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山田洋二監督の「キネマの神様」故郷・豊中で先行上映会

2021年07月09日 | キネマの神様、2021年公開

6日の豊中の試写会が、朝日新聞の夕刊に載りました。さすがにちゃんとした大新聞、「キネマの神様」についてや、監督の思いが書いてあります。上沼さんの関係ない話は有りません。

 

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BALLAD、TVCM

2021年07月08日 | TV・ラジオ・CM・映画

J友さんが、早朝に放送されている、ジュリーの「BALLAD」のライブのCMを録画してくれました(^^♪ 有難うござます。「キネマ」のろくでなしゴーちゃんとは、大違い!!

カッコイイ~!「


プチプチ・ジュリー2連発

月曜日の「鶴瓶の家族に乾杯」、茨城特集。インタビューした農家の奥さん、昔はスクールメイツにいたそうで、沢田研二さんや郷ひろみさんの後ろで踊っていた。昔は可愛かったが、今は太ってしまって・・と話していました。

こちらはJ友さん情報。

月曜日の番組で、ゲストのDAIGOさん。バンドを結成するも長い事 全く売れず、もうやめようかと悩んでいた時、氷室さんに「ジュリーみたいにカッコイイね!」と言われたことが自信になり、続けることが出来たそうです。



火曜日のうたコンでは、加山雄三さんの特集にワイルドワンズも出演しました。加瀬さんにソックリな息子さんが跡を継いでくれています。

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③豊中「キネマの神様」先行上映会(山田監督と上沼さんの対談)

2021年07月07日 | キネマの神様、2021年公開

昨日の「キネマの神様」の豊中の試写会では、上映が終わると早速、多くのマスコミ各社が会場の両端や各所にズラーっと並び壮観でした。

さすがに、山田監督は日本を代表する国民的監督です、注目の高さは格段に違うと思いました。大きなカメラを抱えたマスコミには、よく名前を見かける共同通信と読める社もいて、これが早速、ネットニュースになるんだなと思いました。

昨日の「キネマの神様」の豊中の試写会が、公式HPに詳しくアップされています。7/6(火)『キネマの神様』豊中市先行上映会舞台挨拶レポート

豊中市名誉市民である山田洋次監督とスペシャルゲストとして山田監督の大ファンでもある上沼恵美子が登壇し、本作の魅力や映画にまつわる二人の思い出のエピソードを対談形式で語りました。数々の困難を乗り越えいよいよ公開まであと1か月に迫った中で、山田洋次監督と深い繋がりのある豊中市の皆様を前に映画に対する想いが語られる特別な舞台挨拶となりました。


公式HPでは、山田監督の映画中心の話題になっていますが、実は上沼恵美子さんの、映画とは関係が無い、自分のお話も多かったです。ネットニュースになるのは、そういう上沼さんの話題が中心です(^^;

山田洋次監督「どうなっているのか心配」コロナ禍の東京五輪開催を心配

上沼恵美子、1年前の冠番組終了恨み節「ものすごく失礼」「消えたかった」…映画「キネマの神様」あいさつ

今作品は当初、志村けんさん(故人)を主演に撮影していたが、新型コロナウイルスのため死去。山田監督は当時を振り返り「コロナでどうしようかと思った。彼が死んじゃって」と話したが、沢田研二が無類のギャンブル好きな主人公を務め、上沼は「ジュリー老けましたね。でもやっぱり男前。オーラがあった」と話した。



上映後に登場した、山田監督と、隣は豊中市長。9月で90歳とは思えない、しっかりした足取りの山田監督。監督の生家は、豊中に残っているそうです。

上沼さんと対談中の山田監督。

上沼さんは、登場したら早速「ジュリーも老けましたね」上沼さんの事だから、言うだろうなと思っていました。(^^; 

「私が話すとすぐ、ネットで取り上げられるんです。」そのとうり、ネットにすぐに上がりました。上がるのはいいんですが、「キネマの神様」の話題を取り上げていただきたいですわ。でも、マスコミの注目度の大きい上沼さんだからこそ、スペシャルゲストにキャスティングされたのかもしれません。駆け付けていた多くのマスコミ各社は、上沼さんがゲストだから注目も高かったんでしょうね。

今ふと思ったのは、マスコミが食いつきそうな自分の話をあえてして、話題に上るようにしていたのかもと思いました。取り上げられてこその宣伝ですからね。

山田監督の「男はつらいよ」が大好きで、小学校の頃から全作を見ている、私の体は「男はつらいよ」で出来ているという上沼さん。どうして私を出してくれなかったんですか。

監督からグッチのブローチをプレゼントされたそうで、胸の上で指さしているのが、その大きなブローチです。デカイ、思わずなんぼしたんやろ・・と思いましたが、これも宣伝費用のうちやね(^^ゞ

「キネマの神様」とは関係のない話を、延々話す上沼さん。監督は「そうですか~」と相槌を打つばかりです。

ちょうど4時頃になり、私の席の真横に出てきたスタッフの男性が、ステージ上の上沼さんに見えるように、文字の書いてある紙を差し示した。ああ、もう終了の時間なのね。

上沼さんは、それに気がついていたのにも関わらず話し続ける。そのうち、ステージ上には司会者も出てきて、困った顔をしているのに、意に介さない上沼さんは、さすがです(^^ゞ 席が2列目なので、舞台裏まで見えました(笑)

監督が最後に「映画の公開時期はまだオリンピックもやっている最中で、どうなっているのか心配です。寅さんを見たら心が温かくなるが、キネマの神様を見て心の中に、おき(熾火)が残ればいい」と語っていました。

改めて、公開日が楽しみです(^-^)

 

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②豊中「キネマの神様」先行上映会

2021年07月06日 | キネマの神様、2021年公開

上映会の席は、2列の右端。ジュリーのライブならば垂涎の神席ですが、映画鑑賞には近すぎると敬遠される席です(^^;

少なからずネタバレしていますので、この先、まっさらの状態で映画の公開に臨みたい方は読まないでください。菅田さんとのW主演で、出番は少ないのかな?とあまり期待していませんでしたが、私の想像よりもジュリーの出番は多かったです(^-^)

エンドロール。「沢田研二」の名前が、一人だけ、てっぺんにクレジットされました。私が今まで見てきた一生分の「沢田研二」の名前のどれよりも輝いて見えました。

映画の冒頭から、コロナ禍の中の日本が描かれ、シルバー人材センターで働くジュリー演じるゴーは、ギャンブル好きの借金まみれのダメ親父です。

あのカッコいいジュリーが、シルバー人材センターで掃き掃除・・、この世の中の誰よりも美しいジュリーが、こんなに老けた見すぼらしいジジーになって・・💦 まだ少年の匂いの香り立つような、19歳の輝く若いジュリーからずっと見続けていた自分には、それまでの幻想を次々に打ち砕くような、相次ぐカウンターパンチを受けているような気分になりました。

どっから見てもジジーやわ(-_-;)(服は派手)

おかしいな、ライブのジュリーはもっと、ず~っとカッコ良かったのに、そんな気持ちを抱きながら、ダメ親父のジュリーを見続けました。しかし話す声の甘さ可愛さは、見た目とは不似合いな年齢を感じさせないものが有る。愛すべき憎みきれないろくでなしは、やっぱり間違いなくジュリーや!

ジュリー演じるゴーを見ながら、知らず知らずのうちに、ジュリーの演技に亡き志村けんさんの姿を重ね合わせて、ハっとする自分がいました。志村さんなら、どう演じたのだろうか。そう思ってしまう自分が、目の前のジュリーに対して、すまないような気分になりました。

今までの50余年のジュリーのファン人生で、ジュリーは絶対的で、ジュリーに誰かを重ねる等、有るはずもないことです。誰もジュリーにはなれないように、ジュリーが誰かに重なることも有り得ないことだったのに。

物語はごく自然に、ジュリーから菅田将暉さんが演じる、古色蒼然の昭和の映画界へと転換してゆきます。菅田さんのまだ少年の面影の残る若さ、きかんきだけど素直で繊細でもある感じは、無理なくジュリーのゴーに繋がっていきました。二人の持つ甘さは、志村さんの個性よりも似ているかもしれません。

ゴーと淑子の二人の恋には不慣れな姿には、いかにも昭和的な不器用さともどかしさが有り、いじらしい。それは令和の時代の、とっくに擦れてしまった観客の私は、一昔前の恋人みたい・・あか抜けなさ過ぎる。そんな思いを巡らせながら見ていたら、いつの間にか 志村さんの影は、ジュリーのゴーちゃんと重なっていってしまっていました。

スクリーンにいるのは、ジュリーの演じる、ろくでなしのゴーちゃん。そして菅田さんのゴーは、間違いなくゴーの純粋で生真面目で一本気だった、映画人時代の若き姿でした。

志村さんを忘れないでください、と山田監督は言いました。ジュリーほどのキャリアを持つ人でも、志村さんの遺志を継ぐことは簡単なことでは無かったに違いありません。志村さんの影を残しつつ、役を自分のものにしてしまったのは、ジュリーだからこそと思いました。ジュリーの仕草や台詞に、観客からの笑い声が度々あがりましたが、最後はホロリとさせられました。

エンドロール。

「沢田研二」の名前が、一人だけ、てっぺんにクレジットされました。

「沢田研二」その文字が、今回ほど嬉しく思えたことは有りません。私が今まで見てきた一生分の沢田研二の名前のどれよりも輝いて見えて、とても感激してしまいました。

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①豊中「キネマの神様」先行上映会

2021年07月06日 | キネマの神様、2021年公開

山田洋二監督の出身地である大阪府豊中で行われた、「キネマの神様」の上映会に行ってきました。6月の電話予約では、応援を頼んだ家人と二人で、ずーーーーっと電話をかけ続けるも、全く繋がらず撃沈(-_-;) 家人曰く「コロナワクチンの予約電話が繋がらない、高齢者の気持ちがよくわかった」ほんまやわ💦

しかし、J友さんのお陰で試写会に参加できることになりました(^^♪

場所は、豊中市立芸術文化センター大ホール

ホールの内部は木がふんだんに使われた、ウッディで綺麗な会館でした。

もうネットニュースに上がっていますが、肝心の映画の話はどうしたの(^^;

こちら⇒山田洋次監督「どうなっているのか心配」コロナ禍の東京五輪開催を心配

こちら⇒上沼恵美子、1年前の冠番組終了恨み節「ものすごく失礼」「消えたかった」…映画「キネマの神様」あいさつ

映画上映の後で、ゲストに登場した上沼恵美子さんが、私の事はすぐネットニュースで取り上げられる、と言っていたとうりですわ💦 「キネマの神様」の話は少しだけやん(-_-;)

豊中芸術文化センターのロビーの展示

1時半からの上映で、先に豊中市長の挨拶がありました。

さすがに国民的映画監督、山田洋二さん。

席はコロナ対策で、ひとつ席を空けての着席です。

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ライオンワオワオショー

2021年07月05日 | JULIE メモリーズ

まだチケットは販売中、(am7:30現在、神奈川県民も再販売中)10月14日(木)「東京エレクトロンホール宮城」。ブログをやっていると、皆さまから頂くコメントから、私が初めて知るジュリーのヒストリーが沢山あります。

頂いたコメントより『宮城の会場は、近々取り壊しの予定です。ザ・タイガースの頃からジュリーがライブをしてきた会場で、「ライオン・ワオワオショー」の収録場所でもあります。ぜひとも、皆様お越しくださいませ😌♨🍶』

