モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

妻女山SDPは、赤松の倒木処理の打ち合わせとコナラの伐倒。昼は幻のイガチクうどん(妻女山里山通信)

2014-11-25 | アウトドア・ネイチャーフォト

 今年の夏は異常に台風が多く、長野市では8月前半だけでも最大瞬間風速が10mを超えた日が7日もありました。そのため、妻女山の赤松が突風で何本も折れてしまったのです。その内の一本が、妻女山へ登る舗装路の崖の上に倒れました。発見したのは、8月19日でしたが、生い茂る草木で状況が分からず、とりあえず折れた部分が繋がっているので、当分道路に落ちる心配はないだろうと様子を見ることにしました。

 妻女山里山デザイン・プロジェクトの活動も、今年はこれが最後になりそうです。今年は冬枯れが遅く、なかなか草木が枯れません。思ったよりも崖の様子が見えません。とりあえずこの日は、連休で観光客やハイカーも大勢来るので、作業はせずに、いつどう処理するか皆で相談しました。結論は、降雪期に入るので観光客も来なくなるということで、春の雪解けまで放置することにしました。その後、作業で使用する予定のハーネスをKさんが用意してくれたので、その装着と実際に斜面を下りるシミュレーションをしました。大変危険を伴う作業になるので、事前の準備は非常に大事です。

 その後、昨年急逝した山仲間のKさんのログハウスへ。ちょうどKさんの弟さん親子が来て作業をしていました。一周忌を迎えた彼の慰霊碑に皆でお参りしてから、隣の山林でコナラの伐倒をしました。彼が亡くなってから、もう一年が過ぎたことが信じられません。伐倒したコナラは、来春まで放置して、春に玉切りと、シイタケ菌の種駒を打ち込みます。

 そして、昼餉の準備です。今回はN氏が、自作したロケットストーブを持参。なかなか良く出来ています。非常に燃焼効率がよく、火力が強いのが特徴です。これは、災害時用にひとつ欲しいですね。信州の大北地域で大地震がありました。心よりお見舞い申し上げます。長野市も相当揺れ、被害も出ました。積雪期が迫っているので、政府や県には早急な復旧をお願いしたい。
 料理は、Kさんの奥さんが張り切って作ってくれたという鶏肉のチャーシュー、煮玉子、サラダ、小川村の手作りコンニャクなど。そして私は、ワカサギとニシンのアヒージョを作って行きました。S氏は、幻の小麦、イガチクオレゴンで焼いたパン。K氏はイガチクの手打ちうどん。これを私が持参したムラサキシメジ、長ネギにKさんの奥さんの鶏チャーシューや煮玉子、更にS氏の作ってきた鶏団子を入れて、茹でて水で締めたうどんにかけて頂きました。蕎麦つゆを入れたので、若干甘目になりましたが、ムラサキシメジの出汁が効いた美味しいうどんができました。
 右は、ニシンのアヒージョ。いわゆるニシンのオリーブ油煮です。これをバゲットやイガチクのパンに乗せて食べると馬鹿旨です。今回もリンクのレシピの様に、ジュニパーベリーとジンも使いました。ニシン特有の臭みも消え、非常に上品な白身魚になります。

 ロケットストーブで、今秋採れた直径18センチのお化け椎茸を蒸し焼きにしています。これが好評で、我々が栽培しているホダ木から採れ採れの椎茸をもぎ取ってきて、更に焼きました。正に山のアワビです。
 真ん中は、ムラサキシメジのうどんつゆ。見るからに美味そうです。実際美味しいんです。自然の滋味というのは本当に力があります。そしてイガチクうどん。幻の小麦粉といわれる「伊賀筑後オレゴン」、通称イガチク。信州の善光寺平から上田にいたる間の千曲川の沿岸で、大正時代から戦後まで作られた人気の小麦でした。 わが家でも父が昭和30年代半ばまで作っていました。60俵も収穫していたそうですが、イガチクは小麦の粒がこぼれやすく面積あたりの収量も少なかったので、新品種に取って代わられたということです。うどん通垂涎の、幻の小麦です。
 「伊賀筑後オレゴン種」は、 三重県伊賀上野市の農林省関西試験場が、筑後平野で作っている小麦と、アメリカ西部のオレゴン州の小麦を交配して作った硬質小麦です。日本の小麦は、軟質小麦。アメリカのオレゴン種はグルテンが多い硬質小麦です。この二つを交配して作られたのが伊賀筑後オレゴン種で、準強力粉です。大正時代から作られて、日本で一番美味しいうどん粉といわれていました。戦前東京のうどん屋さんで一番喜ばれたのが、この伊賀筑後オレゴン種でした。

