマラヤの標高3,800mの高地から、赤い花の咲くソバを日本に持ち帰り品種改良したものです。信州の箕輪町に大きな畑があり撮影してブログにアップしたことがあります。

 ヤマトリカブト(山鳥兜)の一種ですが蔓性です。初めて見ました。ハナカズラ(花鬘)というそうです。日本にはトリカブト属30種、変種22種の52種があると言われています。全草が有毒ですが、塊根が特に猛毒です。春に山菜のニリンソウと間違えて誤食死亡する事故があります。解毒剤はありません。毒性の低い種類をさらに減毒して生薬として用いられます。

 ヤマトリカブト(山鳥兜)の花。キンポウゲ科 トリカブト属。キンポウゲ科は毒草が多いので要注意です。舞楽のときにかぶる、 鳳凰(ほうおう)の頭を かたどった兜に 似ていることからの命名ですが、非常に美しい花です。全国の里山から亜高山まで普通に見られます。黄色や白い花の種類もあります。

 サラシナショウマ(晒菜升麻)。キンポウゲ科サラシナショウマ属 の多年草。拙書で紹介の三和峠から聖山への登山道では、落葉松林の林下にたくさんのサラシナショウマが咲いていて、風に揺れる美しい様が見られます。冠着山の山頂付近にも群生地があります。左上、ハナアブが吸蜜に訪れました。

 聖湖へ下る途中で三峯山(1131.4m)を撮影。毎回ここで撮影します。右奥は冠着山(姨捨山)(1252.2m)。両山とも拙書で紹介しています。三峯山はスライダーがあり、小さな子供でも楽しめます。左奥に霞んでいるのは八ヶ岳連峰。

 403号の千曲川展望台。眼下には姨捨の棚田。歌川広重の浮世絵「田毎の月」で有名です。姨捨駅のスイッチバックも撮り鉄には有名。姨捨駅や姨捨サービスエリアからの眺めも素晴らしい。稲刈りも始まっていますが、私としては新蕎麦が気になります。信州人は、新蕎麦を食べないと秋が始まらないのです。

花の聖山へ。北アルプス含め360度の大展望が魅力。ヒメギフチョウとの邂逅(妻女山里山通信)


麻績村の聖山へ。北アルプス初め360度の大パノラマを堪能!(妻女山里山通信):真冬の聖山。積雪と北アルプス。美しい霧氷。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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久しぶりに晴天の妻女山から陣場平へ。いい出会いがありました。ミズヒキ、アオツヅラフジ。中秋の名月(妻女山里山通信)

2021-09-21 | アウトドア・ネイチャーフォト
 台風14号は信州にはほとんど影響はありませんでした。シルバーウィークの19日(日)は久しぶりの晴天。自律神経失調症で体調は最悪なんですが、妻女山山系の様子を確認しようと歩いて長坂峠まで登ってみました。息切れが酷く50m毎に立ち止まってあえぐ始末。まあ仕方がありません。

 妻女山展望台から望遠レンズで撮影した白馬三山。手前に茶臼山。右奥に神話の山、虫倉山。両山は拙書で詳しく歴史や自然、コースを紹介しています。最高気温は28度。里山の中は3、4度気温が低いのです。湿度は高くないので快適です。茶臼山の中腹は、主に林檎畑。シナノゴールドやサンフジなどが栽培されています。

 白馬三山。左から白馬鑓ヶ岳、杓子岳、白馬岳。残雪が一番少ない季節です。この三山は明治時代に帝国陸軍陸地測量部が地図を作った時に命名されたのです。それ以前は岳山とか西岳とか呼ばれていました。村は代掻きの馬の雪型が出るので代馬岳と申請したのですが、出来上がった地図はなぜか白馬岳となっていました。出典は、石川清氏の『白馬ものがたり』です。手前は右に茶臼山南峰、左の鞍部に信里小学校。この向こうは西山地域といって、古い集落や里山の原風景を感じさせる水田が広がります。山城や古墳の遺跡も多数あります。

(左)林道を登る途中に見つけたのはベニタケ科のツチカブリ。傷つけると白い乳液が出ます。辛くて食べられません。(右)一見してテングタケ科だろうなとは思いましたが、種名というと難しい。テングタケ、コテングタケ、コテングタケモドキ。結局分かりません。いずれにせよ毒キノコで不食です。

(左)アオツヅラフジ(青葛藤)。ツヅラフジ科のつる性落葉木本。有毒の植物で、別名、カミエビと呼ばれます。生薬名を木防己(モクボウイ)という利尿および神経痛、リウマチ、通風などの薬にもなります。(右)山藤の実。青い実は天ぷらで、枯れたら炒って食べられます。珍味です。

