「地平線(ホライズン)はどこだ?」
以前「地平線」というタイトルで、ドキュメンタリー映画「映画の巨人 ジョン・フォード」(2006年)に収録された、15歳の映画小僧時代にフォードのオフィスを訪ねたスティーブン・スピルバーグ監督の回想談を紹介したが、本日3月3日に公開されるスピルバーグの新作「フェイブルマンズ」が自伝的作品だと聞き、もしやと思い調べてみたら、この回想談が丸ごと映像化されていた。案外、スピルバーグにとってこのエピソードが一番撮りたかったものなののかもしれない。
フォードを演じているのは鬼才デヴィッド・リンチ監督。
オファーはいったん断られたものの、リンチ作品の常連ローラ・ダーンを通じて再度依頼すると、受諾にあたって、「帽子や眼帯など小道具を含む衣裳を撮影の二週間前に手に入れて、それで生活したい(毎日それを身に着け、着つぶした形で本番に臨む)」という奇妙な条件が付けられたそう。これはこれで、リンチの映画魂が垣間見れるような気がした。
かなり昔、リンチを「ジェームズ・スチュアート似のハンサム」と評した日本人の映画評論家がいたが、今回のキャスティングはいわばニアピン賞だ。
デューク・ジョン・ウエインやヘンリー・フォンダに逃げられた晩年のフォードが主役を任せたのがスチュアートだったから。
20分15秒から。
「荒鷲の翼」撮影風景。どちらがジョン・フォードでどちらがジョン・ダッヂ(ワード・ボンド)?
コロナ禍ですっかりなくなったが、以前は時々年配のフラダンスチームが施設に慰問にいらしていた。
ある意味、目のやり場に困るひとときだったが、演目の中に「パーリー・シェルズ」が入っていると僕はご機嫌だった。
このフラの代表曲は、監督ジョン・フォード、主演ジョン・ウエインの、最後のコンビ作となった「ドノバン珊瑚礁」(1963年)のタイトル曲として使われており、耳になじんでいたから。
「リバティ・バランスを射った男」、「西部開拓史」(長編オムニバス映画の1エピソード)と重い作品が続いた後のこの「ドノバン」は、打って変わって緩急のよく効いたスラップスティック・コメデイで、隅から隅まで愛おしい佳品である。
と、言い切りたいところなのだが、エンディングだけが、よろしくない。
ネタバレになるので書かないが、ヒロインを含む、登場するすべての女性キャラクターたちに対して敬意を払ってきたフォードが一体どうして?と首をひねってしまう。
おかげで長年この作品が好きだとは大っぴらに言うことができないでいる。
後年、ジョン・ウエインが主演した「勇気ある追跡」およびそのリメイク「トゥルー・グリット」にもその行為が登場するが、ルースタ―・コグバーン(ウエイン)は銃を抜いて相手を止めるのだ。
これがフォードの老いによるものなのか、誰も言及していないので、もう知る由もない。
なお、この作品の原作は「南太平洋」のジェームズ・ミッチェナー、衣裳は「リバティ・バランス」に続きイディス・ヘッドが担当している。ここは押さえておきたいかな。
予告編。ほぼ殴り合い。
第二次大戦後、医師として現地に残り、母と自分を捨てたと恨んでいた父親(ジャック・ウォーデン)に、勝気な娘が再会するシーン。観るたび泣いてしまう。衣裳も素敵だ。
リー・マーヴィン!