 薬味には、うちの畑で栽培した飯綱青大根を大根おろしにして。中まで綺麗な緑色。元は、江都青長という生食用の中国大根です。今年は、「おしぼりうどん」用に、ねずみ大根、灰原辛味大根、戸隠地大根、飯綱青大根、小田切赤首大根と5種類の辛味大根を作りました。中でもねずみ大根は激辛ですが、甘み旨味もかなりあります。これにおむすびッシュ大根、総太りと木曽赤カブ、聖護院カブも作ったので、この冬は大根&カブ三昧です。
 そこへ、山からお爺さんと、私のサイトも見たというWさん夫妻が下りてきました。これも何かの縁と、アヒージョやキノコうどんを振る舞いました。参加資格は、里山が好きであること。里山を大切にする人であること。これだけです。後から自転車でTさんも到着し、賑やかになりました。この日は、共通の知人がいる猟師の人たちが、猪刈りに山に入っていましたが、獲物は捕れたのでしょうか。今年は熊の被害も多いのですが、猪の被害も凄まじく、我が家のとうもろこしはほぼ全滅でした。
 この日は、正に小春日和、インディアンサマーの穏やかな日で、ノンアルコールビールや私が汲んできた縄文の名水でKさんが入れてくれたコーヒーを飲みながら、よもやま話に花を咲かせたのでした。

 妻女山展望台裏の東屋からの茶臼山と北アルプス。千曲川河川敷の柳がまだあんなに青々としているのが驚きです。早い年は、10月下旬や11月上旬に初雪が舞う善光寺平ですが、天気予報では今後一週間、傘マークはあっても雪マークはありません。今年はカマキリの巣が低いから大雪は無いなというN氏に、科学的根拠は無いみたいよとS氏が突っ込んでいましたが、さてどうなるのでしょう。でも、昨冬の様なドカ雪は勘弁して欲しいです。ただ、太陽の勢いが衰え、地球は戦国時代の様な寒冷期に向かっているということなので(CO2による地球温暖化は、原発マフィアの嘘)、アメリカでは、大寒波で死者も出ています。アメリカの大部分の気温が平均を摂氏8~19度も下回っているとか。通常は北極の付近を循環している大気が南下し、アメリカの東側3分の2を覆っているためだそうです。現在の日本の暖冬もこれとリンクしているのは間違いないでしょう。

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小春日和の妻女山里山歩き。山仲間の一周忌に彼のログハウスへ(妻女山里山通信)

2014-11-16 | アウトドア・ネイチャーフォト
 雨が降ったので仲間と栽培している椎茸を見に行きました。原木椎茸のホダ木の生産地が福島だったため、全国の産地のものが放射能汚染されました。そこで、自分達でここなら安全だろうと思われるコナラを伐採し(もちろん持ち主に許可を得てあります)、種駒を打ったのが二年前でした。今年の春頃から椎茸が出始め、今回も30本ほど採れました。

 肉厚の椎茸があちこちに。一時期、天敵のゴムタケが発生したのですが、その度に丹念に取り除いたため大きな被害には至りませんでした。これらの椎茸は、皆でバーベキューや鍋をやる以外は全て干し椎茸にします。
 森の中で山桜の倒木に平茸を発見。びっしりと出ていましたが老菌が多く、食べられるものはわずかでした。食べられるキノコでも、老菌を食べるとお腹を壊します。
 昨年は、11月13日に初雪が降りました。それでも例年より寒くなるのが遅かったのですが、今年は更に遅く、山にはまだあちこちに緑が残っています。それでもやっと落葉松の黄葉も始まりました。初氷も張りました。