 翌20日は、重いカメラ機材と山仕事の道具を積んで車で陣場平へ。途中で埼玉から来た青年と邂逅。斎場山を紹介しました。陣場平では神奈川から来た男性と邂逅。「山と無線」というサイトをされている方で、菱形基線測点について非常に詳しくとてもいい話が聞けました。鞍骨城へ向かわれましたが、無事に登頂できたでしょうか。ウィキペディアの妻女山の記述は、誰が書いたのか知りませんが、論評に値しないほど酷いものです。地元では本名の斎場山を江戸時代から妻女山とずっと言ってきました。明治の各村史にもそう記されています。長野宝冠にも。現在は国土地理院のせいで赤坂山にその名前が移ったのです。この様な例は日本各地にあります。国土地理院の罪です。本名の斎場山が異論とか、地元で言ったら袋叩きにあいます。私がウィキペディアを信用しない理由がこれです。斎場山がなぜ江戸時代に妻女山と改名されたかは、当ブログで何回も記しています。

 川中島の戦いで上杉謙信が七棟の陣小屋を建てたと伝わる陣場平。妻女山里山デザイン・プロジェクトで貝母(編笠百合)の保全活動をしていますが、今はミズヒキ(水引)が咲き乱れています。タデ科の多年草です。

(左)ミズヒキの花のアップ。花は小さく3〜4ミリ。花びらは紅白でそれが水引に似ているということです。(右)赤くなった山椒の実。これを薬研ですりつぶして、父は七味唐辛子を作っていました。黒いのは外皮が割れて種だけになったものです。

 ジョロウグモ(女郎蜘蛛・上臈蜘蛛・絡新婦)。夏から秋にかけて、大きな網を張るクモです。ジョロウグモのオスはすごく小さいのです。メスに交尾を迫ろうと近づいて食べられてしまうこともあるのです。メスが捕食中にこっそりと近づいて交尾をするそうです。ヤレヤレ。

(左)シラヤマギクで吸蜜するハナアブの一種。候補は、ナミクロハナアブ,キスネクロハナアブ,クロモンコハナアブ辺りか。(右)これも難しい。アシグロツユムシ(キリギリス科)でしょうか。触角に黄白の帯があるので間違いないと思いますが。尾部に上向きの産卵管らしきものが見えるのでメスでしょう。ジュキジュキと鳴くそうです。

 展望台下のクマノミズキ(熊野水木)。青い実は紺色に。小枝は赤みを帯びてきました。晩秋になると珊瑚の様に真っ赤になります。私は森の珊瑚と呼んでいます。熟した実は、昆虫や鳥の重要な食料になります。帰りに倒木を処理してくれたSさんと奥様に邂逅しました。お礼を言ってしばし歓談。この日もいい出会いがありました。

 自立神経失調症にはぬるい温泉がいいのです。入浴の帰りに黄金色に実った田んぼ。向こうに茶臼山右奥には台形の陣場山。あちこちで稲刈りも始まっています。向こうにはぜ掛けした稲が見えますが、あれは自家用ですね。天日干しした米は味がひと味もふた味も違うのです。
 中秋の名月です。上手く撮影できたら追加でアップします。

 中秋の名月です。実はこれ昨夜に撮影したもの。今夜は雲がかかって見えませんでした。そんなこともあろうかと撮影しておきました。手持ちなので多少ぶれていますが。フランク・シナトラの「ムーンライト・セレナーデ」やらナット・キング・コールの「イッツ・オンリー・ア・ペーパー・ムーン」が脳内で流れました。満月ではなく三日月は、ペーパームーンといいますが、1973年の映画『ペーパー・ムーン』は、傑作でした。聖書を売りつける詐欺師の男と、母親を交通事故で亡くした9歳の少女との、互いの絆を深めていく物語を描いた心温まるうるっとするロード・ムービーです。テータム・オニールが史上最年少で助演女優賞を受賞しました。

ムーンリバー 「ティファニーで朝食を」

 ティファニーは、朝食を提供するレストランはありませんが、このシーンで分かりますね。オードリー・ヘップバーンは大好きな女優のひとりです。私は若い頃、シネマフリークでした。
70年代は、ニューシネマ。そして私はシネマフリークになった」村上春樹さんのジャズ喫茶でアルバイトをしていた『国分寺・国立70sグラフィティ』の記事です。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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私がOLYMPUSを使い続ける理由。たかが写真されど写真。写真への愛(妻女山里山通信)

2021-09-18 | ジョブ
 ブログの読者や里山で撮影している時に出会った方から、私が使っているカメラやレンズについて聞かれることが度々あります。その度に応えているのですが、そういえばそのことについて記事にしたことはなかったと気付きました。特に秘密にする様なことでもないので、今回は使っている機種と理由、その特性などを作例と共に記してみようと思います。参考になれば幸いです。
 私が最初に一眼レフカメラを買ったのは、武蔵野美術大学の美大生時代でした。買ったのはOLYMPUS-OM1。当時美大生の間でも特別に話題になったカメラです。その後、カールツァイスのレンズが使いたくてCONTAXも使いましたが、基本はOLYMPUSです。仕事ではハッセルブラッドとか蛇腹の8✕10も使いましたが。そのオリンパスのカメラを持ってブラジル・アマゾン・アンデスへ200日の放浪の旅もしました。よく生きて帰れたなと今でも思います。左の私のブックマークから「アマゾンひとり人旅」をご覧いただけます。
                   ★
 基本的に私は使いたいレンズからカメラ本体を決めます。それがたまたまOLYMPUSだったというわけです。神レンズと呼ばれたあのF2.0のマクロレンズには本当にお世話になりました。拙書の写真はすべてOLYMPUSのレンズで撮影しています。ボディはもちろんE-330。これらが無ければ本の出版は不可能でした。
 アートディレクターをしていた時に一緒に仕事をさせていただいた超有名なカメラマンの方々にも色々教えていただきました。彼らの写真を選び、時には指示も出さなければならないので、自分も撮影できないと駄目なわけです。岩合光昭さんや小倉寛太郎さん、田中光常さんとかいやもう世界的な人ばかりでしたから。アートディレクターとしてはネイチャーフォトだけではなく、タレントやモデルの撮影や料理などの物撮りもしないといけないので、カメラマンにも指示を出さないといけないわけです。女優さんなどは決めの角度とかライティングとかありますし、メイクや衣装にも指示を出さないといけないのです。スタッフには恵まれていました。スタイリストはとんねるず担当の人でした。原宿のブティックのハウスマヌカンに聞いたりレストランのシェフに話を聞いたり、ネットが無かった時代なので、広く深い人脈だけが頼りでした。そして、バブル崩壊もこの目で見ました。
 アナログとデジタルでは留意点も異なります。アナログの時は、プロはネガフィルムではなくポジフィルムを使いますが、コダック、アグファゲバルト、フジと全て特性が違います。エマルジョンナンバーとかの管理も面倒でした。尚且フォトショップで簡単に画像補正もできませんでした。補正に10万円とか信じられないと思います。ただデジタルになると一見プロとアマの境が無くなった様に見えましたが、それは錯覚です。情報リテラシーがないと見分けがつかないだけです。アマチュアはどんなに面白く奇抜でもアマチュアです。芸術のレベルは大衆化し下がります。芸術とはなんぞや。そのレーゾン・デートルを問われる時代になっています。
                   ★
 事務所が原宿にあったので、同僚と行く昼食とかは毎日リサーチでした。大手広告代理店、大手印刷会社、レコード会社、芸能プロダクション、モデルエージェント、大手新聞社、大手出版社、編集者、カメラマン、スタイリスト、ヘアメイク、コピーライターなどと仕事を。高校生向けの雑誌をやっていたこともあり、女子大生や女子高生を使ってシンクタンクもしました。女子大生や女子高生を集めて何をしていたかというと、彼女たちの意見や発案を集めて集約し、女子大生の起業家に大企業に企画を売るのです。それの取りまとめや提案などをしていました。そうです。女子高生や女子大生のブームを作り出す仕事です。彼女らのブームは、私だけでなく実は30代のおじさんが創り出していたのです。今もそうでしょう。
                   ★
 週の半分以上は付き合いで飲食していました。超S級グルメからゲテモノまでなんでも食べました。出勤は10時だったので息子達を保育園に送りましたが、平日は帰ると寝顔。水彩画イラストレーターの妻からその日の出来事を聞くのが楽しみな日課でした。そんなで今より15キロ以上太っていました。そのストレス解消に家族で東京、神奈川、山梨、信州の里山トレッキングをしていたのです。妻の生家のある神奈川の江ノ島や鎌倉、逗子の海や山にもよく行っていました。そのフォトレポは、左のブックマークのMORI MORI KIDS 低山トレッキング・フォトレポートでご覧いただけます。その後、糖尿病のサインが出て膝痛や腰痛に悩まされ、ブックスダイエットで15キロの減量もしました。それ以降リバウンドはありません。生活習慣病は薬では絶対に治りません。食生活含め生き方を変えないと絶対に治りません。生活を根本から見直し変えました。農薬、食品添加物、放射能、過食、環境ホルモン、化学肥料、化学薬品、ワクチン。超巨大多国籍企業にモラルはありません、利益しか考えていません。世界中の政府にロイビストを送り込んでいます。無知は死に直結します。それが現在の世界です。

 ボディはOlympus OM-D E-M1 Mark III。マイクロフォーサーズの非常に優れたカメラです。私は常にカメラを首から下げて、時には崖登りもするのでフルサイズのカメラでは大きすぎて重すぎます。このカメラは最適なのです。手ブレ補正や防水防塵機能など基本的な性能も極めて優れています。
 付けているレンズは、ライカパナの標準ズーム。LEICA DG VARIO-ELMARIT 12-60mm / F2.8-4.0 ASPH. / POWER O.I.S.。ライカの厳しい光学基準をクリアした高性能・高品質レンズです。解像度はもちろん描写力が物凄いレンズです。髪の毛一本も描写しますが、決して針金のようではなく柔らかな質感を表現します。肌の質感やボケ味も素晴らしい。普段は風景からポートレート、博物館や美術館、神社仏閣などこれ一本で充分です。以下はその作例。

 このモデルの少女は誰なんだとあちこちから追求が厳しいので一言。知り合いの日系ブラジル人の少女です。この時は18歳。高校生でした。一度オリンパスのコンデジで撮ってあげたのですがイマイチで、ちゃんと撮影してあげると。場所はとある企業の会議室で条件は最悪。でも彼女は頑張ってひとりで30分ぐらいかけてメイク。私も頑張って撮影したのです。卒業後に上京し外国語の専門学校に行くということで色々相談にものりました。家族の誰も在京経験がなかったからです。友人関係や自身の体調のことについても相談してきて頼ってくれました。私が多方面で経験があったので、それなりに的確なアドバイスはできたかなと思います。新型コロナで厳しい状況ですが、彼女には幸あれと願うばかりです。本当に愛すべき可愛い娘です。


 左下はマクロレンズ。M.ZUIKO DIGITAL ED 60mm F2.8 Macroです。遠方から1:1等倍のマクロ撮影まで、また画面中心から周辺まで高解像・高コントラストを維持し、絞り開放から鮮鋭な描写力を実現しています。昆虫や花、粘菌などの撮影は全てこれです。昆虫の接写は最接近しないとならないので、非常に高い撮影技術が必要になります。逃げてしまうか襲われますから。サブカメラにはtg-5を使っています。コンデジなのに望遠とフィッシュアイ(魚眼)レンズが使えるというプロ仕様。これで撮影した画像や動画もブログにはアップしています。






 右の銀色のは、40-150mmのズームレンズ。次の大きな望遠と同じ焦点距離なんですが、オールプラスチックで非常に軽いレンズです。画質も悪くはありませんが、普段は使いません。重い望遠レンズを持っていけない時の非常用です。
 その下の大きな望遠レンズは、M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F2.8 PRO。非常に評価の高い望遠ズームです。これに2倍のテレコンバーターを付けています。35ミリ換算で、600mmになります。どちらかというとマクロに集中するので、まだこの望遠は使い切れていないですね。今後の課題です。何を撮りたいか。そこなんです。少しずつ探していきます。
 私も含めて岩合光昭さんとかプロの方はスペックでカメラやレンズや作品を語ることはありません。そういうことをする人はアマチュアです。アートディレクターやデザインプロデューサーをしていた自分からすると、スペックはどうでもいいのです。できあがった作品が全てなのです。なので、安物のカメラで撮ったものが数百万円のシステムより輝くこともあるのです。そこにはプロとアマの境界はありません。アラーキーと話したことはありませんが、何度か遭遇しています。彼もそういう人ですね。
 たかが写真されど写真です。写真や動画がない時代は、過去を振り返って観ることさえできなかったのですから。想像できますか。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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「善光寺と川中島の戦い」武田信玄と上杉謙信(妻女山里山通信)

2021-09-16 | 歴史・地理・雑学
 長野市博物館の企画展示に行ってきました。正式には、「THE EXPO善光寺2021 甲信越戦国物語」というらしいですが、「善光寺と川中島の戦い」です。常設展もおすすめです。ただ展示品が割と地味なせいか、フラッグなど小細工が多すぎて(笑)。まあ信玄の手紙とか地味ですもんね。

「海津大絵図」三村養益画。(部分・ほぼ全体は一番下に)。松代を中心として周囲の山や千曲川が描かれています。周囲の山は、松代から見た形なのです。当時の侍の家が当主の名前入で書かれているのが興味を引きます。描かれたのが1800年前後と思われるので、千曲川の流れは寛保2年(1742年)に発生した大洪水「戌の満水」の後で、幕府から1万両の借金をして大規模な瀬直した後の流路です。松代城と千曲川の間に古川という細い川が千曲川の旧流でしょう。右(東)にある奇妙山は瀧山と書かれています。
三村養益:江戸後期の画家で名は惟芳(房)。狩野養川院に師事する。松代藩の御用絵師で江戸在住。天保5年(1834)84才で没。息子はやはり 御用絵師の三村晴山で寛政12年(1799)~安政5年(1858)。狩野芳崖などを育てた。
松代藩の御用絵師達