東京エレクトロンホール宮城が開館 したのは、1964年9月1日。タイガース時代のジュリーがライブツアーを・・いや、当時は地方巡業といいました。その頃は、まだ新しいピカピカの会館だったことでしょう。デビュー当時から舞台に立っていた会館の取り壊しが決まったということは、今回がその舞台に立つのは最後になるのでしょうか。ジュリーも宮城では54年間の感慨をもって臨むステージになりそうですね。

ところで「ライオン・ワオワオショー」ってなんですか?(^^; 関西では放送していない番組だったのかも。それとも私が知らないだけ?詳しく知りたくて、お尋ねしました。

『ジュリーが出演の「ライオン・ワオワオショー」は、1981年のロックンツアーの中での収録でした。
アルバム「ストリッパー」「GSILOVE YOU 」などの構成でした。途中カットも多く、一時間ほどの番組になりましたが、あの当時のジュリーのライブとして、貴重な録画だと思います。

このライブは、当初は通常のツアーの予定でしたが、詳しくは分かりませんが、ライオンがスポンサーになりました(ジュリーは、いやいやだったらしいです)。 ライブ前日は、トップテンの録画収録もあって、忙しくても、幸せな数日間でした。実際の収録は7月下旬で、ワオワオショーの放送は9月中旬でした。』

YOUTUBEにあります⇒ジュリー2曲~想い出のアニー・ローリー&バタフライ・ムーン』

ライブ前日のトップテンの録画収録の曲は、「渚のラブレター」ですか?とお尋ねしたら・・

『そうです。トップテンで歌った曲は「渚のラブレター」で、ライブ当日のテレビでは、前日の録画が放送されました。「トップテン」は、スポンサーが花王なので、ライブからの放送ができませんでした。テレビではカットされたMCで、ジュリーがちょっと愚痴っぽく話していた記憶があります。当日は、月曜日でした。ホテルまで追いかけて行ったファンは、ジュリーから「早く帰って、夜のヒットスタジオを見なさい」と言われたとか・・。』

スポンサー絡みは、色々 影響がありますね~。その「夜のヒットスタジオ」では、スポンサーが資生堂なので、マックスファクターのCMソングだった「渚のラブレター」は歌えませんでした(^^;



「ライオン・ワオワオショー」で検索していたら、2020年のこんな記事をみつけました。今はキルト作家で有名な、キャシー中島さんのインタビューの中で、ワオワオショーでの思い出が語られていました。⇒【昭和ロックを語る時が来た】キャシー中島が語る「新御三家」秘話 

新御三家秘話と有りますが、布施さんのヒットスタジオでの毅然とした態度も語られていて、ヒデキさんともども、その人物像もカッコイイです。ジュリーの話は無いですけどね~(^^;

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チケット販売中

2021年07月04日 | JULIE

昨日、チケット取にあれほど狂奔した9月からの「BALLADE」ツアー。コメント欄には、予定枚数終了で取れなかった・・と、ガッカリした書き込みを頂いています。

でもまだ販売中です。⇒チケットぴあ

宮城、長野、新潟 いずれも風光明媚、旅行をかねていかがでしょう(^^)

東京近郊の方なら、新幹線に乗れば、新潟と、宮城は便利なんじゃないでしょうか。 長野は・・どう行ったらいいの?(-_-;) ジュリーさまが、来てほしいとお待ちです。


嬉しい記事を教えて頂きました。⇒「沢田研二 TBS PREMIUM COLLECTION」に採用、E-QAS画質補正システムの記事が映像新聞に掲載されました。
2021年07月01日

ジュリーがTBSのDVDの発売について、話してくれたのは2019年のツアーの最中でした。まさに2019年から、プロジェクトは始まっていたのですね。多くの方の尽力で、美しいジュリーの声と姿は、半永久的にとどめられることが出来ました。


J友さんから、チケット争奪戦お疲れさまと「渡り鳥はぐれ鳥」の頃の、ジュリーの画像をいただきました。チケット取りで疲れた心に、何よりのプレゼントです~(^-^)