 陣場平のクマノミズキもまだ緑の葉が残っています。私はクマノミズキを森の珊瑚と呼んでいるのですが、真ん中の写真を見ると、それがよく分かると思います。花が咲いているときは緑色なのですが、果実がなる頃に赤色化してきます。花は昆虫たちが盛んに吸蜜に訪れ、果実は野鳥たちが食べに来ます。
 最後は信濃柿(豆柿・琉球豆柿)です。実の直径は2センチほど。柿渋を採るために栽培もされてきましたが、これは野生のものです。私もこれで柿渋を作ってあります。実は、落下すれば狸などの餌になります。しないものは木になったまま干し柿になります。渋柿なんですが、干し柿になると甘くなり美味しいんです。

 松枯れ病対策で伐採され、積み上げられた赤松の丸太の裏に妙なものを見つけました。表面は銀色に輝いています。触ると柔らかくプニョプニョしています。そっと取ると裏はこんなです。破いてみると中はコーヒー色です。粘菌(変形菌)のマンジュウホコリです。破れたものを持ち帰り、翌日見るとチョコレート色に変色し、かなり固くなっていました。毒性はないだろうと、ちょっと舐めてみましたが無味無臭でした。。粘菌は、昆虫の幼虫や小さな甲虫、カタツムリの幼生やキセルガイのエサになるようです。

 鮮やかなヌルデの紅葉。ウルシ科ですが、これでかぶれたという話は聞いたことがありません。真ん中は色づき始めた榎の葉。オオムラサキの幼虫の餌になります。現在、オオムラサキの幼虫は、この樹の下の落ち葉の中にいて越冬します。
 小春日和(Indian Summer)の穏やかな日には、この蛾が明るい林床をたくさん舞っています。晩秋や冬に成虫が発生するシャクガ科の総称をフユシャク(冬尺蛾)といいますが、これはイチモジフユナミシャク(Operophtera rectipostmediana)のオスです。メスは、全く違う姿をしていて飛べません。成虫は口吻がなく羽化してから全く食べ物を食べずに一ヶ月ほど生きるのです。シャクガの幼虫は、尺取り虫で、イギリスではLooper(輪を作るもの)、アメリカではInchworm(インチを測る虫)と呼ばれます。尺取り虫の歩き方は、まさに長さを測るような動きです。

 昨年の今頃急逝した山仲間のKさんのログハウスに立ち寄りました。石碑に花が手向けられていました。早いものでもう一周忌です。彼から最後に電話をもらったのが亡くなる二日前の朝でした。「ムラサキシメジ採れたかや?」という彼の声をはっきりと覚えています。この日、北アルプスは雲の中でしたが、晩秋の青い空が映る千曲川の流れが綺麗でした。彼の愛した風景は、去年と変わりません。

 彼が植えたマユミの実が鈴生りでした。谷へ降りると泉があります。蟹沢と言いますが、私達は子供の頃からガンザワと呼んでいました。ガンザワで変換すると蟹沢という文字も出てくるので、単なる方言というわけでもないようです。彼がよく言っていましたが、この泉は第四次川中島合戦の際に、上杉謙信が陣用水としたという里俗伝があります。昔はサワガニがたくさんいて捕りに来たのですが、いなくなりました。
 長坂峠に戻ると、カマキリの巣を見つけました。地上から30センチぐらいです。信州や新潟では、カマキリが高い所に巣を作る冬は雪が多いという伝承があるのですが、この冬は昨冬の様な豪雪はないということなのでしょうか。これも科学的に説明できるものではないという話もありますが、この写真は覚えておきましょう。

 妻女山展望台の東側が伐採されて、松代城址(海津城址)が見えるようになりました。実はある観光客の方から松代城址が全く見えないんじゃ展望台の意味が無いと苦情を言われ、私が長野市にメールをしたのです。展望台周りのソメイヨシノは剪定するが、東側の雑木林は環境保護林なので切れないと返事が帰って来ました。私は展望台を嵩上げして欲しかったのですが、まあそんな予算もないということで、結局伐採に至った様です。面積も小さいのでダメージはほとんどないでしょう。ちょうど煙が立ち上る向こうの森が松代城址です。上杉謙信が海津城の炊飯の煙を見て、武田信玄の夜襲を察知という、有名な第四次川中島合戦の逸話を思い出させる様な煙ですが、長芋のつるを燃やしているのでしょう。この季節の風物詩です。