 川中島の戦いで上杉謙信が布陣した妻女山山系の拡大図。山名や当時の村名を入れてみました。現在の妻女山は赤坂、斎場山は妻女山と。鞍骨城は倉骨城、象山は竹山と書かれています。上杉謙信が七棟の陣小屋を築いたと伝わる陣場平(甲陽軍鑑の編者小幡景憲の絵にあり)は表記がありません。現在は妻女山里山デザイン・プロジェクトで貝母(編笠百合)の保護活動を行っています。

 絵の最上部には善光寺が。現在とは微妙に名前や配置が違います。江戸時代後期は、庶民の旅も非常に盛んになりました。善光寺の御開帳には全国から善男善女が参拝に来訪。そんなさなかに善光寺地震、弘化4老中(1847)年が起きて大災害をもたらしたのです。死者総数8,600人強、全壊家屋21,000軒、焼失家屋は約3,400軒を数えました。

「川中島合戦錦絵 巻子(かんす)」右上には「信州川中島大合戦図」とあります。江戸時代にはこういった錦絵がたくさん描かれた様です。また、両軍の布陣図も描かれ善光寺や宿場町の人気の土産物として売られた様です。ほかに興味深かったのは戦国時代の馬の骨格標本。もちろんサラブレッドの様な馬ではなく、木曽馬の様な小さくがっしりした農耕馬です。当時の武士の身長は、150〜160センチぐらいなので問題なかったのでしょう。人を乗せて時速40キロぐらいで走れたそうですし、山を歩くのも得意だったとか。

 その善光寺地震で犀川がせき止められ19日後に決壊し、善光寺平に大被害をもたらした時の絵図。左上の大きな湖が決壊し被害は善光寺平だけでなく飯山や新潟の信濃川流域まで及びました。これにより松代藩の財政は復興費用のため破綻状態となり幕末まで解消しませんでした。この図は常設展示です。

 江戸時代に善光寺に奉納された武田信玄と上杉謙信の大きな位牌。今回の展示は、信玄や謙信にスポットを当てた英雄史観が垣間見えるもので、奴隷市や庶民の苦難に全く触れられていなかったのは残念です。この実証歴史学を教えてくれたのは学芸員の原田さんです。妻女山の初出を調べている時に紹介され教授されました。それは拙書を出版する際も非常に参考になりました。
「七度の飢饉より一度の戦」戦国時代の凄まじい実態 (妻女山里山通信)

 常設展示には、地質や縄文弥生時代の土器などが展示されています。右は男女のシンボル。少子化というのは民族滅亡の印なのです。左の土器は普段遣いのものでしょう。須坂市博物館の世界最古の土器もそうです。火焔型土器などは祭祀用だったのではないでしょうか。

 縄文時代の家屋の復元。以前、塩尻の平出遺跡へ行きましたが、縄文時代から平安時代までの庶民の家はそんなに変化がないのです。その近くには旧石器時代から使われていたという黒曜石の産地もあります。中央構造線とフォッサマグナが交わる信州は、非常に重要で面白いところです。

 弥生時代の青銅のブレスレット(銅釧)と管玉(くだたま)。細い管に孔を開ける技術には驚嘆します。縄文時代から弥生時代にかけて人口が急増します。それは自然増では考えられない数。大陸から大量の移民があったと考えるべきです。

 弥生時代の盾(複製品)。渦巻の文様は縄文土器の渦を想起させます。左奥の写真は武器ですが、同時代の春秋戦国時代の中国と似ています。私は美大出身でアートディレクターをしていたので形象学でものを観る癖があります。越に滅ぼされた呉が最初に来日。後に滅びた越も来日。魏志倭人伝には卑弥呼が平定する前に倭国大乱があったと記されています。呉と越の戦いでしょうか。上越市の斐太遺跡には、当時緊急避難的に作られた村の跡が残っています。鮫ヶ尾城の麓です。

 上杉謙信のシンボル。白狐に乗った烏天狗(鴉天狗)。飯縄権現の祭神です。左は謙信の兜の前立て。烏天狗は山伏の格好をしていますが、本来は鉱山を探し当てる山師だったのではと思います。徐福と一緒に来日した古代ユダヤ系の技術者集団? 飯縄権現は、密教の根本尊である大日如来の化身の不動明王として武田信玄と上杉謙信に尊崇されました。忍術の元も飯縄権現です。高尾山や鎌倉建長寺の半僧坊が有名です。
鎌倉アルプス-鎌倉散歩:烏天狗の建長寺半僧坊から鎌倉アルプスを巡ったフォトルポ。小津安二郎も。

 長野市西町上組の山車。寛政5年(1793)6月造とあります。大変綺羅びやかな造作です。天井には龍の彫り物。1793年は、将軍家斉が老中松平定信を罷免。寛政の改革は終わり、お金を使いまくる政治を開始。側室も何十人も持ち子供の数も55人。この頃から大奥の権勢が強まり改革をことごとく阻害し始めたという時代。庶民も遠慮せず綺羅びやかを求めた時代だったのでしょうか。

 鳳凰の下に三羽の鶴。山車が誰の作というのが記されていないのは残念です。宮彫り師はあくまで職人で社会的地位は必ずしも高くはなかったのです。

 博物館の前は八幡原の史跡公園。遠くに尼厳山と奥に奇妙山が見えます。両山とも拙書に載せている歴史も自然も非常に面白い人気の里山です。この右手には信玄と謙信の一騎打ちの像があります。まあ川中島の戦いは虚構と物語にまみれた戦ですからね。第一級史料もほとんどありませんし。だからこそ地名とか地元の伝承とかが大事なのです。ほとんどが川中島の戦いに関わり、その後に定住した人達なのですから。

「海津大絵図」のほぼ全図です。北は善光寺まで、南は狼煙山と地蔵峠まで。東は奇妙山、西は屋代と千曲川対岸の稲荷山宿までが描かれています。北国街道や北国街道東脇往還とか善光寺街道とか分かります。古い裾花川や犀口から川中島に流れる古犀川や御幣川なども描かれています。できれば松代藩の和算家・測量家 東福寺泰作の「松代府内測量図」もレプリカでもいいので常設展示して欲しいです。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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茶臼山へ。ハンミョウ、ニホントカゲ。爬虫類女子。りんごの季節。クマバチ、アカスジツチバチ(妻女山里山通信)

2021-09-11 | アウトドア・ネイチャーフォト
 長雨の後晴れたので、粘菌が出ているだろうと茶臼山に向かいましたが、雨が降りすぎたためでしょうか皆無です。おまけに気温差が激しいために自立神経失調症の症状が激しく出てしまいどうにもなりません。山歩きは諦めてハンミョウを撮影に行きました。3日後に再訪したので追加しました。アカスジツチバチはちょっと希少。今秋は一日の寒暖差が激しく、調査では7割の人がなんらかの不調を訴えているとか。自立神経失調症と自覚していない人もいるでしょう。病気ではないので治療も難しい。症状により対策も異なります。最も自分にあったやり方を見つけるしかないですね。

 とにかく逃げまくるので撮影は困難を極めます。何十匹もいるのですけれどね。体調不良で動けないのでまあこんな日もあるさと動かずにシャッターチャンスを待ちます。ハンミョウ(斑猫)は、コウチュウ目オサムシ科のハンミョウ亜科に分類される昆虫の総称です。または日本列島の一部の地域に生息するナミハンミョウのことをいいます。天敵はいるのでしょうか。ニホントカゲがいましたが、襲う気配は微塵もありませんでした。

 なぜこの様な美しい色と文様をしているのでしょう。いくら考えても理由が分かりません。進化というのは進歩ではなく進化するが故に絶滅に至ることもあるのですが、こんな美しい偶然、実は必然を生み出すこともあるのです。彼らの生態を観察していても、その美しい色の必然性はまったく見えてきません。

 とにかく逃げまくるので最も撮影したかった顔の正面からの撮影はほぼ不可能に思えましたが、突然そのチャンスが訪れました。他の昆虫を捕らえて食べるため鋭い顎を持っています。美しく凶暴です(笑)。

 そんなハンミョウの生息地にニホントカゲが3匹ほどチョロチョロしていました。爬虫綱有鱗目トカゲ科トカゲ属に分類されるトカゲです。最近、爬虫類女子なるものが増殖しているらしいですが、ニホントカゲは要注目です。東京に住んでいた時は、ヤモリが入ってきて虫を食べてくれましたね。家守という理由ですかね。

 体調が最悪で帰ることにしました。オオスズメバチが葉っぱの上で何かしています。接写していたら突然振り向き飛び立ちました。危険ですが、キイロスズメバチやチャイロスズメバチに比べたらおとなしいです。

 たくさんのキノコ。毒キノコではないですがニガイグチの一種。もの凄く苦くてとても食べられません。右はチチタケかなと思いましたがハツタケの一種でした。辛くて食べられません。

