毎日が日曜日・でも多忙です!

おかげさまで、毎日を元気に楽しく過ごしています。普段の出来事、思いつくことなどフリーの立場で記録したいと思います。

梅雨前線停滞、各地で被害

2015-06-25 12:54:48 | 日記

 九州南部では梅雨前戦の停滞に伴い発達した雨雲が流れ込み、猛烈な雨が降った。鹿児島県内では、今月の降水量が1000㍉を超えたところもあり、その量は平年の降水量の3倍に達した地域もあるという。

 鹿児島県三島村の竹島では1時間に86㍉、種子島の西之表島では1時間に90㍉の猛烈な雨が観測されたそうだ。川の浸水や土砂崩れ、家屋の浸水などの被害が各地で起きている。24日、鹿児島県の垂水市では土石流が発生し国道がふさがれる被害がでた。

 明日はは九州南部で断続的に雨が降るほか、梅雨前線は北上し、九州北部から中国地方でも非情に激しい雨が降る恐れがある。と予報が出ている。

 26日は、昭和28年6月26日に400人を超える多数の犠牲者を出した熊本白川大水害の日。豪雨と阿蘇の土石流で熊本市内のほぼ全域が水に浸かった。

 その時経験した、白川大水害を思いし各地の大雨の被害を聞くたびに、我がままとは思うが「梅雨の大雨早くされ、何処かへ行け、熊本は避けてくれ」といいたくもなる。天災地変とはいえ地震や洪水、火山の噴火など、思うだけも怖くてしようがない。

 夏の暑さがとても恋しくなってきた。

 

 


2連覇目指す“なでしこジャパン”がんばれ、がんばれ!

2015-06-24 20:17:59 | 日記

サッカー女子ワールドカップ(W杯)カナダ大会で日本(なでしこジャパン)は、決勝トーナメント1回戦でオランダ(FIFAランキング12位)と対戦し2−1でオランダを破り、8強進出を決めた。

日本は1−0で迎えた後半33分、宮間がペナルティエリア内左からマイナスのパス。岩渕がスルーしてフリーで受けた阪口がダイレクトでゴール左に決めて追加点を奪った。

前半10分には、大野のパスを左サイドで受けた宮間が中央にクロスを入れ、フリーだった大儀見が頭で合わせたがクロスバーに阻まれた。オーバーラップしてきた右サイドバックの有吉がこぼれ球を右足でゴール左隅に決めて先制していた。

しかし、終了間際のロスタイムにファンデフェンのヘディングシュートを海堀がファンブルしオランダに1点を返された。オランダの最後の猛攻に、いつもの通り試合終了の笛が待ち遠しい。でも、勝ってよかった。うれしかった。感激を有り難う。

27日(同28日)にはいよいよベスト4を目指して準々決勝でオーストラリアと対戦する。フレーフレーなでしこジャパン。テレビの前で声をからして応援します。


「みるく世がやゆら」(沖縄慰霊の日)

2015-06-23 17:37:01 | 日記

 雨がしとしとと降っている。残念ながら遊水公園の雉探しの散歩は中止だ。

 6月23日は沖縄の全戦没者を悼む「慰霊の日」だ。太平洋戦争末期の熾烈な地上戦で、多くの犠牲者を出した沖縄の方々の悲しみ、痛み、苦しみ、それに加え米軍人の起こす犯罪に対する怒りを少しでも分かち合えることができればと、沖縄の方々の黙祷に合わせ、わが家のテレビの前で静かに黙とうし、平和を願った。

 沖縄県糸満市摩文仁の平和祈念公園で開かれた「沖縄全戦没者追悼式」の平和宣言で、翁長沖縄県知事は「史上稀(まれ)に見る熾烈(しれつ)な地上戦で20万人あまりの尊い命が犠牲となり、家族や友人など愛する人々を失った悲しみを私たちは永遠に忘れることはできない。それは私たち沖縄県民が、その目や耳、肌に戦のもたらす悲惨さを鮮明に記憶しているからであり、戦争の犠牲になられた方々の安らかであることを心から願い、恒久平和を切望している。」と述べられた。

 昨年「慰霊の日」には、石垣市の小学3年生増田研琉君が「空はつながっている」の詩を読み上げた。

 《ねこがわらう。おなかがいっぱい。やぎがのんびりあるいてる。けんかしてもすぐなかなおり。ちょうめいそうがたくさんはえ、よなぐにうまが、ヒヒーンとなく。》

《やさしいこころがにじになる。へいわっていいね。へいわってうれしいね。みんなのこころから、へいわがうまれるんだね。》

《ああ、ぼくは、へいわなときにうまれてよかったよ。このへいわが、ずっとつづいてほしい。みんなのえがおが、ずっとつづいてほしい。》

  この詩が絵本になった。「平和のために戦いに行くなんて、そんなことから平和は生まれへんねん。優しい心からじゃなきゃ。それを安里君が教えてくれている」と。編者は増田くんにいった。