 妻女山展望台の北側の風景です。飯縄山がそびえています。千曲川の向こうには、長野パルセイロのホームとなるサッカー場が建設中ですが、かなり形になってきました。まるで欧州の地方都市にある様なコンパクトでいいスタジアムです。新国立競技場のあの醜悪な東京に全くそぐわないデザインのよりも遥かにいいと思います。試合当日には、この展望台まで歓声や応援のチャントが聞こえることでしょう。もうすぐ長野の恵比寿講の花火大会ですが、ここからは遠花火がよく見えます。
◉昨年の記事。「長野えびす講煙火大会 遠花火」。

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必見!◆新農薬ネオニコチノイドが脅かすミツバチ・生態系・人間:JEPA(pdf)ネオニコチノイド系農薬は、松枯れ病だけでなく、水田の除草剤やカメムシの除虫、空き地の除草剤や家庭用殺虫剤に使われていますが、元はベトナム戦争の化学兵器の枯葉剤と同様で(代表的なのがラウンドアップ:グリホサート剤)、脳の発達障害、多動性障害(ADHD)を引き起こす強力な神経毒の『農薬』ではなく、『農毒』です。
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またまた金属探知機を持った怪しい人と遭遇したキノコ狩りの妻女山(妻女山里山通信)

2014-11-09 | アウトドア・ネイチャーフォト
 二年前に「妻女山奥で金属探知機を手にした怪しい外国人と遭遇」という記事を書きましたが、今回キノコ狩りから長坂峠に戻ると、またまた金属探知機らしき物をを持った怪しい男性が。もちろん前回の彼とは違います。前回の彼は、その後友人となって我々のBBQパーティーに何度も参加してくれています。時には作業の手伝いも。現在は事情があってフランスに帰っていますが・・。妻女山は、トレジャーハンターのメッカなんでしょうか。もちろん、今回も怪しい人は、本当にいい人でした(笑)。

 その前に、キノコ狩りの話を。昨年は11月の中旬にならないとムラサキシメジが出ませんでしたが、例年なら10月下旬か、遅くとも11月に入れば出るキノコです。腐生菌で厚く霧に巻かれるか、雨が降らないと出ないキノコです。その代わり雨が降るとあっという間に菌糸が成長しすぐに大きくなって、一週間もしない内に老菌になってしまいます。真ん中の写真の様に、ムラサキシメジは菌輪になって出ます。これはかなり枯葉を取り除いた状態で、実際は下の写真のようにほとんど見えません。見つけるにはシロを知っていることが第一条件ですが、所謂「キノコ眼」が必要なんです。

 普通は左上の写真の様な状態です。なんとなく3つ、4つキノコらしきものが見えると思いますが、実際にこの写真の中には10本以上のムラサキシメジが隠れているのです。以前にも書きましたが、フランスではピエブルー(pieds bleus:青い足)と呼ばれる高級食材です。旨味成分が多く、ホンシメジに匹敵する本当にいい出汁が出ます。生食すると中毒すると書いてありますが、基本的にキノコは生食は厳禁です。人間の消化酵素は、キノコの成分を分解できないものが多いのです。栽培マッシュルームをサラダに入れるのは、例外中の例外です。ただ、そのためにお通じはよくなりますけれどね。紫は歌舞伎などで病の役が紫の鉢巻を巻きますが、ムラサキシメジの藤紫という色は高貴な色でもあり、若紫と呼ばれ、古くは平安時代から現代まで好まれてきました。日本人好みの高貴な色で、私は「秋の森の貴婦人」と呼んでいるのですが、彼女はよくお腹に小さなウジ虫を飼っているのです。塩水に浸けると出てきます。食べても全く問題はありませんが。絶世の美人にはお気をつけめされよ、ということでしょうか。色白は七難隠すともいいますね。だからといって色黒がいいということでもないでしょうに。失礼、話が脱線しました・・。

「恋しけば 形見にせむと 我がやどに 植ゑし藤波 今咲きにけり」山辺赤人『万葉集』
「おもかげは 身をも離れず 山桜 心の限り とめて来しかど」(光源氏)紫式部『源氏物語』
「山桜の花のようなあなたの面影が私から離れないので、心のすべてをそちらに残してきたのですが・・・」幼い若紫を見染めさらってきてしまう・・。