 オヤマボクチ。飯山のオヤマボクチの葉の繊維を練り込んだ富倉蕎麦は絶品です。当ブログでも紹介しています。

 帰る途中で恐竜に遭遇。息子達が小さい頃、帰省中によく遊びに来ました。ティラノザウルスとかプロントザウルスとかたくさんあります。この上には、レッサーパンダで全国的に有名になった茶臼山動物園がありますが、来年3月中旬まで大改修中です。再オープン後はもの凄く魅力的な動物園に変身しているでしょう。南口は混むので北口からモノレール(片道100円)で登るとレッサーパンダが近くです。なんだか双子の赤ちゃんが生まれたそうで、まもなくお披露目になるとか。ここは山にある動物園なので結構高低差があります。余裕を持って午前中に入園するのがおすすめです。

 ツマグロヒョウモンのオスかなミドリヒョウモンかな。体調が最悪なので帰ります。帰宅しようかなと思いましたが、自立神経失調症にはぬるい温泉に浸かるのがいいので戸倉上山田温泉へ。

 茶臼山の山麓は日本有数のりんごの名産地です。今の時期ですとサンつがるとか。最近は色々な種類のりんごがあってなかなか分かりません。イギリスのことわざに一日一個のりんごで医者いらずというのがあります。昔は父が紅玉とかインドりんごとか作っていました。

 林檎畑の向こうに長野盆地(善光寺平)。昔は各集落が固まっていて間に畑や水田がありどこの集落かが分かったのですが、現在はつながってしまって分からなくなりました。ただ将来は激しい人口減少が起きるので、昔の風景に戻るかもしれませんね。優生主義者のせいでコロナワクチンの接種が進んでいます。その恐ろしい成分も知らずに。テレビや政府を信用する情報弱者が犠牲になります。2030年には日本の人口は半分以下になっているかも知れない。
【🔴重要/永久保存版】COVID(コロナウイルス)ワクチン4種に含まれるグラフェン、アルミニウム、セレン化カドミウム、ステンレス鋼、LNP-GOキャプシド、寄生虫、その他の毒素の存在を科学者チームが確認。ファイザー社、モデルナ社、アストラゼネカ社、ジョンソン・エンド・ジョンソン社


 3日後、買い物と温泉へ行く前にハンミョウのところへ。数が少なくシャッターチャンスがありません。そこへ散歩のご婦人が二人。撮影の話や拙書の話やブログの紹介もして、旗塚への行き方をお教えしました。その後日が差してきてわずかにシャッターチャンスが訪れました。なるべく横から撮りたいとアングルを下げましたが、これが精一杯。脚の付け根は毛深いのですね。マクロなのでここまで寄るのは至難の業でした。拙書の写真もブログも基本的に望遠マクロは使いません。そのため気配を殺してギリギリまで近づきます。それは門外不出の秘技です(笑)。

 吸蜜中のクマバチ(熊蜂)。木に縦に穴を開けて仕切りを作り、花粉団子を入れて卵を産み付けます。翅があまりに小さいため航空力学的に飛べないといわれたこともありますが、レイノルズ数の理論で飛べることが分かりました。流体力学において慣性力と粘性力との比で定義される無次元量のことなんですが、そんなこと言われても分かりません。わかりやすく言うと、クマバチにとって空気はサラサラではなく、人間にとっての水みたいな粘性(抵抗)があって、充分に飛べるということらしいです。

 なんでしょう。ツチバチ科のキオビツチバチかと思ったら額にオレンジの紋があるのでアカスジツチバチですね。コガネムシの幼虫に卵を産み付け、幼虫を食べて育つ寄生蜂です。ほかにアオスジハナバチかルリモンハナバチらしき個体を見かけたのですが、見失ってしまいました。う〜む残念。

 ミドリヒョウモンは相変わらずたくさん舞っていました。

 山を下りて温泉へ向かいます。私がホームフィールドとしている妻女山山系。標高1000m以上はもうキノコの季節ですが、ことしは遭難者が多いですね。気をつけましょう。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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初秋の茶臼山自然植物園。ツマグロヒョウモン、キンケハラナガツチバチ、キムネハラボソツリアブ、ハンミョウ(妻女山里山通信)

2021-09-08 | アウトドア・ネイチャーフォト
 8月上旬の猛暑からからずっと長雨で日照時間も極端に少ないので、信州の里山も例年とは全く様相が違います。やっと晴れた7日火曜日。茶臼山自然植物園へ向かいました。妻女山山系へ行っても何もいないのは前回の山行で分かっていますから。植物園は園芸種含めたくさんの植物が植えられています。期待して向かいました。

 動物園南口の横から向かう道路は、来年3月まで大規模な動物園の改修工事で通行止めです。植物園の上の林道から下りました。まず見つけたのはツマグロヒョウモン(褄黒豹紋)のオス。南方系の蝶ですが、普通に我が家の庭にもやって来ます。

