普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

問題だらけの裁判員制度スタート

2009-05-21 15:07:43 | 政策、社会情勢

 いよいよ裁判員制度が今日からスタートすることになりました。
 然し、これには未だ多くの問題が残っている様で、その一つとして、読売新聞がその社説の裁判員制度 参加意識が低いまま始動した
で、概略次のように書いています。
 「やってみなくては分からない」。そんな声を多くの司法関係者から聞く中での裁判員制度のスタートとなった。
 きょう以降に起訴された殺人など重大事件の公判では、6人の裁判員が、3人の裁判官とともに判決を決めることになる。
 日本の裁判所は「国民との距離が遠い」などと言われてきた。それを考えれば、一般の人が法壇に座り、被告を裁く新制度は、極めて大きな転換点である。
 読売新聞の4月の世論調査では、制度導入で刑事裁判が「良くなる」「どちらかといえば良くなる」と思う人は48%だった。この割合は調査ごとに減っている。
 一定の期待はあるものの、制度が知れ渡るにつれ、疑問視する人も増えているようだ。
 国民の参加意識も低いままである。「参加したくない」という人は79%に達している。「自信がない」「人を裁くことに抵抗を感じる」といった理由が多い。
 有罪か無罪か、死刑か無期懲役か――。こうした難しい判断に直面すれば、プロの裁判官でさえ苦悩する。刑事裁判にかかわったことのない人が、被告を裁くことに尻込みするのは当然といえる。
 裁判員には守秘義務が課せられる。判決を決める評議の内容を口外すると罰せられる。確かに、だれが死刑を主張したかといったことが漏れれば、自由な議論ができなくなるだろう。
 しかし、裁判員を務めた感想を言うことは認められている。裁判官の対応は適切だったか。改善すべき問題点はないか。裁判員に選ばれた人は、自ら体験して感じたことを、ぜひ会見などで率直に語ってもらいたい。
 裁判員の生の声は、不安を抱える人たちにとって、大いに参考になるはずだ。裁判所は、裁判員が情報発信することに、積極的に協力すべきである。
 裁判員がかかわった公判の検証も欠かせない。法務省や最高裁は量刑の傾向などを分析し、その結果を開示していく必要がある。
 改善点が浮かび上がれば、制度を柔軟に見直していくことが肝要だ。新制度が公正・公平な刑事裁判の障害となってはならない。

[裁判員制度の不思議]
・裁判への市民参加は良いとしても、何故、市民の常識を活かせる、然も国の政策を揺るがすような、そして問題判決の多い、原発反対、諫早湾締め切り、薬害、公害訴訟のような民事裁判ではないのか?
・何故、対象が死刑又は無期の懲役に当たる罪に関する事件なのか
 この説明には国民の関心を引くような大事件を選んだとされているが、何故同じ関心をひくような上記の民事裁判では何故いけないのか?
・何故、専門的な知識のない素人の裁判員が量刑、然も無期懲役か死刑かという重い決断をくださねばならぬのか?
 米国流の有罪・無罪の判決だけで済む、陪審員制度ではいけないのか?
・裁判員の秘密厳守の理由は判るが、何故、それに伴う心理的負担を墓場まで持ち続けるほどの負担を何一般の故素人が負わねばならのか?
・何故、天下の大新聞の読売ですら、今頃になってその社説で裁判員制度に疑問を呈するのか?

[私の意見]
 私はこの疑問の多い裁判員制度が実施日になっても問題を残しているのは、
・この制度の提案者の公明党とそれを支持した弁護士会の有力者の不純な理由があるとしか考えられないこと
・この問題だらけ裁判員制度が他の大きな案件のために、碌に真剣な審議もなされないまま、そしてその経過も一番の当事者である国民の知らされないまま、どさくさの間に決まってしまった
ことにあると思います。

<提案者の本音?>

  提案者の公明党や弁護士会の有力者は死刑制度反対の立場だが(これは事実です)、当時の世論調査では国民の70~80%は死刑制度を支持していたので、死刑制度廃止の法案は出しても、とても通りそうになかった。
 今日の読売の解説によれば、当時は裁判員制度など余り問題にならなかったが、経済界が民事裁判への市民参加を提唱しているだけだった。
 その動きに公明党が乗って、重大な刑事事件への市民参加を提唱し、小泉自民党がそれに乗った。 (これまでは事実です)
  提案者の本音は、素人の裁判員に、その人の一生の重荷を負わせるような死刑判決を躊躇させることで、実質的に死刑判決の減少と言う実質的な効果を狙ったと思います
。(これは私の勘繰りですが、これしか上記の数々の疑問の説明にならないのでほぼ間違いないと思っています。)

<裁判員制度が提出されたときの国と国会の状況>
 このような問題ダラケの法案が碌に審議もされず、マスコミも碌に報道せず、 (私のように)一般国民も当然知らないままあれらあれよと言う間に法案が通過しました。
  その理由は当時の国や国会の審議の状況を見れば判ります。
  2003年(平成15年):イラク戦争勃発。自衛隊イラク派遣が始まる。
  2004年(平成16年):イラク日本人人質事件。年金未納問題。新潟県中越地震。
                   同年5月 裁判員制度成立
 この様な時期だから、国民やマスコミの関心は他の方に向いていたのでしょう。
 こう言う機会を捉えて公明党が提案したなどの謀略とまでは考えたくありませんが、不幸な偶然で、国民生活に重大な影響を与える法案が成立したのでしょう。

 私は裁判へ市民参加するならその対象を民事裁判に切り換えるべき刑事裁判なら米国なみの有罪・無罪の判決に限るべきと思いますが、今後どう言う展開になるのでしょうか。
  読売は「裁判員の意見も参考にして、悪いところは直すべきだ」と書いて居ますが、守秘義務と違反すれば罰金と言う制限でどれだけの意見が聞けるか、またそれがどれだけ実際に取り上げられるかは判りません。
 そして政界に隠然とした力を持つ公明党がどう動くかも判りません。
 心配性の私からみれば、あまり大きな方針転換や改善は見られないような気がしていますが、どうなって行くのでしょう。

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参照:裁判員制度 - Wikipedia 
        
裁判員制度の導入 
        
裁判員制度と後期高齢者医療制度 
        
裁判員制度反対 
        
毒カレー事件と裁判員制度