大どんでんがえし、だとやや品がないので、驚愕のエンディング、と表しておこうか。
「パワープレイ」(1978年)はクーデターを扱った傑作ポリティカル・フィクション映画だ。
とあるヨーロッパの小国。強権的な軍事政権下でテロが横行し、それを秘密警察が弾圧する。この恐怖の連鎖と閉塞感を打破しようと密かに集まったグループからクーデターを持ちかけられた退役間近の穏健派軍人ナリマン大佐(デヴィッド・ヘミングス)は、極秘裏に陸軍内の同志を集め始める。戦車大隊長のゼラー大佐(ピーター・オトゥール)が加わったことで意を強くしたナリマンたちは、ついにクーデターを決行する―。
著名な戦略家エドワード・ルトワックの奇書「クーデター入門」を原案として、オトゥール、ヘミングス(共同製作も)、ドナルド・プレザンス、バリー・モース(ジェラード警部)と癖の強い男優たちが勢ぞろいしたうえに、戦車も兵士もカナダ軍が全面協力していることで、息詰まるほどの迫真の画面が続く。
名優ピーター・オトゥールのセリフ回しはいつもながら美しい。ゆっくり区切ってあたかも甘美なもののように「クー・デ・ター」(フランス語)と口にする。
クーデターは一度始めたら徹頭徹尾、完遂すること、謀略に惑わされて裏をかかれないこと。この映画が描いている厳しい教訓だ。
他法人の地域包括支援センターでの長期実習のため一時帰省している大学生の娘から父の日のプレゼントをもらった。仕事にかまけて子育てをせず、後ろめたいのでしつけも声掛けもしなかったこんな僕に。
トートバッグにノートパソコンやテキストを満杯に詰めて毎朝出かけて行く彼女を、来年は働きやすい職場に就職できるといいね、と祈るような気持ちで送り出している。
そのたび思い出すのは、キャロライン・ケネディが駐日大使時代にハフィントンポスト紙へ寄稿した父の日についての思いだ。
「私が生まれる数日前、私の父、当時のケネディ上院議員はNBCニュースのインタビューを受けた。1950年代の米国では一般的な考え方だったのだろうが、インタビュアーはこのような質問をした。『男の子が生まれたら、政治の道に進んでほしいと思いますか。』時代を先取りすることに長けていた父はこのように答えた。『もちろん。でも娘が生まれたとしても、何らかの役割を果たしてほしいと願っている。これは男性に限定すべきことではないと思う。』(中略)
1957年にインタビューを受けたとき、父はすでに、性別や人種を問わず、あらゆる市民に平等な機会が与えられる将来の社会について考えていた。これまでに女性の役割について、重要で好ましい影響を与えた男性の多くには娘がいるが、それは偶然ではないと思う。『娘が上司にどのように扱われるのが望ましいか。』『母親に対して同僚にどのように振る舞ってほしいのか。』『父親が孫と過ごす時間が増えれば、孫たちはもっと幸せではないのか。』男性がこのような質問を問いかけるようになれば、皆のためになる。
皆さんにとって素晴らしい父の日になりますように!」
87歳になる母親の依頼で、センダード市にある実家(空き家)の仏壇から位牌を取り出し、県北の菩提寺でお焚き上げを行なった。
99歳で亡くなった祖母の23回忌法要に合わせてのことだった。
驚いたことに、位牌は全部で9本あった。
老舗の呉服店を畳んで一家でセンダード市へ出てきた際に全部持ってきたものか。
のぼせ気質の祖父はそのあとまもなく妻子を新居に残して満洲へ農園経営に渡る。
国民服を着て荒れた畑の中でニヤニヤ笑みを浮かべている大男の彼の写真に向かって僕はつぶやいた。
「今日があなたの家の終わりの日ですよ。」
墓地は母親が亡くなった後に僕が墓じまいするよう、かねてから仰せつかっている。
小さな借家付きの実家は、あんたに渡すと銀行の担保に入れて失くしてしまうから弟にやる、とずいぶん前から表明されている。
ひどい言われようだけど、図星かも。
一族、一家が暮らしてきて残ったわずかなものを片付けた今日は改めて、自分自身の整理もあらかじめきちんとしておきましょう、と心に誓った。
6月10日、チャグチャグ馬コが開催された。
前日は雨、翌日は東北地方が梅雨入りで、今年は幸運な年となった。
一層の豊作が期待できるのかもしれない。
とにかく高齢者カメラマンがちょろちょろと邪魔で。
引き手に初めて外国人3名-京都在住のフランス人建築家、が参加したとのことだったが、乗り手が外国人の子供だった年もあったように記憶しているので、ずいぶん遅かったものだ。