 今年の式典では、沖縄県立与勝(よかつ)高校(うるま市)3年の知念捷(ちねん・まさる)さん(17)が、自作の平和の詩「みるく世がやゆら」を朗読した。

 平和を願った 古(いにしえ)の琉球人が詠んだ琉歌(りゅうか)が 私へ訴える

「戦世(いくさゆ)や済(し)まち みるく世ややがて 嘆(なじ)くなよ臣下(しんか) 命(ぬち)ど宝」

七〇年前のあの日と同じように

今年もまたせみの鳴き声が梅雨の終りを告げる

七〇年目の慰霊の日

大地の恵みを受け 大きく育ったクワディーサーの木々の間を

夏至南風(かーちーべー)の 湿った潮風が吹き抜ける

せみの声は微かに 風の中へと消えてゆく

クワディーサーの木々に触れ せみの声に耳を澄ます

みるく世がやゆら

「今は平和でしょうか」と 私は風に問う

花を愛し 踊りを愛し 私を孫のように愛してくれた 祖父の姉

戦後七〇年 再婚をせず戦争未亡人として生き抜いた 祖父の姉

九十才を超え 彼女の体は折れ曲がり ベッドへと横臥する

一九四五年 沖縄戦 彼女は愛する夫を失った

一人 妻と乳飲み子を残し 二十二才の若い死

南部の戦跡へと 礎(いしじ)へと

夫の足跡を 夫のぬくもりを 求め探しまわった

彼女のもとには 戦死を報せる紙一枚

亀甲墓に納められた骨壺には 彼女が拾った小さな石

戦後七〇年を前にして 彼女は認知症を患った

愛する夫のことを 若い夫婦の幸せを奪った あの戦争を

すべての記憶が 漆黒の闇へと消えゆくのを前にして 彼女は歌う

愛する夫と戦争の記憶を呼び止めるかのように

あなたが笑ってお戻りになられることをお待ちしていますと

 平和を望まない人はいない。戦争への道だけは歩んで欲しくない。2人の詩を大声で読み上げてみたい。

 


住宅地に囲まれた公園に雉がいた

2015-06-22 19:37:10 | 日記

うっとうしい梅雨の晴れ間を縫って“うちの奥さま”と一緒に朝の散歩。遊水公園の坪井川沿いを歩いた。その川岸にきれいな雄の雉がいた。数羽のハトと並んで朝の食事だろうか。少し近づいたがお構いなし。

      (昨年の写真です) 

遊水公園は周囲を住宅地に囲まれていて、そのすぐそばを国道3号線が走っている。騒々しいと言っては限りがない。そんなところに雉がいる。不思議でならない。昨年ブログに書いているが朝の散歩で、雉と出会うのは初めてのこと。散歩にはいつもカメラを持っているが、今朝に限ってカメラがない。雉の姿をカメラに収められず、こんな残念なことはない。反省しきり。もしかして明日はまた雉に出会えるかもしれない。同じ時間に、同じ場所を明日も訪れることにしょうと、奥さまと顔を見合わせた。

思わぬ出会いに雉についての興味が涌いた。そこで図鑑を開いてみた。

雉は山地から平地の林、農耕地、河川敷などの明るい草地に生息していて地上を歩き、主に草の種、芽、葉などの植物性のものを食べるが、昆虫やクモなども食べる。

繁殖期のオスは「ケーン」と大声で鳴き縄張りを宣言する。その後、両翼を広げて胴体に打ちつけてブルブル羽音を立てる動作が、「母衣打ち(ホロウチ)」と呼ばれる。メスは「チョッチョチョ」と鳴く。子育てはメスだけが行う。地面を浅く掘って枯れ草を敷いた巣をつくる。オスが縄張りを持ち、メスは複数のオスの縄張りに出入りするので乱婚の可能性が高い。非繁殖期には雌雄別々に行動する。夜間は樹の上で寝る。それぞれの縄張りは約3㌔ほど、警戒心は非常に強い。

なるほど遊水公園の河川敷は雉の生息地でもあるのだ。公園の周囲を1周すると約5.5㌔、縄張り1つがやっとの広さだが、ここには何羽の雉がいるのだろうか。

明日の散歩がとても楽しみ。“あした天気にナァーレ”

 


「父の日電報」はまだ健在

2015-06-21 09:30:42 | 日記

6月第3週の日曜日は父の日。「娘夫婦から宅急便」が届いた。娘家族からの贈り物、いくつになっても嬉しいものだ

父の日に感謝をこめて・・・・・普段は恥ずかしくて言えない「いつもありがとう」、「いつまでも健康でいてね」、「いつも家族のために頑張ってくれてありがとう」。

これは父の日に見た「父の日電報」の広告とコマーシャル。

FATHER'S DAY 電報で届ける「ありがとう」のキモチ 父の日に、感謝を込めて……普段恥ずかしくて言えない「いつもありがとう」「いつまでも健康でいてね」「いつも家族のために頑張ってくれて、ありがとう」

振り返るとサラリーマン生活50年。最初の就職先は電報の通信士。

来る日も来る日もトンツー・トンツーと西部劇などによく出てくる電鍵を叩き、青春の日々を過ごしたものだ。

その後、年賀電報や慶弔電報、祝い電報などが次々と発売され、仕事の合間を見ては、友達や、親戚のつてを頼ってまったく苦手なその販売に苦労したものだ。もちろん「父の日の電報」にはずいぶんと苦い思い出が残っている。

インターネット時代の到来とともに通信手段も様変わりした。通信手段として花型だった電報も、「電報」と言う言葉さえ死語となりつつある。今朝の広告で「父の日」の電報が今も販売されていることを知った。感慨深いものがある。

思わぬ娘夫婦の「贈り物」と「父の日電報」の広告が、遠い昔となった青春時代を懐かしく、走馬灯のごとく思い出させてくれた嬉しい父の日だった。