(左)弘化4年(1847)の善光寺地震に端を発したといわれる茶臼山の地滑り。昔、南峰があった場所です。(右)天候不順でしたが栗は豊作なんでしょうか。我が家の栗の木も大きな実をたくさん付けています。

(左)ミドリヒョウモン(緑豹紋)。オスでしょうか。とにかくたくさん舞っていました。(右)ベニシジミ(紅小灰蝶)夏型は色が黒いのが特徴です。

(左)アカハナカミキリ。白い花が好きな様です。(右)セスジハリバエ(ヤドリバエ科)。成虫は花の蜜などを吸い、幼虫はチョウやガの幼虫に寄生します。

(左)ツマグロヒョウモンのオス。(右)尾状突起が欠損していますが、ツバメシジミ(燕小灰蝶)でしょうか。ミヤギノハギで盛んに吸蜜していました。

 ツマグロヒョウモンのオス。オス同士で盛んに縄張り争いをしていました。撮影している横をオニヤンマがたくさん舞っています。しかし、赤トンボみたいに止まらないのです。止まるのは獲物を食べる時だけ。

(左)ツマグロヒョウモンのオス。近くにはたくさんフジバカマも咲いているのですが、そちらには行きません。(右)吸蜜中のジャノメチョウ(蛇目蝶)。たくさん舞っていました。人の気配に敏感です。

 こういうハチに擬態した昆虫というのはたくさんいて同定が難しいのです。ハナアブの仲間だったり、アブの仲間だったり。これも苦労しました。ツチバチの一種で、キンケハラナガツチバチ(金毛腹長土蜂)の様です。ツチバチという様に土の中に巣を作り幼虫はコガネムシの幼虫を食べます。成虫は花粉や蜜を。触覚が長いのでオスでしょう。

 展望台の下から東方の眺め。右奥には菅平高原の上にそびえる四阿山と根子岳。その手前の大きな里山は奇妙山。いずれも拙書で紹介しています。その下の大きな白い建物は、ロイヤルホテル長野。麓は26度ぐらいですが、ここは21度。しかし直射日光は強く暑いです。

(左)ガマズミの赤い実。抗酸化作用が強く、これでルビー色の綺麗なお酒が作れます。(右)キキョウ(桔梗)の花。根っこは生薬として用いられます。「萩の花 尾花 葛花 瞿麦の花 姫部志 また藤袴 朝貌(あさがお)の花」山上憶良。朝貌の花が桔梗のことといわれています。

(左)オミナエシ(女郎花)にナナホシテントウ(七星瓢虫)。アブラムシを食べに来たのでしょう。(右)吸蜜中のイチモンジセセリ(一文字挵)。

 オミナエシで交尾する昆虫。ハバチの仲間の日本に800種以上いるというヒメバチ科と思いましたが、よく見ると翅が2枚しかありません。ということで、これはガガンボ科だろうと思います。ガガンボモドキ科ならヒメバチ科と同様に翅が4枚ですから。とはいえガガンボ科は、学名がついている種類だけでも日本で約700種が記録されており、その数倍の未記載種がいるということだそうです。と思ったら、ある方からアドバイスをいただきまして。ハラボソツリアブではと。調べるとハエ目 ツリアブ科のキムネハラボソツリアブの様です。やはり右の吸蜜中なのがメス。オスはホバリングしながら交尾と大変です。

(左)眼がグレーならヤマトシジミ、黒ならルリシジミですが眼が隠れています。触角の先が黄色なのでルリシジミでしょう。ミヤギノハギで吸蜜中。(右)小さなバッタが足元にやって来ました。ヒナバッタ(雛飛蝗)。腹部が赤いのでオス。後脚と翅を擦り合わせジジジジジジと鳴きます。幼虫はきれいなピンク色をしているそうです。

(左)イロハモミジの種。(右)白い花のアジサイ(紫陽花)。アナベルという種類でしょうか。咲き始めのものはライムグリーンでした。

(左)吸蜜中のモンキチョウ(紋黄蝶)。今年は県の天然記念物のミヤマモンキチョウの撮影に行けませんでした。(右)ツリフネソウ(釣船草)。ムラサキツリフネ(紫釣船)とも呼ばれます。妻女山にはキツリフネ(黄釣船)の群生地があります。

 来る時にとにかく逃げられまくって撮影できなかったハンミョウ(斑猫)。ついに撮影に成功。タマムシやルリボシカミキリと並んで最も美しい甲虫です。成虫は肉食で、昆虫類やミミズなどに噛みつくために鋭い大顎を持っています。夏の終りに羽化した成虫は土の中で越冬し、翌春、交尾産卵します。しかし美しい。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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