弟もなかなかのコレクターで、年齢的に会社ではそこそこの役職に就いているというのに、休日は都内の古書店や中古レコード店を巡り歩いている。
彼の野望は、自分の死後、コレクションが散逸しないよう、すべてアテネ・フランセへ寄付することだそう。かなり大胆だ。
この正月に帰省した際には、ロバート・アーサーというB級ミステリー作家の自選短編集をお土産代わりに持参してくれた。
この名前、見たことあるな~、と言うと、「本書は本邦初の短編集」(解説より)だってよ、と弟。
書斎から、アルフレッド・ヒチコックが編んだというアンソロジーのペーパーバックを何冊か持って来て目次を開くと、やはり名前があった。
へええ、と驚きながら弟は、タイトルと作者名が並んだ目次をしっかり携帯で写真撮影している(同じ解説によれば、ロバート・アーサーはヒッチのゴースト・アンソロジストだったそうだ)。
ヘンリー・スレッサーの名前もあるね。
うん、ヒッチといえば、スレッサーでしょう。
このやりとりを、自宅のリビングでテレビをつけっぱなしのまま交わしていたのだが、流れていたのは再放送のドラマだった。
あれ、キョンキョンが「快盗ルビイ」読んでるよ。
あー、脚本家がオレたち同様、宮城県から上京したひとだからなあ。(このオマージュも)わかる気もするね、和田誠ほどしゃれてなくてさ。
無数にあるヒッチ編集のアンソロジー本
正月、駅に用事があり正面出入口から入って行くと、帰省客に交じって当法人のデイサービスの管理者とそのお嬢さんがベンチに座っていた。
事業所のイベントなどで小さいころから顔見知りのお嬢さんは、昨春から県都の介護施設に勤務しているという。
もう戻るの?と尋ねると、「職員(同僚)と入居者様が気になって」と答える。
僕は感嘆しながら、ああ、お母さん、お嬢さんはわずかの間にいい職員になりましたね、と声を掛けた。
「不思議だね、僕たちもずっとそんな気持ちでやってきてるんだ、認知症高齢者グループホームを開設した初年度などは特に、休日も入居者様と職員が気になって、居てもたってもいられなかったし、デイのパート職員からスタートしたお母さんは、利用者様がデイに来ている日より来ていない日のほうが気になる、といつも口にしていた。
同じ仕事に就いたからといって、同じ気持ちを共有できるとは限らないけれど、きみのお話には感慨深いものがありました。
そうだね、きみのようないい職員さんが不在だと施設は戦力ダウンで、シフトもうまく回らないだろうから、早く帰ったほうがいいね!」
地元紙が企画した介護サービス法人特集の年始広告へ、当法人はまた本市出身で在京のプロの女流漫画家に依頼したイラストを掲載しました。
初春らしい図案でありながら、モダンな色使いが新鮮で、とても素敵です。
「ソルジャー・オブ・ラブ(愛の兵士)」
武器を捨てて降伏してくれないか(愛の兵士よ)
武器を捨てて平和に僕を優しく愛してくれないか(愛の兵士よ)
武器は相手を愛するために使ってくれないか
僕はきみが好きだというのに、宣戦布告する理由などないだろ?
だから他の男のことは忘れてくれないか、僕は本気なんだ
もう戦場から立ち退いてくれないか
武器を捨てて降伏してくれないか(愛の兵士よ)
武器を捨てて平和に僕を優しく愛してくれないか(愛の兵士よ)
武器は相手を愛するために使ってくれないか
ラジオ局での初期スタジオ・ライブを収録した「ザ・ビートルズ・ライブ・アット・ザ・BBC」はおもにカバーの名曲・佳曲が満載だが、とりわけ優れていると個人的に思っているのは、アーサー・アレキサンダーの「ソルジャー・オブ・ラブ」と(バディ・ホリーのバックバンド)ザ・クリケッツのためにゴフィン=キングが書いた「ドント・エヴァー・チェンジ」だ。
何度か書いたが、「アンナ」、「ショット・オブR&B」、「ユー・ベター・ムーブ・オン」などで知られる黒人R&Bシンガーのアーサー・アレキサンダーはジョン・レノンの大のお気に入りというか、初期のネタ帳で、この難しい曲も見事に自分のレパートリーとして引き寄せ、歌いこなしている。
ずっと時代が下って、1983年にイギリスのガレージパンク・バンド、ザ・ミルクシェイクスがカバーした粗削りなバージョンもいい。
さらにそのあと、1999年にパール・ジャムがコソボ難民のためのチャリティ・アルバムに提供したライブ・バージョンは後半大きくうねるように情感が盛り上がる、名唱だ。
オリジナル。