「捜索者」より
「映画の巨人 ジョン・フォード」(2006年)は故ピーター・ボグダノビッチが1971年に撮影したドキュメンタリー映画を、テレビ用に新たな証言等も加えて再編集したものだ。
著名人が大挙登場してフォードに関するとっておきのエピソードを披露するのだが、とりわけ面白かったのが、15歳の映画小僧時代にフォードのオフィスを訪ねたというスティーブン・スピルバーグ監督の回想談だ。
※
オフィスで待っていると、フォードが騒々しく現れる。
映画監督志望だと話したスピルバーグへ、フォードは言った。
「壁に絵が掛かってるだろ。」
西部の絵だった。
「あの絵に何が見えるか言ってみろ」
「馬に乗った先住民がいます 」
「そうじゃない、地平線(ホライズン)はどこだ? 地平線が見えんか? 」
地平線を指さすと、
「さすな。どこにある? 絵全体を見て地平線は?」
「絵の一番下です」
「よし、次の絵だ」
次の絵の前に立つと
「地平線はどこだ?」
「絵の一番上にあります」
こっちへ来いと言われ、彼の机のそばに行った。
彼は言った。
「つまり地平線の位置を画面の一番下にするか、一番上にする方が真ん中に置くよりずっといい。そうすればいつか良い監督になれるかもしれん 。以上、終わり!」
フォードの作品と地平線については、このドキュメンタリーが製作される以前から批評家たちがさかんに論じていたし、僕を含むフォード映画の愛好家たちも気づいてはいたが、こうしてはっきり証言されたのは初めてだった。
それだけに、(気難しいフォードがこんな大事なことを初対面の子供に話すか?と)かえって眉唾なのだが、フォードの口真似を交えて語るスピルバーグが心底楽しそうで、信じることにしよう。
20分15秒から。
「怒りの葡萄」
「荒野の決闘 いとしのクレメンタイン」
ボグダノビッチの「ペーパー・ムーン」
この世で一番美しい名前はたぶん、ニック・ロウが娘につけたティファニー・アナスターシャ・ロウか、「風と共に去りぬ」の中でレット・バトラー船長が最愛の一人娘につけたボニー・ブルー・バトラーだと思う。
北部との戦争に否定的だった彼があえて南軍旗の別称ボニー・ブルー・フラッグにちなんだその心意気というか、祖国への思い。これにはスカーレット・オハラならずとも、胸打たれる。
下の映像は、「ゴッズ・アンド・ジェネラルズ」(2003年)という南北戦争を扱った日本未公開作のワンシーン。
リー将軍(ロバート・デュバル!)率いる総司令部への慰問団の小芝居(北軍側のリンカーン大統領を揶揄した内容)のあとに、南軍歌「ボニー・ブルー・フラッグ」が歌われる。
歌って踊る男女二人があまり見かけない顔だったので調べてみたところ、男優はデーモン・カーシュというブロードウエイ・ミュージカル俳優で、女優の方はダナ・スタックポールといい、青森県三沢生まれだそう。ということは、軍人または軍属の娘か。
ジョン・フォード監督の傑作「捜索者」は、南軍に従軍し、戦争が終わってもなかなか復員してこなかった乱暴者のイーサン(ジョン・ウエイン)が帰郷するシーンで幕を開けるのだが、そのバックに「ボニー・ブルー・フラッグ」がゆるやかに流れている。
イーサンと弟の妻マーサの間にあったことは、映画では全く語られていないが、万感の思いがこもった額へのキスを観るたび、泣いてしまう。
南北戦争後、1879年。メキシコとの国境付近のリオ・グランデ砦を守る指揮官カービー・ヨーク中佐(ジョン・ウェイン)は、テキサス州内を荒らし回ってはリオ・グランデ川を渡河してアメリカ合衆国騎兵隊の権限の及ばないメキシコへと逃げ込むアパッチ族の蛮行に手を焼いていた。ある日、砦に到着した新兵たちの中に、15年間、妻ともども別居していた一人息子ジェフ(クロード・ジャーマン・ジュニア)の名前があった。ウエストポイント(陸軍士官学校)で数学で赤点を取り落第したことを恥じて退学、騎兵隊に志願したところが、偶然にも父親がいるリオ・グランデ砦へ配属されたのだった。
やがてジェフを連れ戻すべく、母親であり妻でもあるキャスリーン(モーリン・オハラ!)が砦に現れる。南北戦争の際、北軍に従軍して南部へと侵攻したヨークは軍の命令でやむなく妻キャスリーンの一族の邸宅や農園を焼き払い、彼女はそれが許せずに彼のもとを去ったのだったー。
長い間離れていた三人が再び出会い、相手のことを思いながらもみな特大のガンコ頭で、うまく伝わらない、伝えられない。そのもどかしく切ない家族の情を縦糸に、危険なインディアン掃討戦を横糸にして、物語はリオ・グランデ河のように、時に緩やかに時に激しく流れ、進んで行く。
あまりの低予算で展開が急すぎたり、当時(ジョン・)フォードの娘婿だったケン・カーチス率いるサンズ・オブ・パイオニアーズのコーラスのシーンはダサすぎて、ビデオを手に入れてからは毎回早送りにしているけれど、映画を観ている間は、この「リオ・グランデの砦」(1950年)がフォードの最高傑作かも、とうっかり思ってしまうほど大好きな作品だ。(余談だが、キャスリーン・ヨークという赤毛の大柄なテレビ女優がいる。きっとアイルランド系の父親が、この映画のファンだったのだろう。)
このあとフォードはウェインとオハラを使って傑作「静かなる男」(1952年)を撮ることになる。
燃え上がるような赤毛と、激情を湛えたまなざし。
この再会のシーンでのユーモアとロマンスの鮮やかな切り替わりが見事過ぎて。
"ホウカ犯”クインキャノン曹長(ビクター・マクラグレン)、最高!
次作「静かなる男」のアイルランドでの二人の出会いのシーン