 一番右のキノコは、シロノハイイロシメジといって毒キノコ。ムラサキシメジは、乾燥すると色抜けして白っぽくなるので、同時期に出るこのキノコと間違えないようにしないといけません。よく隣り合わせで生えています。山渓のきのこ図鑑では、アメリカでは食用とされるが、暖かい部屋に持ち込むとスカンクのような変な匂いがすると書いてあります。実際煮たり焼いたりするともの凄く臭いです。これを平気で美味しいと食べる人を二人ほど知っていますが、共通するのは二人共鼻が馬鹿だということです。シメジなので味はいいというので、私も一時期、塩漬けにしたり色々試してみましたが無理でした。

 とっておきのシロで、ムラサキシメジを採ってから長坂峠に戻ると彼がいたわけです。日米の混血の彼は、祖父の郷里が松代と言いましたかね。山が好きで金属探知機を持って、あちこちの山を登っているそうです。斎場山(写真左と中)を探して迷っていたようなので、案内することにしました。歴史も好きで、イギリス人の書いた川中島合戦の本を読んだそうです。どんな内容でしょう。出典はなんでしょう。気になります。『甲越信戦録』なら、ほとんど江戸後期の作り話になりますが。そこで、斎場山の上で(写真右)、ここに上杉謙信が最初に本陣を置いたという「伝説」を話しました。そして、ここが古墳で古代科野国の遺跡のひとつであることも。次に、武田信玄が海津城に全軍を入れた後で、上杉謙信が陣小屋を七棟建てたと言われる陣場平の話をし、そこへ案内しました。

 左が、上杉謙信が本陣とした陣場平で、斎場山からは長坂峠を通って5,6分で行けます。中は、長坂峠から陣場平への林道。陣場平はこの林道に面していないため、なかなか一般の人の目に触れることがありません。案内標識もないですし。そこへ彼を案内して登って行くと、突然前方から「シュッ!」と激しい威嚇音がしました。見ると木立の向こうにニホンカモシカが。すぐ逃げましたが、待てよと言うと立ち止まってこちらを見ています。話しかけながら近づきます。彼はそっとアクションカムのスイッチを入れました。しばらくして、また「シュッ!」と威嚇音を出して向こう側に駆け下りていきました。ニホンカモシカに出会えて、彼もラッキーでしたね。しかも、金属探知機で何か見つけましたかと聞くと、ポケットから「これなんでしょう?と言って小さな物を出しました。「これが話していた戊辰戦争の弾丸ですよ!」と。うちの山は松代藩の射撃練習場の一部だったらしいこと。更に戊辰戦争で使われた銃は、アメリカの南北戦争で使われた銃の払い下げ品が多く使われたということも。この話には彼も驚いていました。明治維新と私達は歴史で学びましたが、その本質は世界を牛耳るエスタブリッシュメントの策謀以外の何物でもなかったわけです。それが、日本の軍国主義化から太平洋戦争突入、オイルショック、バブル崩壊、福一大事故まで連綿と続いているわけです。もちろん、こんなことは大学でも、マスコミも絶対に教えてくれませんが。興味のある方は、田布施システムで検索を。
 その後、仲間とオオムラサキの保護活動をしていることや、色んな説明をして、彼が金属探知機で探すシーンを撮影させてもらって私は山を下りました。午後から雨になるということなので、森の古墳館と長野県立歴史館の紹介をしました。迷わず行けたでしょうか。今度は山でビールをおごりますよという彼の約束もいつか実現するといいなと思います。私の山仲間は、旧知の者を除いては、ネットで知って会いたいとメールが来たり、こんな風に山の中で出会ったとかで増えていくのです。面白そうな人には必ず声をかけます。直感が働くのです。