隣はキョンキョン??違う? 画像はTVの収録のようですが、詳細はわからないそうです。

1984年の「渡り鳥はぐれ鳥」の頃は、新曲を出しても出してもヒットには遠くて、かくいう私もレコードを買っていません。これも売れないだろうな、と思ったらやっぱり売れませんでした。色々と私生活が週刊誌ネタになって、ファンとしては心が大いに揺れていた時期でした。

今は、そういう時期からは すでに遠~~~く離れた2021年。画像は30代半ば、カンカン帽をあみだに被り、全盛期からは少し外れた頃のジュリーの笑顔や、ボーっとした表情を、虚心なく可愛い~!と思えます。これって、幸せな事なんでしょう。

ところでお願い、チケット取りを何とか もっとラクにしてください!

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チケット

2021年07月03日 | JULIE

熱狂のタイガース②(マーガレット)の続きのつもりでしたが、ブログを書くどころでは有りませんでした。今日の、秋からのツアーのチケットの申し込みは、朝から夜までほんとに疲れました(^^; 

一昨日あたりから、落ち着かずにドキドキしてきて・・💦 午前10時ごろに、パソコンをぴあの申し込み画面にしておこう。と、ぴあにアクセスしたら「アクセスが集中しています」となって、全然アクセスできない💦💦 ひや~ もっと早い時間から、ぴあにアクセスしておくべきだった・・後悔後悔・・30分もしてからやっと、ぴあの申し込み画面になりました。

12:00、何分か後に申し込み画面に切り替わり、ヤッタ~!!申し込み画面になったら、もう こっちのもんさ(^^♪ J友さんの分を4枚頼もうとしたら、4人分の名前と電話番号を要求されました。前回はそんな要求はなかったのにと、またまた焦る~。アドレス帳を捜そうと慌てる私に家人が「家族の名前を書いとけばいいんだ」というので、それもそうだ!と家族の名前にしました。(^^; 正確でなくても、向こうはわからないよね。まともに書いていたら、間違いなく時間切れになるとこやった(-_-;) 

ジタバタしながらも、送信完了!!任務完了 ホッ(^-^)

無事にチケットが取れたその後も、大阪の申し込みに氏名と電話番号に手間取り、タイムオーバー、時間切れで販売終了で取れなかった・・(-_-;)という連絡が入り、またまたJ友さんらとアタフタ。💦しかしその後も諦めずにアクセスをした結果、大阪フェスも無事にチケットがとれました!

何度も何度もJ友さんとメールとラインの往復でバタバタして、今日はほんっとに疲れました💦 だって、ライブに行きたいのよ〜!

それなのに、コメ欄によると、まだ新潟長野は売り切れていないんですって。やはり、北方面はジュリーは弱いのか(・・;)

64歳以下の神戸市の友人からは、コロナワクチンの予約をしていたのに、ワクチン不足でキャンセルになりそうと、メールが・・せっかく予約できたと安心していたのに。チケット取りで一喜一憂しているさなかに、大きな土砂災害も起こっています。

世の中はチケットどころじゃありませんが、コロナ禍の中で無事に秋のライブも開催されますようにと、願っています。オリンピックもね。


そんな中、嬉しいニュースも有ります。

ジュリーが2位!⇒ニュース週間アクセスランキング トップ10:2021年6月24日(木)~6月30日(水)
2. 沢田研二ソロ50周年バラードライブ、全国12公演の追加スケジュール発表

 

twitter情報で知りました。先週の週刊文春に載っていたそうです。気がついていませんでした。

芸能界をすぐに引退したのは知っていますが、工藤正貴さんが消息不明とは。でも何度もいいたい、何でジュリーより前にいるのよ!(-_-;) 責任者よ、どういうこと?

