僕が文章を書くようになったのは他愛もないきっかけで、レコードレビューを雀の涙のギャラで書く奇特な素人ライターを探していた廃刊寸前のロック雑誌からの依頼だった。
1984年、まだ大学生だった僕は生活費の足しにでもなればと引き受け、毎月二枚、編集部から届く新作レコードを聞いて、凡庸な評論を書きなぐった。誰も読んでいなかったし、ページが埋まればそれでよかった。
そのうちに、割り当てられる新作があまりにも面白くなくて、考えた末に少し前のレコード評をも混ぜ込むようにした。
その一枚目が、80年にリリースされたアメリカの女性ロッカー、パール・ハーバーの初ソロアルバム「恋の迷い子」だった。
前年にアメリカツアーを敢行したザ・クラッシュと知り合った彼女はベースのポール・シムノンと恋仲になり、のちにバンドの日本公演にも同行、最終日のアンコールにはステージに登場して「フジヤマ・ママ」を歌っている。
初日を観ていた僕はあとからそれを聞いて大いに悔しがったものだった。
そんなことをレコード評に書いたら初めて反響があった。
嬉しかった。
大学卒業までのたった一年余りの期間だったものの、あの時読み手が居ると意識したことが、自分の文章力を向上させてくれたと今でも持っている。
「恋の迷い子」は大好きなアルバムだけれど、アーティストの知名度不足からかCD化されなかった。たまにこのレコードが中古屋で投げ売りされている。
ある時、小樽のレコード屋で見つけたそれを手に取ったところが、通常より重い。
なんだろうな、と中身を出してみると、、、20代の頃とうとう入手できなかったこのアルバムからのシングル「カウボーイズ&インディアンズ」が入っていた!
僕は冷静を装いながら、レジに立っている店主に尋ねた。
これが入っていたのですが、この値段でいいですか?
彼は別段面白くもなさそうな顔をして、イイっすよ、と言い捨てた。
やったよ、パール!
小道具にトマホーク(斧)は調達できなかったのか
1982年2月1日 於中野サンプラザ
イギリス盤アルバムジャケット
最近は年度末の完成に向けての補助金事業を昨年度同様、何本か手掛けている。
毎日のように入れ替わり立ち替わり事務所へ来訪する工事業者たちと、見積もりや発注などの打ち合わせを繰り返している。
新しい大工棟梁さんとの関係も良好で、理事長さんとこまごま対面で収まりについて打ち合わせたいから、もっと現場に顔を出してくださいよ、と言われている。
内心ありがたいな、と思いながら、男から会いたいと言われても嬉しくないんだけどなあ、と軽口を叩く。
皆、良いものを作ろうと一所懸命だ。
なにも邪念がない。
そういう熱気に当たると、決まってムラムラと自力建設がしたくなる。
でも、若いころは現場小屋や倉庫を一人で作ったものだが、もうダメ。
人間ドックの結果も散々だったし。
年末年始と下の動画を繰り返し観た。
アメリカ人はパワー、力任せでなおかつ、いい加減だな、とツッコミを入れながら、外壁にシダーシングルを貼る作業を食い入るように観てしまう(13分30秒~)。
部材も、取り付けてからペンキを塗るより、あらかじめ部材に塗ってから取り付ければ高いところでの作業もはかどるのにな、などと。
そうは言いつつも、こんなアバウトだからこそ出来た美しいデザインなのは、よくわかっているつもりだ。
ああ、僕は老いさらばえて、もはやちっぽけな小屋すら作れないのか。
1000万回以上も再生されている。そのうち8回は僕か。
イッツ・オンリー・ア・ペーパー・ムーン(1933年)
(ヴァース)
なに一つ現実だって思えない
あなたから離れているときは
抱きしめてもらっていないと
世界はまるで臨時の駐車場みたいなの
つかの間のシャボン玉
あなたの笑顔、シャボン玉の中の虹
ほら、ただの紙の月でしょ
ボール紙の海をすべってゆく
でも、本物だって信じることもできる
あなたが私を信じてくれているのなら
そう、ただのキャンバスの空
モスリンの木に垂れ掛かっている
でも、本物だって信じることもできる
あなたが私を信じてくれているのなら
あなたの愛がなければ
こんなのから騒ぎのパレード
あなたの愛がなければ
こんなの安物アーケードで演奏されてるメロディよ
バーナム&ベイリー・サーカスの世界ね
まやかしともいえる
でも、本物だって信じることもできる
あなたが私を信じてくれているのなら
ポール・マッカートニーによる2012年のカバー
関係ないけど、ウッディ・アレン監督作品(1999年)
“It’s Only A Paper Moon”
I never feel a thing is real
When I’m away from you
Out of your embrace
The world’s a temporary parking place
Mmm, mm, mm, mm
A bubble for a minute
Mmm, mm, mm, mm
You smile, the bubble has a rainbow in it
Say, its only a paper moon
Sailing over a cardboard sea
But it wouldn’t be make-believe
If you believed in me
Yes, it’s only a canvas sky
Hanging over a muslin tree
But it wouldn’t be make-believe
If you believed in me
Without your love
It’s a honky-tonk parade
Without your love
It’s a melody played in a penny arcade
It’s a Barnum and Bailey world
Just as phony as it can be
But it wouldn’t be make-believe
If you believed in me
映画監督のピーター・ボグダノビッチが1月6日、ロサンゼルスの自宅で死去した。享年82歳。映画狂が高じて名門アクターズスタジオに入学、演技を学んだあと、舞台監督、映画評論家を経て監督デビュー、代表作として「ラスト・ショー」(1971年)や「ペーパー・ムーン」(1973年)がある。
訃報に接して思い出したのだが、中学の学園祭で「ペーパー・ムーン」のセットをクラスの出し物として作ったことがある。これが全くウケなくて、発案者としては校庭に穴を掘って隠れたい気分だった。「真実の口」でも作ればまだよかったかな、と「イッツ・オンリー・ア・ペーパー・ムーン」を聴くたび思う。合掌。
昨年末、人間ドックを受検した。
県都のJR駅に直結する高層ビルにテナントとして入居したばかりの最新の病院で、手順もホスピタリティも面白く、自身の仕事においてとても参考になったのだが、面白くなかったのは、早速送られてきた結果の数値が思いのほか悪かったことだ。
一番驚いたのは、身長が3センチも縮んでいたこと。
もう三十年近く患っている重度の椎間板ヘルニアと、生来の猫背、それに減少しつつある頭毛が原因か。
最後に挙げたものは半分冗談だが、身長が減ったことでBMI(ボディマス指数、体重÷身長の二乗で算出される肥満度を表す体格指数)がぐっと上がり、普通体重ギリギリになってしまった。
ついでに大男の看板も下ろそうか。
もう一つは、難聴とはっきり記されていたこと。
これは以前から自分も周囲も感じていたのだが、こうしてはっきり書かれるとかえってなんだか清々しかった。
ただ、実を言えば当日はことのほか耳の調子が良くて、ボタンを早く押しすぎたかな、不審に思われていないかな、と担当者の顔色を窺がいながらの検査だったのが、こんな結果が出て少し凹んでもいる。
良い子のみんなは十代のうちからザ・フーやザ・クラッシュをヘッドホンで、しかも大音響で聞くのは絶対にやめましょうね。
難聴の元(素?) ザ・クラッシュ「クランプダウン」(1979年)