 その前に、朝方は昨年急逝した山仲間のKさんのログハウスにも立ち寄りました。未だ受け入れられない自分がいるのですが、もうすぐ彼の一周忌です。古墳の前に立つ杉にからんだナツヅタが綺麗に紅葉していました。帰りに妻女山松代招魂社に立ち寄ると、霧雨が降りだしたのですが、歴史好きの観光客が何組か訪れていました。中には、私のブログ記事「妻女山」「妻女山 行き方」「妻女山 地図」「斎場山」「さいじょざん」「さいじょうざん」や、妻女山の歴史研究のページ「妻女山の位置と名称について」を読んで来られた方もいるのではないでしょうか。私のサイトをプリントアウトして来た方にも3組ほど出会ったことがあります。人生は、人であれ物事であれ知識であれ、ある意味出会いこそが全てだと思います。偶然の出会いをどう大事にするかどうかで、人生の豊かさや広がりが変わってくると思うのです。ただ拘泥する必要はないと思います。来るものは拒まず、去るものは追わずでいいのではないでしょうか。

 更に下って、「上杉謙信槍尻之泉」へ。これも私の以前の記事「上杉謙信槍尻之泉の新事実発見!」を読んでいただくと分かるのですが、江戸時代に作られた物語のひとつです。麓の会津比売神社には、「謙信鞍掛の松」なるものもあるのですが、戦国時代は山上にあったが(斎場山西の御陵願平ではないかと私は考えています)、謙信が庇護していたため、信玄により焼かれてしまい、戦後山陰にひそりと再建されたと里俗伝にあります。そうなると「謙信鞍掛の松」は山上にないといけないはずなんですが。まあ、泉同様、後世に作られた物語ですね。
 林下の紅葉はヌルデの幼木。ワラビも色づいてきました(写真中)。帰りには千曲川の堤防をめぐって妻女山と斎場山を撮影。雨が降り始めました。これでまたムラサキシメジが出るでしょう。今回は、シロを一部剥ぎ取って別の場所へ移植しました。ムラサキシメジとハナイグチは、条件さえ整っていれば、割りと簡単にシロを移植して作ることができます。8日の朝、初氷が張りました。これから一段と寒さが増すでしょう。中旬過ぎには初雪も舞うかもしれません。信州は、長い冬に入ります。昨冬の様な豪雪がないといいのですが・・。

 赤坂橋と岩野橋の間の堤防上から見た妻女山と斎場山。文字が小さいので読めないと思いますが、オリジナルの大きなサイズのものはこちらをご覧ください
 妻女山や斎場山、陣場平への生き方は、私のこちらのブログ記事をご覧ください
◉「川中島合戦と山名についての考察。斎場山と妻女山まとめ。」

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★茶臼山や妻女山山系の自然については、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、森の動物、特殊な技法で作るパノラマ写真など。蝶の写真はこちらにたくさんあります。

★ネイチャーフォトのスライドショーは、【Youtube-saijouzan】をご覧ください。粘菌やオオムラサキ、ニホンカモシカのスライドショー、トレッキングのスライドショーがご覧頂けます。
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金太郎伝説の錦秋の大姥山、山菜づくしの大林山、杏源郷の森の杏2014アップ!(妻女山里山通信)

2014-11-05 | アウトドア・ネイチャーフォト
 あいにくの天気だった三連休を利用して、スライドショーを3本作りました。BGMは、ガレージバンドで作ったオリジナル曲。最初の金太郎伝説の大姥山は、旧八坂村と信州新町の境にある標高1003mの里山ですが、鎖場が18本も続くという険しい山。標高が上がるに連れて色づく紅葉が見どころです。そして、金太郎の母、大姥と金太郎が住んでいたという大穴も見逃せない場所。立派な廃屋もあり、かつては都会などよりずっと豊かだった暮らしが想像できます。ヒカゲツツジの京ヶ倉が、有名になり首都圏からも登山客が訪れるようになりましたが、この大姥山もそれに勝るとも劣らない魅力を備えています。

2014年[MORI MORI KIDS Nature Slideshow]2014.2014.10.19


◉詳しい情報は、こちらのトレッキング・フォトレポートを御覧ください。廃道になっている遊歩道を使うとループコースが組めますが、自己責任でお願いします。コンパスと地形図は必須です。あればGPSも。もちろん熊鈴も。