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熱狂のタイガース②(ジュリーがいた)

2021年07月02日 | タイガース・GS

昨日発売の週刊文春の連載、「ジュリーがいた」は、熱狂のタイガース②

そこに書かれているのは、まさに私が見ていた当時のタイガースのこと。田舎の小学生だから、タイガースの合宿所に押しかけたりすることなど無く、「世界は僕らを待っている」を見に行ったりも出来ず、明治製菓のチョコも買わず、子どもらしく、ただ、ジュリーとタイガースをTVで見て、憧れるだけだった。メンバーの京都の家には、21世紀の今でも行ったことはない。

TVでタイガースを見るだけの私でも、文中に出てくる「週間マーガレット」に「週間少女フレンド」は見ていた。私はどちらかというとマーガレット派で、少女フレンドは家が向かいにあった、幼馴染に見せて貰っていた。文中に1972年には別冊マーガレットは100万部に達したとあって、中学生時代は必ず楽しみにして買っていたと、今回の記事を読んで、ほんとに懐かしくて懐かしくて仕方がないわ〜!

「キャロラインちゃん物語」あった、あった!!ケネディ大統領の娘のキャロラインさんが、後に駐日大使になって日本に来た時は、けっこう嬉しかった(^^♪ 大統領の遺児である、あの幼い少女が、今は皺のあるおばちゃんになって、、と感慨深かったけれど、自分も同じく歳をとっているんだけどね。

マーガレットや、りぼんで連載されていた「ザ・タイガース物語」「沢田研二物語」はもちろん読んだ。本当はジュリーは「感動スター・ドキュメント」などには取り上げて欲しくなかったのではないか?と思うけど、ジュリーの妹さんの名前も顔も、そういう物語で知り、今も親近感を覚えている。

文中に『週間マーガレットに、タイガースのユニフォーム募集が載り、この時の応募総数は18万以上という驚異的な数だった。』とあって、取り上げてくれて、島崎さん有難う~!!感謝感謝✨ もうこれは、今でもとても良く記憶していて、2014年に「マーガレット展」がデパートで開催された際に、ブログに書いている。


(以下は、2014年10月のブログから、一部抜粋)

その時の展示から

元記事が小さくて、豪華な審査員が誰だかわかんない('_')

結果発表がマーガレットに載った記事は、いまだによーっく覚えていて、見開きの巻頭グラビアページに、選考に残った数十点のデザイン画が、ズラーーーっと掲載されて、それは壮観だった。

最終選考に残ったデザイン画は、さすがに みな絵が上手くて、子供心にとても感心して見た記憶がある。ジュリー自身のイラストがとても魅力的に、プロ並みに上手にかけていたものは、いまでも目に浮かぶ。素敵なデザインばかりで、どれがいいのかわからない!選ばれるのはどれかと、本当にワクワクした。

選ばれたデザインが形になり、実際にタイガースのメンバーが着用したのがこれ


実は、デザイン画の時の方が、もっと素敵に良く見えた・・・(・・;) 

正直、ユニホームになったら、あれ?なんかちょっとデザイン画と違う、当時流行りのヒッピー風の胸の刺繍がビミョーで💦
デザイン画で見た時は、胸の刺繍の柄がと~っても素敵でエキゾチックで、他にはないデザインだと思ったのに。インド風の刺繍が決め手で選ばれたと思うのだけど、実際に服になると、微妙でね~。デザイン画と、縫った服の出来上がりは違うものなのね・・と、小学生の私は知った。

実際にユニフォームになったら、エキゾチック、といえば聞こえはいいが(ヒッピー風という)どこかから、うっとうしくも暑苦しい~風が吹いてくるような気が・・ 服になる前のデザイン画の時は、とても良かったのに。

ジュリーにヒッピー風は似合わないと思う。タイガースはやっぱり、垢抜けたヨーロピアンよね。しかし、もう一度見たい!あのマーガレットに掲載された、最終選考に残ったデザイン画の数々・・・国会図書館になら、あるのだろうか?見たいなぁ。

