雨がしとしとと降っている。残念ながら遊水公園の雉探しの散歩は中止だ。
6月23日は沖縄の全戦没者を悼む「慰霊の日」だ。太平洋戦争末期の熾烈な地上戦で、多くの犠牲者を出した沖縄の方々の悲しみ、痛み、苦しみ、それに加え米軍人の起こす犯罪に対する怒りを少しでも分かち合えることができればと、沖縄の方々の黙祷に合わせ、わが家のテレビの前で静かに黙とうし、平和を願った。
沖縄県糸満市摩文仁の平和祈念公園で開かれた「沖縄全戦没者追悼式」の平和宣言で、翁長沖縄県知事は「史上稀(まれ)に見る熾烈(しれつ)な地上戦で20万人あまりの尊い命が犠牲となり、家族や友人など愛する人々を失った悲しみを私たちは永遠に忘れることはできない。それは私たち沖縄県民が、その目や耳、肌に戦のもたらす悲惨さを鮮明に記憶しているからであり、戦争の犠牲になられた方々の安らかであることを心から願い、恒久平和を切望している。」と述べられた。
昨年「慰霊の日」には、石垣市の小学3年生増田研琉君が「空はつながっている」の詩を読み上げた。
《ねこがわらう。おなかがいっぱい。やぎがのんびりあるいてる。けんかしてもすぐなかなおり。ちょうめいそうがたくさんはえ、よなぐにうまが、ヒヒーンとなく。》
《やさしいこころがにじになる。へいわっていいね。へいわってうれしいね。みんなのこころから、へいわがうまれるんだね。》
《ああ、ぼくは、へいわなときにうまれてよかったよ。このへいわが、ずっとつづいてほしい。みんなのえがおが、ずっとつづいてほしい。》
この詩が絵本になった。「平和のために戦いに行くなんて、そんなことから平和は生まれへんねん。優しい心からじゃなきゃ。それを安里君が教えてくれている」と。編者は増田くんにいった。
今年の式典では、沖縄県立与勝(よかつ)高校(うるま市)3年の知念捷(ちねん・まさる)さん(17)が、自作の平和の詩「みるく世がやゆら」を朗読した。
平和を願った 古(いにしえ)の琉球人が詠んだ琉歌(りゅうか)が 私へ訴える
「戦世(いくさゆ)や済(し)まち みるく世ややがて 嘆(なじ)くなよ臣下(しんか) 命(ぬち)ど宝」
七〇年前のあの日と同じように
今年もまたせみの鳴き声が梅雨の終りを告げる
七〇年目の慰霊の日
大地の恵みを受け 大きく育ったクワディーサーの木々の間を
夏至南風(かーちーべー)の 湿った潮風が吹き抜ける
せみの声は微かに 風の中へと消えてゆく
クワディーサーの木々に触れ せみの声に耳を澄ます
みるく世がやゆら
「今は平和でしょうか」と 私は風に問う
花を愛し 踊りを愛し 私を孫のように愛してくれた 祖父の姉
戦後七〇年 再婚をせず戦争未亡人として生き抜いた 祖父の姉
九十才を超え 彼女の体は折れ曲がり ベッドへと横臥する
一九四五年 沖縄戦 彼女は愛する夫を失った
一人 妻と乳飲み子を残し 二十二才の若い死
南部の戦跡へと 礎(いしじ)へと
夫の足跡を 夫のぬくもりを 求め探しまわった
彼女のもとには 戦死を報せる紙一枚
亀甲墓に納められた骨壺には 彼女が拾った小さな石
戦後七〇年を前にして 彼女は認知症を患った
愛する夫のことを 若い夫婦の幸せを奪った あの戦争を
すべての記憶が 漆黒の闇へと消えゆくのを前にして 彼女は歌う
愛する夫と戦争の記憶を呼び止めるかのように
あなたが笑ってお戻りになられることをお待ちしていますと
平和を望まない人はいない。戦争への道だけは歩んで欲しくない。2人の詩を大声で読み上げてみたい。