 次は、2014年のゴールデンウィークに登った大林山。上田市、筑北村、千曲市、坂城町に跨る大きな山体と山頂からのほぼ360度の大展望が魅力の里山です。地味な山なんですが、ネットで調べたのか、県外からの登山者も増えているようです。何と言っても北アルプスのスカイラインが見事です。山菜天ぷらを堪能しました。

2014年5月4日の大林山トレッキング


◉詳しい情報は、こちらのトレッキング・フォトレポートを御覧ください。こちらもバリエーションルートは、自己責任でお願いします。こちらもコンパスと地形図は必須です。あればGPSも。

 信州の春は、梅、杏、桜、山桜、桃、林檎と一気に咲き乱れて過ぎて行きます。信州の春は短いのですが、その咲き乱れる様は、正に桃源郷。杏の里の由来は、色々あるようです。千曲市の「杏都(きょうと)」から引用させて頂きました。おそらく、戦国時代にはもう入っていた様です。それを松代藩が普及させたということなのでしょう。また、この地は古代科野国の創世の場所であることも記さないといけません。訪れたら、必ず森将軍塚古墳と古墳館には必ず立ち寄っていただきたい。杏の花の花期は短く、毎年異なります。千曲市のサイトで開花状況を確認して、訪れるのがおすすめです。また、収穫期も見逃せません。
               ◆
 あんずの里の由来については、松代藩主真田幸道侯の夫人が故郷の伊予宇和島から苗木を取り寄せて植えたとする説が有名ですが、『杏花の里―信州・森のあんず―』(銀河書房、昭和59年刊)では次のように記述しています。
「杏は古来より植えられていたので、森・倉科のみならず、広く川中島一帯に、早くから半自生的にあったものと考えられる。そのため、あんず伝来についても、次のような諸説があるのは当然といえよう(久保有得「杏の里のあゆみ」『ちょうま』第3号、明治以降についても前掲書による)。
(1)天文年間(西暦1532~1554年)
石川某により渡来せしといい伝えられた。「からもも」といい中国から輸入された。
(2)弘治二年(西暦1556年)
武田晴信に滅ぼされた窪寺平治右衛門が、安茂里の久保寺山中に居城を築造したとき植えたのが始まり。
(3)永禄五年(西暦1558年)
武田氏に滅ぼされた小柴見宮内が同村(安茂里)小柴見字裏沖に植えつけ、さらに息子の朝日右近が平柴の居城に植えつけたのが始まり。
(4)慶長三年(西暦1598年)
松代城主松平忠輝が越後高田を合わせて領主した時代、松代城代花井主水が川中島平の治水、裾花川の改修にあたり、この一帯に植えつけ、森に次ぐとして、亜森―安茂里と命名したのが始まり。
(5)天和年間(西暦1681~1683年)
松代藩主第三代真田幸道夫人、伊予宇和島より輿入れる際、故郷の春を永く忘れじとして国許より杏の苗木を取り寄せ植えつけたのが始まり。
これらの諸説について検討することは、史料の制約からできないが、現在みるような杏は、多分戦国時代の終りごろから、江戸時代前期にかけて伝来されてきたものであろう。これが、松代藩における杏栽培の契機になっていったものと考えられる。

               ◆


◉1920×1080のハイビジョンなので、パソコンのスペックに余裕のある方は、ぜひHDフルスクリーンで御覧ください。
◉詳しい情報は、こちらのトレッキング・フォトレポートを御覧ください。これは2009年のルポです。
◉【信州の里山】森のあんずのスライドショーは、2012年、2011年、2010年、2009年もあります。合わせて御覧ください。毎年、その表情が少しずつ違うのです。
「花の色は うつりにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせしまに」(長雨に桜花の色は移ろい、私自身もつまらない物思いにふけっているうちに盛りの時を過ごしてしまった):小野小町  杏の花は桜よりも儚いのです。

★古代科野国古墳巡りルポ
08/08/10 森将軍塚古墳・大室古墳群ルポ
08/12/13 堂平大塚古墳・斎場山古墳・土口将軍塚古墳ルポ
09/04/09 森の春のあんず祭(古墳遠望)

 
 そして、夏に息子達と登った蓼科山のトレッキング・フォトルポをアップしました。苔と岩だらけの山登りを御覧ください(笑)。蓼科神社里宮と立川流の木彫がある南嶽山光徳寺も。

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