マーガレットは、いっぱい持っていたけれど、親にいつの間にか全部捨てられてしまった。おそらく、誰もが親に捨てられたんじゃないだろうか。ジュリーの記事だけを残しておけば良かった、なんて今は思うけど、子供の時は、そんな考えは残念ながら思い浮かばなかったのだ。

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6月29日、ジュリーにチェックイン!(Playlist of Harborland)

2021年07月01日 | ジュリーにチェックイン!(ラジオ関西)

先月はジュリーのお誕生月だったこともありますが、毎週、毎週、ジュリーの歌声が流れるラジオが聴けるのって幸せです(^^♪ 今のジュリーは決してヒット歌手ではないのに。「昔、ラジオにリクエストを送っていた頃のよう」という、メッセージが有りましたが、本当にそうですね。高校、大学生時代は、TVとラジオがジュリーと繋がれる窓口でした。

近年はラジオを聞くのは、車にのっている時だけになっていたのに、今は毎週、ラジオ関西で「ジュリーにチェックイン!」を聴く楽しみができました。新しいラジカセも買いました(^^; 

長年コンサートでも歌っていないような曲が流れると、気持を新たにして聞くことができます。曲のお陰で、その当時の思い出や記憶が、ふいに蘇ることも有って、毎週 発見がある気分です。



6月29日、「ジュリーにチェックイン!」

先週は、沢田研二さんのお誕生日を記念して丸ごと沢田研二さん特集でやりました。SNSでも取り上げて頂いて、本当に有難うございます。思いのほか沢山いただいていて、FAXでもこんなに前から頂いていたと気がついて、もったいないので おいおい、かけていきたいと思います。

沢田研二さんて、律儀な方ですよね。BALLDEの追加公演が決まったというお知らせが、HP等等で発表があり、こういう節目節目で発表があるということは、ファンの方には当たり前の事かもしれません。また、皆で楽しめることができます。

9月17日は、私の誕生日です、福岡を皮切りに12公演行われるということで、チケットが7月3日に発売になるようです。神戸にも9月18日、9月20日奈良、21日京都、30日大阪、関西はこの辺りになるのでしょうか。

この放送で、改めてジュリーのことが知れて良かったとか、色んなメッセージををいただき、リアルで会いたくなった方は、今回の追加公演にチャレンジしてはいかかでしょう。また、特集を組んでいかなければ、という気分にさせられました。

リクエスト⇒『ジュリーにチェックイン!のコーナーでどうしても聴きたい曲、それは佐野元春、作詞作曲「すべてはこの夜に」当時の歌番組で吉川さんのイメージしかなかったのですが、ある日YOUTUBEでジュリーバージョン発見、元々は佐野元春さんが沢田研二さんのために描き下ろされた曲ということ、あまり聞くことは無い沢田研二さんの「すべてはこの夜に」をお願いします。』
色々調べて下さったんですよね、過去にかかっていたらすいません、という事ですが、カブっても大丈夫です。佐野元春さんが、沢田研二さんのそれまでに歌われていた曲、すべてを聞きこんで作られた曲という事
昭和54年 ノンポリシー「すべてはこの夜に」
ラジ関にこのLPがあるんですけど、ジャケットが超カッコイイですね、30代後半頃ですが好みですね。「すべてはこの夜に」歌詞についている写真が、上から見下ろすこの視線、目ですよね一番いい角度ではないかと。
佐野元春さんが研究して作られた、30代後半の沢田研二さんが歌うにふさわしい仕上がりになっていたんではないかと思います。

メッセージ⇒『ジュリーに目覚め4年弱、まだまだ初心者です。「睡蓮」リクエストします。この季節に静かに咲く花ですが、イントロからしびれるロックです。ジュリーに出会い しびれる毎日ですが、根っこがぶれず、歌い続けるジュリー、心に響く歌を聴きたいです。毎週ジュリーの歌と、勉強になるジュリーのお話を有難うございます。』

私もファンの皆さんに教えていただきながらです。
「睡蓮」作詞作曲は沢田研二さん。40作目の「明日は晴れる」アルバムに収録されています。芸能生活35年目にリリースされたアルバムです。歌詞がいいんですよね。タイトルからイメージされるようなものではなくて、ほんとにカッコイイ、ロックな感じを是非 お楽しみください。ココロノートバージョンで「睡蓮」(※画像は須磨離宮公園の睡蓮)

沢田研二さんらしさが、ギュっと凝縮された曲、歌詞です。こういう時代になってしまったからかもしれませんが「誰にでもできるってことじゃないからさ」こういうのが優しい、ジュリーの持ってる真心だなと思います。
ジュリーの最新版のお写真がリリースされてます、是非 チェックしてみてください。




LPの音源と言う「すべてはこの夜に」の音が、少しくぐもって聞こえましたが、これがCDのクリアーな音との違いなんだろな、と思いました。

田名部さんが、『昭和54年 ノンポリシー「すべてはこの夜に」ラジ関にこのLPがあるんですけど、ジャケットが超カッコイイですね、30代後半頃ですが好みですね。上から見下ろすこの視線、目ですよね一番いい角度ではないかと。』

とおっしゃるので、LPを探しましたが見つからず、再販されたCDアルバムです。

このアルバムの写真はほんとにカッコイイので、当時からお気に入りで、イラストにも描いたりしたものです。

WIKIより抜粋⇒『NON POLICY』(ノン・ポリシー)は、沢田研二の21作目となるオリジナルアルバム。1984年6月5日にポリドール 

1981年の「S/T/R/I/P/P/E/R」以来、沢田と制作を共にしたEXOTICSは解散することとなった。また沢田はこの後、長らく在籍した渡辺プロダクションを独立してレコード会社もポリドールから東芝EMIへ移籍、加瀬邦彦もプロデュースを離れることとなり、非常に大きな転換点となった作品である。


1983年から、あれほどヒットを飛ばし続けてきたジュリーの新曲が、トップ10には入らなくなりました。私生活でもマスコミに騒がれて、ジュリーもファンもしんどい年月になりました。まさにこれから転機を迎える1984年です。

そんな頃に、吉川晃司さんがナベプロからデビュー、のちにジュリーの為の曲だと信じていた「すべてはこの夜に」をリリース。何で?と思ったファンは私だけではないでしょう。ナベプロが版権を持っているからですが、24位って、それほどヒットしたわけでもないんですね。

吉川さんのデビューアルバムが1984年『パラシュートが落ちた夏』。落ちたパラシュートがジュリー想起させて仕方がないんですが。吉川さんのマネージャーになった森本マネが、そんな あからさまな事をするはずがないわ、と思いながら引っかかってます💦 のちに、吉川さんがジュリーのファンで尊敬している、と語っているのを聴いてから、考えを改めましたが。



 

今日のNHK「SONGS」は布施明さんでした。見る気もなくつけていたTVから流れてきたので、ついでに見ていただけですが、デビューからのお話が面白かったです。意外にも、初めて出演のSONGSだったそうです。

紅白と言えばジュリーしか興味がない私が、布施さんの紅白で着ていた「愛は不死鳥」の衣装が、とても記憶に残っているんですが、まさか お母さんの手作り??この時に限って、居眠りをしていました。(-_-;) 

手を広げると、袖に着いた白いヒモがザーっと垂れ下がり、まさに鳥の羽のようにドラマチックな衣装で、これでファンになった人が多いと以前に聴きました。肝心のところで居眠りするなんて・・再放送を見なくっちゃ。

後で、J友さんからこの話を聞きました。エルビスプレスリーの衣装をまねて、お母さんが夜なべをしてリリアンの紐をつけてくれたそうです。紅白で披露したら、会場がどよめいたとか。この私も、ジュリーじゃないのに、今でも記憶に残る衣装です。

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