goo blog サービス終了のお知らせ 

ミューズの声聞こゆ

なごみと素敵を探して
In search of lovable

このたびの東日本大震災で被災された多くの皆様へ、謹んでお見舞い申し上げます。

大震災直後から、たくさんの支援を全国から賜りましたこと、職員一同心より感謝申し上げます。 また、私たちと共にあって、懸命に復興に取り組んでいらっしゃる関係者の方々に対しても厚く感謝申し上げます。

他者のために

2020年04月28日 | 賢治先生

 優しく聡明な妹は、死の床にあってなお、他者のことを思いやっていた。

「うまれでくるたてつぎはこたにわりやのごとばかりでくるしまなあよにうまれでくる(今度生まれてくる時は、我がことではなく、他者のために苦しむひとでありたい)」

まがったてっぽうだまのように病室から外へと駆け出た兄は、松の枝からすくい取ったふた碗の雪に心から祈った、

「どうかこれが天上のアイスクリームになって

おまえとみんなとに聖い資糧をもたらすように

わたくしのすべてのさいはいをかけてねがふ」と。

 

 他者のために自分のすべてのさいわいを捧げてから9年後、同じように病に倒れた兄は小さな黒い手帳にその願いを書きつける。

「慾ハナク

決シテ瞋(イカ)ラズ 

イツモシヅカニワラッテヰル

アラユルコトヲ 

ジブンヲカンジョウニ入レズニ

ヨクミキキシワカリ 

ソシテワスレズ

サウイフモノニ

ワタシハナリタイ」

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聖い資糧(きよいかて)

2019年10月08日 | 賢治先生

 週末、ホームへ職員OGのお母上様から自家製の野菜をたくさんいただきました。

じゃがいも二袋にカボチャ、いちじく。

いつもいただいてばかりで、また、遠慮もせずにすみません。

そして、いつまでも気にかけていただいて、本当にありがとうございます。

大喜びした職員たちが早速いちじく煮やじゃがバターにしてくれて、利用者様とともにおいしくいただいています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2019年09月10日 | 賢治先生

 昨年末から今年5月にかけてNHKで何度か放映された「映像詩 宮沢賢治 銀河への旅 ~慟哭の愛と祈り~」という番組の中に、宮沢賢治と親友保坂嘉内との出会いと別れについての再現ドラマが組み込まれていた。

そしてこのドラマ部分で賢治先生を演じていた中川光男という俳優が、これまでの伝記映画等と大きく異なり、のっぺりとした、いかにも東北人という風貌だったことに驚いた。

興行成績や視聴率のこともあるだろうけれど、これまで宮沢賢治を緒形直人や三上博史、鈴木亮平といった目鼻立ちのくっきりした男優たちが演じていることに、かなり強い違和感を抱いてきたので。

中川の演じる独特の風貌の賢治先生は、保坂の言動に息をのんだり、どぎまぎしたり、目を細めたりと、とても表情豊かだった。

なんだかひどく納得した。

 その後、中川がNHK特集「全貌二.二六事件」の中の再現ドラマ部分で陸軍近衛師団の士官(大尉)を演じているのを見かけた。そういう顔なのだな。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽらんから来たひと

2019年08月05日 | 賢治先生

 ずいぶん前のこと、深夜グループホームぽらん気仙沼から緊急の連絡があった。ホームへ警察から電話が入り、その内容というのが、郊外のコンビニで保護された高齢の女性が、「私はぽらんから来た」と話していて、憶えているのは、ご自分のお名前と、「ぽらん」だけだという。

そちら方面にホームはないし、確かにホームはたくさんあるものの、入居者様のお名前ではない。

たまたまノートPCの中にあった利用状況表データから、ぽらんデイサービスの利用者様であると確認できたので、警察と担当CM(他法人)へ報告し、まもなく署へ駆けつけた家族様に無事引き取られた。ご自宅は、保護されたコンビニのすぐ裏だった。

週一回のご利用で、しかも長期のショートステイから戻られたばかりなのに、ぽらんを覚えていてくださったことが嬉しいのと、デイにいらしていない時は支援できない申し訳なさが半々だった。

 職員へ時々教えているのは、利用者様は僕らがいないと、一日も安心安全には暮らせない、だからこそ、責任重大だけれど、本当にやりがいを感じるのだと。

 二日後、その方の利用日に事業所を訪問したところ、まだ午睡中で、その寝顔たるや無邪気そのものだった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ざしき童子のはなし(再掲)

2018年04月30日 | 賢治先生

「ぼくらの方の、ざしき童子のはなしです。

(中略)

 また、北上川の朗明寺の淵の渡し守が、ある日わたしに云いました。

『旧暦八月十七日の晩に、おらは酒のんで早く寝た。おおい、おおいと向うで呼んだ。起きて小屋から出てみたら、お月さまはちょうどおそらのてっぺんだ。おらは急いで舟だして、向うの岸に行ってみたらば、紋付を着て刀をさし、袴をはいたきれいな子供だ。たった一人で、白緒のぞうりもはいていた。渡るかと云ったら、たのむと云った。子どもは乗った。舟がまん中ごろに来たとき、おらは見ないふりしてよく子供を見た。きちんと膝に手を置いて、そらを見ながら座っていた。

 お前さん今からどこへ行く、どこから来たってきいたらば、子供はかあいい声で答えた。そこの笹田のうちに、ずいぶんながく居たけれど、もうあきたから外へ行くよ。なぜあきたねってきいたらば、子供はだまってわらっていた。どこへ行くねってまたきいたらば更木の斎藤へ行くよと云った。岸に着いたら子供はもう居ず、おらは小屋の入口にこしかけていた。夢だかなんだかわからない。けれどもきっと本統だ。それから笹田がおちぶれて、更木の斎藤では病気もすっかり直ったし、むすこも大学を終わったし、めきめき立派になったから』

 こんなのがざしき童子です。」(宮沢賢治作)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする